ラウンジ [2019/06/25,08:49:09]
朝5時起床。6時にはホテルに松村さんが迎えに来てくれた。松村さんには今回の旅でなにからなにまでアテンドしていただいた。感謝に耐えない。こんな友人がいなければ、たぶん高齢者がヘラヘラとアマゾンを一人でほっつき歩いたりできっこない。パウリスタはすっかり昨日の100万人ゲイパレードの余韻が消えていた。お祭り慣れしているのだろう。もう暗いうちから車や人が動き出すいつものサンパウロの街に戻っていた。学校が7時から始まるのに、夜が明けるのは日本より遅いのに、暗いうちから人が動き出す。ほとんどのカフェが薄暗い朝6時から開いている。サッカーの南米選手権の影響なのだろうか、先日のぺルー人に変わってメキシコ人がホテルの周りに出入りが激しい。グァリューリョス空港までの道路は思いのほか混んでいた。早朝便なので楽勝かと思ったが、それほど時間的余裕はなく到着。松村さんにはベレン行も含めて空港まで4往復してもらった勘定だ。すぐにチェックインし「ゴル」のラウンジで休憩。さすがサンパウロのラウンジはメキシコとは比べ物にならないほど清潔で静かだ。予想外だったのはアエロ・メヒコの飛行機だ。来るときに乗った機体とはまるで違い最新設備が整ったビジネスだった。食事もサービスも満点。テレビの大きさもまるで違うのだから、魔法にかかったみたいだ。早速、快適な環境で映画。レディガガ主演の『スターイズボーン」は面白かった。クイーンの映画よりこっちが好き。シンガポールの大富豪の結婚を描いた中国のコメディ(映画名は忘れた)も面白かった。映画以外は頼まれていた京都の友人の博士論文の校正をする。疲れているのだが、昨夜からなんだか眠れない。もう日本に帰るんだ、という実感がほとんどない。帰ってもやることが山ほどある。心のどこかで「帰りたくない」と思っている自分がいる。異国で一人旅していると、かなりの緊張感を強いられるのは確かだ。心も体も疲弊しているのは間違いない。でも寝られない。日本に帰ってからの反動がちょっと怖い。この日記は騒がしくて汚い、2流の居酒屋のような雰囲気のメキシコシティの空港ラウンジで書いている。日本まではあと一息だが、なんとこのラウンジで7時間トランジットしなければならない。もう仕事をする(取材のメモ整理だが)他どうしようもない環境に置かれている。
ミナス州 [2019/06/24,07:31:44]
今日がブラジル滞在最終日。明日はメキシコ・シティだ。だから今日は何も予定を入れない休養日。朝8時まで熟睡。シャワーを浴びて明日の旅立ちの準備。日本から持ち込んだお土産屋が無くなったのでスーツケースはカラカラ、と言いたいところだが、逆に貰い物や何やらで、出てくるときの3分の2くらいの荷物だ。11時、松村さんの車に乗ってお隣のミナス州にドライブに連れて行ってもらう。サンパウロからわずか2時間ほどで行ける農牧地域だ。でもホテルのすぐ前で100万人のゲイパレードが始まっている。太鼓や笛の音も聞こえる。ここをうまく抜けだせるだろうか。それが心配だったが案外スムースに郊外に出ることができた。グァルーリョス空港の側を過ぎると、目の前に秋田に似た低い山並みが見えてきた。熱帯植物がほとんど生えてない地域なので植生も森の形も秋田とそっくりに見えてしまう。山が見えると途端に元気になる。松村さんも緑が無償に見たくなると足を延ばすのだそうだ。サンパウロに自然の緑はないが、MASPの向かいにある自然植物園は豊かな木々が茂っている。昨日散歩したのだが緑の森というよりはカップルたちの抱擁の場所といった方が正確だろう。アマゾンもサンパウロも山の見えない場所なのだ。ミナス州の入り口の小さな町のドライブインでランチ。バイキングなのだがステーキとフェジョアーダをたらふく食べてしまった。美味しい。これがブラジル最後の食事(本格的な)になる可能性があるので、ちょっと食べすぎてしまった。帰りの車はビールとフェジョアーダが効いたのか眠くてたまらない。サンパウロに近づくにつれて渋滞がひどくなった。ホテルのすぐそばで交通規制にひっかかり、ピクリとも車は動かなくなった。ゲイパレードはまだ終わっておらず、パウリスタ通りはお祭り騒ぎが続いていた。行きは2時間、帰りは4時間のドライブ旅行になった。ホテルに帰ってももう寝るだけ。とても夕食を食べる気力はない。気力ではなくて本当に食欲がないのだ。昼のフェジョアーダというのはそれほどへヴィーだ。だからブラジルでは水曜と土曜しか食べられないようしているレストランが多い。シャワーを浴びて日記を書いて寝ようと思ったが、まだ時間は夕方の6時。近くのスーパーまで行き水やフルーツ、サンドイッチ、ビールを買い込んできて、ひとり打ち上げ。無事にブラジルの旅を終えることができた。これもひとえに在伯の友人たちのおかげだ。彼らに感謝。そして今年70歳になる自分の健康にも乾杯。元気なうちにブラジルに来れてよかった。何の障害もなく若い時と同様にブラジルを楽しむことができた。。
散策の続き [2019/06/23,20:41:24]
朝6時起床。もうすっかりこの時間が目覚めのルーチンになった。メインであるアマゾンの仕事が終わったせいで、気分がリラックスしているのだろう熟睡。しかし昨日の「1日だけのパウリスタ散策」は実に楽しかった。サッカーの国際大会(南米選手権?)が開かれているというのに、パウリスタはゲイたちの王国でサッカーは主役ではなかった。ゲイにすっかりお株を奪われていた。田舎者をバカにするなよ、と虚勢を張って大騒ぎしていたのはペルーのサポーターたちだけで、そのサッカーではブラジルに完膚なきまでにやっつけられたようだ。とにかく、パウリスタはゲイたちの天国と化した。で今日はそのパレードの本番の日だ。怖いもの見たさもあるが、今日はサンパウロを抜け出し、郊外まで松村さんにドライブにつてれていってもらう予定だ。そんなゲイ天国にばかり目を奪われて昨日の日記に書くのを忘れていたのだが、パウリスタでは「モレーラ・サレーラス写真館」に行った。ビル1棟が全部写真美術館という民間人の運営する世界的に有名なミュージアムだ。資料室や図書館も完備して無料、リオに本館がある。3人のブラジル人写真家の作品展示を見てきたが、すべてモノクロームで、やはりサルカドを生んだ国だ。観ていて気が付いたのだが、ここはあの有名な日系移民写真家・大原治雄の作品を所有している財団ではなかったか。大原の名前を係員に言うと、実際の作品はリオに所有してあるとのこと。日本で開催された大原の写真展を見るために山梨県まで出かけたことを思い出した。さらにそこから歩いて日本の有名な建築家の手になる「ジャパン・ハウス」に立ち寄った。3階で「47人のアーチスト」の作品展というのをやっていて、その秋田コーナーにはモダンアートな陶芸作品が展示されていた。恥ずかしながらまったく知らない作家だった。本当に秋田の人なのか、帰国してから調べてみよう。パウリスタを離れランチのために訪れたリベルダーデはすさまじい人出だった。土曜はいつもこうだという。ほとんど竿燈の日の山王大通りだ。もう日本人の町というイメージから遠くなったが、日本レストランが軒を並べ、焼きそばやミニ盆栽の屋台、おはぎや日本文字のTシャツなどを目にすると、日本人たちの作った町であることを否応なく意識させられる。
パウリスタ彷徨 [2019/06/23,09:46:16]
朝6時起床。もっとゆっくりしてもいいのだが貧乏暇なし。友人Oさんに頼んでサンパウロ中心地にあるイピリンガ公園で散歩。まあ東京の皇居のような場所だ。1周6キロのコースで、散歩やサイクリング、スケーターやジョギングの人たちであふれかえっている。途中でヤシの実を飲み、1時間ほどかけて歩きとおした。短パンだったが寒いほどで、でもやっぱり歩くのは快感だ。アマゾンは去年の11月から雨続きだったが、サンパウロも昨日から冬至、寒いわけだ冬なのだから。公園の近くにあるOさんの家にたちより、朝ごはんをご馳走になる。ホテルに帰ると、県費留学生だった中島君が待っていてくれた。今日は1日、彼とサンパウロ市街を目的も決めず自由気ままに歩き回る計画だ。昼だけはリベルダーデでニッケイ新聞編集長・深沢さんと日本食堂でランチ。ドライカレーをおごってもらった。トメアスーで食べたマニソバを思い出し手注文したものだ。午後からは中島君と合流し、MASP(サンパウロ美術館)へ。入場者が数百人も前売りに並んでいたので入場を断念する。その横ではサッカーのペルー・サポーターたちが鳴り物を叩き踊り狂って騒いでいた。今日はブラジル戦があるのだそうで、どこかしこにもペルー人があふれていた。さらに明日は100万人(!)以上のゲイが国中から集まる「ゲイ・パレード」がMASP前で開かれるのだそうだ。それもあってか、日中堂々とひげ面の男たちが道の真ん中で抱き合っていたり、中にはこれ見よがしに道の真ん中でデープキスをするカップルもいた。アフロヘア―に髭もじゃらの顔で、スリムな真っ白いミニのワンピースを着たおかまがいて、これはもう猛烈にかっこよかった。それにしてもブラジルはゲイが多い。というかあまりそれを隠そうとしないので、手をつないだ男連れが目立つのかもしれない。注意してみるとレズのカップルも結構いた。サッカーの国際大会にゲイパレード、年金問題反対の大規模デモやストなど、なんだかすごい時期に私はサンパウロに放り出されたものらしい。日が暮れるとパウリスタ通り一帯におびただしい夜店が立ち並んだ。大道芸もよりどりみどり。マイケルジャクソンのパフォーマーの兄弟の周りにはものすごい人垣ができていた。テレビに出るほどの人気者なのだそうだ。怪しげな「空飛ぶおもちゃ」を10レアルで買う。声量豊かにブルースを歌う中年オヤジには2レアルの投げ銭。夕食は中島君と二人で近くの日本食レストランに。ブラジル産の日本酒「アズマキリン」で一献。なかなかうまい。熱帯の国の熱燗というのも乙なもの。昨日までアマゾンの密林を切り開いた、何もない場所にいたことを忘れてしまいそうになる自分を戒める。でも都会の享楽と怠惰に流されて見えてくるものもある。
3千キロ移動 [2019/06/23,08:56:30]
朝6時起床。もうすっかりこの時間に目が覚める癖がついた。今日はベレンからサンパウロに立つ日だ。朝8時、タクシーの太田さんが迎えに来た。空港に行く前にこちらのリクエストでアマゾン川河口にある魚市場見学に寄り道してもらう。この魚市場が好きなのだ。日本では想像するのも難しい巨大ナマズや、彩り鮮やかな小魚や野菜を見てるだけで心躍る。40分ほど市場をほっつき歩き飛行場に。空港には30年以上前に日本(秋田)に研修に来ていた佐々木テレーザが見送りに来ていた。二人でコーヒーを飲みながらしばし昔話に花が咲いた。サンパウロまでは3時間半とはいえ国内便。チェックイン・カウンターに長い列が3本できていた。一番すいている列はエグゼクティブ。次に短いのは手荷物がない人の列で、長蛇はスーツケースを持った客の列だ。預けることが荷物の重量は24キロ以下、一個だけ。そのため小分けにした荷物は手荷物にして機内に運び込もうとする。そういう輩は最後にしか乗れないような仕組みにしてあるのだ。さらに機内での飲食はすべて有料になっていた。10年前は確かサービスだった。加えてキリキリに冷房を利かせているので機内は寒い。みんなダウンジャケットを持参しているのだから驚いてしまう。かくいう私もユニクロのパーカを持ってきている。これは大正解だ。サンパウロではいつものように松村さんが迎えに来てくれた。サンパウロは飛行場と市街が離れていて車で1時間以上かかる。前と同じ宿にチェックイン。夕食は松村さんと、やはり県費留学生だったカルロス阿部の3人でパウリスタの近くの美味しい肉料理店へ。カルロスはサンパウロのグルメ情報なら本を書けるほどの知識と教養を持っている食いしん坊だ。彼が推薦する店にはずれはない。この「マルコス・ボッシイー」も素晴らしいレストランだった。もうこんなうまい肉は日本で食べることはできないだろう。ゆっくりと味わいながら舌にその美味を覚えこませた。宿に帰って今夜はゆっくり休めると思ったら、関西の大学院に通う同年代の友人から「博士論文の校正」依頼のメール。急いでいるようなのなんとか読み通し、とりあえず感想と問題点をメールする。これですっかり眠気が覚めてしまった。
アマゾン最終日 [2019/06/21,09:31:22]
朝6時起床。鶏・犬・小鳥たちはあいかわらずうるさい。特にひどいのは犬たち(夜中に吠える)で、あまりのすさまじさに我慢ができず、宿の主人に理由を聞くと、「隣の診察院の犬たちが、その院の前に夜通したむろしているブラジル人に対して、吠えている」のだそうだ。なんとちゃんとした理由があったのである。いつものように朝焼けの中を滑走路散歩3回目。昨夜、旅たちの準備をしてしまったのでゆっくり朝飯。そこに鈴木住職から電話。「角田さんが会いたがっているので立ち寄ってほしい」との連絡。角田さんはトメアスーの郷土史家で、この村唯一の知識人。朝飯途中で、はせ参じる。1時間ほど話をして、タクシーのOさんと角田宅からベレンへ出立。途中の河もスムースにわたり、昼はベレン近郊のポルキロのシュハスコ。量り売りのシュラスコというのは面白い。初めての経験だ。そこから原生林の残る森として有名な「群馬の森」を訪ねる。来るとき飛行機で知り合ったHさんが事務局長を務める森で、じきじき案内してくれた。そんなこんなでベレン市内のホテルに戻ったのは4時過ぎ。約束をしていた秋田県人会長の畠山君はすでに待っていた。県人会の会長が秋谷留学に来ていた昔の青年なのだから、私も年を取ったものだ。シャワーを浴びる暇はなく、汗まみれのままホテル内で取材。終わってようやくシャワー。この日記を書きはじめたら、うちの著者でもありベレンの日系移民社会の重鎮である堤さんが訪ねてきた。アマゾン川のほとりにある観光名所の巨大レストランでビール(その場所で作る地ビール)。今日はブラジルは旗日、ほとんどのレストランは休みだ。地ビール2杯飲んで、日伯文化会館のあるビル内のレストラン「博多」へ移動。ここでチャーハン。ぶらぶら歩きながらホテルまで戻ってきた。なんだかあたふた、気ぜわしい。
足らなかったもの [2019/06/21,06:32:06]
どうのこうの言いながら、今日がトメアスー最後の日。夕食は近所にあるレストラン「カリン」に佐々木、高松、鈴木、伊東、峰下といった村の長老たちが集まって慰労会を開いてくれた。ありがたい。きりきりに冷えたビールと、ブラジル製のウイスキーのオンザロックを2,3杯いただく。ブラジルのウイスキーのうまいのに驚く。宿に帰って荷物の整理をする。村の人たちへのお土産や、重い本を差し上げたりしたのでスーツケースはかなり軽くなった。前に今回の旅に持ち込んで大正解のものを何点か上げたが、「持ってくるべきだったなあ」と思った残念なものもある。そのトップは湯沸かしポットだ。いまはアウトドア用の軽量なものがあるので、これは持ってきたかった。暑い国なのでお湯がほとんど飲めないのだ。インスタントのお茶や味噌汁をこれがあればどこでも飲めたのに無念。おやつとしては羊羹が欲しかったかな。虎屋の小さなものを10個くらいもってくれば口寂しい思いはしなくて済んだかも。それとポケット・テッシュだ。ブラジルはホテルもどこもとにかくテッシュがない。紙が貴重なのだろうか。日本でなじんでしまったのが悪いのかもしれないが、ちょっとしたことでもテッシュを使う癖がついているからだろう。まあ今回はこの程度のもので、よく準備はできた方だろう。これもひとえに55歳から続けてきた山歩きのおかげだ。山行の準備で散々苦労や失敗をしてきた教訓が確実に旅に生きている。もちろん体力もだ。数キロも畑の中を歩き回ったり、重い荷物を持って移動を余儀なくされたり、炎天下の車の中でクーラーなしで4時間待っても、平気で対応できた自分が誇らしかった。これは山歩きの数々の経験のおかげに違いない。山仲間たちには感謝したい。
日常品 [2019/06/20,04:31:10]
まだ暗いうちから、隣の家の鶏が断末魔のような苦しそうな声で泣き出す。「ゴゲゴー」とほとんど阿鼻叫喚のソプラノで泣き続け、これがなんと2時間近く続く。それが終わると今度は近隣の犬だ。まるで「大声鳴き声コンクール」でも開いているかのように休むことなく吠え倒してくれる。本当に隣近所の犬同士で「吠え声の競争」をしているのだ。これもたっぷり1時間は続くのだから嫌になる。この2つが終わると、ようやく静寂の中にきれいな小鳥のさえずりの大合唱が聞こえてくる。毎日毎日この調子だ。バカ鶏が泣きはじめるのは3時か4時。とにかくすごい音量で泣くなのだが、不思議と不快感はない。日本だったら近所中からクレームが来て飼い主はつるし上げ間違いない。毎朝6時に起き、滑走路を散歩し、取材の準備を整え、朝ごはんだ。目玉焼きにパン、4種類の果物にコーヒーと果物ジュース。これが定番だ。パンもフルーツもうまい。外は毎日33度前後の暑さだが、これが日常なので普段通りの気温だ。強烈な日差しにさらされながら村をかけ回っているのだが、これまでは何の問題もなく順調に仕事をこなしている。その要因の一番はICレコーダーの存在だ。取材の間、この機械を動かしているだけで一切メモは取らない。場所や人名を聞き返すこともない。まあ、後でテープ起こしをしなければならない手間はあるが、昔に比べて取材にかけるエネルギーは半分以下で済むようになった。もう一つ、助かっているツールは麦わら帽子だ。来る直前にノースフェースから出たポリエチレン製の麦わら帽子でくちゃくちゃに折って持ち運べるものだ。軽くて涼しくて、これは予想外に優れものだ。つばも広くて汗にも強い。どこに行くにもこの帽子一つで事足りる。アウトドア製品というのこんな時に効果を発揮する。同じように取材に携帯しているのがパタゴニアのナイロン製ズタ袋。この使い勝手が抜群にいい。ふにゃふにゃのナイロン製なので、まるまると形の違う荷物をぶち込みトートバックにもなるし、邪魔になるようなら背負えばリュックになる。荷物がないときは丸めておけばただの目立たない袋になる。中身もシンプルでさすがパタゴニアである。靴も今回の旅行のために軽くて着脱の便利なファスナー付きウオーキングシューズを買った。これが当たった。汚れに強く、畑歩きにもぴったしで、高級ホテルにも入れる優れものだ。こうした毎日旅先で使う日常品に恵まれた(はまった)のが、問題なく日々を過ごせている理由なのかもしれない。
インタビュー [2019/06/20,03:59:39]
朝6時起床、今日も滑走路散歩。雄大な景色を見ながらの散歩は実に気持ちがいい。朝8時、佐々木勇幸さんが迎えに来てくれる。今日はかなり遠出をして第2トメアスーのあるジャミック地域まで足を延ばす。舗装された道路ではないから誰も行きたがらない場所だが、この地域には戦後、秋田県人が集団で移住している。77年に取材したときには18家族の秋田県移住者たちがいた。そのほとんどを取材したのだが、今はそのほとんどがいなくなってしまった。その不在者たちの住居跡を確認しながら、生き残った佐々木義明氏宅へ。ブラジル人妻が私のことをちゃんと覚えてくれたのには感激した。最後はエリザベス・サンダース・ホームが混血児たちのための楽園として建設された入植地「聖ステパノ農場」の跡地を見に行ってきた。沢田美樹さんが老後、ここに移住しようと建てた家はまだ解体されず残っていた。でも密林にほぼ飲み込まれかけ、家の中は数十羽の蝙蝠たちが一斉に飛び立ち、跋扈していた。荒廃の深さを思い知らされた。十字路に帰って、最近できたという日系人経営のレストラン・サイトウでポルキロ(量り売り)の食事。客はほとんどブラジル人だ。いったん宿に帰って佐々木勇幸さんに1時間ほどインタビュー。その後、飛行場の3キロ先にいる中川さんに家にお邪魔する。中川さんは沢田美樹の「聖ステパノ農場」の唯一の生き残りである。毎回、トメアスーに来る度にあっているし、日本でもあったことがある親友だ。アサイを中心に生産していて、それを農協に売って生活しているが、不況なので生活は苦しい、という。でも日本への出稼ぎは絶対に行きたくない。日本人は「家族の幸せを知らないから」というのが彼の口癖だ。これで今日の仕事は終了。今日はこれから近くのレストラン「カリン」」で、私の歓迎食事会を開いてくれるという。ありがたい話だ。
滑走路で散歩 [2019/06/20,03:04:06]
朝6時起床。旅館後ろにある飛行機の滑走路に散歩に行く。アマゾンで散歩をする光景を見たことがなかったので、散歩という文化がないのだろうと偏見を持っていたが、とんでもない。朝暗いうちから飛行場の滑走路を何度も往復する人々がいた。行ってみると本当に50人ほどの人が黙々と滑走路を歩いていた。ここの滑走路は緊急時のみテコテコという軽飛行機が不定期でベレンと往復する。普段はほとんど使われていない。80年代に訪れた際、一度だけここでテコテコ・タクシーを呼んだことがあった。タクシーなので客は私一人。料金は2万5千円で、40分ほどでベレンに着いた。眼下には広大なアマゾンの原生林…など全く見えず、ひたすら牧場のために切り開かれた無数の「5円はげ」のような緑の鮮やかな円が無残に光り輝いていた。飛行機の窓や天井の隙間から風が入るのでよく見ると、割れた隙間をガムテープでとめていた。身体を少し動かすとボロ機体もろとも壊れてしまうのでは、という恐怖にずっと耐えたのを覚えている。片道1キロほどの滑走路を2往復、4キロの散歩を終えると汗びっしょり。今日は朝から取材の予定がびっしり。朝8時、十字路で15町歩の小さな畑ながら見事なアグロ・フォレストリ(環境にやさしい森林農業)の実践者である峰下さんの畑を見学する。先日、皇族の真子さまも見学に来たという畑だ。10時には三宅さんという秋田県出身の女性を取材。終わって農協組合(カンタ)によると、ちょうど組合長乙幡さんがいて、今のトメアスー農業の現状と未来を熱く語ってくれた。文教もそうだが村の指導者たちはもうほとんどが2世に変わっている。ポルトガル語の話せないリーダーなど問題外の世界に入ったわけだ。昼は十字路からかなり離れた鈴木住職のご自宅にお邪魔して肉とご飯だけのシンプルなランチ。これがめちゃくちゃうまくて恥も外聞もなくお替り。鈴木住職の畑を見てから、今度は村で一番に古くからアグロフォレストりーを実践している高松さんの畑を見学に行く。畑ばかり歩いているので靴はドロドロ、歩数計は持ってきていないが、今日は滑走路散歩に始まり畑歩きと10キロ近く歩いているのはまちがいない。加藤旅館の夕食はマニソバ。アマゾンの木の葉と肉を煮込んだ真っ黒なカレーだ。夜7時半、日記を書く気力もなくベッドに倒れこみ爆睡。

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