パロディ [2020/05/29,10:17:05]
ネットニュースでは女子プロレスラーのSNSによる誹謗中傷問題がかまびすしい。発端のTV番組も観たことないし、プロレスにもまったく興味はない。でもあのトランプまでがSNSに政治的規制をかけようとしているのは大問題だ。身近なところで、日本外国特派員協会会報誌のパロディ問題。こちらは大いに興味というか、強い危機感を感じる問題だ。五輪のエンブレムがコロナに見立てられたことに腹を立てた組織委員会が、著作権を持ち出して抗議、取り下げさせたというやつだ。この度量のなさにはほとんど呆れてしまう。明らかにパロディなのだから笑って済ませる話である。この組織委員会の元首相は「私はコロナが収まるまでマスクをしません」と賜った御仁だ。こういった人の牛耳っている五輪にも興味ないし、おふざけの社会風刺表現でも絶対に許さない、とする狭量な世相は本当に危険だ。
名前 [2020/05/28,10:20:41]
ナマコとかカタクリの根とか最初に食べた人間はエライ、というセリフは居酒屋などでよく耳にする。でもこれは、飢餓凶作の恐怖の中で生きていた近世の領主たちにとっては重大な政治経済問題だ。各藩には「食べられるものを探す専門の係」があったのだ。救荒作物といわれるものだが山野草や海産物を試食する人たちがいた。食だけでない。言葉の世界に目を転じると、「夜」という言葉を発明した人は天才だ、といったのはあの開高健。物質として存在するものを名付けるのはたやすいが、自然現象に名前を付けるのは至難の業。ましてやある天才が「夜」という名前を付けても、それが万人に理解されるようになるには、さらに何万年もかかったに違いない。触れることも指し示すこともできないものに名前を付けるのは、普通の人にできることではない。
新刊 [2020/05/27,10:10:45]
少しずつ面白い本と出合うようになってきた。去年読んで感動した河ア秋子『土に贖う』(集英社)が今年度の新田次郎文学賞を受賞した。うれしいニュースだ。どこでも話題にならなかったが、この小説は抜群に面白い、という確信があった。昨日読み終わったのは、原田宗典『メメント・モリ』と上原善広『断薬記』。どちらも人気作家のうつ病や薬物使用の問題を赤裸々に描いた自伝的要素の強い本。とてもいい本だ。「メメント・モリ」という言葉は、あの藤原新也の専売特許と思っていたが森鴎外や澁澤龍彦がすでに使っていた言葉だそうだ。村上春樹の新刊『猫を棄てる』も相変わらず読ませる。私たちは「広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ」という巻末の言葉にはしびれる人も多いだろう。新刊ははずれが多いの今回はまれなケースだ。今日からは、若桑みどり『イメージを読む』を再読する。いい作品は何回読んでも感動する。まだちょっと新刊は怖い。
サイレン [2020/05/26,10:04:35]
私の住む広面は大学病院なる町だ。その病院は事務所の2階の窓から見える距離にある。そのため朝から晩まで救急車のサイレンがけっこう聞こえるのだが、ここ1カ月ほどはうるさいほどサイレンが鳴り続けている。もうここに40年以上住み続けているのだが、これほどサイレン音のうるささを感じるのは異常だ。うるさくなったのはこのコロナ騒動と「軌を一」にしているようだ。地元の新聞も書いていないので、私の思い違いかとも思ったのだが、タクシーの運転手に訊くと、「家に閉じこもる年寄りたちが体調を崩して運ばれている」と教えてくれた。なるほど、それなら納得だ。これを書いている今もピーポーピーポーとサイレンが鳴っている。やはり異常だ。
夜の街 [2020/05/25,09:53:26]
今日は激しい筋肉痛を予想していたが、なんともない。たぶん明日あたり強烈なやつが襲ってくるだろう。年をとると筋肉痛までが身体をなめ切っているのだ。昨夜、街に出てみたら市街地はゴーストタウンのようで少し怖かった。都会では自粛解除がされ人出が戻っているというニュースとは裏腹に、田舎ではいまだに過度にも思える自粛が続いている。タクシーがほとんどつかまらないから、夜の街に出ていっても帰宅が大変、という声も聴いた。日曜日だったので店もほとんど開いていない。開いてる店もスカスカ。夜に外に出るのは、この2か月間なかったから、これほどまでにひどい状況とは思ってもみなかった。先が思いやられる。
やっぱり山 [2020/05/24,20:55:18]
何か月ぶりになるだろうか今日は待望の山歩き。総勢4人で矢島町にある八塩山矢島口ルート。秋田の山では一番好きなコースで、自粛後の新しいスタートを切ることができた。朝起きるのが少し辛かったが、それよりは山を歩ける歓びが勝っていた。往路は3時間20分、復路は2時間20分、歩きっぱなしの6時間半。天気は晴天、鳥海山の眺望もくっきり、20度をこす暑さだった。身体は確かになまっていたが、歩くにしたがって調子は上向いてきた。行きも帰りも高低差が少なく、そのくせアップダウンがやたら多い山なので、登りと下山も同じくらい筋力を使う山でもある。疲労の溜まっている下山のほうがむしろしんどいというヘンな山でもある。
やっぱり本 [2020/05/23,09:43:54]
ニュース以外、TVをすっかり観なくなった。日課だった新聞の切り抜きがなくなった。切り抜く価値のある記事がない。本も最近ははずればかり、夢中になって時間を忘れる新刊とトンと出合わない。映画もはずれが続いている。「ジョーカー」も「スリービルボード」も「スターリンの埋葬狂騒曲」も今ひとつ緊線に触れてこない。いやいや八方ふさがりだ。これが世間でいう「自粛疲れ」なのかな。気を取り直して昨夜は、村上春樹の新作『猫を棄てる』。う〜んこれで少し光が見えてきた。この勢いで南木佳士の旧作『急な青空』も再読、やっぱりいい作家は身をすっかりゆだねられる安定感がある。波間を浮き輪をつけてゆらゆら漂っているような気分で気持ちいい。今日も昔の本、藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』を再読予定。やっぱり最後は本に回帰していく。
めん類 [2020/05/22,09:47:12]
コロナ騒動が始まってから、事務所の昼食をいつものカンテン・リンゴから、めん類に替えた。外に出られないから昼に調理で欲求不満を解消している。だからインスタンではない。ラーメン、冷やし中華、ソーメン、うどん、そば、パスタにジャージャー麺と、その日の気分でメニューを選び、自分でめんをゆでて調理する。前日に「明日は何のめんにしようか」と考えるのも楽しみだ。それぞれによって具材が違うので、ソースやゆで卵、てんぷらやネギ,麩といった常備菜(?)も作り置きしている。うどんだけでも5種類ぐらいのヴァリエーションがあるから、一通り食べても1カ月はメニューに困らない。一番の好物はジャージャー麺。これは甜面醤でつくるソースを大量に作り置きしている。あとはきゅうりを細切りするだけだ。一番面倒なのは冷やし中華。これは具材がいろいろ必要なのでけっこう大変なのだ。ラーメン、冷やし中華以外のスープも「創味のつゆ」で自己流でつくっている。飽きるまではめん類でいこうと思っている。
ウド [2020/05/21,09:51:28]
久しぶりにSシェフが採れたてのウドを持って事務所を訪ねてくれた。山ウドはウコギ科のタラノ木属の多年草だ。Sシェフは勝手知ったる事務所の台所で、わずか30分ほどで何と4品のウド料理を作ってくれた。まずは茎の部分の御刺し身。これは酢水に入れて灰汁をとってから食す。山の緑と土の滋味深い味が詰まっている。もう一品は同じ芯の部分を味味噌に漬けで、これは一晩おいて食べる。穂先は柔らかく味も濃いのでテンプラかみそ汁の具。葉っぱの部分は一度湯がいて細かく切り、塩昆布とともにご飯に混ぜ込んだ。ウドの優雅な香りが匂い立つ絶品の炊き込みご飯が完成だ。しかし、あっという間にあの武骨な山菜が涼やかで品のある高級料理に変貌する。眼前でそのスムースな手仕事を見ていると、こういう人がコロナ後も悠々と生きていけるんだな、と納得した。なんともうらやましい。
信仰 [2020/05/20,09:52:32]
ウイングフィールド著『フロスト始末』(創元推理文庫)上下巻読了。約10日間、少年少女が変質者によって殺されるだけの、まったく興味のない物語に付き合わされた。無駄な十日間だった。いやならやめればいいだけなのだが、こちら側にはまだ「名作古典」への信仰がある。評判になった物語を理解できないのは、自分の感性やリテラシーのほうに問題がある、と無条件に思ってしまう。しかし声を高くして言いたい。この本はまったく面白くなかった。いつになったら、こうした自分の見栄っ張りで、古典名作信仰を払しょくできるのだろうか。先日も同じミスを犯したばかりだ。出版に関するエッセイ集を読んでいて、途中で駄作(読むに値しない)だとわかったが最後まで読み通してしまった。ずっと時間を返してくれと叫びたい気持ちのまま読み終えてしまったのだ。要するに貧乏性で、本は最後まで読まなければ損、という下品さが災いしているのだ。

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