森林火災 [2025/03/28,10:32:38]
日本各地で起きている森林火災について考えている。自然災害はみんな気候温暖化のせいにすれば、それ以上は考えなくて済む。温暖化は魔法の言葉だ。でも個人的にはまったく承服できない。なんでも温暖化説には「違法薬物」的胡散臭さを感じてしまうのだ。山登りをするので現実的な問題として理解できるのだが、この10年、シカの食害はすさまじい。絶滅危惧種だった秋田にさえシカは跋扈している。彼らは森林の下草や低木、若木を、ことごとく食べつくす。そのせいで森の昆虫の数も激減し、森全体の乾燥化が進んだ。今の山林火災には、この森林乾燥化が大きな影響を与えているのではないのだろうか。このシカの食害=森林乾燥説は、生物学者である池田清彦氏が昔からよく唱えていた説だ。「水をたっぷり蓄えた森」が、あんなにも簡単に燃えてしまうのは「山が燃えやすくなっている環境」だからでは、と考える視点も必要ではないだろうか。
原点 [2025/03/27,10:09:43]
旧統一教会に解散命令が出た。この新興宗教がいきなり世の中に登場したころ、10代の少年としてリアルタイムで知る一人だ。中学3年から高校時代にかけ、彼らは執拗に、かつ堂々と、わたしたちの通う学校の校門前で勧誘活動をつづけていた。その主張は、主に「反共主義」一本で、少なくない人たちがたやすく彼らの毒牙の餌食になった。インチキ霊感商品の話も聞いたが、それは大人の世界で、もっぱら私たち中高生向けの主張は「反共」一本だったような気がする。同級生のS君がまもなく彼らの餌食になり、ある日突然、S君は「折伏する側」としてわれわれの前に登場した。その信仰心は篤く、学内で布教を続け、高校卒業後、何のためらいもなく教会に「就職」した。それが強烈な印象として今も残っている。S君は今どうしているのだろうか。さらに秋田市には、教会最大の広告塔といわれたアイドル歌手・桜田淳子の存在があった。だから個人的には興味がないのに、統一教会という存在は、ずっと、身近なところにあり続けた。自分にとってはその後の生き方を決める大きな反面教師のような存在といってもいいのかもしれない。「こんな宗教に引っかかるような大人にならないように、ちゃんと勉強しよう」と殊勝にも子供心に思ったものだ。その思いは今も変わらない。ここが自分の大切な原点かもしれない。
ジョージア [2025/03/26,09:51:16]
昔は「グルジア」という国名だったが、今はジョージアになった。黒海の東、トルコの右肩あたりにある国だ。知らない国のことを知るには映画が一番、というのが持論なので、ジョージア映画『金の糸』を見た。ソ連邦崩壊後の、引き裂かれた老姉妹の、心のひだと孤独を淡々と描いた秀作だ。金の糸というのは日本の陶器修復技術である「金継ぎ」のこと。日本に対して思い入れの強いジョージア人女流監督の作品なのだ。姉妹が政治家と文学者という設定も興味そそられる。モスクワからそう遠くない位置にある国なので、何の疑いもなくヨーロッパの地図で場所を確認しようと思ったら載っていなかった。中東・イスラムの国のひとつだったのだ。こんなことも知らないのだから恥ずかしい。隣国であるアルメニアやアゼルバイジャンの映画も見てみたい。ジョージアといっても日本人が思い起こすのは大相撲の「栃ノ心」がせいぜいだ。映画を見終わって彼の姿を思い浮かべてみると、なるほど確かに彼はジョージア人そのものだ。
手紙 [2025/03/25,09:36:11]
デンマークの国際郵便サービス「ポストノイド」がこの25年いっぱいで郵便(手紙)配達を終了することになった、というニュースは衝撃だ。400年間も続いた「人間の営み」に終止符が打たれたわけで、デンマーク人ならずとも予想していなかったことで驚いた。手紙以外の小荷物はどうなのか、そこまでニュースは触れていないが、世界のほかの国々にも無関係ではありえないニュースでもある。デンマークでは21世紀に入って、手紙量は90パーセントも減少したそうで、これはまあ日本も似たようなものだろう。個人的には神戸にもう20年近くペンフレンドがいて、毎週のように手紙のやり取りしている。さらに最近、宅配会社から本などの発送を、すべて郵便局に乗り換えたばかり。手紙がなくなる時代を生きていくとは、不覚にも想像しなかった。まいったなあ。
プロ野球 [2025/03/24,09:39:01]
毎年この時期になるとプロ野球の開幕が待ち遠しい。それを考えるだけで「もう春なんだ」と雪国の人間は無条件でうれしく思ってしまうのだ。でも今年はちょっと事情が違ってきた。冬期間メジャーリーグの情報やオープン戦を見せられ、日本のプロ野球が、退屈でつまらないゲームに感じてしまったからだ。日本のプロ野球はとにかくダラダラ、デレデレ、小休止、迫力も緊迫感も瞬発力もない。時間無制限の老人の将棋を見ているようで、真剣なのは本人だけ、ギャラリーは無意味な時間と付き合わされているだけだ。まずは何よりもピッチクロック(投球時間)や無駄なけん制球禁止など、早急にメジャーの仕組みを導入すべき時なのだろう。スピーディな試合展開を心掛けなければ、もう野球は見向きもされないスポーツになる日が近い。始まる前からそんな目で見ている自分がいるのだから、今年はプロ野球中継には期待薄間違いなし、だ。
無名 [2025/03/23,10:17:19]
同年代の知り合いの訃報が相次いでいる。もうあまり慌てふためき悲嘆にくれ、驚くということもない。次は自分の番か、と冷静に残りの月日を数えたりする。でも後日、改めてその知り合いの死を反芻してみると、ある程度、名を成した人の死と、無名のままの死では、同じ知り合いでもかなり悲しみに温度差がある。こんな仕事をしているので知名度のある文化人などとも多くはないが付き合いはある。彼らが亡くなっても、「よく頑張ったからなあ」とか「ご苦労様でした」という、前向きな弔辞しか出てこない。それに比べて無名の友人の死は、無念さや衝撃が大きく、不意打ちを食らったようなダメージすらある。なぜこうも他者の死に差が出るのか。自分でも不思議なのだが、そうなのだからしょうがない。有名な人の死はすぐ忘れるが、無名の友人たちの死はずっと、私の裡で尾を引いている。
ホルモン [2025/03/22,10:35:58]
友人とランチの約束をしていたのだが、朝早く電話があり「土曜は夜のみの営業」とのこと。しょうがない、夜に行くことにした。お店は花輪ホルモンの店で、痛風が心配で意識して食べなかったのだが、ある原稿を書くため、行く必要が出てしまった。もう20年近く前、「花輪ホルモンって、うまいねえ」と夫婦で私を誘ってくれたのは当時の秋田美術短大学長の石川好さんだった。石川さんは下戸なので食事の誘いというのは珍しい。この時、秋田市にできたばかりの花輪ホルモンの店を訪ねて、こりゃ美味いわ、と驚いたことを覚えている。紹介してくれた石川さんは去年、77歳で逝った。その追悼文を書こうと思って、あのホルモン屋さんを思い出したのだ。石川さんは食べることや飲むことにてんで興味がない人だったが、秋田で一番気に入った食べ物が花輪ホルモン、というのは意外で面白い。石川さんを偲んでノンアルで食べてくるつもりだ。
3月20日 [2025/03/21,09:14:09]
オウム真理教の地下鉄サリン事件から30年。その事件振り返る番組を見ながら、あの3月20日、私の家族は事件の真っただ中の、東京・赤坂のホテルに投宿中だった。小学生の息子が春休みで、サンパウロの友人宅にホームスティすることになり、その見送りのため東京のホテルに泊まっていたのだ。朝早く、仕事のため秋田に帰る妻をホテルで見送っ数分後、妻から電話があり、「なにか大きな事件が起きて東京中が大騒ぎだ」という連絡が入った。テレビをつけてみると、救急車が走り回る都内の風景が映し出され、そのサイレンの音と、現実に窓から聞こえてくるサイレンの音が「ピッタリ」とハーモニーを奏でている現実に気が付いた。一挙に恐怖が全身に張り付き、心臓が高鳴った。子供に恐怖心を抱かせないよう、何気なさを装って、ホテルを出て、すぐそばにある地下鉄入口まで出かけたのだが、禁止テープが張られ何人かの警官が入口をガードしていた。そこが事件現場だったのだ。しかし何かが起きたのは間違いないが真相はわからない。妻は羽田から秋田に帰り、息子は無事ブラジルに発った。興奮を抱えたまま、あわただしく秋田に帰ってきて、初めて事件のことを知ることになった。
訃報 [2025/03/20,12:17:24]
20年ほど前、うちでフリーランスのライターとして仕事をしてくれたHさんが亡くなった。69歳。彼女は盛岡を拠点に、東北各地の食文化や温泉などの原稿を書いていたのだが、もともとは東京出身だ。父親は超有名な音楽家だったが、その父から離れ(たぶんいろんな確執があったのだろう)、東京から移り住んだ東北の地で、一人自由気ままに生きてきた(ように思っていた)。その高名な父の死をきっかけに東京に戻ったのだが、共通の友人である編集者から、その孤独な死の報を昨日聞いた。いきなりの訃報で、不意打ちを食らったような衝撃を受けてしまった。彼は、彼女の父親の音楽全集を刊行した編集者だ。彼女はその父親の家で、ひとり人知れず息をひきとったのだそうだ。ひとり暮らしのため、発見が遅れた。今日が葬儀の日だ。喪主はいない。遠く東北の地から、彼女の冥福を祈るしかない。
映画 [2025/03/19,10:59:41]
プロ野球観戦は好きなのだが、このところのメジャー、大谷フィーバーはまったく関心がない。気持ち悪い、勝手にすれば、と思っている。天邪鬼なのだ。だからTV中継は無視、アマゾン・プライムでデンマーク映画「わたしの叔父さん」を見た。27歳の女性が、足の不自由な叔父と酪農を営みながら暮らす日々を淡々と描いている。北欧特有の雄大な自然と彩度の低い映像が、静謐さをたたえて胸にしみ込んでくる。物語は日常の繰り返し。そのなかに、獣医になるために学んだが過去や、教会の合唱隊マイクとの淡い恋がゆっくりと紛れ込みさざ波を立てる。こういう映画が好きだ。ネットの映画評を見たら、この叔父と姪は役者というか本当の「叔父と姪」でもあるんだそうだ。これはびっくり。彼らには大谷もメジャーも関係ない。別の世界に生きている人たちだ。大都会コペンハーゲンに旅行に行くのも一大イベントだ。

FREE imgboard v1.22 R5!!