「休養」 [2025/06/17,09:38:45]
2か月に一度、近所のかかりつけ医に逆流性食道炎の薬をもらいに行く。その朝一番、血圧を測るのだが160台で、この2年間、ずっと血圧が高い。その前は130から40台だった。この2年に何があったのか。少し落ち込んでいるのだが薬を飲むのは嫌だ。健康の3大要素は「栄養・運動・休養」だ。栄養と運動に関しては嫌になるほど本が出ているし、学問的な体系化も進んでいる。でも3番目の「休養」に関しては、まったく学問として確立していない。「休むこと」=「寝ること」なので、わざわざ学ぶべきことではない、という常識なのだろうか。こんなことを考えるのも、自分自身が「休みを取りたいが、その方法がわからない」からだ。温泉に行ったり、旅に出たり、おいしいものを食べに行くのが、「休養」とはとても思えない。では何をすれば自分にとって「休養」なのか。実のところ全くわからない。このへんのことを今真剣に考え中だ。
テンマ [2025/06/16,07:32:49]
学生時代、市内駅前に「揚子江」という中華料理屋があった。いまでいう町中華なのだが、個人的に店主やその家族と親しく、よく通っていた。ここで食べた天津飯のような、辛くない麻婆豆腐のような、不思議な味のどんぶり飯がおいしくて大好きだった。中華料理のメニューにはない食べ物なので、たぶん賄い飯のようなものだったのかもしれない。先日、TVをみていたら大阪大学の学食で「テンマ」と呼ばれている人気中華メニューがある、という話題をやっていた。天津丼の上に麻婆豆腐をぶっかけたどんぶりで、学生に大人気だという。あ、あ、あッ、これは間違いない。学生時代、うまいなあ、と涙を流さんばかりにかっくらったどんぶりは、この「テンマ」だったのだ。さっそく自分なりにアレンジして今日の昼につくってみよう。そうか、天津のマーボーで、テンマか。
偏見 [2025/06/15,10:25:40]
TVドラマ「団地のふたり」が面白かったので、原作者である藤野千夜の本を読もうと思った。自伝的長編小説『編集ども集まれ!」(双葉文庫)をさっそく買ったのだが、寝床脇に置いたまま、ずっと読まずにいた。神保町での漫画編集者時代を描いた物語だが、そのあまりにベタな書名に読む気が起きなかったのだ。芥川賞作家であり、優秀な編集者が周りにいるはずなのに、こんな同人誌以下の書名をつけることに、周りのだれも反対しなかったのだろうか。いったいどんな神経をしているの、という気持ちだった。それが読んで、猛省することなった。この書名は、尊敬してやまない手塚治虫作品『人間ども集まれ!』への、熱いオマージュから生まれたもので、意味深い、中身のある書名だったのである。漫画の世界を知らない無知が引き起こした田舎者(私)の偏見だったのである。単行本になる前の連載時のタイトルは「出版残酷物語」で、副題は「自伝的編集者ストーリー」だそうだ。笹子(通名)と小笹(本名)を使い分けながら、最後はスカートをはいて出社し解雇されるまでを描いた、明るく、前向きな、漫画に淫した若者のの生き方を、90年代のまだ出版界が活気のあった時代と、今を対比させながら描いている手法も見事。
時間 [2025/06/14,11:13:04]
6月に入ってから目に見えて1週間の過ぎるのが早い。5月中はもっと時間はゆっくり流れていた。1週間の「時間感覚」と、自分の体調や仕事の因果を頭の中で反芻してみるのだが、よくわからない。最低限確信できるのは、体調がいいと時間はゆっくり流れ、仕事が忙しいのも同じ。忙しくなればなるほど時間は目に見えるように自分の傍らを微笑みながら過ぎていく。ということはこの数週間、ヒマだし、体調も良くなかったというわけか。昨日は思い切ってジムのプール会員をやめ気分がすっきり。会員になって一度も泳がずの退会だ。不用意に筋トレをするのも要注意。すぐに腰にくる。腰の調子はこの1週間いいのだが、調子に乗るとすぐ報復される。昨日は読む本がなくなったので、久しぶりにブックオフへ。100円本を5.6冊買ってくる予定だったが、おっ、と思う本はすべて定価の半額以上。そのへんの書店員よりブックオフの店員はレヴェルが高い。本の価値を知っているのだ。「掘り出し物」なんてよほどのことがないとない、と知ったほうがいいよ、ご同輩。収穫はカズオ・イシグロの文庫本「わたしを離さないで」一冊のみ。新品同様で120円、これは得したなあ。
妄想 [2025/06/13,09:55:53]
クマのせいにしているが、最近すっかり山歩きから遠ざかっている。クマだけのせいではない。ちゃんと登れるように散歩の途中、ストレッチや筋トレをやり始めると、決まって腰が痛くなるのだ。この腰痛がすぐに治らない。このままでは山は遠くなるばかりだ。そこで「昔とった杵柄」で、近所のスポーツジムで泳ぐことにした。泳ぐのは得意で2キロや3キロは平気だ。ジムは散歩の途中にある。毎夕、そこを通るたび、学童未満の小さな子供たちが親に連れられジムの前に群れている。プール通いの子たちだ。それを見るたびに「やっぱり泳ぐのはやめよう」と決断は鈍る。この子たちはプール内でおしっこをする。自分の小さなころを思い出しても確実だ。おしっこの海で泳ぐのは嫌だなあ、と妄想してしまうのだ。ということで、プールも申し込みはしたのだが、まだ一度も行ってない。なんだかうまくいかないなあ。
記事 [2025/06/12,10:07:02]
毎日ふたつの新聞の切り抜きをしている。今日はなんと10本近いスクラップがあった。たまにだがこんなこともある。記事の中身は大事件や格調高い社説、ではなく、ほとんどが「えっ!」と心の中で小さく驚くような「ベタ記事」が多い。いつか原稿に書いたり、飲み会の席で披露してやろうと、下心満載のやつだ。全国区でいえば、97歳の「自撮り写真家」西本喜美子さんの死亡記事が目についた。彼女の写真には本当に笑わせてもらった。ブラジル生まれで競輪選手の経験もあるユニークな女性だ。世界的バイオリニスト・五嶋みどりさんが秋田市にある県立視覚支援学校で5日の日にコンサートを開いていた、というのも知らなかった。アップルが開発したAIによる同時翻訳機も興味深い。いずれ出るとわかっていたが、通訳が不要の時代がやってくるのだろうか。政府の「書店活性化プラン」なるものも公表されていた。街の書店を「地域の重要な文化拠点」と位置付けて、振興策を通じて減少を防ぐ考えのようだが、もうとっくに「文化拠点」ではなくなっているよ、と考えているのは私だけ。
西日温室 [2025/06/11,10:52:43]
日中25度を超えると、事務所2階のシャチョー室はクーラーが必要になる。窓を開け放つといい風が入ってくるのだが、それを凌駕する熱気がすぐにこもってしまい、「西日温室」といわれる地獄部屋に変身するのだ。45年前、事務所を新築した時、まるで日当たりのことなど考えず、仕事上の効率だけで素人設計したのがあだとなって、建てて20年間は、物置小屋のような状態で放置されていた。西日対策用の窓を特別発注し、使わないのなら自分が犠牲になるつもりで、ここをシャチョー室として使い始めたのは4半世紀前のことだ。少しずつ改修を重ね、今はこの部屋がなければ居場所がないほど、「お気に入りの、心地いい部屋」に変貌した。といってもやっぱり暑さにはめっぽう弱い。夏をどうやって乗り切るか、今から頭の痛いところだ。
ヒマワリの種 [2025/06/10,09:35:13]
大谷がホームランを打つとヒマワリの種をまいて祝福する。なぜヒマワリの種なの? と思っていたのだが、1944年生まれの大好きな作家・出久根達郎さんが「ヒマワリの種が好き。いや毎日主食のように食べていた」とある本に書いていた。茨城生まれの5歳年上の作家だが、これにはびっくり。出久根さんの品のある貧乏自慢は大好きなのだが、そうかヒマワリの種を食べていたのか。そういえば同じ年で50代で秋田に移住してきた長野県出身のAさんが、秋田に来て一番驚いたのが「当たり前のように三食お米を食べていたこと」と話していた。これもショックで、え、え、えッと何度も聞き返したほど。戦後団塊世代の日本人が「小さなころはほとんどうどんをたべていた」というのは、貧しかったけどコメだけはたらふく食っていた秋田の田舎者には本当に理解できなかったのだ。令和のコメ騒動で世の中は大騒ぎだが、私には今ひとつピンとこないことばかり。私が変なのだろうか。
マイ・ルール [2025/06/09,08:45:37]
日常のルーチンというのは誰にでもある。飲む薬とか、食事の際のルールとか、仕事上の「ゲン担ぎ」とか。その通りにしないと収まりの悪いマイ・ルールのようなものだ。私自身は雨が降っても槍が振っても散歩をする。これはもう何十年も守っている人生の骨格のようなもので、散歩できない日がくれば、それはほぼ死と同じとみなしていいだろう。薬は逆流性食道炎のタケキャブという薬だけしか飲んでいない。薬に依存するのは極力避けたいと思っている。毎日、自家製のヨーグルトを食べ、黒酢を50ミリグラム、ジュースに混ぜて飲む。酒は飲まないが、この酢だけは欠かしたことがない。便通をよくする便秘薬を飲んでいたが去年でやめた。日常のルーチンやルーツに縛られるのが怖いから、マイ・ルールなんてなないほうがいい。ルールは確実に自由を阻害する。フラリと旅に出るなんてことは難しくなる。でもルールやルーチンを無視すると、精神的なダメージは大きい。ルールは作りたくないが、それがないと時間は遅延し、周辺はぼやけ、一挙に痴呆の世界に足を無見込みそうな恐怖は常にある。困った性格だ。いまさらどうにもならないことばかりだ。
日本酒 [2025/06/08,10:13:11]
今年に入ってほぼ「ノンアル」状態が持続している。友人や家族との月1回会食ではアルコールを口にする。礼儀だからだ。それ以外はほとんどノンアル・ビールを愛飲している。医者から止められていたり、健康のため、というわけではない。お酒を美味しいと思わなくなったせいだ。自発的に口にするのをやめてしまった。飲むときはワインかウィスキーで、日本酒という選択肢はほぼない。日本酒のレヴェルが上がり白ワインか見間違うような味になり、値段もワイン並みになったあたりを境に、まったくといっていいほど日本酒は口にしなくなった。高価になったからではなく、うまさの味の基準がわからなかったからだ。友人たちは「これはすごい」と驚嘆するのだが、祖茂味覚についていけない。ワインやウィスキーであれば、まだ何とかなるのだが、日本酒だけはだめ。ゴテゴテの本醸造パック酒も超高級純米吟醸酒も、ほとんど味なのだからお手上げだ。これはもう飲まないほうがいいな、と自分で決めてしまった、ということもある。医者から健康上の理由でとめられているのなら、かなり抵抗したかもしれないが自発的というところがミソだ。死ぬまでノンアルで、もうなんの問題もない。

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