海外遠征 [2018/07/16,11:27:30]
山歩きの翌朝は本当に気持ちがいい。久しぶりの本格的な山(崩山)で、しかも青森県の山なので緊張も一入(ひとしお)だったが、観光地(十二湖)の山なので若い登山客がいっぱい。彼らがキャポキャピ騒いでいると苦しい急登も遊園地のような気分にさせられる。若い人に山に登ってほしいと柄にもなく思ってしまう。日本中が豪雨と酷暑でニュースになっているなか、密林のような森の中で無心に自分と向き合う静謐な時間を自然から頂いた。何かが変な世の中だが、自分の置かれた場所がどこかだけは、山に登っているとよくわかる。自然の中では無力なだけでなく、自分はエゴの塊でもあることがはっきり自覚できる。これはシャバではなかなか味わえない内面でもある。山は嫌いだけど好き、そんな感情になるのだが、これだけは登らないとわからない。青森県の山というだけで、私にとってはほとんど海外遠征である。
大崩山 [2018/07/15,19:15:26]
朝5時起きで久しぶりの山。それも青森県深浦にある崩山という940メートルの、白神山地の北縁にある山だ。あの十二湖を足下に望む。この十二湖じたい、崩山の崩壊によってできたといわれている。観光客でごった返す青池を早々に抜け、大町桂月の句碑の横の登山口を登り始める。前半はずっと急登が続き、ようやくベンチのある休息所へたどり着く。ここからちょっと行くと大崩山山頂だが、どこが山頂なのかよくわからない。崩山山頂まではまだ四〇分ほどかあKるのだが、この地点で引き返してきた。久しぶりの山にしては難易度が高かった。でもいい汗をかいて幸せ。懲りずに来週も挑戦したい。
せどり [2018/07/14,07:52:26]
古本屋用語で「せどり」というのは古書店の棚にある本を同業者が買い、自分のところで高く売ることをいう。ところが最近ニュースで聞いた「瀬どり」というのは、北朝鮮が海上で船を横付けし石油精製品を積み替えて密輸することをいうのだそうだ。まったく知らなかった。ふつう古本屋が組合で本を買うときは、山になった本の塊に値段をつけて競り落とす。一冊一冊の本の書名など見ないで一山いくらで本を買うことが多いので、そこから逆に棚に差された一冊の本の書名を確認して、確信的に本を買う行為を業界で「背どり」というようになったものだろう。「背」と「瀬」ではまるで意味が違うようだが、転売するという行為は一緒だ。なるほどなあ。
レインコート [2018/07/13,08:56:05]
朝ごはんの時、ちょうどNHK・BSで「こころ旅」という火野正平の番組をやっている。いつもその奇抜なファッションに驚かされるのだが、今日は黒のオーソドックスなレインコート。裾の長いコートで自転車に乗れるのか心配だが、よく見るとこれはモンベルのアウトドア用レインコートではないか。もちろんゴアテックスで超軽量。私も同じものを持っていて雨の日の散歩に重宝している。晴れていても着たくなるほど軽くて着心地がいい。値段は確か3万円弱で、自分としては久しぶりのヒット作の買い物だった。そうか、やっぱり愛好者はいるんだ。そういえば一昨日、仙台でモンベルに寄り、またいつもの777円の財布(赤)を買ってしまった。今日からその赤い財布を使うつもりだが、自分の生涯で「赤い財布」を使うようになろうとは思わなかった。来週からは新入社員が早い夏休みをとるので休みで、私一人だ。緊張するなあ。
仙台 [2018/07/12,14:02:33]
昨日、私用があって仙台日帰り。疲れた。駅前にある丸善のビルに入ったら、入り口に「ミサイル避難」の看板があったのに驚いた。どこに避難するかを指示したもの。宮城よりはすっと北朝鮮の標的に近いわが秋田ではこの手の警告は見たことがない。これは政治や経済の力の違いなのだろうか。昭和40年代、秋田市と仙台はそんなに格差のない地方都市だったが、今はもう政令都市と過疎の町、というぐらいの差ができてしまった。行くたびにその差に愕然としてため息をつく。今日は雨。西日本の豪雨被害には言葉を失ったが、秋田の雨はしめやかにおだやかにふりそそいでいる。
書評 [2018/07/11,09:38:02]
読んだ本について感想を書き記すのが「書評」だが、基本的には「悪口は書かない」というのが暗黙のルールがある。批判があるならその本を取り上げないほうがいい、という大人の選択をするわけである。でも、ときたま「この本の書評をお願いします」と本が指定されてくる。喜んで引き受けるのだが、読んでみると真っ青になるほど「ひどい本」。たぶん依頼してきた編集者も書名や版元だけで「大丈夫だろう」と依頼してくるだけで、中身はまったく読んでいないのだ。こうしたケースがけっこう多い。今回、ある業界紙から依頼された書評はその「とんでも本」の類。貶すこともバカにすることもできない。おざなりな紹介文を書いてお茶を濁したのだが、実にに後味が悪い。
[2018/07/10,09:19:59]
痛風の原因はどう考えても一種の脱水症状が誘発したものだ、と勝手に結論付けてずっと毎日水分補給に努めている。そのかいあって便通がよくなった。体重が増えなくなった。身体が軽くなり散歩しても疲れが軽い……ような気がする。まあそんなにてきめんな効果は眉唾だが、日々、水分をとらずに過ごしてきたのは事実。おしっこの量と頻度でよくわかった。昨夜の夕食は一人。散歩がてら外で摂ろうと出かけたが、飲食チェーン店に入るきがしない。家に帰ってソーメンをゆでて食べた。おいしかった。近頃、外で飲食する気がどんどん失せていく。
歴史 [2018/07/09,09:45:31]
出口治明著『0から学ぶ「日本史」講義』を読んでいる。面白い。知りたいと思っていたことがスイスイと書いてある。歴史本ではお目にかかれないエピソード満載だから、この人の本は売れるのだろう。あまり面白いので既刊の『全世界子』上下巻の文庫本まで購入してしまった。歴史ものは歴史家以外の人が書いたものに限る。専門家たちはうかつなことを書くと学者生命が断たれるリスクがある。めったなことでは新説を開けかしたり珍説を自慢できない。批判が怖いからだ。でも出口さんや池上彰さんのような人は「オリジナル」を作る人でない。人さまの業績を「わかりやすく解説」してくれる人だ。リスクがないから何でも書ける。こうした人がいないと歴史はひたすら専門化する一方だ。歴史に興味を持つのは小説が一番だし、専門家以外の人の書いたものを読むのがいい。
4番バッター [2018/07/08,10:38:29]
便所本(「置き本」というのは池内紀さんの造語)が半年以上替わっていない。調子が良ければとっかえひっかえ便所に置いて読む本は変わるのだが、「江戸」の雑学ものと永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)の2冊がずっとレギュラーだ。江戸雑学ものはどうってことのない本だが、問題は「現代秀歌」のほう。今後100年読み続けてほしい秀歌100首が、自らも歌人であり京大の細胞生物学者でもある著者の見事な解説で綺羅星のごとく並んでいる。「恋・愛」「青春」「新しい表現」「旅」「病と死」「四季・自然」といったくくりで「100年後まで残ってほしい」作品が取り上げられている。作品ももちろんいいが、なにせ著者の解説がすばらしい。毎日、便所に入り、適当に開いたページを読んでいるだけだが、いつも新鮮で感動がある。この本だけはまったく飽きない発見がある。便所本の不動の4番バッターのようなものだ。
80’s [2018/07/08,10:25:00]
橘玲著「80’s」(エイティーズ)は面白い本だった。出版業界ものというジャンル分けになるのだろうが、この元『宝島30』編集長の回顧録は一味違う。バブルの足あとからその絶頂、そして崩壊まで、1982年から1995年までの長い青春を描く自叙伝だ。95年までの記述があるのは「オウム真理教」とのかかわりが著者の青春の締めくくりになるから。この当時、宝島誌は唯一といっていいほどオウムと接触を持てた「サティアン出入り自由」の出版社だった。祖霊供養や戒名授与、墓所管理や水子供養といった本来の仏教とは何の関係もない欺瞞を痛烈に批判したオウムは「若いインテリ層」の人気を獲得したのは当然で、昨今のIS(イスラム国)とそっくりだという。振り返れば、バカな頃が一番面白い。でも人はいつまでもバカではいられない。

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