全巻用例付きの本邦初の方言辞典
東京大学名誉教授・言語学
柴田 武

 待望の『ケセン語大辞典』が出た。上下二巻、B5版で二千八百ページという、「大」と称するにふさわしい大著である。収める見出し語は三万四千語。一般に、一方言の語の採集は一万語が一つの山だから、その山をはるかに越えている。
 ケセン語は、岩手県気仙郡の方言のことだが、山浦さんはあくまで「ケセン語」を主張する。ケセン語は、日本語・アイヌ語・英語などと肩を並べる一言語だと自負するからである。また、ふるさとのことぱに、これほど美しいことぱはほかにないという惚れ込み方である。
 山浦さんにはすでにケセン語の文法を打ち立てた『ケセン語入門』(一九八六)という著書がある。今回の『ケセン語大辞典の文法編は、その文法をさらに充実させたものを当て語彙編が新しい語彙の部、つまり方言の単語篇である。その編集の方法について、@他の方言集がよくやるように、明治時代の方言集から取り込むようなことをせず、二十世紀未という時代の一断面に限ったこと、A話しことぱに出てくれぱ、共通語と同じ形、同じ意味の、例えぱ、キジュン(基準)コーアツ(高圧)なども採録していること。共通語と違う形のものだけに限る方言集とは「方言」の考え方が異なる。この@Aのことは、現代言語学の要請に応えるものとして評価される。この方言集にしかない特徴は、すべての見出し語に用例を出していることである。一冊の小型国語辞書(『詳解国語辞典』旺文社)を除いて、どの国語辞書、どの方言辞書にもなかったことである。その用例はなんと百十三例にのぼる。
 原則として、ケセン語と共通語の対訳辞書(「ケ和辞典」と「和ケ辞典)の形をとっているが、ときに、例えぱシル(知る)とワガル(分かる)のケセン語における使い分けを説明する。
 ケセン語の文法は、ケセン語の骨組みに当たり、それに肉付けをしたのが今回の辞典である。ケセンの言語文化は、この辞典を持つことによって、さらに厚みを増したことになる。

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