秋田県

羽後交通横荘線
うごこうつうおうしょうせん
とうほく廃線紀行(無明舎出版編)より
 東北の廃線横手―老方 

◆横断を目指した鉄道
 太平洋側の岩手県釜石市から日本海側秋田県本荘へ至る陸羽横断鉄道建設の大きな夢を実現しようと造られた横荘線は、当初は横荘鉄道と称していた。
 大正七年(一九一八)八月十八日、横手市から平鹿郡雄物川(おものがわ)町沼館(ぬまだて)まで一五・三キロメートルが開通し、横荘東線と呼んだ。翌年七月十五日には館合(たてあい)まで三・六キロメートル、大正九年(一九二〇)三月二十四日には羽後大森まで一・八キロメートルと順調にレールは延びていった。
 一方、大正十一年(一九二二)八月一日、羽後本荘―前郷(まえごう)間一一・六キロメートルも開通し横荘西線と呼ばれた。昭和三年(一九二八)十一月一日、羽後大森―二井山(にいやま)間五・四キロメートルが、昭和五年(一九三〇)十月五日、東由利町老方(おいかた)までの全線三二・八キロメートルが開通した。しかし、昭和初期の世界不況と、東北の冷害が重なり、資金調達ができなくなったため、その先の老方と前郷間約二三キロメートルを結ぶ計画は夢に終わった。
沼館駅跡にある、開業記念に植樹された桜浅舞駅ホーム
 昭和十二年(一九三七)年九月一日、戦時国策によって西線全線が政府へ売却された。後に横荘西線は、矢島まで延長されて鉄道省矢島線となり、現在は由利高原鉄道鳥海山麓線となっている。
 横荘線は昭和二十二年(一九四七)、二十三年と二度の大型台風に襲われ、大きな被害を受けて運転中止となったまま、昭和二十八年(一九五三)八月五日、二井山―老方間が正式に廃止になった。また昭和四十一年(一九六六)六月十五日には館合―二井山間七・二キロメートルが正式に廃止。さらに昭和四十四年(一九六九)一月十六日沼館―館合間三・六キロメートルとたて続けに廃止された。昭和四十六年(一九七一)七月二十日、最後に残った横手―沼館間一五・三キロメートルも廃止された。

平鹿町農村文化伝承館に保存されている信号機と駅名標JR横手駅で、今も留置線として使われている横荘線ホーム 羽後里見駅そばに残る木造貨車ワ22

◆夢の跡をたどり沼館へ
 始発のJR横手駅四番線の向かい側、五番線に当たるのが横荘線のホームであった。今でも留置線として使用されていて、「横荘」という名称が生きている。構内裏手、機関区跡には当時の建物四棟が残り、倉庫や作業場として使われている。また木造貨車のワ1002とワ が倉庫になっていて、車番や社紋がうっすらと見える。
 線路跡は奥羽本線と並走しているが、やがて右へ別れ、小さな鉄橋が残る池へと進む。秋田自動車道横手インターチェンジの中央を、切り通しで通っていた線路跡の名残は全く無いが、その前後は対照的によく残っている。やがて広い田んぼの中を館合へと向かう線路跡は、ほとんど道路となった。樋ノ口(ひのくち)、東浅舞(あさまい)の辺りは区画整理されたため、跡は残っていない。浅舞駅はJA平鹿の北側にあった。平鹿町農村文化伝承館には、浅舞駅の駅名標と腕木式(うでぎしき)信号機一基が屋外に展示されている。羽後里見駅はJA里見前で、道路の向かい側の畑には木造の貨車ワ22が個人の倉庫として使われている。すぐそばの雄物川町郷土資料館裏手には、ダルマ型転轍機(てんてつき)と矢羽型ポイント標識が保管されているし、館内には沼館駅の写真が展示してあり、開通記念に植えたという桜も写っている。今でも跡地にその桜の大木が残り、火の見やぐらとともに良い目印となっている。JA館合の場所が館合駅跡で、基盤の高さがホームの高さだったという。
 雄物川に架かっていた雄物川鉄橋は、何度も水害に遭い、昭和四十年(一九六五)頃には相当老朽化が目立っていた。その中で第九橋脚が、昭和四十一年(一九六六)二月四日午前六時三十分頃倒壊してしまった。

◆東由利町の老方
 だが、事態はこれで終わらなかった。羽後大森駅に機関車や貨車、客車等二十両以上が置き去りになっていたからである。貨車のほとんどは、国鉄からの借り入れ車両であったため、早急に返さなければならなかった。工務課の人たちが知恵を絞って考えたのは、二月の厳冬期に雪で築堤を造って車両を渡す、という方法であった。当時、館合駅から雄物川河川敷まで砂利採取線があり、鉄橋から雪の築堤を経由して砂利線まで下ろせば、館合駅まで線路はつながる。
 こうして順調に全車両を館合駅に収めたのであった。この鉄橋の橋台の一部は、大森町側から見ることができる。
 鉄橋を渡ると大森町で、JA秋田ふるさと大森支所の近くが羽後大森駅跡だが、建物や道路が新しくなって場所の特定は難しい。
 八沢木(やさわぎ)、二井山と出羽山地へと進んで、線路跡は老方近くまで県道になっている。駅跡は何も無いが、上溝川に架かる道路橋の隣には橋台が残っている。二井山トンネルは、通行禁止だが、御岳(みたけ)、金屋(かなや)、浮蓋(うきぶた)、笹倉(ささくら)の各トンネルは車で通行可能である。線路跡は雰囲気漂う切り通しを通り、老方近くになると県道と分かれ、老方駅跡地に建つ東由利町役場へと一直線に田んぼの中を進んでいたが、区画整理されて線路跡は残っていない。ただ、線路跡が県道と分かれる橋の隣には、橋台が片方だけ残っている。
(小林 和彦)

雄物川町と大森町間に残
された雄物川鉄橋の橋台

御岳トンネル

笹倉トンネル


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