我々には日常的なことでも、外国人の目には面白いことと映ることがあるらしい。東京・品川の大森貝塚を発見したことで知られるアメリカ人、エドワード・S・モースが興味を示したのは、日本の商家には当たり前の「看板」だった。明治時代初期の話だ。
彼が書き残した『日本その日その日』(東洋文庫)に、こんなことが書いてある。
「この国ではあらゆる種類の店に、何かしら大きな彫刻か、屋根のある枠の形をした看板かが出ている」(略)「私は東京をブラブラ歩きながらそれ等の写生をしたいと思っているが、それにしても、かかる各種の大きくて目につきやすい品物が、店の前面につき出ている町並みが、どんなに奇妙に見えるかは想像に難からぬ所であろう」
秋田市で、店舗のディスプレイなど美術看板業「イサオ・サイン」を営む小野勇男さんが、古い看板を集め始めたのは、モースが持ち出した日本の看板が今でも、アメリカの博物館に展示されていることを知ったからだ。今は五十歳を過ぎた小野さんが、まだ二十代のころだ。
以来、時々キャンピングカーで、看板収集の全国旅行に出かけるという小野さんが集めた看板は、五百種類を超えた。私設博物館である「桃源塾」には、常時二百種類の看板が展示されている。
看板は元々、自分の商売を道行く人に知らせるための物だった。日本語を読めなかったモースが、「かかる各種の大きくて目につきやすい品物」と評したのは、そういう意味の面白さだったのだろう。しかし、ここに集められた看板からは、それ以上の意味合いが伝わって来る。商売への愛情、言い換えれば、「誇り」のようなものだ。
例えば、小野さんご自慢の逸品の一つ、清酒「雄物川」の醸造元の看板。厚さ十センチのケヤキの一枚板で、漆仕上げ、文字は金箔押し。「全國清酒品評會優等賞受領」という文字が、「どうだ!」と言うように輝いているではないか。
業種としては最も多い薬屋の看板にしても、「これは効く」と思わせるものばかりだ。「前大博士佐藤先生方剤」と、前置きもいかめしい「神薬」(この名前もすごい!)。歯痛、腹痛などすべての痛みを和らげる薬だそうで、「資生堂謹製」と書いてあるから、あの化粧品の資生堂の初期のころの看板なのだろうか。今は入浴剤が売り物の津村順天堂の婦人薬「中将湯」の看板もある。
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今はあまり見られなくなった各種のホーローびきの看板。
大正時代に登場した
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