青森は、リンゴの国だ。全国唯一の専門試験場である、青森県りんご試験場を訪ねたのは、十月初旬。正門は、なんだかお役所風でそっけないが、その内側には、色も大きさもさまざまなリンゴが実っていて、それだけで楽しくなった。
付属施設である「りんご史料館」は、正門の正面にある。古いイギリスの様式を模した洋館だ。昭和六年に建てられ、昭和四十三年まで試験場本館として使われていた。壁面を覆っているツタが紅葉し始めていた。
史料館への歩道に沿って、ピンポン玉より小さいくらいの赤い実をたわわにつけた並木があった。これが、リンゴの野生種なのだという。一つかじってみたけれど、酸っぱいだけでおいしくはない。アダムとイブが食べた「禁断の実」はリンゴだと言われているが、うのみにできる話ではない。
ただ、人類史上、最も早くから食べられていた果実の一つがリンゴであることは確かだ。ヨルダンとトルコの、紀元前六千五百年の遺跡からリンゴの遺物が出土している。日本でも戦国武将の浅井長政が、リンゴをもらった礼状を書き残している。だがそれは、野生種に近いリンゴだったはずだ。現在の大きくて甘いリンゴは、十七世紀ごろからヨーロッパで品種改良され、世界中に広まったものだ。
青森県では、内務省がアメリカから輸入して各地に配付した西洋リンゴの苗木から、明治十年に弘前で結実したのが始まりだ。旧津軽藩士で県庁職員だった菊池楯衛が仲間を集め、士族授産の道として栽培を広めた。「リンゴは青森に向いている」という菊池の信念は、多くの人に引き継がれ、病虫害などで何度も壊滅的な打撃を受けたが、津軽人の「じょっぱり」精神で危機を乗り越えた。
壊滅的な打撃と言えば、平成三年九月に台風 号が吹き荒れた。七割以上が落果したが、残りは「落ちないリンゴ」として受験生に大受けしたことが思い出される。試験場には、全国からの支援で被害農園がいちはやく復旧できたことを感謝して造られた「メモリアルガーデン」がある。この試験場から生まれたつがる、世界一、陸奥、メローなどをはじめ、ふじ、千秋、王林など現在の代表的な品種のリンゴの木が並んでいる。
その間を歩きながら、ふと、昔はよく食べた国光とか紅玉の姿がないのに気づいた。日本で「赤いリンゴ」が当たり前なのは、国光や紅玉が長い間、日本の代表選手だったからだ。
ところが、「それは、外国産の品種ですよ」と案内の人に言われて、びっくりした。国光は「ロールス・ジャネット」、紅玉は「ジョナサン」が本名だ。苗木を導入した当初は、各地で勝手な呼び方をしていたのを、明治三十三年、皇太子(後の大正天皇)のご成婚にあやかり、めでたい名前に統一したのだという。
国光は今、「ふじ」に受け継がれている。国光が「ふじ」の母親なのだ。昭和十四年、青森県藤崎町にあった国の園芸試験場東北支場で交配されたことから、「藤」にちなんで命名された。だが、それが新品種として発表されたのは、二十三年も後の昭和三十七年だった。
|
|
|
新しい品種がどのように生まれ、流通しているかを紹介している第1展示室
| |