昨年(二〇〇〇年)、会津若松市にある国の重要文化財、滝沢本陣で、二十数年ぶりに茅葺き屋根を葺き替えた。茅は県外から調達したが、葺き替えたのは地元の職人だ。会津には伝統の職人がいて、「会津茅手」と呼ばれている。
この言葉は、「奥会津地方歴史民俗資料館」を訪ねて初めて知った。展示館の壁に、四角い板に長い棒を取り付けた、見慣れない道具が並んでいた。「ガギ棒」と言って、茅屋根を葺く独特の道具だという。
雪深い奥会津地方では昭和三十年代まで、一人前の男なら、冬には屋根葺きの出稼ぎに行くのが当たり前だったという。彼らは親類、近隣の人たち七、八人で組を作り、福島県内はもとより栃木、群馬、茨城、埼玉、そして山梨県まで出かけた技術者集団だった。他の地方の職人とは異なる技術を持つ「会津茅手」には、それぞれの土地に得意先があったという。
館長の渡部力夫さん自身、昭和三十二年に高校を卒業してから八年間、出稼ぎの経験があるという。「私は最後の方で、後輩は二人しかいない」そうだ。渡部館長は、山梨県の山奥まで出かけた。
「資料館」には、彼らの道具がたくさんあるが、中でも「ガギ棒」が目を引く。「ガギ」というのは、「段々」という意味だ。二十センチ四方ぐらいの板の表面には、それこそ市松模様に横溝が彫られ、さらにウロコのような細かい凹凸がある。裏に柄となる棒を差し込むホゾが彫られている。これで、不揃いの茅を押し込み、軒裏や屋根の表面を整える。板の形や、表面の凹凸の付け方に会津の特徴があるのだそうだ。
出稼ぎには、この板と茅を切るはさみ、それに小型のナタを持参した。「ガギ棒」の柄は、行った先で作った。奥会津では、屋根葺きは地域の共同作業だったので、どの家にも自作の「ガギ棒」があったという。
奥会津は雪国であり、山村である。農具や藁(わら)細工など、東北地方の同じ風土に共通する民俗資料が多い中で、茅葺き職人の道具は異彩を放っていた。
もう一つ、ここで驚いたのは昔の木地師が使った「手びきロクロ」だった。心棒に取り付けた綱の両端を一人が交互に引いて回転させ、もう一人が心棒の先端に打ちつけた木材に刃物をあてて削る道具だ。「二人びきロクロ」とも言う。
こけし工人の歴史を調べた際にも、このロクロは登場していて、私も知識としてはあったのだが、現物は初めてだった。すでに、大正時代初期には姿を消した道具だったからだ。
奥会津地方には木地師がたくさんいて、今でも会津漆器の椀木地を作っている。ここに木地師がいるのは、もちろん、豊かな森林があるからで、ほかにも下駄、太鼓の胴、家具、杓子(しゃくし)など、会津はさまざまな木工品の宝庫でもあり、ここには関連資料が豊富に展示されている。
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長い柄のついた「マスツキヤス」などの漁労用具。会津を流れ下る阿賀川には、秋になると日本海から多数のマス(鱒)が上って来た
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