岩手県

くじらとうみのかがくかん
鯨と海の科学館
東北おもしろ博物館(加藤貞仁著)より
 おもしろ博物館岩手県山田町 
マッコウクジラの全身骨格標本。巨大な頭が、マッコウクジラの特徴だ。その中には「脳油」と呼ばれる良質の油が詰まっている
●開館時間=午前9時〜午後4時30分
●休館日=火曜日
(祝日の場合は翌日、ゴールデンウイーク、春・夏休み期間中は開館)
12月1日〜10日、12月29日〜1月3日
●入館料=一般610円、高校・大学生400円、小・中学生310円
●交通=JR山田線岩手船越駅から徒歩5分


山田町船越7の50の1
問い合わせ=0193・84・3985
 戦後の、日本が貧しかった時代を経験している人々にとっては、クジラ肉は懐かしい味に違いない。当時の食料難を救ったのは南氷洋の捕鯨だったが、日本沿岸では古来、各地で伝統のクジラ漁が行われていた。世界の中でも、日本近海はクジラの多い海だった。一八五三年(日本暦で嘉永六年)に黒船で現れたアメリカのペリー提督が、むりやり日本を開国させたのも、日本をアメリカの捕鯨船の中継基地にしたかったからである。
 そのころの捕鯨船の最大のターゲットは、マッコウクジラだった。マッコウクジラの巨大な頭部には、脳油と呼ばれる良質の油が詰まっているからだ。
 もともと、欧米の捕鯨は油を取るのが目的だ。クジラの肉を煮て得た油は、照明の燃料、石鹸の原料、精密機械の潤滑油などに使われた。一七四〇年代のロンドンには、五千基もの街灯があり、その光源は鯨油だったという。マッコウクジラの脳油からは、良質のロウソクが作られた。十九世紀になると、このロウソクが家庭用の照明として急速に普及した。
 大西洋のクジラを捕り尽くした欧米の捕鯨船は、十九世紀初期、南米大陸の南端を回り、太平洋に進出した。そして北太平洋の西部に、マッコウクジラが群れ集う海を発見した。彼らはこの海域を、「ジャパン・グラウンド」と名付けた。新しい意味での「黄金の島ジパング」へたどり着いたのである。
 それから百五十年が過ぎ、その海で最後に捕獲されたマッコウクジラの一頭が、今、「鯨と海の科学館」の中空を悠然と泳いでいる。全長十七・六メートルの、全身骨格標本である。
 このクジラは、最後の商業捕鯨の年となった一九八七年十一月、釜石の東方沖約一一〇海里洋上で捕獲され、山田町の日東捕鯨大沢事業所で解体された。その後、捕獲が再開される見込みは立っていない(現在、マッコウクジラの調査捕鯨を日本が提案しているが、難しい状況だ)。だからこそ、関係者はこのクジラを後世に残し、博物館を建てようと思ったのだった。
 その経緯については、標本作りを指導した加藤秀弘さん(当時、水産庁遠洋水産研究所大型鯨類研究室室長)が書いた、『マッコウクジラの自然誌』(平凡社)に詳しい。マッコウクジラのことは何でもわかる、という本だが、読んで感激したのは、標本作りに地元の小・中・高校生が参加したことだった。
 肉を取った骨は、山田町・前須賀浜の砂の下に埋めた。骨の中に残っている油を除去するためだ。掘り出したのは、三年近く経過した一九九〇年八月。埋めた時は砂ばかりだったのに、掘り出した時は、通常の倍以上に伸びた雑草が生い茂り、その根が、骨の中にまで入り込んでいたという。その根をていねいに取り除き、骨についた汚れを落とす根気の要る作業をこなしたのが、子供たちだった。
 その作業を通して、こんな大きな動物が泳ぎ回る三陸の海の豊かさを、子供たちは実感したに違いない。
らせん状のスロープを下りて行く館内
吹き抜けになっている科学館の中空に、泳ぐように展示されているマッコウクジラの実物大模型。巨大イカと格闘した表皮の傷も、リアルに復元されている
海の生物の住環境、生きるための工夫などを紹介した「海のプロムナード」
南半球で捕獲されたミンククジラの胎児 海上の船から空気を送るヘルメット式潜水服 「さわってみよう! ミンククジラのヒゲ」。ヒゲクジラ類は、歯の代わりに、密生したヒゲ(ヒゲ板)でエサをこし取って食べる

 「鯨と海の科学館」は、このマッコウクジラの実物大モデルを取り囲むようならせん状のスロープを下りて、骨格標本のある常設展示室に行き着く構造になっている。クジラの実物大モデルとしては、日本最大だし、深海で大きなイカと格闘した跡である表皮の傷もリアルに作られていて、大変な迫力だ。スロープの壁面には、地球と海の歴史、海の動植物の食物連鎖などについての展示が、うまく配置されている。ここは、捕鯨の博物館ではなく、海そのものを知るための場所なのだ。
 現在の豊かな日本人に、捕鯨を復活させてクジラ肉を供給する必要があるかどうか、という議論はある。だが、クジラが悠々と泳ぐ豊かな海を失ってはならない、ということだけは、ここを訪れただれもが感じ取れることだろう。
山田湾を囲む船越半島の付け根に建設された「鯨と海の科学館」。近海で捕獲したマッコウクジラの標本作りが、建設のきっかけとなった

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