岩手県

なんぶとうじでんしょうかん
南部杜氏伝承館
東北おもしろ博物館(加藤貞仁著)より
 おもしろ博物館岩手県石鳥谷町 
数多くの酒造用具が展示されている「南部杜氏伝承館」
●開館時間=午前9時〜午後5時
●休館日=12月29日〜1月1日
●入館料=一般400円(団体割引350円)、
       高校・大学生200円、小・中学生150円
●交通=JR東北新幹線新花巻駅からタクシー
      17分。花巻空港からタクシー12分


石鳥谷町中寺林7の17の2
問い合わせ=0198・45・6868
 東北は、酒どころだ。私が八年半暮らした秋田などは、だれもが酒にはうるさかった。味のわかる飲み手が多ければ、そんな連中をうならせる酒蔵が多いのも当然だ。
 酒の味を決めるのは、醸造の指揮をとる杜氏だ。全国各地に「○○流」と呼ばれる杜氏の集団がいる。秋田県だけは、ほとんど同県山内村の「山内杜氏」だが、東北地方で最も多くの酒蔵を預かっているのは、岩手県の「南部杜氏」である。それどころか「南部杜氏」は今や、関西の大手メーカーや、中国・四国地方の酒蔵まで出かける、杜氏のメジャー集団なのだ。
 その発祥の地が、石鳥谷町なのだという。国道四号沿いの道の駅「石鳥谷」には、「南部杜氏の里」という大きな看板が立ち、古い酒蔵を解体、復元した「南部杜氏伝承館」がある。
 中は、二階建てがそっくり吹き抜けの、巨大な空間だ。大きな醸造樽や、こまごまとした道具、酒器が展示されているし、酒造りのビデオが随時上映されていて、酒の造り方や、南部杜氏の歴史がよくわかる。全体は静かで、ひんやりとした空気が流れていた。酒を熟成させる、夏の蔵の雰囲気がある。
 日本酒についてもっと深く知りたければ、同じ道の駅構内にある「歴史民俗資料館」も見ればいい。江戸時代からの酒造用具が数多く展示されている。さらに私は、酒文化に関するかなりの数の文献が所蔵されている「酒の図書館」に感激した。実は東北地方には、見学できる酒蔵がたくさんある。私もずいぶん見た。だが、酒専門の図書館は、非常に珍しい。
 さて、岩手県で酒の醸造を始めたのは、近江商人だという。延宝六年(一六七八)、現在の滋賀県高島郡(琵琶湖の西岸)出身の村井権兵衛が、大阪から杜氏を招き、今の紫波町で酒造りを始めた。そのころ東北地方では、どぶろく程度の酒がほとんどだったという。清酒の先進地は、伏見や灘など、現在でも大手メーカーが軒を連ねる関西地方で、杜氏は「丹波杜氏」だった。秋田でも、福島県の会津地方でも江戸時代、丹波杜氏を招いて酒を改良しようとした記録がある。だが寒冷な東北地方に、温暖な関西地方の酒造技術を直輸入しても、そううまくは行かなかったらしい。
 しかし村井一族は、盛岡など各地に支店を出し、十八世紀末には江戸へ酒を売り出した。上質の酒ができたわけで、醸造に従事した地元の人々の中から、杜氏も誕生した。彼らは隣の仙台藩領内の酒蔵にも招かれ、次第に「南部杜氏」と呼ばれるようになったという。

発酵中の酒を攪拌するための棒。「櫂」と呼ばれ、用途によっていろいろな大きさ、形がある(歴史民俗資料館)
道の駅「石鳥谷」の入口に立つ「南部杜氏伝承館」。古い酒蔵を移築して博物館に仕上げた
「歴史民俗資料館」に展示されている酒の仕込み桶
南部杜氏が醸造した各地の銘酒の酒樽。全国で300銘柄を超える 酒文化に関する資料が満載の「酒の図書館」 発酵が終わった酒は、「ふね」(槽)と呼ばれる圧搾機で搾り取られる。後には酒粕が残る

 酒造りは、主に冬の仕事だ。暗いうちに起きて米を蒸し、水を運び、夜中にも決まった時間に醸造樽のようすを見なければならない。杜氏の下で働く人を「蔵人(くらびと)」というが、初めて蔵人になった年などは、寝る間もない重労働でヘトヘトになる。だが、春を迎えるころには、体ががっしりして、見違えるようになるという。石鳥谷町や紫波町では、「若者は蔵人になって一人前」という評価がいつの間にか定着し、それが杜氏を育てる風土にもなったのだろう。
 『会津の酒』(福島中央テレビ)という本に「南部杜氏の信条」が紹介されている。 常に酒造技術の研究、錬磨に精進する 酒は杜氏の人格、品性を反映する お互いの信頼と敬愛に結ばれた健康で明朗な心の持ち主になる──という三条だ。こ
こには、技術だけでなく、共に働く人々に配慮し、自分自身を律するという、強固な心構えがある。それが、会津でも昭和四十年代以降、越後杜氏から南部杜氏へ酒造技術者を切り替える酒蔵が増えた理由の一つだというのだ。
 「南部杜氏伝承館」を見学しただけでは、そこまではわからなかった。しかし、道の駅で買った酒の味が、その信条を雄弁に物語っていた。
日本酒の元になる「酒母」を作るための半切桶。半切は、いろいろな大きさがあり用途によって使い分けられる

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