東北は、酒どころだ。私が八年半暮らした秋田などは、だれもが酒にはうるさかった。味のわかる飲み手が多ければ、そんな連中をうならせる酒蔵が多いのも当然だ。
酒の味を決めるのは、醸造の指揮をとる杜氏だ。全国各地に「○○流」と呼ばれる杜氏の集団がいる。秋田県だけは、ほとんど同県山内村の「山内杜氏」だが、東北地方で最も多くの酒蔵を預かっているのは、岩手県の「南部杜氏」である。それどころか「南部杜氏」は今や、関西の大手メーカーや、中国・四国地方の酒蔵まで出かける、杜氏のメジャー集団なのだ。
その発祥の地が、石鳥谷町なのだという。国道四号沿いの道の駅「石鳥谷」には、「南部杜氏の里」という大きな看板が立ち、古い酒蔵を解体、復元した「南部杜氏伝承館」がある。
中は、二階建てがそっくり吹き抜けの、巨大な空間だ。大きな醸造樽や、こまごまとした道具、酒器が展示されているし、酒造りのビデオが随時上映されていて、酒の造り方や、南部杜氏の歴史がよくわかる。全体は静かで、ひんやりとした空気が流れていた。酒を熟成させる、夏の蔵の雰囲気がある。
日本酒についてもっと深く知りたければ、同じ道の駅構内にある「歴史民俗資料館」も見ればいい。江戸時代からの酒造用具が数多く展示されている。さらに私は、酒文化に関するかなりの数の文献が所蔵されている「酒の図書館」に感激した。実は東北地方には、見学できる酒蔵がたくさんある。私もずいぶん見た。だが、酒専門の図書館は、非常に珍しい。
さて、岩手県で酒の醸造を始めたのは、近江商人だという。延宝六年(一六七八)、現在の滋賀県高島郡(琵琶湖の西岸)出身の村井権兵衛が、大阪から杜氏を招き、今の紫波町で酒造りを始めた。そのころ東北地方では、どぶろく程度の酒がほとんどだったという。清酒の先進地は、伏見や灘など、現在でも大手メーカーが軒を連ねる関西地方で、杜氏は「丹波杜氏」だった。秋田でも、福島県の会津地方でも江戸時代、丹波杜氏を招いて酒を改良しようとした記録がある。だが寒冷な東北地方に、温暖な関西地方の酒造技術を直輸入しても、そううまくは行かなかったらしい。
しかし村井一族は、盛岡など各地に支店を出し、十八世紀末には江戸へ酒を売り出した。上質の酒ができたわけで、醸造に従事した地元の人々の中から、杜氏も誕生した。彼らは隣の仙台藩領内の酒蔵にも招かれ、次第に「南部杜氏」と呼ばれるようになったという。
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発酵中の酒を攪拌するための棒。「櫂」と呼ばれ、用途によっていろいろな大きさ、形がある(歴史民俗資料館)
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