明治初期に輸入されたコバルトの、あざやかな青で絵つけされた皿である。同心円状に桜の花が四重に描かれている。が、これは手描きではなく、型紙を用いて摺りこまれた絵柄だ。柳宗悦はこれを「商業主義に毒された俗悪な産物」と、酷評したそうだ。これに対し、芹沢氏は「稚拙なところが愛らしく、捨てがたい」と解説している。
私には、とてもモダンなデザインに思われた。東北地方の焼き物が、概して重々しく、地味な色合いである中にあって、文明開化という華やかな時代の焼き物を創造しようとした陶工たちの意気込みが感じられた。
そういう目で見直すと、それぞれの時代に、新しい工夫の跡があったこともわかる。
特にユニークなのは、宮城県宮崎町に窯のあった切込焼の三彩だろう。青と茄子紺、それに白の三色の釉薬を流しかけた磁器だ。ただし青が、とてつもなく明るく、一見してケバケバしい印象さえ与えかねない。切込焼は、伊達藩への献上品は有田焼の忠実な模倣が多かったという。確かに、有田と見紛う製品も数多い。その一方で陶工たちは、庶民や一部の有力商人の求めにも応じて、独自の工夫を凝らしていたのである。
弘前市に窯のあった悪戸焼も独特だ。線描きの文様が盛り上がっているのである。筆で絵つけするのではなく、細い筒から、少し粘性のある釉薬を流し出して文様を描いたのだ。
芹沢氏の研究によると、東北の陶磁器には茶器がきわめて少ないのが特徴だという。骨董の世界で、東北の陶磁器が重視されないのは、そんな理由もあるのだろう。だが、美術品とは無縁の日常生活の中に、東北独自の焼き物文化が息づいていたのは、うれしい発見だった。
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独特な線描の悪戸焼「筒描梅文油壺」。白い釉薬を盛り上げるようにして文様を描く
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