享禄元年(1528年)、川崎領主・佐藤掃部(かもん)が発見して始まったとされる青根温泉。後に仙台藩の御殿湯として用いられ、30人の人足が2年がかりで石を運び上げ築いたという、齢400年余の石風呂でも知られる湯元「不忘閣(ふぼうかく)」は、佐藤掃部から今日の20代・佐藤仁右衛門氏まで続く文字どおりの湯元である。
その隣に風格を漂わせているのが、共同浴場「大湯」だ。不忘閣と青嶺閣(せいれいかく)・丹野七兵衛旅館の共同湯としてつくられたというから、これまた青根温泉の湯元の湯といっていいだろう。温泉ファンには広く知られた名湯で、地元の人々だけでなく遠来の客も、昔から数多く訪れてきた。
泉質は単純泉(低張性弱アルカリ性高温泉)、源泉温度は56〜53.6度。「熱めだが気持ちのいい」湯、建物と浴場の趣、さまざまなエピソードが残る歴史の香り、蔵王の山懐に抱かれた標高約600mのロケーション。「秘湯」と呼ぶには有名になりすぎた観はあるが、魅力的な共同浴場の一つとして人気が高い。
「不忘閣」には仙台藩主伊達氏一門のために造営された総桧2階建桃山様式の「青根御殿」(昭和7年再建)や流れ山水の庭園が残り、あらかじめ時間帯を定めて見学することができる。(藩主が授けたという「永々湯守」の号を掲げた看板や伊達家の入湯日記の一部を紹介した絵日記なども、往時を偲ばせてくれる。問い合わせ・不忘閣0224-87-2011)
青根温泉は伊達の御殿湯だったというだけでなく、秘密の会議に用いる「隠し湯」でもあったという。また、山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』で名誉回復≠ウれるまで久しく悪役とされ続けてきた伊達騒動の原田甲斐も、何度か青根温泉を訪れたと伝えられる。
原田甲斐についてはともかく、山本周五郎が「不忘閣」を訪れて裏庭の樅の大木を眺めたのは事実のようだ。
遠方から大湯を訪ねるからには、「不忘閣」にも立ち寄って青根温泉の歴史に触れると一層味わい深い旅になることだろう。
「大湯」は地元の青根区会が管理しており、近くの商店で入浴券を販売している。
川崎町の青根温泉以外の見どころとしては、釜房ダムによってできた釜房湖畔にある「みちのく杜の湖畔公園」がある。季節ごとに咲く10万株の花々や、子供向けの遊具施設、バーベキュー広場など盛り沢山だ。
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入浴券は近くの商店で販売
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