んだんだ劇場2002年5月号 vol.41
No2
 高校物理もろくにも学ばなかったものが、はたして現代最先端の物理学、素粒子物理学・宇宙物理学のエッセンスなりを理解できるものか。無謀にも東大宇宙線研究所に勝手に入門します。
1章  追跡ニュートリノ

 パウリの救済策

 このように E=mc2 とエネルギー保存則は、あらゆる物質に巨大なエネルギーが閉じ込められていることを明らかにしました。その一方で、非常に微小な現象でエネルギー保存則が破綻しているのではと思わせる例が報告されました。ある種の放射性元素の崩壊ではエネルギーが保存されないように思われるのです。
 不安定な原子の原子核は粒子や電磁波を放出して、つまり放射線ということですが、より安定なエネルギーレベルの低い原子核に変わろうとします。高い所の水が低い所に移ろうとすることと同じです。これを自然崩壊といいます。この一種にβ(ベータ)崩壊があります。これは核を構成している陽子と中性子のうちのひとつの中性子が、壊れて陽子に変化することです。この際に1個の電子が非常に大きなエネルギーで飛び出していきます。これをβ線といいます。電荷0の中性子が+1の陽子と-1の電子に変わったので電荷も保存されているのですが、問題はエネルギーです。β線のエネルギー値が一定でないのです。何らかのエネルギーロスが見られ帳尻が合わないのです。ニールス・ボーアは原子核内ではエネルギー保存則は成り立たないとする理論を1930年に提唱しますが、これと全く対照的な判断をしたのがウォルフガング・パウリです。
 パウリにはエネルギー保存則が成立しない世界など納得いかなかったのでしょう。それぐらいなら未知の粒子をでっちあげてもエネルギー保存則を救済すると、電気的に中性で電子程度の質量の仮想粒子を考え出しました。これに消えたように見えるエネルギーを負担させるわけです。3年後にはエンリコ・フェルミがこの仮想粒子を用いたβ崩壊の理論をつくりあげ、仮想粒子は中性で小さな粒子の意味をもつニュートリノと呼ばれるようになります。
 しかしこの仮想を実態のものにすることは非常に難しかった。なにしろ中性だから電気的に反応させることは無理だし小さなものであることは間違いない。とにかく大量のニュートリノ発生源が必要なのです。パウリの仮説から四半世紀の1956年、フレデリック・ライネスとクライド・コーエンが米国サウスカロライナにある原子炉をニュートリノの発生源として利用することで、初めてニュートリノを捉えることに成功します。当初は原爆実験を利用しようとしたほどです。
 もっともニュートリノを直接観測したわけではありません。スパイたるもの侵入の痕跡を残すものではありませんが、数多くのスパイが出入りしていれば中には間抜けな奴もいて、きれいに掃除した部屋に足跡を残していくかもしれません。スパイを捕まえられなくともこれだけでスパイの存在は主張できます。これと同じ理屈を使います。原子炉は多量のニュートリノを発生させていると考えられますから、中にはたまたま原子核に衝突するものがいておかしくありません。炉心から11m地点の地下12mに塩化カドミウム水を入れ鉛で覆った容器を置き、ニュートリノが水分子の陽子にぶつかるのを待ちます。運悪くニュートリノに飛び込まれた陽子は陽電子と中性子に変わります。陽電子は近くの電子と反応・消滅して2個の光子を出す。中性子も核にぶつかりながら減速していき、しまいにはカドミウム原子核に吸収され光子を出す。これらの光子は容器の外側に置かれたシンチレータタンク内の蛍光物質に吸収され光を発します。それをシンチレータの周囲を取り巻く光電子増倍管で検出するのです。そしてそれが検出されれば、それはニュートリノが陽子に衝突したことになるわけです。じっさい原子炉の稼動中と休止中の検出の頻度は予想値どおりとなり、ここで初めてニュートリノの存在が証明されたわけです。ちなみにこのニュートリノは正確にいえば、原子炉の核分裂で生まれた反電子ニュートリノです。現在でもニュートリノの実在は間接証拠によりますが、だからといってその実在を疑う専門家は皆無です。
 なお、放射線が特定の物質にぶつかったときにそのエネルギーが吸収され光を発することをシンチレーションといいます。これを検出器として利用したのがシンチレータです。また、光によって金属から電子が飛び出す現象を光電効果といいます。これを利用して、光を受けた金属面から出た電子(光電子)を強い電場で加速してやり、次々にダイノード(入ってきた電子より多くの電子を放出する電極)にぶつけて増殖させ、最終的に電気信号として感知するのが光電子増倍管です。蛇足ですがアインシュタインのノーベル賞受賞理由は20世紀最大の発見相対性理論ではなく、この光電効果の法則の発見を主としたものです。

スーパーカミオカンデ天井部の光電子増倍管

 そして1962年には米ブルックヘブン国立研究所で加速器を使った初めてのニュートリノが作られ、ニュートリノには電子ニュートリノとμ(ミュー)ニュートリノの2種類あることがわかりました。現在ではもう一つ、τ(タウ)ニュートリノの存在が明らかになっています。そしてこの3種以外存在しないことも確かめられています。それぞれ、電子、ミュー粒子、タウ粒子とペアを組んでいて浮気することは決してありません。この3組6種を総称してレプトン(軽粒子)といいます。いうまでもなくそれぞれには反物質が存在します。
 また太陽から飛び込んできているだろうニュートリノ(太陽ニュートリノ)を捉える試みが1969年から始まります。レイモンド・デービスは米サウスダコタのホームステーク鉱山に615トンのクロロエチレン(洗剤に似た物質)を満たした観測装置を据え、太陽ニュートリノの検出に成功します。これは太陽から来る低エネルギーのニュートリノがクロロエチレンの37Cl(塩素37)にぶつかり、塩素の核の中性子1つを陽子に変えます。つまり電子と37Ar(アルゴン37)ができるわけです。この37Arをカウントすることが太陽ニュートリノを観測することになるわけです。
 ただ結果は予想外のものでした。太陽が大量のニュートリノの発生源であることは、既に確立されていた太陽理論から当然予想されていましたが、実際の観測結果は理論の期待するところをだいぶ下まわりました。検出器の精度の問題化か、はたまた太陽理論そのものに誤まりがあるのか。カミオカンデも含めその後にできた同様の観測施設でも、結果はやはり期待値の3〜5割ほどにとどまります。ホームステーク鉱山の実験はニュートリノの方向や時間を確定することはできませんが、低エネルギーのニュートリノを検出できる利点があり現在も続行中ですが、ニュートリノの数が少ない問題はつい最近まで謎のままでした。この謎の解明の主役はもちろん、スーパーカミオカンデです。

陽子の寿命

 平成9(1997)年に文化勲章を受章することになる小柴昌俊は、1979年の秋に光電子機器メーカーの浜松ホトニクスに、できるだけ大きな光電子増倍管の制作を依頼します。高速荷電粒子が水中で発するチェレンコフ光という微かな光を検知するためです。
 それまでも同社は医療や研究用に増倍管を製造してきましたが、大きさはせいぜい直径8インチ(約20cm)どまり。まして3000トンの水槽の内壁に取り付けるとなると、その水圧にも耐えなければならないが、光の透過性を考慮するとむやみにガラス部分を厚くすることもはばかられた。それでも浜松ホトニクスは採算を度外視する体制で、製造装置の開発という一から始め、一年半後の1982年夏には直径20インチ(約50cm)という巨大な光電子増倍管(PMT)1.050個を作り上げます。
 これらは神岡鉱山地下1.000mに作られた観測装置の内壁に取り付けられます。直径15.6m、高さ16mの水槽は純水3.000トンで満たされ、その外側を1.500トンの外水槽で蔽い、中で発生するチェレンコフ光をこれら光電子増倍管で捕らえるわけです。これが1983年完成したカミオカンデです。
 カミオカンデの名前の由来の Nucleon Decay Experiment は、陽子崩壊実験と訳されます(Nucleonは核子、つまり陽子と中性子を意味します)。小柴昌俊の観測目的は陽子の臨終を見ることだったのです。

 1919年にアーネスト・ラザフォードが陽子を発見しますが、この陽子に寿命があるかなどとは誰も考えませんでした。電子が崩壊しないように、陽子も崩壊することはないと思われていたのです。そんな観測例が一件もないのですから当然の話です。しかし1963年に、陽子や中性子にはまだ内部構造がありそれはクォークと名付けられたものでできているという仮設が、マレー・ゲルマンとジョージ・ツワイクによって別々に提唱されます。蛇足ですがクォークはジェイムス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」にでてくる鳥の鳴き声で、それをゲルマンが借用したものです。
 クォーク発見をめざして加速器を使った実験が盛んにおこなわれ、次々とクォークが発見されていきます。1995年には最後まで残っていたトップクォークが発見され、全6種類のクォークが出揃いました。u(アップ)−d(ダウン)、c(チャーム)−s(ストレンジ)、t(トップ)−b(ボトム)と3対になっています。誤解なきよう付け加えますが、この際の発見とはニュートリノのときと同様直接その存在を捕らえたわけではありません、傍証から存在の証明がされたということです。素粒子を直接捕らえることは不確定性原理に反することなのです。
 陽子に内部構造があるとなると、果たして陽子は崩壊することがあるのかが重大な意味を持つことになりました。これが確認されれば、電磁力と弱い力、強い力を統合する大統一理論の正しさを裏付ける重要な証拠となります。

 物理学の根源的な課題とは「物質とはなにか」「力とはなにか」の2点であるといって過言ではありません。後者について人類は4つの力があることを知っています。重力と電磁力、核内で働く弱い力と強い力です。そして、超能力を御信じの方には申し訳ありませんが、これ以外の力があるとは思われていません。問題なのはなぜ4つもの力があるかです。
 物質とはなにかを追い求めていく過程でも、たくさんの素粒子が発見され困惑させられました。物質の根本たる素粒子がそんなに多くあるのは、自然の節理に反しているように思われるからです。その多くはもっと基本たる素粒子が変化しただけのものではないのかと考えられました。その考えは力とはなにかを追及していく上でも共通しています。4つの力とは、もともとは1つだったものが分かれただけと考えるのです。
 力と物質は宇宙誕生の際は極単純なものであった。それが急激な宇宙の膨張によって冷やされていくことで、即座に重力が袂を分かちます。続いて電弱力と強い力が分かれ、電弱力が電磁力と弱い力に分かれます。それと軌を一にして、素粒子たるレプトン・クォークが作られ、電子、陽子、中性子となりついには原子が形作られるに至ります。これが現代物理学の考えるシナリオです。そして実際に現代物理学は弱い力と電磁力の統合に成功していて、電弱理論として確立しています。
 4つの力すべての統合はアインシュタインの後半生を賭けた夢でしたが、重力は他の力と比べあまりに弱く、ほとんど成果を得ることはできませんでした。現在では10次元の時空を持つ「超ひも理論」が大きな期待を集めていますが、いまのところ重力を除いた3つの力の統合が理論物理の最前線なのです。これが大統一理論です。そして大統一理論が予言するものの1つに陽子崩壊があります。

 大統一理論に従えば、3つの力が1つのもだった期間はなんと10-33秒、1/1.000.000.000秒を1兆分してさらに1兆分した期間です。ちなみに10-44秒以前は4つの力すべてが統合されていて、粒子も1種類の世界と想像されていますが、それを記述する術がありません。量子論が10-44秒という時間を扱うことを許してくれないのです。
 宇宙創生直後10-33秒以内の超高温高密度の世界では、非常な高エネルギー粒子が存在していて、これがクォークとレプトン間でやり取りされ互いが互いに変化することが行われていたと考えられます。これが大統一理論の予言するX粒子です。つまりクォークとレプトンは同じ仲間であるとするのです。
 宇宙が拡散し冷えていく過程で、X粒子はクォークの中に閉じ込められたと考えられます。X粒子の寿命は10-39秒と非常に短く、作用を及ぼせる範囲は10-29cmです。その存在が確かだとしても、受け止めてくれるクォークやレプトンに巡り合うことができず、その場所を離れることはないのです。
 そもそも陽子や中性子は3個のクォークからなり、グルオン(粘着子)という粒子をやり取りして結びついています。これが強い力の正体です。+電荷同士の陽子が反発する電磁力より強いことを指しています。とはいえ、クォークはその大きさからみれば自由に動き回っているといっていいでしょう。その様が核子であるともいえます。クォークに大きさはまだよくわかっていませんが、10-17cm以下と考えられています。陽子の大きさは10-13cmほどですから、クォークを体長1cmのハエに喩えれば、直径100mの空間にハエが3匹飛んでいる状態です。
 それでもたまたま2つのクォークが非常に接近し、X粒子の作用の及ぶ距離に入らないとも限りません。その際にX粒子を放出したクォークはレプトンに変わり、陽子は崩壊するのです。もっともその作用範囲を1mmとしたら、陽子の大きさは太陽系を超えてしまいます。それでも直径1mmの空間が3個太陽系をさまよっていて、そのうちの2個が接触する確率は0ではないのです。

 大統一理論にもいろいろなバージョンがあり、その中でも有力と思われたものにSU[5]があります。SUというのは数学的な対称性の構造で、5つの要素が入れ替わり得ることを示しています。この理論では陽子の寿命を、1029年と予測していました。これは1029個の陽子があれば、1年でそのうちの1個が崩壊することと等価です。小柴はこれを確かめようとカミオカンデを構想しました。
 同じような実験構想はアメリカにもあり、小柴は競争に勝つための手段として高性能の光電子増倍管を思いつきます。これを使うことで陽子崩壊の有無のみならず、イベントの強さや方向まで検知しようとしたのです。このことは後に、小柴にたいへんな僥倖をもたらします。
 1.000トンの水は陽子数1031個に相当します。カミオカンデの内水槽は3.000トンの純水で満たされています。陽子の寿命が1029年なら、年に数百個程度の崩壊が観測されるはずです。逆に年数個の観測なら、陽子の寿命は1031年ということになります。崩壊の仕方はさまざまですが、カミオカンデは崩壊産物の陽電子やガンマ線を観測することで陽子崩壊を探索しようとしました。
 なにものも光の速度を超えることは特殊相対性理論の禁じるところですが、それは真空中でのことです。透明な媒質での光の速度はその媒質の屈折率で割ったものとなります。水の屈折率は1.3ですので、水中での光の速度は真空中での30.000km/sのおよそ77%23.000km/sとなります。崩壊産物の陽電子はこのスピードを超えるのです。この際に音の衝撃波(sonic boon)と似たようなことが起きます。超音速ジェット機は自ら発した音の壁を突き進むことで、急激な圧力変化がもたらす爆発音を発生させます。荷電粒子の場合も光より速く移動すると、前後での電磁場が重なり合い増幅され衝撃波となります。衝撃波は周りの水分子を励起させ青白い光を発します。これがチェレンコフ光です。1999年の東海村臨界事故で被曝した作業員は青白い光を見たと証言しています。おそらくチェレンコフ光が発生したのでしょう。稼動中の原子炉の中はチェレンコフ光で青く光っています。陽子崩壊によって飛び出した陽電子も円錐状にチェレンコフ光を放っていきますが、これらに比べたらはるかに弱く短期間です。それを効率良く検知するのが直径20インチの高性能光電子増倍管です。
 こうして1983年に観測が始まったのですが、カミオカンデは1年を過ぎても1個の陽子崩壊すら見つけることはできませんでした。これはこれでSU[5]を否定する材料にはなりましたが、設置に5億円かけたカミオカンデは結局1個の陽子崩壊も検知することなく1996年にその使命を終えます。
 しかしその前に、お隣りの銀河が想わぬ褒美をカミオカンデにプレゼントします。そのおかげでカミオカンデは金に換算できない価値を人類にもたらした栄誉に浴します。


写真等提供:東京大学宇宙線研究所
参考資料:「サイエンスナウ」立花隆(朝日新聞社)
「神は老獪にして・・・」アブラハム・パイス(産業図書)
Newton 1991年6月号(教育社)
日経サイエンス 1999年10月号(日経新聞)
http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/(東大宇宙線研究所HP)
http://spaceboy.nasda.go.jp/Index_j.html(宇宙情報センター)
物理学に素人のものが書いています。間違い、勘違い、見当違
いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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