んだんだ劇場2002年9月号 vol.45
No6
 高校物理もろくにも学ばなかったものが、はたして現代最先端の物理学、素粒子物理学・宇宙物理学のエッセンスなりを理解できるものか。無謀にも東大宇宙線研究所に勝手に入門します。
3章 宇宙論素粒子論最前線

物質とは、――この世の成分表示
 自然科学の究極の目標は、この宇宙の仕組みの解明です。それは、物質とはなにか、それに働く力とはなにか、ということです。当然それは、宇宙のどこでもいつでもあてはまらなければなりません。
 社会学や歴史学といった人文科学は、人類の存在があってこその学問ですが、物理学には人間も地球も必要ないのです。ちなみに数学はこの宇宙の存在すら必要としませんが、物理が求めるのはあくまでこの宇宙のメカニズムです。ただ、他に宇宙が存在したとして、そのメカニズムが我々の宇宙と大きくかけ離れているとは考えにくいでしょう。地上での林檎の落下も月の周回運動も同じ法則が適用され、あなたの爪の垢も宇宙をさまよう隕石のかけらも同じ基本物質で構成されているべきですが、それが他の宇宙にも通じるかは、その宇宙創生時の偶然性に左右されるものと思われます。
 メンデレーエフの周期律表が解明されたとき、元素の仕組みが理解されました。このとき、錬金術として発展してきた化学に根本の問題はなくなったとも言えます。たとえ未知の元素があったとして、その性質や質量は容易に想像がつきますし、錬金術という言葉がもっていた魔力は霧消しました。錬金術は核物理の範疇で、原子核を陽子79個、中性子118個にすれば金ができます。実際に作るのは、技術あるいはアイデアの問題です。いまでも多くの科学者が化学の研究に勤しんでいますが、その対象は人間にとっての有用性が期待される生化学や高分子化合物が主体で、応用問題であって万物に通じる根本問題ではありません。
 物理が物質とはなにか力とはなにかを求めることは、宇宙の根本を明らかにすることなのです。

 紀元前5世紀頃デモクリトスは、物質はこれ以上細分化できない小さな粒子が連なってできていて、その間にはなにもない真空が存在すると考え、その粒子をアトム(原子)と命名しました。ギリシャ語で分割できないものを指します。そうでなければ物質が変化したり運動したりするわけはないという、純粋に思索による考えですが、原子論のさきがけと言えます。デモクリトスは、霊魂も究極は原子からなると広言した唯物論者の嚆矢でもあります。
 しかし近代になるまでこの考えは、西洋文明において異端でした。主流は長らくアリストテレスの、水、空気、土、火の4元素が物質を形作っているという考えでした。これは根源物質というものを想定していて、それが冷熱、乾湿の属性をもつことで、4元素間の変化が起こるというのです。空気は熱、湿の属性をもっていますが、湿が乾に変わると火となり、熱が冷に変われると水になるというわけです。そして生物はこの4元素以外に霊魂を持ち、人間はさらに理性を持つというものです。非常に観念的なものですが、なにしろアリストテレスはアレクサンダー大王の家庭教師、彼の強い支持はこの観念論に2.000年の寿命を与えてしまいました。もちろん科学という概念のない時代の話で、アリストテレスにもアレクサンダー大王にも責めを負わすことはできません。
 それでも原子説は長い不遇を経て日の目を見ます。1753年のコバルトの発見に始まり、1808年にはドルトンの原子説が発表され、1869年にメンデレーエフの周期律表となって結実します。原子こそが物質の基本をなす粒子、素粒子であるとする考えが、広く受け入れられたのです。たった百種類ほどの材料が、この世界のあらゆる物質を形作っているという、成分表示が示されたのです。
 しかしこの原子説も、20世紀を目前にすると修正を余儀なくされました。1897年にトムソンによって、電子の存在が確かめられます。原子に構成要素があったわけですから、厳密に言えば、もはや原子は素粒子とは言えません。トムソンは、小さなプラス電荷の粒子の集団に、ポツンポツンと種のようにマイナス電荷の電子が存在するスイカ型の原子を考案しました。これに対し長岡半太郎が考えたのは、土星とその環のように、プラス電荷の大きな1個の粒子のまわりを小さな電子が周っているというものでした。
 これを確かめたのはトムソンの弟子でもあるラザフォードです。ラザフォードは金箔に向けてα(アルファ)線をぶつけました。α粒子の正体は2個の陽子と2個の中性子、つまりヘリウムの原子核です。このことはまだ知られていませんが、α粒子がプラスの電荷を持ち質量が水素の4倍であることはわかっていました。もし原子が小さなプラス電荷の集団のスイカ型ならば、α線はほとんど曲げられることなく金箔をつき抜けるはずです。1個の大きなプラス電荷粒子を持つ土星型の場合、α線はその粒子の反発にあい、進路が大きく変えられる可能性があります。実験結果は1万回に1回の割合で、α粒子がはね返ってきました。トムソンにすればこれは、新聞紙に向かって銃弾を打ちこんだらその銃弾がはね返ってきたようなものです。軍配は土星型に上がったわけですが、実際は、核のまわりを電子が雲のように包んでいる、と言ったほうが正確でしょう。いずれにしろラザフォードは核の存在を明かにしたのです。そして1919年にはその中に陽子を見つけ出し、中性子の存在も予想します。ラザフォードの弟子のジェームス・チャドウィックは、ラザフォードの元で1920年からずっと、さまざまな原子にα線をぶつける実験を行っていました。そして1932年に、ベリリウムへのα線照射で中性子を見つけるのです。
 ここに至って素粒子とは、電子と陽子と中性子であると言えるようになったのです。それぞれを男と女と子供にたとえれば、原子はファミリーで物質はそれが集まった社会ということになります。
 トムソンが電子を発見し、その弟子のラザフォードが核の存在を明かにし陽子を見つけて、そのまた弟子のチャドウィックが中性子を見つけました。もちろん3人ともにノーベル賞が与えられます。トムソンは自身以外に息子を含め7人のノーベル賞受賞者を育てましたが、トムソンからキャベンディッシュ研究所を引き継いだラザフォードは、自身を含めると13人のノーベル賞受賞者を排出しました。ちなみに核物理の父とも言えるラザフォードのノーベル賞は化学賞でした。

 中性子の発見は物理学者にたいへんな歓迎を受けます。これ以前、核の構造はわからなくともその質量数と電荷は容易に知れます。たとえば窒素(14N)の質量数は14で電荷は+7です。当時の物理学者はこの核は14個の陽子と7個の電子で構成されていると考えました(電子の質量は陽子の2千分の1ですから、質量数としては無視できる)。巧妙に配置された電子が、陽子同士の反発力(斥力)を押えこんでいると考えたのです。
 ただこれにはひとつ問題があります。陽子と電子がともに1/2という半端なスピンを持つことはすでに明かになっていました。窒素の核が14個の陽子と7個の電子の、総数が奇数でできているのなら、そのスピンはやはり半端になり、実際と齟齬をきたすのです。パウリがエネルギー保存則の破れなど許せなかったように、角運動量が保存しない核の構造は信じがたいものです。
 中性子の存在はこの問題を救ってくれます。核の質量を陽子だけに負わせる必要がなくなるのです。ウエルナー・ハイゼンベルクの、原子核は陽子と中性子で構成されるという提言はあらゆる元素に適用でき、ここに原子の構造が初めて姿を現したのです。
 しかしこの原子構造は新たな難問の提示でもありました。水素以外の原子は2個以上の陽子を持ちます。電磁力の他に力が働いていない(重力による引力はあまりに弱く無視できる)のなら、核内に陽子が留まっているのは実に不思議です。なぜ陽子同士はその電荷による斥力に勝って核に留まっていられるのか。電磁力に勝る強い力を想定しなければならなくなったのです。ハイゼンベルクはもちろんこの問題を認識していて、物質間で粒子の交換が行われることで力が生まれているのではと考えました。電磁力は光子の交換によって生まれていて、同じように強い力もなんらかの粒子の交換によるというのです。

あまたの素粒子――主役は誰
 チャドウィックの中性子の発見を5年遡る1927年に、ハイゼルベルクはいままでの物理学の概念を根底からひっくり返す不確定性原理を発表しています。粒子の世界では、その位置と運動量を2つともに確定させることはできないのです。一方を小さくするともう一方が大きくなり、一方を確定するともう一方は発散(あらゆ値をとり得る)してしまいます。
凾o・凾w>=h/2π
(凾o:位置のゆらぎ 凾w:運動量のゆらぎ h:プランク定数)
 量子論をどうにも受け入れ難っかたアインシュタインは、量子論の骨格をなす不確定性原理に攻撃を加えます。不確定性原理にエネルギー保存則を適用して、時間とエネルギーの不確定性を示しました。
凾d・凾s>=h/2π
(凾d:エネルギーのゆらぎ 凾w:時間のゆらぎ)
これはエネルギーと時間両方を、ある範囲以上に正確に測ることはできないことを示しています。同時にアインシュタインは得意の思考実験で、正確な時間と正確なエネルギーを計ることのできる実験を提示しました。ニールス・ボーアは不眠不休で呻吟し、一晩かかってこのパラドックスを解き明かします。鍵は時間を計る時計に加わる加速度でした。相対性理論により、それが正確な時間に不確定性を許すのです。アインシュタインが自身の理論で、量子論の前に沈黙せざるを得なくなったのは皮肉な話ですが、量子力学そのものもアインシュタインは創設者の大立者です。さらに皮肉なことは、アインシュタインが不確定性原理への攻撃のために導いた、エネルギーと時間の不確定性です。これが強い力の解明に大きなブレークスルーとなったのです。
 湯川秀樹は強い力を生む交換粒子として、その寿命を考えました。核の外に強い力が及んでいる兆候はありません。強い力は核内に留まっていなければなりません。光速近くで動いても核を飛び出さない程度の寿命が、交換粒子に割り当てられます。するとエネルギーと時間の不確定性から、エネルギーの許容範囲が求められます。エネルギーが高くなるほど寿命は短くなります。こうして湯川は1935年に、電子の250倍程度と、電子と核子の中間の質量を持つ交換粒子を核力の源とする、中間子仮説を発表します。
 1937年には、カール・アンダーソンが宇宙線の中から湯川の予言した粒子と思われるものを見つけますが、核力を担うはずの粒子が核とまったく反応しません。それどころか何センチもある鉛の板を突き抜けてしまいます。あまつさえその性格は電子そっくりです、質量が電子の207倍であることを除けば。イシドア・ラビが「誰がこんな粒子を注文したんだ」と嘆いたのはこのときです。この粒子がμ粒子です。
 そして1947年に、質量が電子の270倍のπ(パイ)中間子がセシル・パウエルによって、やはり宇宙線から発見されます。これは特殊な乳剤の写真乾板に、直接粒子の飛跡を記そうという原子核乾板実験です。最初の証拠写真は、ラザフォードの孫にあたる当時学生だったピーター・ファウラーが見つけ出しました。π中間子による核の崩壊でした。正真正銘の湯川の予言粒子です。予言者の湯川は1949年に、発見者のパウエルは1950年にノーベル賞を受賞します。
 この年にはV粒子と名付けられた、奇妙な粒子も霧箱で見つかります。エチルアルコールなどの気体を飽和状態にした箱に、荷電した宇宙線が通るのを待ちうけます。荷電粒子はその通り道に正負のイオンを残します。この直後に、熱が伝わらない状態で箱の容積を増す(断熱膨張)と、イオンを核にした霧滴の列ができます。これで粒子の軌跡をたどるのです。箱に磁場をかけたり中に鉄板や鉛板を入れることで、電荷の測定やγ線の検出などにも使われます。
 この霧箱で逆Vノ字の軌跡が見つかりました。荷電中間子や陽子によるものです。おうおうにして2つのVノ字が同時に見つかります。これは軌跡を残さないなんらかの粒子が対発生して、それぞれがまたVノ字を対発生させていると推測できます。
 この見えない粒子がV粒子です。当然、電荷を持っていないことになります。荷電粒子ならば+1と−1の電荷の対発生が考えられますが、そうでないわけで、ゲルマンは新たな属性ストレンジネス(奇妙さ)を提唱します。宇宙線である中間子(ストレンジネ:s=0)が陽子(s=0)に衝突して、s=+1とs=−1のV粒子が対発生しているというのです。このことは後に確かめられ、K中間子(s=+1)、Λ(ラムダ)粒子(s=−1)と名付けられました。
π−+p→K0+Λ0(V粒子の発生)
0、Λ0→π+π、p+π(V粒子の崩壊)
(K中間子とΛ粒子以外、ストレンジネスは0)
 V粒子の発生は強い力によります、崩壊は弱い力です。ストレンジネスという命名は、強い力ではストレンジネスが保存されるのに、弱い力では保存されない奇妙さからです。そしてV粒子の発見は、この後続々と登場する新粒子の幕開けでもありました。

 1952年にドナルド・クレーザーは泡箱を発明し、この業績で1960年にノーベル賞を受賞します。箱の中に液体水素などを密封し、これを沸騰寸前まで減圧します。この中に荷電粒子が飛び込んで液体分子と衝突すると、荷電粒子のエネルギーが熱に変わり泡を発生させます。これが粒子の軌跡を浮かびあがらせるわけです。
 泡箱は高エネレギーの宇宙線研究に多大な貢献をしますが、宇宙線が気ままに飛び込んでくるのを待つほど悠長になれない実験屋たちは、加速器を使って強制的に素粒子(と思われるもの)を作り出そうとします。
 最初の加速器は、1932年にジョン・コッククロフトとアーネスト・ウォルトンによって発明された、静電場で700KeV(キロ電子ボルト=1.000eV)のエネルギーを注ぎこむ、線型加速器でした。これを高周波電場で加速、同期させた磁場で円形に誘導して何度も周回させ、さらに加速させるシンクロトロンが開発され、飛躍的に高エネルギーが達成されるようになりす。また人工的にπ中間子のビームを作り出す方法を得て、これを加速し標的にぶつけて発生する粒子を観測する実験が盛んになります。高エネルギー物理学の勃興で、怒涛の50年代を迎えるのです。次から次へと新粒子が発見されその数は100を超え、1956年にはパウリの予言したニュートリノも見つかります。
 しかし物質の基本たる素粒子がそんなに多いのはおかしな話で、いったい主役は誰なのか、素粒子論には革命前夜の混迷の時とも言えました。

写真等提供:東京大学宇宙線研究所
参考資料:「素粒子の統一理論に向かって」西島和彦(岩波書店)
「数学をつくった人びと」E・T・ベル(東京図書)
「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン(草思社)
「図解雑学 素粒子」二間瀬敏史(ナツメ社)
「地球から宇宙へ」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)
「ニュートンの時計」アイバース・ピーターソン(日経サイエンス社)
http://village.infoweb.ne.jp/~oyaoya/qed/qed.htm(量子力学の歴史)
物理学に素人のものが書いています。間違い、勘違い、見当違
いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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