んだんだ劇場2002年10月号 vol.46
No7
 高校物理もろくにも学ばなかったものが、はたして現代最先端の物理学、素粒子物理学・宇宙物理学のエッセンスなりを理解できるものか。無謀にも東大宇宙線研究所に勝手に入門します。
3章 宇宙論素粒子論最前線

力とは、――磐石の王国
 素粒子に働く力は4つあることが分かっています。重力と電磁力、弱い力、強い力です。わたしたちが力と認識しているものは、すべてこの4つに集約されます。念力でもこれらの力で説明できるはずです、実在するならばですが。念力にかぎらず空間を隔てた作用は、古来、人を驚愕させてきました。落雷ほど大袈裟でなくとも、コンパスの針も共鳴による振動もその理屈を知らない人を驚かすには充分でしたし、理屈のわからない遠隔作用は神秘的に捉えられました。遠隔作用にみせかけて、悪事を働く輩はいまでも絶えません。

 しかし遠隔から作用する力もふだん目にしている力も、実体は重力と電磁力です。遠隔作用に驚愕する人間も、この中で常にわれわれの目に見えて作用している重力には驚きを感じません。月が地球に落下してこないことを疑問に思っても、林檎が木から落ちることに不思議を感じるものはいなかったのです。これを解き明かそうとするものは、17世紀のアイザック・ニュートンを待つまで現れなかったと言っていいでしょう。
 アリストテレスは地球を宇宙の中心と考え、月より下では物体は直線運動もしくは強制された運動をし、月より上では天体が円運動していると考えました。ガリレオ・ガリレイは、天も地も同じ法則が成り立たなければならないと主張しました。そして、神が残した手がかりに純粋な思考を適用すれば宇宙の謎は解ける、と考えていたニュートンは、質量の積に比例し距離の二乗に反比例する力(万有引力)を見出します。これは宇宙に秩序を与え、林檎の落下も天体の運動も同じ法則に従っていることを明らかにしたのです。天上と地上の運動の統合であり、重力の発見です。
 月は実際に地球に落ち込んでいるのですが、同時に接線方向にも運動しているので結果的に(楕)円運動となって、半永久的な地球への落下運動を続けているのです。
ニュートンを得て初めて人類は力を理解したのみならず、その運動方程式でひとつの系の過去未来を予測する術を身につけました。系にある物体の位置、運動量さえ分かれば、ある時点でのその系の状態を逐次計算できるのです。
 しかしニュートンは、自らの理論が万全とは思っていませんでした。月の軌道が微妙に計算とずれることがわかっていたからです。ある段階で、神がリセットしなけれ秩序が保たれないと考えていました。これをジョゼフ・ラグランジェやピエール・ラプラスは、角運動量や太陽による摂動などを考察し、神の関与を排除していきます。ナポレオンに数学の才を買われ内務大臣まで務めたラプラスは、「宇宙にあるすべての粒子のある瞬間の位置と速度をくれたら、宇宙のご希望の過去未来を伝えよう」と豪語しました。もちろんその膨大なデータを計算できる能力があればの話ですが、宇宙は時計仕掛けのように決定できると言っているのです。実際に人類は、ニュートンの作り上げた方程式を使って、ニュートンが思考をめぐらした月にも立ったのです。万  有引力の世界は、地のみならず天にも通ずる規範で、揺るぎようのない磐石の王国となりました。
余談ですが、このニュートンの万有引力は巷間言われるような林檎からの発想というより、おそらく月の運行の研究を林檎の落下に当てはめただけでしょう。
 ただ、ハレー彗星にその名を残すエドモント・ハレーに、距離の二乗に反比例する力(逆二乗則)が働く惑星の軌道を訊かれて、ニュートンは即座に「楕円しかない」と答えています。当時ニュートンは自然哲学に興味を失い、もっぱら錬金術と神学に熱中していました。本人自身も、その問題は過去に計算済みと言っています。そうならば伝説通り1665年、ペストを避けるため帰郷したウールスソープの林檎の木の下で、万有引力の法則は発見されたのかも知れません。ハレーの要請に応えて「軌道上にある物体の運動について」を書き上げたのが、1684年です。この20年近くの空白を、なんとももったいないと思うのは私だけでしょうか。また名誉にはこだわるニュートンでも、ハレーの勧めがなければ、科学史上屈指の著作「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」を著すつもりはなかったのでしょうか。
 ただニュートン以外にも、光からの類推(光は距離の二乗に応じて弱くなる)で逆二乗則の力を考えたものは、ロバート・フックをはじめ多数いました。ニュートンの功績はむしろ、その力がケプラーの法則に合致するよう惑星を楕円軌道にする証明です。その意味ではニュートンの数学部分の天才が、彼に不朽の名誉を与えたと言えるでしょう。自然現象への高等数学の適用で、近代科学の扉を開いたのです。ちなみに一時期とはいえ、時代遅れとも思われる錬金術にうつつを抜かしたニュートンの化学の才は、褒められたものではないでしょう。

 もうひとつの力電磁力は最初別々に、電気力と磁力に分けて捉えられていました。電磁力の守備範囲はあまりに広く、それが一つの力に集約できるとは考えにくかったのです。摩擦力も反発力も化学反応も、すべて電磁力のなせる業と認識するには、一つ一つの積み重ねを要したのです。
 記録に残っているところで最初に電気を研究したと言えるのは、自然哲学の祖であるタレスです。紀元前6世紀頃、琥珀をこすって起こした静電気を研究しています。驚くほどの空白の後、17世紀には摩擦静電気の実験が見世物的に盛んに行なわれましたが、重要な電気の研究は18世紀までなかったと言えます。
 1745年に電気を蓄える装置つまりコンデンサーとしてライデン瓶が発明され、電気の研究は本格化します。1752年、これを使ってベンジャミン・フランクリンは雷が電気である有名な証明をしますが、彼が発明した避雷針は科学が自然に勝利したと思える最初の顕著な例と言えます。電気をより早く実利に結びつけたのは、合理主義者フランクリンの面目躍如です。ですが、電流は電子の流れなのに、フランクリンは電流を陽極から陰極に流れるとしました。これはフランクリンを責める訳にはいきませんが、電気を学ぶ者にいらぬ混乱をさせました。あるいは最初に、電子の電荷はプラスと定義されるべきだったかもしれません。そのほうがすっきりするし、そうしても物理法則になんの変更も必要ないのですから。
 それはともかく、電気の正体は過去の空白を埋めるかのように、急速に明らかにされていきます。一方の磁気は、磁石としてはその不思議な力ゆえ古くから興味をひきましたが、本格的研究は大航海時代を向かえた15世紀になってからです。それも対象は地磁気であり、あくまで実利のためです。
 これが19世紀に入ると、ニュートンの万有引力では説明できない、熱、光、電気、磁気を説明する新たなパラダイムを求めることに関心が集まります。1801年にアレッサンドロ・ボルタがナポレオン臨席のもと、自身が発明した電池で電気実験を行ないます。いたく感激したナポレオンは、ボルタに勲章と爵位を与えました。彼は新たにボルタ電堆を発明しますが、これは今で言うところの乾電池です。電流を扱えるようになったことは、電気分解の手法を手にしたことを意味します。20世紀に加速器が多くの素粒子を生み出したように、電気分解はいままで無理だった数多くの金属を分離します。
 同じくナポレオン愛顧のラプラスと弟子たちは、これら重力以外の自然現象への数学の摘要を模索します。ハンス・エルステッドは電流による磁気の発生(電流の磁気作用)を偶然見つけ、アンドレマリー・アンペールは電磁場を確認し電気力学を創始します。逆にマイケル・ファラディーはエルステッドの発見から11年かかって、磁石での電流の発生(電磁誘導)に成功、「場」の理論を作り上げていきます。つまり、空間を隔てた粒子間に働く力は遠隔作用ではなく、場を介して次々伝播していく近接作用であるとします。
 余談ですが、電磁誘導は発動機、発電機の発明に直結します。人間社会を一変させる出来事です。その張本人のファラディーは、製本屋の奉公人から科学の世界に身を投じ当代最高の実験屋になった人ですが、32年間屋根裏に暮らし自らの生活を変えることはしませんでした。電気文明を幕開けした男が「ろうそくの科学」に愛着を持ったのは、彼の人柄を端緒に表していると思えます。
 そのファラディーは、磁気の伝播には極めてわずかだが時間が必要と結論しています。つまり伝播は瞬時ではあり得なく、有限の速度を持つということです。そして電気も同じ性質を持っているだろうと推測しています。
 このファラディーの電磁理論を拡張し、数学を用いて定式化したのがジェイムス・マクスウェルです。場の概念に基づいたマクスウェルの方程式は、光学と電磁気を統合するもので、電磁場の時間的空間的変化を記述できました。当然の帰結として、電磁波の存在を予言します。そしてその速度は、光の速度であることを証明します。つまり、光は電磁波であることが明らかにされたのです。
 電磁力とは、電荷を持った物体の周りに生まれる場を、波となって伝わる電磁波の相互作用なのです。そしてその作用は、マクスウェルの方程式で記述できます。1864年、ニュートンの王国に次いで、新興のマクスウェルの王国が誕生したのです。翌世紀になって称せられた、古典物理の完成と言っていいでしょう。
 1871年、マクスウェルはキャベンディッシュ研究所の初代所長となります。48年の生涯の貴重な晩年は、狂気の天才ヘンリー・キャベンディッシュの行なった研究を公開することに費やされました。このことは後世のためによかったのかどうか、判断の難しいところです。

 ともかくこうして、この世を支配すると思われる重力と電磁力は、2つの磐石と言っていい王国を打つ建てたのです。まだ説明できない問題も残っていましたが、瑣末なことです。例えば、水星の近日点(もっとも太陽に近づく位置)がわずかにずれていくとか、核を周る電子はなぜ核に落ち込んでいかないのかなどです。これらは理論が改善されれば解決できるものであり、解決のために理論が書き直されるなどとは考えませんでした。
 蛇足ですが、ラザフォード、ファラディー、マクスウェルはともにウェストミンスター寺院に眠っています。ここの先住者にはニュートンもいます。人間社会に確固たる王国を築いた大英帝国は、自然世界にも2つの王国を築いたと誇示しているのです。

光速の世界――老獪なる演出家
 200年間揺るがなかったニュートンの王国に、新興のマクスウェルの王国は小さな亀裂を走らせました。電磁場という概念が、ニュートン力学の絶対時間の絶対空間と相容れないのです。この綻びを取り繕ったのがアインシュタインです。アインシュタインは10代の頃から、光とともに走ったら世界はどう見えるか空想していました。それは1887年のマイケルソンとモーリーの実験で、運動の如何に関わらず光の速度が不変であることが明らかになったからです。150キロの速球を投げるピッチャーが、100キロで走る車から進行方向に投球すれば、250キロの速球となります。しかし光速で進むロケットから光を発しても、その光の速度は倍にはならないのです。
 10年間そんな光速の世界を思考実験することで、アインシュタインは1905年「運動する物体の電気力学」を書き上げます。特殊相対性理論の最初の論文です。それはニュートンが想定した、時間や空間の絶対性を否定するものでした。高速になると、ニュートン力学は破綻するのです。絶対なのは光の速度で、時間は相対的なのです。地球上から望遠鏡で、高速で遠ざかるロケットに積まれた時計を見たら、逆にロケットから地球上の時計を見たら、ともに時計がゆっくり時を刻んでいるのを発見するでしょう。
 時間が相対的であることは、速度に時間を掛けて求められる距離も相対的であることを意味します。それは空間も相対的であるということです。ロケットは進行方向に縮んで見え、ロケットからは地球が遠ざかっていってその方向に縮んでいるのを発見するのです。私たちは縦、横、高さの3次元空間ではなく、時間を加えた4次元時空の世界に住んでいるのです。
 特殊相対性理論は慣性系を記述するものです。つまり現実には想定しにくい理想的な、互いに等速度運動している物体についての思考実験です。アインシュタインは相対性理論を重力に適用します。屋根から落ちる人間は重力を感じないはずと想像したアインシュタインは、重力と加速度が等価であることを見つけます。ロケットが加速した際に壁に押し付けられる物体を観察して、それが重力によるものか加速によるものかは区別できないのです。
 1915年、10年間の苦闘のすえアインシュタインは、重力を記述する一般相対性理論を生み出します。理解できるのは世界で12人だけとも評された一般相対性理論ですが、華々しい成果を上げます。光が重力で曲げられるのが日食で確かめられましたし、ニュートン力学では説明できなかった水星の近日点の移動も説明できました。
 ニュートンは当然のように宇宙は平坦と考えていました。3次元空間しか知らない人間には想像し難いことですが、人が乗ったトランポリンがその平面を歪めるように、重力が空間を曲げているのです。ニュートン力学は巨大な質量のまわりでも、破綻していたのです。

 空間をマクスウェルの方程式と矛盾しないように作り直したアインシュタインですが、ニュートン力学を破壊しようとしたのではありません。ただ修正を加えた、あるいは拡張したつもりなのです。アインシュタインもニュートンと同様に、純粋な思考で神が残した手掛かりのをひもといていけば、宇宙は理解できるものと思っていました。その神は老獪かもしれないが悪意はないと言っています。
 真理は単純で明快であるはずと信じるアインシュタインは、ともに逆二乗則の働く力がまったく別物とは思えません。重力には斥力がありませんが、電磁力同様の場を介しての相互作用と考えられます。当然、重力と電磁力は統合できるものと考えました。
 2つの王国を1つにまとめようとしたわけですが、残念ながら彼の後半生をかけた執念は徒労に終わります。神が老獪なのかどうか知りませんが、素粒子をおどらせるこの宇宙の演出家の意図は複雑怪奇で、アインシュタインに意地悪であったことは確かです。
 重力と電磁力の統合がうまくいかなかった一因には、アインシュタインがこの仕事に執りかかった1920年代には、まだ弱い力も強い力も知られていなかったこともあるでしょう。神が残した手掛かりの一部しか、アインシュタインに渡っていなかったということです。しかしそれ以上に、重力が桁違いに弱いということと量子論をさけて通れないということが大きかったはずです。もっとも重力に量子論を繰り込むことは、アインシュタイン死して半世紀の今も成功していません。量子の世界では、相対性理論が破綻してしまうのです。
 1900年にマックス・プランクは黒体輻射の研究から、エネルギーはある塊りの量、量子(quantum:ラテン語で"どのくらい"の意)を持つと発表します。
E=νh(E:エネルギー ν:振動数 h:プランク定数6.63×10-34j・s)
νhが一つの塊りである量子です。光のエネルギーはこの整数倍になります。エネルギーは連続した値をとるのではなく、非常に小さい段差ですがとびとびの値をとることを示しています。これは宇宙を連続した微分可能(いくらでも小さく分けられる)な世界とするニュートンの王国を粉砕するもので、ニュートン力学は微小な空間でも破綻していたのです。
 しかしプランク定数はあまりに小さく、ことの重大性は無視されていました。しかし、1905年にアインシュタインが光電効果を発表して、電子をはじき出す光のエネルギーはとびとびの値をとることを明らかにします。ただの数学的便宜と思われたプランク定数が、実体あるものであることが証明されたのです。
特許局の一職員である無名のアインシュタインは、1905年に立て続けに5本の論文を発表します。ブラウン運動(水面上の花粉のランダムな動き)について2編、相対性理論について2編、そして光電効果についてです。どれをとってもノーベル賞級の研究で、アインシュタインがニュートン以来の天才といわれる由縁です。神の意図を知ろうとする思いもニュートンと同じで、それゆえ重力と電磁力の統合に執念を燃やしたわけですが、そのもくろみに立ち塞がったのは、自身が存在証明した量子だったのです。

写真等提供:東京大学宇宙線研究所
参考資料:「図解雑学 素粒子」二間瀬敏史(ナツメ社)
「地球から宇宙へ」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)
「ニュートンの時計」アイバース・ピーターソン(日経サイエンス社)
http://village.infoweb.ne.jp/~oyaoya/qed/qed.htm(量子力学の歴史)
「見果てぬ時空」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)
「時間と宇宙について」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)
「物理学はいかにして創られたか」アインシュタイン、インフェルト(岩波新書)
「アインシュタインの世界」L・インフェルト(講談社ブルーバックス)
物理学に素人のものが書いています。間違い、勘違い、見当違
いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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