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高校物理もろくにも学ばなかったものが、はたして現代最先端の物理学、素粒子物理学・宇宙物理学のエッセンスなりを理解できるものか。無謀にも東大宇宙線研究所に勝手に入門します。
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3章 宇宙論素粒子論最前線
量子論――秩序の破壊者
光が粒子なのか波動なのかの議論は古くからあり、ニュートンは粒子説にたって、波動説をとるフックやクリスチャン・ホイヘンスと激しく論争しています。しかしニュートン自身、内心波動説に一理あることを認めざるを得ませんでした。波としか考えられない光の干渉や回折が観察されているからです。それでいて自分の観察した太陽光のプリズムから、光は粒子であるとも信じていました。ニュートンはこの矛盾に耐えられずに、自然科学から遠ざかったとも言われています。
200年近く葬られていた粒子説を掘り起こしたのが、光電効果を説明するアインシュタインの光量子説です。つまり、光はある塊りの粒であるということです。現実世界では考えにくいことですが、光は間違いなく波動でありながら(その証拠はたくさんある)、粒子でもある二重性を持つのです。波動はエネルギーの広がりであり、これが一点に集中すると粒子になるとも言えます。
プランク定数という非常に小さい段差は現実世界において無視でき、現実世界はなめらかで切れ目なく見えます。しかし物事を微細に分割していき、粒子の規模に近づいていくと、プランク定数の大きさを無視できなくなります。
1913年にボーアは、核をまわる電子はプランク定数の制約を受けるとびとびの軌道しかとれない、と唱えます。これによって、電子が核に落ち込んでいって原子が数億分の1秒で崩壊するという悪夢から逃れられます。
トムソンの原子概念を否定したラザフォードの原子模型を、2年後にボーアの原子模型が否定したのです。ボーアもトムソンのもとで学ぶ一人でしたが、後にコペンハーゲンに戻り、量子論の基本的な考え方となるコペンハーゲン解釈を中心となって作り上げます。ボーアは純粋な理論屋でしたが同じ門下の先輩ラザフォードは実験屋で、現実離れした量子力学に懐疑的でした。
ボーアの原子模型では、電子は特定のエネルギーを得ると、励起して核から遠い軌道に移ります。核に近い軌道に移る際は、特定のエネルギーを放出します。このエネルギーの実体が電磁波というわけです。物質は熱せられると特定のスペクトル(波長ごとのエネルギー)を放出しますが、これで水素のスペクトルが説明でき、1922年ボーアにノーベル賞が与えられます。
1924年ルイ・ド・ブロイはこれに加えて、電子は核の周りをまわる波動であると主張します。粒子はことごとく、光と同様に波の性質を持つ物質波だということです。その波動はきっちり重なり合わなければなりません。そうでないと、干渉によって波動が消えてしまうからです。その際の制約がプランク定数というわけです。現実世界では考えにくい二重性が、粒子の世界では必然であることを示したド・ブロイは、1929年ノーベル賞を得ます。
波と思われた光が粒子でもあり、粒子と思われた電子が波でもあるとなったことは、物質と場を包括的に述べる方法が要求されます。ボーアを頭目にいただくコペンハーゲン学派はド・ブロイの物質波を確率の波と解釈しますが、一派のハイゼンベルクはこの解釈を採らず、原子模型を求めることもやめます。そして1925年に、測定できる要素だけを並べて測定できる値を求める、複雑な記述を作り上げます。師のマックス・ボルンが、これに数学の行列を持ち込むことで、簡潔なハイゼンベルクの行列力学ができ上がります。ボルンの洞察で、行列力学は粒子の位置と運動を記述していることが明らかにされます。
エルヴィン・シュレディンガーが1926年に発表した波動方程式は、物質波の伝わり方を計算できる画期的なものでした。シュレディンガーの原子模型は、電子を濃淡のある雲とします。もっともシュレディンガーは、濃淡は確率を示すものではなく、電荷密度の高低だと主張します。
後に波動方程式も行列力学も、数学上等価であることが証明されますが、ともに粒子の存在確率が波として表されています。逆に言えば、粒子の在り処は確率でしか記述できないのです。これは量子論を方程式で記述できる、量子力学の誕生と言える出来事です。
さらに、同じくボーアのもとにいたポール・ディラックは、粒子の速度は高速なことから、これに特殊相対性の効果を組み込みます。このディラック方程式は2つの解を持ち、1つは負のエネルギーを指していました。期せずして陽電子を予言したのです。
ハイゼンベルクは1932年、シュレディンガーとディラックは翌1933年にノーベル賞を受賞します。ボルンの受賞は1954年でした。どうでもいいことですが、歌手のオリビア・ニュートン・ジョンはこの人の孫らしい。
そして1927年のハイゼンベルクの不確定性原理は、量子論の真髄をなすものです。もはやラプラスが自慢げに語った機械的宇宙どころか、1個の電子の動きすら確定できないのです。古典物理の掲げた優美な秩序を、傍若無人な量子論が破壊したのです。
量子力学の創立者になったシュレディンガーですが、アインシュタイン同様量子論に懐疑的でした。アンチテーゼとして、有名な「シュレディンガーの猫」を提示します。これは箱の中の猫の生死が、放射性物質の放射で決まってしまうという思考実験です。放射の確率が50%なら箱の中の猫は、半分は生きて半分は死んでいるという摩訶不思議な存在になります。これは、猫の生死の確率は半分ということとはまったく別物の、重ね合わせの状態です。そして人間が箱を開け中を見て初めて、猫の生死が決まる(収束する)のです。
いつでもどこでも成り立つべき自然の法則に、量子論は人間の存在(自意識)が自然現象を左右するという不思議を持ち込んだのです。振り返って見てみなければ月があるかどうか分からないなんて、とはアインシュタインの言です。ミクロを述べる量子論をマクロの現実に適用するには、飛び越えがたい断崖があることを物語っています。
相対論は驚異の世界を披露しましたが、量子論が提示したものは不思議の世界です。アインシュタイン以来の天才とも目されたリチャード・ファインマンは、一般相対論が世界で12人しか理解できないと評されたのは大袈裟だとしています。当時でももっと多くの物理学者が理解できたのは間違いないと書いていますが、それに続けて、量子論を理解できるものは世界に一人もいないだろうとも書いています。
量子の世界はあまりに現実世界と違っていて、この世界に住み慣れた人間には、理解不能というより情緒的に受け容れがたいものとなっています。量子論を受けつけようとしないアインシュタインは、ボーアに問い詰められて、「なるほど君の計算は正しい、だがその結果は忌まわしい」と言ったほどです。
物理学者になるか法律家になるか迷っていたプランクは、物理の教授から「すでに物理は完成された。もはや物理に未来はない」と言われます。それでも物理を選んだプランクですが、まさか自身の発見がその物理を根底からひっくり返すことになるとは思っていなかったでしょう。プランクが42歳で量子を提唱した1900年は、19世紀と20世紀の分岐点であると同時に、古典物理と現代物理の分水嶺です。1918年にプランクにノーベル賞が授与されます。
繋がる場――バネ仕掛けの舞台
量子論の主題は粒子の振る舞いを述べる量子力学から、その粒子が舞う舞台そのもの、つまり場に移っていきます。
エネルギーが質量と等価であるという相対論の理論は、エネルギーが粒子を生み出せることを意味しています。真空という無から粒子という有が生まれるわけですが、それでも保存則は成り立たなければいけません。物質が生まれるのならば、その反物質も生じなければなりまん。最初の反物質である陽電子は、1932年にアンダーソンが宇宙線の中に見つけていますが、その後の加速器を使った実験で電子と陽電子の対発生は確認されます。
この対発生あるいは対消滅は粒子の数を増減させるので、粒子の振る舞いを記述する波動方程式では対応できません。そこで新たなパラダイムとして、1929年ハイゼンベルクとパウリによって提唱されたのが、電磁場に量子論を組み込んだ量子電磁力学(QED:Quamtum Electro Dynamics)です。
これは電磁場をバネ仕掛けの舞台とするものです。空間を無数のバネが占め、バネの振動が光子を誕生させます。プランク定数によって振動がとびとびの値をとる、電磁場の量子化です。荷電粒子にもそれ独自の舞台があり、バネの振動が励起状態で固定したものが粒子となり、その伝わりが飛跡となります。電磁場が空間と時間の関数で表されるように、電子も空間と時間による場の量として表されます。
この光子の舞台と荷電粒子の舞台は繋がっていて、それぞれのバネは結びついていると考えます。つまり、光子の振動(電磁波)は荷電粒子に作用し、荷電粒子の振動は光子を生み出すのです。これが電磁力で、量子論的に言うと電磁相互作用です。
量子電磁力学には一つの大きな困難がありました。不確定性原理は1個の電子の周りに、無数の電子陽電子の対発生対消滅を許します。その効果を考慮すると理論計算は発散し、電子の電荷は無限大となってしまいます。ニュートンの運動方程式は2体間の運動を解きますが、3体間以上になるとその方程式は一部の例外を除き解くことができません。古典力学では、多体間での運動を2体間に分割して、逐次計算(摂動法)して近似値を求めます。量子力学における相互作用の影響(量子補正)をこの摂動法で計算すると、現実とはそぐわない無限大の値をとるのです。
1949年、ファインマンや朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガーといった人たちは、この無限大を相殺する無限大を繰り込む事で問題を解決します。これは単に無限大から無限大を引き算したといった単純な話ではなく、数学上の証明がなされた現象認識の有力な武器となっていきます。初期条件の小さな違いが帰結を発散させてしまう帰納的方法ではなく、もたらし得る帰結を重視する演繹的方法です。水面に投じた小石に焦点を当てるのではなく、起こり得る波紋を論じるのです。簡単に言えば、無限大を有限な実験値に置き換えるのです。実際、繰り込み理論は大統一へのキーワードとなります。3人は1965年のノーベル賞を共同受賞しました。
現代の素粒子物理の考える力とは、物質を形作る素粒子の間で、力を伝える素粒子がやり取りされることです。前者の粒子性の強い素粒子をフェルミ粒子(フェルミオン)、波動と言える後者をボース粒子(ボソン)と呼びます。フェルミ粒子間で行なわれるボース粒子をボールとしたキャッチボールが、力を生み出しているというのです。
荷電粒子の場合で言えば、光子(フォトン)がボース粒子です。光子のやり取りが、異種の電荷では引力となり、同種の電荷では斥力となって働きます。この際の光子は検出できないので仮想粒子とも言いますが、電子が軌道を下げエネルギーを放出したりすると、目に見える光となって存在を現します。場の導入は、力を空間を隔てた遠隔作用ではなく、波となって伝わっていく近接相互作用であるとするのです。
フェルミ粒子は1/2という半端なスピンを持つ粒子で、同種のフェルミ粒子は同一の場所を占めることはできません。これをパウリの排他原理と言います。簡単に言えば、すでに人の座っている席にはすわれないということですが、属性が違えば大丈夫です。電子の場合では、1つの軌道に上向きのスピンと下向きのスピンの、2つの電子までが許されることになります。一番低い電子軌道は1個だけですが、その上のエネルギーレベルでは4個、さらに上には9個、16個ととり得る軌道があります。それぞれに2個まで電子を埋めていくと、ほぼ周期律表ができあがるわけです。排他原理があるからこそ、物質は物質として存在していられるとも言えます。
一方のボース粒子は、ボース−アインシュタイン統計に従います。これはいくらでも重ね合わせができることを指しています。レーザー光線がよい例で、幾重にも重ねられたボース粒子が、強力なエネルギーを発揮しているわけです。
スピンとは、その粒子を何回転すれば元に戻るかを指しています。2次元で考えれば、矢印は360°1回転で元に戻りますが、両矢印なら180°半回転で済みます。前者がスピン1、後者がスピン2ということになります。スピンが1/2であるとは、元に戻すのに2回転必要であるということです。
電磁相互作用でのフェルミ粒子は電子や陽子で、力を伝えるボース粒子は光子です。重力で言えば、フェルミ粒子は質量を持つ全ての物質となります。その間でやり取りされるのが重力子(グラヴィトン)ですが、まだ検出されたわけではありません。
量子電磁力学の成功は、強い力に量子論を適用することに向かいます。湯川の予言したπ中間子は、ボース粒子として陽子と中性子でやり取りされ強い力を生んでいるわけですが、1963年にゲルマンとツワイクが提唱したクォーク理論は、π中間子もクォークからできていると予想しました。
核子は3つのクォークからなり、中間子(メソン)は一対のクォークと反クォークでできています。クォークは、2/3もしくは−1/3という半端な電荷を持ちます。当然電磁相互作用を受けますが、その100倍の強い力を受けます。その属性が、赤、青、緑の色荷です。もちろん色彩としての色を持っているのではなく、色の3原色に似せた便宜的なメタファーです。クォークは単独で存在することは難しく、常には無色の状態に結合しています。核子では3原色で、中間子では原色とその補色で、無色となるわけです。電荷も整数になります。もし電荷が半端な粒子を見つけたなら、それは単独のクォークの発見と言えます。
電荷 | 第1世代 | 第2世代 | 第3世代 |
2/3 | u(アップ) | c(チャーム) | t(トップ) |
-1/3 | d(ダウン) | s(ストレンジ) | b(ボトム) |
陽子は(u、u、d)で構成され、中性子は(u、d、d)となります。電荷はそれぞれ1、0と適切な値をとります。この際に色荷は赤、緑、青が各割り当てられ、無色を保ちます。荷電π中間子は、アップとダウンの組み合わせで片方が反クォークということです。中性π中間子は、アップ同士もしくはダウン同士で片方が反クォークで、やはり無色となります。
p=(u、u、d) n=(u、d、d)
π+=(u、dc)、π−=(u、dc)、π0=(u、uc)、(d、dc)
クォークは当然ながらフェルミ粒子なので、パウリの排他律に従います。同種のクォークは同じ場所を占められないはずなのに、核子内でアップ同士とダウン同士が同居しているのは、色荷が異なっているからです。この色荷に作用するボース粒子がグルーオンで、強い力を生んでいます。グルーオン自身も色荷を持ち、3色とその補色の組み合わせで8種類あります。
グルーオンはクォークの間をゴムひものように結びます。接近したクォーク間ではゴムひもは緩んでたいした結合力を発揮しませんが、遠く離れるとゴムひもは緊張し強い束縛となります。これを無理に引き離そうとすると、そのエネルギーでひもはちぎれ、そこに新たに一対のクォーク反クォークが生じます。結局、加えたエネルギーが新たにπ0中間子を生み出すのです。
(u、u、d)→(u、u、d)+(d、dc)
これは強い相互作用が、核程度の範囲でしか作用しないことを示します。
また、核子内のクォークが色を変えると、グルーオンが交換され隣のクォークの色を変え、核子として無色を保つように動きます。つまり核子内のクォークの色を入れ替えても、核子は変わらない対称性を持っています。このことをゲージ変換に不変であると言い、対称性を保つためにやり取りされるグルーオンをゲージボソンと称します。ゲージ変換とは場の位相を変換することで、その際に相互作用が不変であるようにゲージボソンが交換されるわけです。ゲージ対称性が保たれていることは、グルーオンの質量が0で、繰り込みが可能であることも示唆しています。これが、強い相互作用をゲージ理論で説明する、量子いろ色力学(QCD:Quamtuum Chromo Dynamics)です。
クォークはアップとダウンだけではありません。レプトン同様3世代6種ありますが、物質のほぼ全ては、やはり第1世代のアップとダウンで構成されています。第2世代は、まれに宇宙線に認められる程度です。第3世代は加速器で存在が確かめられ、最後まで残っていたトップクォークは、フェルミ研究所の陽子反陽子衝突型加速器(テバトロン)で1995年に確認されました。
クォーク3個で作られる核子などをバリオン(重粒子)と称します。クォーク2個のメソン(中間子)と合わせてハドロン(強粒子)と称します。宇宙線から見つけられ、また加速器から発見されたあまたの素粒子は、6種のクォークとその反クォークが織り成し生まれたハドロンで、つかの間の存在を示しまたたく間に崩壊していくのです。
1896年のウィルヘルム・レントゲンによる手のX線撮影は一般人をも驚愕させる出来事でしたが、多くの研究者を未知の放射線(X線)研究に走らせ、20世紀の物理の主要議題にします。レントゲンは1901年第1回のノーベル賞を得ますし、マリー・キュリーは自身名付けた放射能の研究で、夫ピエールとアンリ・ベクレルとで1903年のノーベル賞に輝きます。なおかつ1911年にはラジウムの発見で化学賞も得ます。自然科学で2度も受賞するといういまだ他の人のなし得ない快挙ですが、放射線研究の成果はそれまでの素粒子感であり最小単位である原子のイメージをくつがえしただけではなく、重力、電磁力に次ぐ新しい力の発見でもありました。
中性子のβ崩壊など、粒子を崩壊させ種類を変えてしまうのが弱い力です。弱い力は電磁力の千分の一しかありませんし、その作用範囲は強い相互作用の百分の一です。ちなみに重力と電磁力の作用は無限に及びます。
シェルドン・グラショウ、スティーヴン・ワインバーグ、アブダス・サラムなどが、これほど違う弱い力を電磁力に取り込もうとします。
まず、弱い相互作用のボース粒子(弱ボソン)としてWボソンを考えます。弱い力はすべてのクォークとレプトンに働きます。その際の反応で電荷が保存されるためには、Wボソンにはプラス、マイナス、中性の3種類が要求されます。スピンは光子と同じく1です。すでに1938年にオスカー・クラインが、中性子のβ崩壊の際にW粒子(正確にはW−)なるものが飛び出すと提唱しています。さらにW粒子が崩壊して、電子とニュートリノになるというわけです。
n0→p++W−→ p++e−+νc
荷電のWボソンが弱い相互作用を担っているわけですが、中性のWボソン(W0)は実は光子と同一である、と量子電磁力学の立役者シュウィンガーが1957年に唱えます。電磁相互作用と弱い相互作用の舞台は繋がっていて、視点を変えれば同一の舞台になることを示唆するものです。
しかし問題があります。Wボソンは巨大な質量を持っているのです。質量を持ったボース粒子が働く場は、繰り込み不可能となります。つまり発散してしまうのです。また、ニュートリノが左巻きしか存在しないことも、光子とW0の違いを際立たせます。
素粒子には属性の一つとして、右巻き左巻きがあります。光子は左右巻きの電子と作用するのに、W0は左巻きとしか作用しないのです。どういうわけか素粒子を踊らせる演出家は、弱い力の舞台では右巻きを無視することになります。パウリは「神が軽い左利きであるとは信じ難い」と嘆いたと言います。
そこでグラショウは、左右巻きに作用するB0ボソンなるものを想定します。すべてのレプトンとクォークは弱荷という属性を持ち、その間で弱い相互作用を働くゲージ粒子がB0ボソンだとするのです。そしてシュウィンガーの考えたW0は、実はW0とB0の重ね合わせであるZボソンであるとしたのです。光子はW0とB0のもう一つの重ね合わせとなります。光子の質量が0なのに同じ成分のZボソンが巨大質量である問題は、ヒッグス粒子を導入すことで解決を図ります。
この空間は実はヒッグス粒子なるボース粒子で満たされた海で、WボソンとZボソンが走ると抵抗を受け減速すると言うのです。それは、本来は質量を持たないWボソンとZボソンが、質量を得ることを意味します。これで繰り込みが可能になります。
ピーター・ヒッグスが1964年に予言したヒッグス粒子は、宇宙創生直後の灼熱の中では蒸発した存在だったものが、宇宙が冷える過程で下向きの弱アイソスピンに相転移したものです。相転移とは、水蒸気が水になったり氷になったりすることです。その際に、否応なくある種の方向が選ばれます。糸にぶら下げた針は真っすぐ下を向いていますが、地面に接した途端ある方向に倒れます。地面に対称だったものが、糸が緩んだことである選択をしたことになります。このことを「自発的対称性の破れ」と呼びます。
対称性が破れ下向きの弱アイソスピンを選んだヒッグス粒子は、Zボソンに質量を与えますが、同じ成分ながら重ね合わせの違う光子とは作用せず、光子はヒッグス粒子の海の中を光速で通り抜けていくのです。場の量子論はある意味で、デモクリトスの言った真空を否定し、アリストテレスの「物質が存在しない空間は存在しない」ことを認めると言えます。
ボース粒子に限らずフェルミ粒子においても、別種の粒子と思われるものが実は属性の違いだけなのではとの考えは以前よりありました。陽子と中性子は同じ粒子で、アイソスピンという属性が2つを分けるということです。上向きのアイソスピンが陽子で、下向きが中性子となります。これまた根源物質を想定したアリストテレスが、一面では正しかったと言えるのかも知れません。
同様にレプトンにおいて、電子とニュートリノが同じものであるとするのが弱アイソスピンです。上向きが電子で、下向きになるとニュートリノになるのです。そしてWボソンとZボソンは、この弱アイソスピンに働くゲージ粒子です。素粒子が崩壊して変化する際に、その動きを相殺するようにWボソンとZボソンが働くのです。
e→ν+W− ν→e+W+ (荷電カレント反応)
e→e+Z0 ν→ν+Z0 (中性カレント反応)
粒子が種類を変える(荷電カレント反応)際にはW粒子が放出され、種類を変えない弾性散乱(中性カレント反応)ではZ粒子が放出されるとも言えます。
Zボソンは光子と同じものであるが、ヒッグス場という対称性の破れが、電磁相互作用と弱い相互作用を別物の現象にしてしまったのです。
グラショウの理論を推し進め、ワインバーグとサラムは1968年に電磁力と弱い相互作用を統合する電弱相互作用を説明する、ワインバーグ−サラム理論を打ち立てます。クォークも弱アイソスピンの属性を持ちWボソンZボソンがやり取りされ、クォークもレプトンもヒッグス粒子の海で質量が与えられるのです。
3人は1979年にそろってノーベル賞を受けます。WボソンZボソンはCERNで1983年に発見され、その質量はそれぞれ80GeV、90GeVと理論値にかなっていました。2000年9月には、CERNでヒッグス粒子発見かとの報道がなされましたが、どうも間違いだったようです。しかしヒッグス粒子の発見は、時間の問題と見られています。
こうして場の量子論である電弱理論と量子色力学は、素粒子を述べる「標準理論」と呼ばれるようになります。そしてこの2つの統合を完成することが、現在の理論物理学に課せられた近々の目標です。
写真等提供:東京大学宇宙線研究所
「アインシュタインの世界」L・インフェルト(講談社ブルーバックス)
「図解雑学 量子力学」佐藤健二監修(ナツメ社)
「図解雑学 量子論」佐藤勝彦監修(ナツメ社)
「超ひも理論と宇宙」吉川圭二(裳華房)
「マリー・キュリー」フランソワーズ・ジルー(新潮社)
http://www3.justnet.ne.jp/~yoshida-phil-sci/L1_00.htm(20世紀の宇宙像)
http://www.din.or.jp/~k3938/nazo/2-1.htm(宇宙の謎に迫る)
「ホーキング、宇宙を語る」スティーヴン・ホーキング(早川書房)
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物理学に素人のものが書いています。間違い、勘違い、見当違
いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。 塩野梅也
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