んだんだ劇場2003年9月号 vol.57
No2  タイと日本へ里帰り

夏休み 
 夏休みをとってタイと日本に里帰りした。約1年ぶりだ。最初にタイはチェンマイの家に戻った。ここには私たちの膨大な荷物とともに、夫の弟が住んでいる。チェンマイ空港のすぐ裏なのでほぼ一時間ごとにものすごい音と振動とともに飛行機が発着していくのが難点だが、放浪中の私たちの荷物とともに友人の家に居候していた弟が根を上げて以来、もう3年もお世話になっている家である。
 雨季のはずなのになぜか毎日いい天気。弟によると今年は異常に雨が少ないとか。今年はやけに雨が多い北京の夏と実に対象的である。やはり異常気象なのだろう。雨でじめじめしていないのはいいが、本当に不気味である。
 うちの近所には放し飼いにされている犬がたくさんいるので娘は大喜びである。タイでは犬は放し飼いにするものらしい。犬たちにとっては幸せなことだが、自転車やバイク、時には車にまで吠え付いてくるので人間にとっては甚だ迷惑である。そんなわけで犬が来るといそいそと近寄っていく娘の後を追い回す羽目になってしまった。
 買い物をしたり人に会ったりしてあっという間に日は経ってしまったが、そのうちの1日、エイズで両親を亡くし、自らもエイズウィルスに感染した子供たちが暮らす家バーンロムサイを訪問した。2歳から12歳までの約30名弱の子供たちがタイ人の保母さんと日本人のボランティアとともに生活している。たくさんの木が生えている広い庭で竜眼というチェンマイ特産の果物の木に登って実を食べる子供たち。ボランティアとともに陶芸をしたり、自転車を乗り回したりしている子もいる。なんともいえず気持ちのいい空気が流れている。娘を見つけた子供たちに、
 「この子何歳?」
 「名前はなんていうの?」
 と質問攻めにされ、久々の私のあやしいタイ語で話をしたが、いやいやなんともかわいい子供たちであった。今回訪問するきっかけとなったAさんにいろいろお話を伺う。自分が感染者であると知っているのは年齢が比較的高い3人の子供たちのみとのこと。ただその子たちも告知されたあとはその事実をじっと自分の胸にしまい、親代わりである保母さんとも感染について話すことはないらしい。苦しいことやつらいことを胸にしまっておくのはしんどいことだ。誰かに話を聞いてもらうだけでもだいぶ楽になる。いつか子供たち同士でそんな話をお互いにできるようになったらいいだろうな、と思いながらバーンロムサイを後にした。
 次の日にバーンロムサイのAさんと彼女の婚約者と一緒に食事をした。私はチェンマイに日本人の友人がほとんどいないのでとてもうれしかった。しかも日本人女性にタイ人男性という同じ立場の友人、とても貴重である。彼女の婚約者もビールが大好き、話し好きですっかり夫と意気投合。我が家で焼肉パーティだったのだが、Aさんの婚約者がてきぱきと立ち働き、なんだか逆にもてなしてもらってしまった。
 「彼はホテルで働いてるから腰が軽い(面倒がらずになんでもやる、という意味)のよ。」
とAさん。そういえば数少ないチェンマイでの日本人の友人の一人、Jさんの夫(やはりタイ人でカレン族)もそんな感じだ。これはタイ人独特のものなのか、偶然なのか。まあ、どちらにしても妻である私たちは幸せである。
 「いいよなー、日本女性と結婚して。日本女性って男性に優しくて、とってもよく面倒を見てくれるんだってね。」
と昔の日本女性のイメージしかないタイ人の友人にいつも言われている夫にはちょっと気の毒だが。
 一週間の滞在のあと、日本へ向かう。実家に着くとなんだか湿気が高くムシムシしている。暑い。なんだかチェンマイよりも暑い気がする。1年ぶりに会う母親は相変わらず元気だが、父親はまた老けて小さくなってしまった気がしてさびしい。いつも日本に帰るたびに気ままな放浪生活から急に現実に引き戻されて胸が痛む。
 両親の反対を押し切って結婚したため、初めて揃って実家に戻ったのは娘が生まれた後のことだった。あれから2年、娘が何か芸をするたびに一緒に喜んでくれる両親を見ていると感謝の気持ちとなんだか申し訳ないような気持ちの入り混じった複雑な気持ちになる。
 今回娘はおじいちゃんを味方につけて、反対する私を尻目に水戸で一番おいしいお店のケーキを食べるのに成功した。いつもは食べられないお菓子を食べたり、遅くまで起きていたりとやりたい放題であった。
 そしてあっという間に楽しい夏休みは終わり北京に戻ってきた。空はなんとなく曇っているがカラッと乾燥した空気がなんとも気持ちよい。娘はお菓子の入った棚を指差して、
 「食べたい、食べたい!」
 と大騒ぎである。やれやれ。

みかん
 2000年の10月に仕事で初めて中国にやってきた。やはり予防接種関係の仕事である。北京はすでに寒く、空はどんよりと灰色だった。ちょうどそのとき妊娠3ヶ月だった私はつわりの真っ最中。あいにく地方での仕事が多く車での移動の毎日だったので、食事のために停車するとまずトイレにいって吐いて、それからヘビーな中華料理を食べるというなんともおえおえな毎日であった。
 そんな私を救ってくれたのはみかんだった。中国のみかんはすっぱくてとてもおいしい。私はすっぱいみかんが大好きなのだ。残念なことに今の日本のみかんはとても甘い。ちょっと前まではすっぱかったタイのみかんさえも、今ではハニーオレンジなどといって甘いものがほとんどなのである。
 だからあのつわりのとき、私は毎日毎日すっぱい中国のみかんを食べていた。あのみかんが私をおえおえ地獄から救ってくれたのである。
 あれから約3年が経ちまたみかんの季節がやってきた。昨日初物を食べがやはりすっぱかった。子供のくせにすっぱいものが大好きな娘と2人でぱくぱく食べている横で、すっぱいものが大の苦手な夫が自分まですっぱそうな顔をして私たちを見ている。
 今中国はすごい勢いでどんどん変わっているけれど、どうかこのみかんだけは変わらずにこのままでいてほしいなあと思う。

中国のトイレ
 中国のトイレはすごい。本や雑誌などにもいろいろ書かれているので、ある程度はわかっているつもりの私であった。
 中国で仕事を始めて、初めての出張。中国の西部の農村地域へ行った。訪問したのは郷(中国の行政単位でいくつかの村が集まって郷となる)の保健所。予防接種関係の仕事なので、その関連の資料や施設を見せてもらった後、さあそろそろ次の郷へ行きましょうということになった。車での長い移動なので、その前にトイレに行っておくことにした。
 「あのー、トイレは?」
 女性スタッフの一人が中庭の奥にあるトイレに案内してくれた。黄色いレンガの壁で囲われたトイレである。扉と屋根はない。入ると真ん中に四角い穴があいておりウンチがこんもりと山になっている。しゃがんだらお尻についてしまいそうだ。これくらいは覚悟の上だ。気をつけてそーっとしゃがむ。
 と、さっきの女性スタッフがいきなりトイレに入ってきた。ど、どうして??とあせる私。なんと彼女は小雨がぱらついていたので私が濡れるといけないからと傘をさしかけてくれたのだ。
 トイレにしゃがむ私に優しく傘をさしかけてくれるスタッフ。予期していなかった事態に呆然とするも、「結構です。」という中国語も知らないし、途中でやめるわけにもいかず必死になんとか終わらせて「謝謝」と言ってパンツをあげた。
 この中国トイレ洗礼はあまりにも強烈で、来中後まだ間もない私のトイレ価値観をあっという間に中国版に塗り替えてしまった。
 その後、確かに単なる溝があるだけで仕切りもなんにもないとか、蛆虫を踏まないように足場を選んでしゃがむトイレとか、いろんなトイレに遭遇したがあの時のびっくり度には及ばなかった。
 でも最近の都市部のトイレはどんどん改善されて、ホテルのように星でランク付けされたりしている。日本の公衆トイレよりかなりレベルの高いものもある。でもやっぱり、私はいなかのすごいトイレをみると、あー、やっぱりすごいとなんだかうれしくなってしまうのだ。

北京市内の日壇公園内にあるトイレ

これは二つ星トイレ。とてもきれい。


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