んだんだ劇場2003年11月号 vol.59
No4  次の放浪先決まる

次の放浪先決まる
 ここ数日、北京にしては珍しく雲ひとつない青空が広がっている。でも朝晩は10度以下で、もうセーターと暖房のお世話になっている。ついこの間冬が終わったと思ったのに、また冬だ。北京の春と夏はとても短い。今年はSARS騒ぎで春が終わってしまったのでなおさらだ。
 さて、とうとう来年以降の行き先が決まった。また学生に戻って、大学院に行くことにしたのだ。行き先はロンドンである。とはいってもロンドンに住むのは最初の半年程度で、その後はタイのチェンマイに戻って研究をしながら数年過ごし、最後の半年間はまたロンドンに行って論文を仕上げて卒業、という予定である。エイズで親をなくした子供たちの健康と教育について研究することにし、これをきっかけに子供に関わる仕事にたずさわっていきたいと思っている。子供に関わる仕事をしたいというのは昔からの夢だったし、また海外での仕事を始めて以来、なぜかいつも教育とかトレーニングとかいうものに関わることが多かったので、これをもう少し極めたいという気持ちもあったので、こうなったのだ。でも実はこの裏に、表の理由とは別の、もっと必要に迫られた事情がある。それは第一にそろそろ二人目が欲しい!ということ、第二にもっと子供と遊んでやりたい、ということである。
 現在の我が家では、私がお金を稼ぎ、夫が主夫をやっている。実は、これは私が夫にプロポーズした時の条件であった。
「いろんな国に行って働きたいんだけど、ついてきてくれる?」
あの頃まだ私の良いところしか知らず、しかも熱い恋人同士だったので、夫はあっさりと、
「いいよ。」
と言い、私たちは結婚したのであるが、あれから4年、果たして彼が後悔しているかどうかは不明である。
 もちろん最終的にはお互いがやりたい仕事をやって、それぞれが満足して暮らすというのが目標なのだが、子供が小さく、しかも数年ごとの放浪生活を送っている現在は、どうしても夫の犠牲のもとにこういう形をとるしかない。
 そんなわけで、娘は夫と24時間一緒に過ごし、私と過ごすのはウィークデーの朝と夜、それから土日である。毎月一週間程度の出張で家を空けるのはさすがに辛いが、3人ともそれなりに慣れ、なんとかここまでやってきた。
 ところが、この我が家のシステムの弱点をつかれたことがあった。それは私の妊娠出産であった。
 今からちょうど3年前のこと。新しい仕事につくことが決まったと同時に妊娠も判明したので、直接の上司となる人に相談したところ、それでもよいといわれたため契約の準備をしていた。ところが本契約直前になり、さらに上の上司からやはり妊婦はまずいといわれ契約は成立せず、私は無職になってしまったのだ。そのときは幸いにも、出産後子供が3ヶ月になってから、改めて契約することができたのだが、あのときはかなりあせった。夫も私の海外派遣に合わせて準備中で仕事を持っていなかったので、なおさらである。
 幸い、夫婦ともに無職の期間はなんとか無事に乗り切ることができたのであるが、妊娠出産と仕事、しかも放浪生活という組み合わせはとても難しいという、ちょっと考えれば当たり前のことがよーく身にしみてわかった。
 でもこの放浪生活をまだあきらめる気になれない。というわけで、そろそろ第二子にとりかからなければ高齢出産になってしまう私としては、妊娠出産も人に迷惑をかけずに自分の責任である程度なんとかでき、娘にも今よりもっと時間を割いてやることができ、しかもタイではチェンマイに住めば、夫も働くことができて一石二鳥、という大学院生になることを選んだのである。
 勝手に自分たちに都合のよい計画を立てているが、果たしてうまくいくのか??それはやってみてのお楽しみである。

ビザの申請
 私はビザの申請が大嫌いだ。結婚して夫のビザの申請に関わるようになるまでは、ビザの申請がこんなにも大変なものだとは思わなかった。
 ビザの申請所にはいつもぴりぴりと緊張した雰囲気が漂っており、みんなすごく真剣な顔をしている。担当スタッフはもちろん厳しいお顔で、笑顔というものはまず存在しない。そこに行くと、なぜか自分が悪者になった気がする。悪いことなんて全然していなくても、なんだか後ろめたい気持ちになってドキドキと緊張してしまう。あれはビザの申請所というより、どこかの警察の取調べ室のようである。ビザの申請者は審査官を満足させるために、いろいろな書類を準備して、私たちはあなたの国で何にも悪いことはしませんよ、ということを証明しなければならない。そうなのだ、被害者意識なのかもしれないが、ビザの申請手続きの裏には'全てを悪人と思え'という原則がしかれているような気がしてならない。
 日本人のパスポートでは簡単にとれてしまうビザも、タイ人のパスポートでは驚くほど難しい。ここでも世界における差別というものが見えてくるような気がする。
 さて、結婚後初めて夫が日本に行くときにビザを申請した。初めてのときは結構いろいろな書類が必要な上、偽装結婚でないことを確かめるためと思われるインタビューもある。あれは緊張した。映画で'グリーンカード'というタイトルのアメリカの永住許可証を巡る偽装結婚の話があるのだが、その偽夫婦の二人がインタビューに備えて、お互いの趣味や使っている化粧品などを一生懸命暗記していたのを思い出した。映画の中では夫の方がインタビューでへまをして結局祖国に送還されてしまうのだが、偽装結婚でなくたって、意外にお互いのことは知らないものだ。
 私たちの場合は夫が先にインタビューされた。インタビューを終えて出てきた夫が、
「どっちが先に好きになったのか、って聞かれちゃったよ。」
という。なんと。これはかなりの難問だ。私に言わせれば夫が先だし、夫にしてみれば私が先なのだ。
「それでなんて言ったの?」
と聞くと、
「もちろん、君が先だったって言ったよ。」
私は不服だったが、仕方がない。
「他には何聞かれたの?」
と聞くと、
「君が僕のどんなところを好きかって。」
それには、料理が上手なところと答えたらしい。
 こんな打ち合わせをするスキを与えていいのかどうか知らないけれど、さて私の番になった。どっちが先かの問題のあとに、今度は予想通り、
「彼のどんなところが好きなんですか?」
と聞かれた。
「結構優しいところと料理が上手なところですかねー。」
と答え、あっさりとインタビューは終わった。
 こんなインタビューでは偽装結婚だろうが本物だろうが、見分けがつかないような気もするが、まあ無事にビザがとれたのでほっとした。
 今度イギリスに行くとなると、またまたビザの申請である。ああ、頭が痛い。

我が家の言語環境
 うちの言語環境は複雑である。いつも決まって聞かれるのが、
「家では何語で話してるの?」。
夫はタイ人だが、その中でも北タイに住むカレン族という少数民族の出身である。夫にとってはカレン語が母国語(母族語?)であり、一番流暢である。そしてもちろんタイ語、それから英語を話す。中国に住んで2年になる今では中国語もまあまあ話す。日本語は数年来勉強中であるが、結婚して以来日本に住んだことがないので話すのは苦手。私は日本語、英語の他、カレン語ちょっと、中国語、タイ語もちょっとという感じである。
 出会った頃は英語で話していた。カレン語に慣れてくると、なにしろひとつひとつの単語が短いし文法も比較的シンプルなので、カレン語と英語の両方を使うようになった。夫が突然日本語の勉強にめざめたときは日本語の割合が増え、あまりにも意思疎通ができないのにいらいらしてくると、また英語とカレン語のちゃんぽんにもどる。極めて流動的である。
 しかし娘が生まれてからは変わった。娘には少なくともキチンと両親の母国語を話して欲しいので、私は娘と話すときは百パーセント日本語で、夫は百パーセントカレン語で話すようにしている。
 では、夫と私が話すときは?昔とくらべると夫の日本語理解力はだいぶ向上したので、今では私が日本語で話し、夫は英語で答える場合も多い。もちろん理解不能な場合やちょっと込み入った話のときは英語である。
 娘が大きくなって家族で会話するときは?うーん、どうなるのだろう。ある多言語家族では父親、母親、子供がそれぞれ違う言葉で話し、それでも会話が成り立っていると聞いたことがある。うちの場合に当てはめれば、夫がカレン語で、私が日本語で、娘が英語で話すという感じだろうか。外国語って聞けばわかるけど、話すのはなんとなく苦手というのはよくあることで、これはまさにその例なのであろう。みんな、お互い何を言っているのか理解していて、でも自分が話すときは自分にとって一番話しやすい言語を使うということ。でも、これは親にはちょっと大変かもしれない。だって、私にしてみればカレン語をかなりのレベルまで理解しなければいけないということだし、夫にしたら日本語をちゃんとわかっていなければならないということだ。
 「そんな複雑な言語環境で子供は混乱しちゃうんじゃないの?」
ともよくいわれる。でも子供は、大人が考えている以上にすごいのではないかと最近思っている。
 今、娘は4つの言語環境で暮らしている。私とは日本語、夫とはカレン語、そして日中はお手伝いさんや他の子供たちと中国語、そして聞くだけではあるが私と夫が話す英語。観察していると、どうやら相手によって言葉を使いわけているようだ。
 例えば、私には「ママ、だっこ」。夫には「パパ、チョ(カレン語でだっこという意味)」。また、娘は私にはいつも日本語を話すので、彼女がどのくらい中国語を話せるのか、私は知らなかったのだが、この間お手伝いさんと娘と私で近くの公園に行ったときに、娘がお手伝いさんに中国語で話しているのを聞いて結構びっくりした。また、娘にはわからないだろうと思って夫と英語で話しているとそれに口を挟んできたりして、英語も少しは理解しているらしい。
 2才の子供が人によって言葉を使い分けられるなんて、驚きである。少なくとも彼女にとっては、父親と母親とそして他の大人たちがそれぞれ違う言葉を話すのは当たり前なのだ。
確かに、両親とも日本人の家の同年代の子供と比べると、彼女は話し始めたのも結構遅く、
「まなちゃんはあんまりお話ししないよね。」
といろいろな人に言われて、かなり心配した。でもあるとき、多言語環境で生活している子供は言葉の出るのが遅いけれど、でもある時突然どの言葉も話せるようになる、と聞いたのでちょっと安心した。
 いろいろ心配もするけれど、きっとなんとかなるのだろう。もちろんこれからタイ語も英語も話して欲しいけど、とりあえずは日本語とカレン語をしっかり話せるようになってくれればそれでいいなあ、と思っている。そしてそのうちに、カレン語、タイ語の通訳もしてくれたらいいなあ、と期待している。さらには、私と夫のめちゃくちゃ英語も「違うよ、それはこういうんだよ」なんて直してくれたらうれしいなあ。ちょっと欲張りかな。


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