んだんだ劇場2003年1月号 vol.49
No10
2章 宇宙の地図を作る

銀河まで何年
 地図の作成を生業にしていたコロンブスが西回りの航路でアジア(ジパング)を目指したのは、地球が球形であると確信していた(のちに出っ張りのある洋ナシ型を信じるようになるが)からですが、そこまでの距離を知りませんでした。地球自体の大きさは緯度1度分の距離が分かれば計算できますから、かなり正確な数値も出ていましたが、大陸の大きさも海の大きさも分かりません。
 コロンブスは日本までの距離を実際の1/4程度に推測していたようです。これで航海に出るのは、マラソンの競技に1万メートル走のつもりで出場するようなものです。その上間抜けなランナーよろしく、自分たちがどこを走っているのか分からなくなります。陸地づたいでは位置を知り得ても、沖に出れば無理となります。方角はコンパスで求められますが、目印一つない海上で距離を測るのは至難の業です。星空を観測して北極星で緯度が分かりますが、正確な時計がないことには経度を割り出せません。
 でもこれはコロンブスに幸いしたかも知れません。もし正確に経度を測れたら、アジアへの道のりがいかに困難であるか悟り途中で引き返していたでしょう。もっともコロンブスは天文航法を端からしていません。適当な緯度(ジパングと同緯度)に進んでからは、ただひたすらに西を目指しただけです。本人は違うと言うかも知れませんが、さらに幸運なのは、アジアとの間にアメリカ大陸が横たわっていたことです。誤解と誤解が重なって中国に到達したとさらなる誤解をしましたが、新大陸の(再)発見です。
 地球上においてもかように位置を定め距離を求めることは難しく、だからこそコロンブスの幸運を待つまで地球の全体像は浮かんできませんでした。これを宇宙まで拡張すると、距離の算定は地球の比ではありません、難問中の難問です。が、まずは位置の決定です。

 肉眼で天空を観測しはじめた人類は、まずは位置を記述できるように、恒星を目印にします。恒星はおのれの重力を支えて自ら光り輝いていて、一定不変に天空を運行しているように見えるからです。神話や伝説で彩られた星座という、恒星を具象的にグループ化することで、天空に地図を作っていきます。この中にはよその銀河も入っています。アンドロメダ銀河などはぼんやりと小さな雲(星雲)のように見えましたが、我々の銀河(銀河系)にあるものと思われていました。肉眼で見えるのはここまでです。他に大小のマゼラン星雲がありますが、西洋人にはヴェスプッチやマゼランが南半球に航海するまでは未知のものでした。銀河系がすなわち宇宙だったと言えます。星座はそこに領土を占め、天空の地図ができあがっていきます。
 この地図を背景に、太陽と月の特有の動きを記述し惑星の不規則な運行を説明しようとしましたが、地球を中心に置いていることで、その記述は複雑難解になります。占星術が活躍し神学が口を挟むのを許します。太陽の通り道(黄道)に現れる星座は、むりやり12に分割され1年の12ヶ月が割り当てられます。この黄道十二宮と惑星の動きが人の運命を左右する、と占星術師は説きます。太陽を中心に置く地動説は、1610年にガリレオが望遠鏡で木星に4つの衛星を発見(太陽系の縮図を見るようなもの)して決定的になりますが、そのガリレオには幽閉という神罰が下ります。
 一方で、地球が中心でも地図の有用性は変わりませんが、座標を持たない地図は稚拙としか言えません。プトレマイオスはすでに2世紀に、地球という球体を羊皮紙に表示するため緯線・経線の導入を考えつきました。余談ですが、1000年の断絶の後、西洋に復活したプトレマイオスの地球像は、ユーラシア大陸を過大に捉えるものでした。つまりアジアまでの海路が短いということで、これがコロンブスに西回りの航海を決意させる大きな要因となったわけです。
 宇宙の地図作りでも、恒星が張り付いていると考えられる天球に目盛を刻む必要があります。観測者が高度と方位を指定するだけでも位置を特定できます(地平座標)が、これでは観測地や時間で天体は座標を変えてしまいます。地球の緯度経度を天球に投影すれば、地球から見て不動に見える天体は一意的な座標を持つことになります。地球の赤道を天球に投影したのが天の赤道です。南から北に向かう黄道と天の赤道の交点が春分点で、ここを赤経の原点として0時とし一周で24時とします。地軸の延長線上が天の北極と南極で、それぞれ赤緯90°、−90°となります。これが赤道座標で、一般の星図(地図)・星表(カタログ)に使われています。
 天の北極はほぼ北極星と一致しますが、それはただの偶然です。地球は地軸を中心に自転しながら、地軸自身も回転しています。傾きながら回っている独楽の首振り運動と同じです。地軸は黄道面に対し23.5°傾いていますから、天の北極は半径23.5°の円周を移動していくことになります。2100年頃までは天の北極は北極星に近づいて行きますが、それ以降は大きく離れて行き、北極星という名が体を現さなくなります。もっとも一周には約26.000年かかります。これが歳差運動と呼ばれるものです。
 春分点も26.000年で一周しますので、占星術が作られた2000年前と今とでは黄道十二宮に1ヶ月近くのずれが生じています。牡羊座にあるべき春分点は現在魚座にあります。自分の星座を牡羊座と思っている人の本当の星座は魚座ということになります。他にも天体の独自の運動があります。膨大な距離が天体を不動のものに見せていますが、実際は大変な速度で相対運動をして、星座の形は時とともに変化していきます。これらは一意的な座標にずれを持ち込みます。それでも現代の占星術師には御構い無しかも知れませんが、実際の観測に使われる赤道座標は長期の時間経過で修正されなければなりません。赤道座標には時期の明示が必要です。
 望遠鏡の発明は地動説を確固としたものにしたのみならず、肉眼では知られなかった多様な天体を浮かび上がらせました。天の川が星の集団であることを、望遠鏡で発見したのもガリレオです。シャルル・メシエは生涯を彗星の発見にかけましたが、18世紀後半、その邪魔になるまぎらわしい星雲などをリストアップした100余のカタログも作ります。M天体と呼ばれるものです。本人の意向はともかく、こちらの方で後世に名を残しています。栄えあるM1はかの超新星残骸カニ星雲です。ウルトラマンの故郷とされるM78星雲もその一つです。
 1924年エドウィン・ハッブルは、アンドロメダ星雲(M31)が銀河系の外にある銀河(系外銀河)であることを明らかにします。最初の系外銀河の発見です。望遠鏡の発達は、M天体の4割近くが実は、系外銀河であることを明らかにしていきます。さらに写真乾板の向上で、それまで無理だった暗い天体も捉えられ、天空は銀河系の千億個の恒星だけでなく、それと同等の数の銀河で埋め尽くされていることが分かってきました。銀河の地図が必要となります。
 夜空を見上げれば分かる(都会では無理だが)ように、天の川は視界を大きく分断しています。銀河系は中央部が多少膨らんだ薄い円盤状で、半径5万光年の渦巻き銀河と呼ばれるものです。太陽系は中心から約3万光年の地点(最近になってもっと中心に近いと考えられてきましたが)にあり、そこからの銀河の眺めが天の川となります。
 銀河座標は太陽を原点とする角度座標系です。天の川の円盤面が銀緯の基点で、+90°が銀河北極、−90°が銀河南極です。銀河中心方向が銀経0°で東回り一周で360°となります。銀河座標は天体の分布や運動を記述するのに用いられ、銀河系の構造を調べるのに便利です。同時に高銀緯度は天の川に邪魔されない系外銀河の分布を示すはずです。
 リック天文台は観測した銀河を円形の銀河座標にプロットしました。円周が銀緯0°で、中心が銀緯90°(銀河北極:かみのけ座方向)です。銀経は円周上に投影されることになります。これはまさに銀河の中心に立って系外銀河を見上げた図です。当然、円周近く(銀河面)は天の川に遮られ空白地帯になりますが、あとは一様に銀河が分布するものと思われました。しかし結果はそうとも言い切れないものでした。なんらかの構造を示しているとしてもおかしくないのです。はっきりさせるには位置を定めただけの2次元の銀河座標では無理です。3次元の座標へのプロットが必要となります。すなわち銀河までの距離が測られなくてはならないのです。

 アインシュタインは1915年に重力を説明する一般相対性理論を作り上げます。これは場の方程式として宇宙の全体像を記述できます。相対論の発表からわずか2年後、宇宙の仕組みを解き明かすべく相対論を用いた宇宙模型を提示します。この宇宙を未来永劫(大局的には)変化しない静的なものとするものでした。アインシュタインは宇宙をそのように思っていましたから、宇宙項なるものを方程式に加えて、自身の宇宙観と方程式の一致を図ったのです。
 これに対して1922年、アレクサンダー・フリードマンはこの作為的な宇宙項を削除して、宇宙が一様等方であることのみを前提として解を求めました。フリードマンの宇宙模型には主要な解が3つあります。収縮と膨張を繰り返す宇宙、無限のかなたから収縮してきてある時点で無限の膨張に転じる宇宙、無から始まり静的状態へ緩やかに膨張する宇宙です。この5年前にアインシュタインの宇宙模型が提示されるや否や、ヴィレム・ド・ジッターは物質の存在を無視した模型(宇宙はほぼ無と言っていいほど空虚)で、のちにインフレーション理論で注目されることになる急膨張を起こす解を得ていますし、5年後の1927年には、ジョルジュ・ルメートルが突然膨張を始める宇宙を提案しています。当時では驚くべき動的宇宙観であり、広く受け入れられたと言えるようなものではありませんでした。どれが正しいか、一番の判断は観測です。
 エジプト王ケフェウスと王妃カシオペアの娘がアンドロメダで、これをお化けくじらから救う王子役が大神ゼウスの子でありメドゥーサの首をちょん切った勇者ペルセウスです。そのメドゥーサの血から生まれた天馬が、ペルセウスの跨るぺガススです。ギリシャ神話の中でも有名なこの物語の主人公たちは秋の夜空の星座としても名を留めています。
 ケフェウス座のδ(デルタ:4番目に明るい)星は約5日の規則正しい周期を持つ変光星で、後に同様の変光曲線を示すものをセファイド(ケフェウス型の英語読み)変光星と呼ばれるようになります。ハーバードカレッジ天文台で星のカタログ作成に従事していた女性職員のヘンリエッタ・レビットは、セファイド変光星の明るさと周期に相関があると1912年に発表します。小マゼラン雲で見つかった25個がそうだったからです。マゼラン雲が(当時の感覚では)非常に遠くにある星の集団であることはすでに分かっていましたから、すべてがほぼ同距離にあるとできます。そこに周期が倍になれば明るさも倍になる比例が存在したのです。
 ハッブルはウィルソン山天文台で1919年からガス状星雲の観測を続けていましたが、1923年にアンドロメダ星雲にセファイド変光星を見つけて、その距離を90万光年と算定します。のちにアンドロメダのセファイドはレビットの見つけたものと違う型(種族T)のものであることが分かり、現在では230万光年ほどと考えられていますが、どちらにしろ銀河系を大きく上まわるスケールで、アンドロメダ星雲が系外銀河であることを明らかにしたのです。
 セファイド変光星を利用することで、近くの銀河までの距離を計算できるようになりましたが、それもせいぜい1300万光年止まりです。遠くの銀河は、一定の光度を持つと想定できる超巨星を指標に使います。さらに遠くの銀河は、どの銀河も全体としてはほぼ同じ光度であろうという前提で、銀河の光度そのものを指標とします。光度は距離の二乗に反比例しますから、これで銀河までの距離が推定されるのです。もっともかなり荒い数値と言わざるを得ません。
 一方で、これらの銀河のスペクトル(分光)が集められます。観察してきた銀河を距離順に並べ、その銀河の発するスペクトルをプロットしていきます。そして1929年、ハッブルはかなり強引な結論ながら、遠くにある銀河ほどそのスペクトルが赤い方に偏よる(赤方偏移)相関関係を見つけます。
 近づいてくる救急車のサイレンは甲高く、遠のくそれは低く聞こえます。音源が近づくことで振動数が増し音が高くなり、遠ざかれば振動数は減り音が低くなるわけです。音波に限らず波動では必ず起きます。これがドップラー効果で、当然光も影響を受けます。近づく光源の光は紫側に偏り(青方偏移)、遠ざかるものは赤い方に偏ります。これだけでは基準が示されないので銀河には役に立ちませんが、恒星の輝きの集まりである銀河の光は大気や星間ガスを突き抜けて来ています。その際の物質は特有の波長を吸収し、スペクトルに暗い線(吸収線)を残します。ちなみに輝く大気は明るい線(輝線)となってスペクトルに現れます。ともにドップラー効果を受けます。大気はまず間違いなく水素やヘリウムを含むので、吸収線の相対位置からその物質を推定できます。後は静止光源でとったその物質のスペクトルを指標とすれば、偏移を測れます。スペクトルは大気物質の正体や荷電状態を教えてくれるばかりでなく、光源の相対速度を知らせてくれるのです。
 ハッブルの結論は、遠くにある銀河ほど早い速度で遠ざかっているというものです。これは宇宙が膨張していることを示しています。風船の表面にいくつか点を描きこれを膨らませますと、各点は遠ざかり離れた点ほど(風船の表面上を)大きく遠ざかります。風船の表面を3次元にしたものが、この宇宙だということになります。各点は銀河団(銀河の集団)を表していますがこれは膨張しません、銀河団の間の空間が膨張しているのです。
 アインシュタインの静的宇宙模型は否定されたのです。フリードマンらが考えた動的宇宙です。ハッブルはド・ジッターの解を承知した上での研究と思われますが、もたらした衝撃は大変なものです。ウィルソン山天文台にハッブルを訪ねたアインシュタインは、宇宙項の導入を生涯最大の過ちだと嘆きます。
 とても詳細は語れませんが、いまだに実に様々な宇宙論が取りざたされています。宇宙が急激に膨張したとするインフレーション理論一つとっても、宇宙の大爆発(ビッグバン)が先かインフレーションが先か決着がついてないし、真空のエネルギーなるものが宇宙の膨張を説明するものとして取り上げられると、それを、ガリレオ以前に天界の元素と考えられたクインテッセンス(第5の元素)を持ち出して説明するものも現れます。宇宙は現在膨張を加速させていて、これはとりもなおさず宇宙項のなせる業で、アインシュタインは間違っていなかったとの見方もあります。どの宇宙論が正しいのかは、どの宇宙論が最も良く実際に合致しているかです。そのためにも宇宙の3次元地図が必要となります。

 銀河までの距離と後退速度に相関があるということは、相対速度が分かれば距離が分かるということです。すなわち、スペクトルの赤方偏移と距離は等価です。ただし、偏移が大きくなると相対論的補正が必要となります。
Z=(観測の波長−本来の波長)/本来の波長 (Z:赤方偏移)
v=cZ (v:後退速度 c:光速) (Zが十分に小さい場合)
v=cZ(Z+2)/(Z2+2Z+2) (Zがおおよそ0.1程度を超える場合)
ハッブルが発見した後退速度と距離の相関は、遠く離れた銀河に次のように適用されます。
v=H0R (H0:ハッブル定数 km/s/Mpc R:距離)
ハッブル定数は1メガパーセク(326万光年)あたりの速度で、これで銀河までの距離が算出できるわけです。しかし残念ながら、ハッブル定数は50から100の間と考えられていますが、はっきりした数値を出せるまでには至っていません。
 大マゼラン星雲で超新星爆発(SN1987A)が起きた際、その距離は16万光年とも17万光年とも言われました。隣の銀河までの距離さえかような有様で、まして近くの銀河を基準にして求める遠く離れた銀河となると、推して知るべしで桁さえ合っていれば良しとすべきものです。今後出てくる億光年という単位の数値は非常に大雑把な目安でしかないことをご了解ください。
 不動産屋の駅まで何分という広告と五十歩百歩ですが、そんなあいまいな距離値も相対的な位置は教えてくれます。曲がりなりにもこれで銀河の3次元地図を作れます。

宇宙の島々
 コロンブス以前にヴァイキングがアイスランド、グリーンランドしいてはアメリカ大陸北部へ到達したのは、位置認識の未熟さがもたらした幸運とも言えますが必然でもあります。たまたまそこに島があったという偶然の産物ですが、大洋と呼べるような海はなく島々がひしめいている高緯度地帯で、大陸と言っていいグリーンランドやアメリカが発見されないほうがおかしい。もちろんその陰では、数え切れない不運が名もなき人々を北極海に沈めたことでしょう。しかもヴァイキングの発見はヴァイキングの仲間内でしか伝わらなかった。
 コロンブスが功罪はともかく歴史に名を残しているのは、偶然に新大陸に到達したということより、西洋と新世界が結びついたことによる劇的変化のせいです。キューバの発見だけで終わっていたらなにほどの事があったでしょうか、南極大陸の発見者をどれほどの人が知っているでしょうか。発見の難しさではなく、発見がもたらす影響がその発見の評価を定めるのです。
 宇宙の探査では、事実上、光が唯一の手がかりです。光がいまだ届かない領域は地平線の彼方にあることであり、光速を超えて遠ざかる領域は想像の域に属するしかありません。我々の観測し得る光が、我々の知り得る宇宙のすべてということになります。その中で未知の天体を見つけるには幸運に頼らざるを得ないが、既知のものでもその重要性を知るには運が必要となります。明るい天体は近くにあり暗いのは遠くにある、とは必ずしも言えませんし、ありふれた光としか思えなっかたものに、特別の秘密が潜んでいるやも知れません。その正体の発見が宇宙観を大きく変える影響を及ぼすのです。

 恒星のスペクトルを集めることで星の分類が進みます。星の表面温度を反映したスペクトル型が作られ、高いほうから順に、O B A F Gと並べられます。酸素を多く含むものはこれに、K M L Tと続き、炭素の多いものは、R Mと続きます。また酸化ジルコニウムの吸収線の強いものは、Sと分類されます。各型は温度の高い順に、0から9まで数字が割り振られ10段階に細分化されます。ちなみに太陽はG2、G型の3番目の温度に分類されています。
 アイナール・ヘルツシェプルングとヘンリー・ラッセルは別々に、恒星の明るさとスペクトル型の相関分布を探る作業を始めます。のちに二人の頭文字をとってHR図と呼ばれるもので、横軸にスペクトル型を高温順にとり、縦軸に絶対等級を暗さ順にとったグラフを作り、恒星をプロットしていきます。
 絶対等級とは10pc(32.6光年)の距離で見たときの等級です。肉眼で見えるもっとも暗い星は6等星で、1等級下がるごとに光度は2.5倍になります。1等星は6等星の2.55倍、つまり約100倍の光度を持つことになります。太陽を除いて、全天でもっとも明るい恒星シリウスで−1.5等星です。太陽は−26.9等星ということになりますが、これを絶対等級に直すと4.7等星です。
 HR図が明らかにしたことは、プロットした星の90%がある相関を示す比較的狭い範囲に収まったことです。それは左上の高光度高温スペクトル型の領域から、右下の低光度低温スペクトル型への右下がりの範囲です。これが主系列です。
 主系列にある星はすべて核融合で水素をヘリウムに変えています。太陽のような星は100億年間主系列に留まりますが、O型の超巨星などはわずか1000万年で主系列を離れます。主系列を離れた星は惑星状星雲なり超赤色巨星なりの領域に移りますが、いずれは白色矮星になって静かに消えていくか、超新星となって華々しく散っていきます。

 望遠鏡の発達は宇宙の広がりを銀河系外まで広げましたが、太陽系外に出ることもかなわない我々には、宇宙からの光を調べることが宇宙を調べる唯一の方法であることには変わりありません。それがベル研究所で妨害電波の研究をしていたカール・ジャンスキーが、1931年天の川の観測で宇宙からの電波を発見します。電波も光同様電磁波ですが、赤外線より波長が長い。可視光線以外で宇宙を探る電波天文学の開幕です。
 50年代になってマーティン・ライルらが、110ものアンテナを結合した電波干渉計で、宇宙の電波源を調査しカタログを編集します。5巻にわたるケンブリッジ・カタログです。その中でも1959年に作られた第3巻は重要性を帯びます。
 16等星の青い星3C48(ケンブリッジ・カタログ第3巻の48番目の電波源)がいままでに見られない、幅の広い輝線スペクトルを示していたのです。別に3C273は、月の後ろを通過するのを利用(月の掩蔽観測)して詳しく位置と構造が調べられ、3C48より明るい星が同定され同様のスペクトルを有することが分かります。なお、恒星のように思われた電波源が星雲状のベールに包まれていて、ジェットを噴出している様子もうかがえます。それでこれら電波源は準星状電波源(クオシステラー)と名付けられますが、今日では略してクェーサーと呼ばれています。
 1963年マーティン・シュミットは奇妙なスペクトルが実はパルマー系列にある水素ではないかと考えます。水素はその温度と状態で放射が変わり、パルマー系列と呼ばれる一連のスペクトルを作ります。もしクェーサーの輝線スペクトルがパルマー系列だとすると、とんでもなく赤方偏移しています。が、酸素とマグネシウムのスペクトル線もこれを裏付けます。クェーサーはとんでもなく遠方にあったのです。以後ハッブル定数を100として計算すると、3C273は0.158の赤方偏移から15億光年、3C48は偏移0.367で30億光年という距離が浮かび上がります。ハッブル定数を50にしたらこの倍の距離となります。いったいこのような遠方にあるクェーサーとはなにものなのか、新世界の発見ですがその評価はクェーサーがもたらす宇宙の謎解きにかかっています。

 星の光が地球大気のゆらぎでまたたくように、天体からの電波は太陽風(太陽からのプラズマの吹きだし)によってゆらぎます。アントニー・ヒューイッツのグループはこの電波のシンチレーション現象を調べていて、1967年院生のジョセリン・ベルが1.33秒というパルスを発見します。通常、天文学的数字とは巨大な数を指しますが、1.33sとはあまりに小さな値で、とても天体が引き起こしているとは想像しにくいものです。
 それでも現に記録され続けるパルスに考えられたのが、極端に小さな天体、すなわち中性子星です。重力崩壊で縮んだ中性子星は、フィギュアスケートで両腕を狭めてスピンの速度を上げるように、角運動量が角速度に転嫁され超高速の回転をします。そしてそれは巨大な磁場を発生させます。磁場の極軸と自転軸がずれていると、磁極軸方向にサーチライトのように電波が放射されると考えられます。たまたまその方向に地球があると、中性子星という重く小さな球体の高速自転を反映した規則正しい短いパルス、すなわちパルサーが観測されることになるわけです。パルサーはまさに宇宙の灯台です。
 電波天文学の研究、とくにパルサーを発見したということで、1974年ヒューイッツにノーベル賞が与えられます。直接の発見者であるベルが無視されたことは多少問題になりましたが、天文学的貢献での最初のノーベル賞と言えます。
 同じく60年代にブルーノ・ロッシとリカルド・ジャコーニは、ロケットを使った大気圏外でのX線観測(X線は大気で吸収されてしまう)に乗り出します。太陽の発するX線から類推すると、太陽以外のX線源を捉えようとすることは物好きな行為と思われましたが、案に相違し強力なX線源が銀河系中心方向に見つかります。さそり座X-1星です。可視光では13等星の天体が、その100倍のエネルギーをX線で放射しているのです。X線は電波とは逆に紫外線より波長の短い、つまり高エネルギーの電磁波で、電波天文学に続いてX線が宇宙探査の新たな手段となります。X線天文学の貢献でジャコーニは、小柴昌俊と同時の2002年にノーベル賞を受賞します。
 70年代に入って、人工衛星によるX線観測で、X線源は中性子星と超巨星が近接した連星系であることが分かってきました。超巨星の大気を中性子星が吸い込んで、自身の周りに回転するガスの円盤(降着円盤)を作ります。円盤の内側と外側では回転速度が違い、猛烈な摩擦熱を発します。これがX線として観測されるわけです。このことはなにも中性子星でなくともブラックホールでも起こり得るはずで、はくちょう座X-1星はそのブラックホールだと考えられています。そして巨大なブラックホールを想定すると、その描像はクェーサーに重なります。ここにようやくクェーサーの正体が垣間見られるのです。
 クェーサーのスペクトルは非常に大きな赤方偏移を示すことから遠くにある天体と考えられるわけですが、だとすると通常の銀河の1000倍の明るさを持つことになります。しかしさほどの大きさはありません。準星と名付けられたように、点源と思われたほどです。可視光では数日から数ヶ月のスパンで変光しますが、X線では数時間単位の変動があることもそれを裏付けます。
 これらのことは、銀河の中心核に巨大なブラックホールが出現し周辺から膨大な質量が流れ込んで降着円盤を形成している、と解釈すると説明できます。降着円盤が数日周期での発光を繰り返し、数時間周期でX線を放射しているのです。
 クェーサーが遠くの天体であるということは、クェーサーが初期宇宙の天体であるということと同じです。宇宙誕生後数十億年の銀河の姿ということですが、近くの銀河、つまり最近の宇宙にも同様の現象は見られます。カール・セイファートが1943年に見つけた渦巻銀河の一種セイファート銀河は、その中心核にブラックホールを抱え、異常に明るく輝いているものと考えられます。これら活発な銀河を活動銀河と称します。

 系外銀河の発見以来、いろいろな銀河が観測され分類されてきました。銀河の外見からそれを音叉の形に並べたのがハッブルの音叉図と呼ばれるものです。
 まず卵のような形の楕円銀河を、楕円の度合いが増すごとに左から右に並べます。E型と称し順に0から7の数字が添えられます。最後にレンズ状銀河がきます。これが音叉の取っ手部分です。楕円銀河はバルジと呼ばれる中心部の明るい部分だけでできた銀河と言えますが、レンズ状銀河はディスクという、バルジを取り囲むように広がった星の集団が薄い円盤を形作ります。
 レンズ状銀河はS0と名付けられますが、これはspiral 0の意味で渦巻きが無いことを指しています。レンズ状銀河は中心部が円形のものと棒状に伸びたものに2分され、ここで音叉図は上下二手に分かれます。一方が渦巻銀河でS型と呼ばれます。中央のバルジが扁平な楕円になっていて、そこから伸びる腕が渦巻き模様のディスクを作っています。もう一方がSB型と呼ばれる棒渦巻銀河です。これは渦巻銀河のバルジが棒状になったもので、両端から伸びた腕が渦巻きを形成します。ともにa b c dの添え字で細分されます。また、広範囲に広がった星がこれらの構造を球状に包み込んでいて、ハローと呼ばれます。ちなみに銀河系は渦巻銀河のSaと思われてきましたが、最近では棒渦巻銀河のSBbと考えられています。
 他にこれらの分類に当てはまらないものが、不規則銀河として音叉図の右端にIr型として配置されます。現在ではこれに中間型を加え、銀河を大きく6種類に分類しています。
 当初、音叉図は銀河の進化を示していると考えられました。つまり左にある楕円銀河は古くから存在する早期型で、右にいくほど新しく形成された晩期型銀河の姿であるというのです。しかし銀河の形成や進化の仕組みはかなり複雑で、一概に銀河の外見が進化の系統を示すという解釈は捨てられました。それでも外見は銀河の成り立ちを物語ります。なぜならば、銀河内において恒星同士の衝突は考えにくい。太陽系から一番近いケンタウリα星まで4.6光年ということからも分かるように、連星系は別として恒星間は非常に離れています。と言うことは、銀河の外見は星を生み出したガスの分布と運動をいまに伝えるわけです。なお、早期型、晩期型の表現は今でも使用されています。
 楕円銀河はほぼすべて赤い色をしていて、若い星が放つ青白い光は見当たりません。これは楕円銀河が、HR図で示せば主系列の右下に連なる年老いた星や、主系列を離れた赤色巨星の集まりであること示しています。さらに、楕円銀河は集団を作ります。つまり楕円銀河を含む銀河団は、必ずほかに多くの楕円銀河を持つのです。これらのことから、80億年ほど前、のちに銀河団となる高密度領域で楕円銀河が一斉に作られたと考えられています。そして銀河団の中心には直径200万光年(銀河系の20倍)の巨大楕円銀河があり得て、その中には巨大ブラックホールを持つものも想定できます。クェーサーとなる有力候補です。  渦巻銀河や棒渦巻銀河もだいたいは楕円銀河同様の赤い色のバルジを持ちますが、渦巻く腕の領域では新しい星が青白く輝いています。腕部分のガスが高密度だからで、HR図の左上を占めるような星が活発に生まれているのです。  ウォルター・バーデはこのことをアンドロメダ銀河に見つけ、星には2つの種族があることに気付きました。銀河周辺部で比較的重い元素を多く持ち青白く光る若い星が種族Tで、中心部で赤く光る軽い元素だけでできた年老いた星が種族Uです。種族Tは、種族Uの星が超新星爆発で撒き散らした重い元素を取り込んだ若い世代で、太陽もその一つです。ハッブルはアンドロメダまでの距離測定に利用したセファイド変光星を種族Uのつもりで使ったので、その距離を90万光年としましたが、実際は種族Uで約230万光年が現在考えられている距離です。
 渦巻銀河や棒渦巻銀河の周辺部がすべて種族Tで占められているわけではありません。腕と腕の間には古い星が散在し、ハロー部分には球状星団や光を放たない暗黒物質が占めていると思われます。球状星団は長年の重力で接近してきた、老いた星の集団です。逆に散開星団は誕生したばかりの星の集団で、いずれはばらばらに散っていきますが、やはり見つかるのは渦巻の腕部分です。
 しかし宇宙の密度を考えた場合、ハロー部分の暗黒物質は重要な意味を持ってきます。宇宙密度(Ω:オメガ)は宇宙の行く末を決め、暗黒物質はその宇宙密度を大きく左右するものと考えられているからです。
 Ω=1で重力エネルギーと膨張の運動エネルギーがつりあい、宇宙は平坦になるまで永遠に膨張を続けます。これはユークリッド幾何学が成り立つ空間で、三角形の内角の和は180度となります。Ω>1の場合は閉じた宇宙で、三角形の内角の和は180度より大きい。重力が膨張速度に打ち勝ちやがて宇宙は収縮していき、ビッグバンの逆をたどるビッグクランチを迎えるのかも知れません。Ω<1は馬の鞍のように開いた宇宙で、三角形の内角の和は180度より小さくなります。この宇宙は平坦どころかΩが0になるまで、永遠に膨張を止めることはありません。
 宇宙密度の値は、ハッブル定数同様よく分かっていませんが、1を超えることはまずないと思われます。いままでの観測で、宇宙はかなり平坦であると言えます。つまりΩが1に近いということですが、考え得る物質の量から言えば、Ωはどうしても1をはるかに下回ります。我々の観測範囲が非常に小さいので、地球を平面と感じるように、宇宙を平坦と感じているのかも知れません。あるいは宇宙密度の考え方にはたいへんな誤りが隠されているのかも知れません。いずれにしろ宇宙を広く探索することが大事となります。

写真等提供:東京大学宇宙線研究所
「宇宙の大構造」須藤靖(培風館)
「宇宙の秘密」アイザック・アシモフ(ハヤカワ文庫)
「極大の世界・極小の世界」アイザック・アジモフ(教養文庫)
http://sdss2.icrr.u-tokyo.ac.jp/(SDSS Japan Group site)
http://skyserver.sdss.org/jp/(SDSS SkyServer)
「宇宙はどこまで見えてきたか」野本陽代(岩波書店)
「カラー天文百科」(平凡社)
「星はなぜ輝くのか」尾崎洋二(朝日選書)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/index-j.html(日本物理学会HP)
「大発見A」ダニエル・ブアスティン(集英社文庫)
日経サイエンス 1999年4月号(日経新聞)
「ギリシアの神々」曽野綾子・田名部昭(講談社文庫)
間違い、勘違い、見当違いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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