んだんだ劇場2003年3月号 vol.51
No12
2章 宇宙の地図を作る

共有される宇宙
 アパッチポイント天文台で取得されフェルミ研究所のパイプラインに送られたデータは、作業用データベースとしてサーベイ計画の土台となり、最終的にはすべて研究者に開放されます。一般人にも各種の処理を施し鮮明になった画像や詳細なカタログが公開されます。すでに主望遠鏡をはじめ各観測装置の初期動作確認のための取得データは公開され、ウェッブサイトから検索できるようになっています。その数だけで1300万天体にもなります。膨大なデータの海に溺れないためのインターフェイスも用意されています。
 SDSSのプロジェクトが進行することで、さらに膨大なデータがコンピュータに蓄積され、自由に取り出すことができるようになります。プロジェクト終了時には1億天体を超えるものと思われます。コンピュータの中にもう1つの宇宙が作られるのです。1998年からの観測で、この仮想宇宙はすでに多くの新事実を明らかにしています。

 火星と木星の間の公転軌道には、惑星になり損ねたとも言える、岩石や金属の塊りが群れをなしています。小惑星帯です。SDSSの撮像では、地球の自転に同期して天体のデータは各CCD素子内をエスカレーターが昇っていくように積み上げられていきます。この間、およそ5分。数十億光年彼方を追いかけるCCDカメラには、わずか4、5億kmにある小惑星の動きは異様なスピードで、線状あるいは2、3の点として色のある痕跡を残します。非常に動きの速い小惑星は、1つのフィルターの撮像にそれに対応した色の線条となって現れます。もっと動きの遅いものでもフィルターをまたいで移動して、近接したそれぞれの色の点となって痕を残します。隕石ともなれば、画面を横切る太い色付の線条となります。
 プリンストン大のSDSSチームは2001年までで1万個以上の小惑星を発見し、最終的には10万個を数えるものと思われます。以前は小惑星帯の小惑星はおよそ200万個と考えられてきましたが、この段階ではどうやらその4分の1の50万個程度が妥当のようです。また従来から推測されていたように、小惑星帯が岩石からなる内帯と氷質の外帯に2分できることも確かめられました。
 惑星になり損ねたのが小惑星帯なら、恒星になり損ねたのが褐色矮星です。惑星とするには大きすぎますが、恒星となって自ら輝くほどの質量(太陽質量の8%以上)は持ち合わせていません。と言っても褐色矮星は理論上の存在でした。1963年に理論的に予測され、その存在はまず間違いないものと考えられてきましたが、実際に捜すとなると非常に困難なものです。
 確実に褐色矮星と言えるものは、10年に及ぶ探査で1995年になってようやく、数個のL型とわずか1個のT型が見つかります。LとTはスペクトル型のO B A F G Mに続くもので、褐色矮星の発見で新たに提唱された型です。ともに最終的には木星ほどの大きさになりますが、L型は木星の50から80倍の質量、T型で20から50倍あります。ちなみに太陽は1000倍程度ですので、太陽質量の8%以下に収まっているわけです。
 形成時の余熱だけでやっと輝いているのが褐色矮星で、より暗いT型の発見が難しいのは当然です。が、プリンスト大のシャオフィ・ファンとマイケル・シュトラウスは、SDSS開始たった1年の1999年に、このT型を立て続けに2個発見します。サーベイ画像に暗い赤い点を捜しだし、そのスペクトルにメタンの吸収線を見つけたのです。
 L型は表面温度が2000K(ケルビン:絶対温度)程度ですが、大気は多くの塵(ダスト)を含んでいて、スペクトルは吸収線に覆われる黒体輻射に近いものとなります。これがもっと冷え1000KほどになったT型は大気が晴れ上がり、水蒸気とメタンが主体となります。揮発性のメタンは、高密度な1000K以下の星でのみ存在が許されます。メタンの吸収線をスペクトルに見つけることは、取りも直さずT型褐色矮星の発見です。
 褐色矮星を見つけるには、塵を透過し熱となって放射される赤外線を捕えることが有効です。最近ではヨーロッパ宇宙機関(ESA)の赤外線天文衛星ISO(Infrared Space Observatory)が、わずか2年半の観測で数多くの褐色矮星を発見していますが、いずれもL型です。T型を見つけるには、SDSSがやるような広域の撮像と多数のスペクトル採取が必要です。
 今や、へびつかい座方向やオリオン大星雲などに、数百のL型と十を越すT型が見つかっています。褐色矮星は恒星と惑星を繋ぐミッシングリングとも言え、惑星が持つような気象があるかも知れません。雲や雨が発生して、環境を循環していてもおかしくないのです。スペクトルの時間的変動を捕えたら、それは褐色矮星の天気を反映しているのかも知れません。
 その生成過程には、星間雲のガスや塵が集まってできたという説や、大質量の伴星にガスを吸い取られた若い星だなどという説がありましたが、大気を持っているとなると、褐色矮星は星間雲が収縮してできたと考えるのが妥当なようです。惑星は原始星のディスク部分の塵が集まってできるのに対し、褐色矮星は恒星と同様に中心部分のガスから直接生み出されるのです。
 また、褐色矮星は暗黒物質の有力候補です。ガスの収縮による余熱も冷めた褐色矮星は、その色すら失い、まったく見ることのできない文字通りの暗黒物質になります。宇宙空間には如何ほどの褐色矮星が存在するのか、その性質はどのようなものか、詳しいことはまだ分かっていません。数多くの褐色矮星の発見は、恒星物理学と惑星科学のすき間(ニッチ)を埋める新たな学問を生み出す可能性や、宇宙の行く末を決める宇宙密度を左右する影響を持つのです。

 暗黒物質の候補は褐色矮星だけではありません。と言うより、褐色矮星だけではまったく足りないのです。正体はいまだ謎ですが、光を発している物質の十倍の質量が必要なのは分かっています。宇宙のほぼ全ての質量を占めているはずの銀河の構造が、見えない物質の質量分布も含めて、検証されなければいけません。
 私たちは宇宙を重力レンズというメガネを通して見ています。無数の大質量の銀河が、重力で光を曲げているわけです。一般相対性理論を実証したエディントンの皆既日食観測も、重力レンズと言えるものです。地球が太陽の反対側に回る半年後の天体の位置のずれを測る日食観測は、太陽の重力を利用した一時的なメガネです。
 重力源が銀河となるとメガネをはずすことはできません。常にレンズ越しに宇宙は観測されているわけで、裸眼の際と比較できません。
 遠方の銀河の光は、近くの銀河の傍を通る際に曲げられ、引き伸ばされたように歪みます。あるいは、3つや5つの像を浮かび上がらせたり、アーチ状(アインシュタインリング)にしたりします。しかし重力レンズの効果は微々たるもので、もともとの銀河の形もあいまいですから、ここから近傍銀河の質量を求めるには無理があります。
 ミシガン大のフィリップ・フィッシャーとティモシー・マッケイのグループは、SDSSが撮った約3万個の、銀河の周辺画像を重ね合わせました。そうすることで、個々の銀河の持つ個性は打ち消しあい、一様に働く重力の歪みだけが浮き上がると考えたわけです。
 これで得られた平均的銀河のあり様は、銀河の大きさをいままで考えられてきたものの倍とするものでした。つまり暗黒物質が銀河を広く取りまいているということです。銀河系にいたっては、230万光年先のアンドロメダ銀河と暗黒物質で接触している可能性まで出てきました。本当に宇宙空間は空虚なのでしょうか。ただそこにあるものを見つけられないだけなのかも知れません。

 SDSSの目玉はなんと言ってもクェーサーです。クェーサーを見ることは遠くを見ること、すなわち初期の宇宙を見ることであり、銀河形成の仕組みを探ることです。クェーサーの謎も徐々に明らかになってきています。
 クエーサーの熱放射スペクトルは、X線から可視光まで広範囲に輝いています。この明るさには、ある限界(エディントン限界)があります。クエーサーが抱えているブラックホールの質量が生み出す重力と、それに吸い寄せられたガスの発する熱の均衡が限界です。これ以上の明るさを求めることはガスの圧力を高めることであり、それはガスが重力を逃れ発散する結果になるだけです。逆に言えば、クェーサーの明るさからクェーサーが抱えているブラックホールの質量を推測できます。
 8億光年以内にクェーサーは見当たりません。どうやら8億年以前にクェーサーの核の活動は下火になったようです。ブラックホールが輝きの燃料であるガスを吸い尽くしたのかも知れません。なにしろクェーサーにあるブラックホールは巨大です。太陽系ほどの大きさに、数十億個分の太陽質量があるブラックホールも見つかっています。このようなブラックホールがどのようにしてできたかは、これからの課題です。
 SDSSは十万個のクェーサー発見を目指していますが、これはSDSS以前に発見されたものの十倍に当たります。すでに遠方にあるクェーサーの上位のほとんどをSDSSの成果が占めていて、次々と記録を塗りかえています。2001年には赤方偏移6.28の最遠のクェーサーを見つけましたが、2003年早々には6.4、6.2、6.1の3つのクェーサー発見が発表されています。これらは体積が今の宇宙の5%しかなかった時の宇宙です。
 初期宇宙の探査は、初期のSDSSとしてはもっとも輝かしい成果、「ガン=ピーターソンの谷」発見に繋がります。SDSS主任科学者であるジム・ガンとブルース・ピーターソンは、1965年にある予言をしています。
 ビッグバンからおよそ30万年たって、電離状態にあった電子と原子核は結びつき光は直進できるようになり、霧が消えたように宇宙は晴れ上がります。しかしこの後も数億年間は、宇宙はまだ暗黒のままだったのです。この初期宇宙では濃い濃度で水素原子が満ち、紫外線を吸収します。ガスが冷え収縮して星となり輝きだしても、水素原子による吸収はおさまりません。いよいよ星の輝きが強くなって水素原子を電離(宇宙の再電離)させて、ようやく光は宇宙空間を通過できるようになります。
 もしこの通りなら、再電離期にある天体では、再電離されずに残っている水素原子が紫外線を良く吸収してしまうはずです。ガンとピーターソンの二人は、わずかな割合の水素原子でも、スペクトルの紫外線領域に谷を作ることを予言したのです。
 2001年にローレンス・リバモア研究所のロバート・ベッカーのチームが、最遠のクェーサー(z=6.28)のスペクトルに、赤外線領域まで赤方偏移したガン=ピーターソンの谷を発見します。予言から37年目のことです。

 SDSSの主目的はもちろん宇宙の地図作りですが、SDSSの他にもいろいろな全天規模のサーベイが行われています。1950年代にはパロマー山天文台の1.2mオースティンシュミット望遠鏡による写真乾板サーベイ(POSS-T:Palomar Obsevatory Sky Servey)が行われ、現在ではディジタル変換されものにインターネットで簡単にアクセスできます。70年代には同程度の精度のサーベイがオーストラリアのUKシュミット望遠鏡で、南天に対しても行われました。80年代に入ってパロマー山天文台では、3色のフィルターを使った第2次のサーベイ(POSS-U)が行われ、これも順次デジタル化され公開が進行中です。
 余談ですが、近所ならいざ知らず遠くで起こった超新星を見つけるのは、なかなか至難の業です。POSS-TとSDSSでは半世紀の経過がありますから、2つのデータの比較からその間に出現した超新星を捜すことができます。実際にSDSSのコンピュータプログラムは次々と超新星候補をはじき出しています。
 また、ESAが1989年に打ち上げた衛星ヒッパルコスは、地球の公転軌道の直径(約3億km)を視差とする大気のゆらぎに邪魔をされない観測で、数百光年までの星の正確な距離を算出しています。この領域の星はたいがい明るすぎて、高感度のCCD素子を飽和させSDSSの不得意とするところです。
 可視光以外によるサーベイもあります。米アリゾナとチリで1.3m望遠鏡を使った全天サーベイ(2MASS:2 Micron All Sky Servey)は、2μm付近の赤外線熱放射を捉えるもので、温度の低い矮星を見つけられます。一方、1990年に打ち上げられた衛星レントゲン(ROSAT:ROentgen SATellite)は、X線領域で全天サーベイを行い、60.000個余りのX線源を見つけ出しています。
 これらSDSS以外のサーベイも利用され、地図を埋めていきます。同じ天体を観測しても、それぞれ異なった波長域で捉えますので、異なった属性を見つけられます。SDSSは最初のサーベイではありませんし、最後のサーベイでもありません。サーベイに終わりはないのかも知れません。それでも、付け加えられていくデータは次々と統合され、コンピュータの中でもう1つの宇宙が徐々に出来上がっていきます。それは取りも直さず宇宙の大規模構造を明らかにするものであり、数ある宇宙進化の理論を検証するものです。
 そして誰でも好きなときに取り出せるこの宇宙は、銀河を移動させ衝突させ消滅させる実験のできる宇宙であり、様々な解析のできる宇宙です。コンピュータ工学を駆使した計算物理学が橋渡しとなって、実際の宇宙物理学に寄与することもできるでしょう。望遠鏡の普及でアマチュアが天体観測に貢献できたように、インターネットはアマチュアが天文学で活躍する機会を用意しています。詳細なデータが、コンピュータの中に人類に共有される宇宙を作り出しているのです。

はじめに

 まずは誤解なきよう申し上げますが、宇宙船ではありません、宇宙線です。多くの方にとっては宇宙線より宇宙船の方がイメージしやすいようです。宇宙線がもたらす様々な現象から自然の秘密を解き明かそうとしているのが東京大学宇宙線研究所ですが、宇宙線そのものはほとんど既知のものです。それに比べ、宇宙空間を自由に行ったり来たりできるのが宇宙船だとしたら、それは想像の埒外です。人類にできるのは地球からあまり離れないところに行って帰ってくるのがせいぜいで、無人探査機を送っても太陽のごりやく利益が受けられない遠方では何も伝えてくれなくなります。太陽系の彼方からやってくる宇宙船など、空飛ぶ円盤と思い描くのが関の山です。
 私たちがいまだ地球にへばりついていることに、本質的な変わりありません。井戸から抜け出せないカエルが外界を知るのは、頭上にぽっかり開いた空間だけです。私たちはその井の中の蛙です。それでも宇宙線という外界を知る術を持っている蛙です。
 そもそも宇宙線とはなんぞや。宇宙から地球に飛び込んでくる粒子です。光も光子という粒子と考えられていますから、その点では、天体の明かりも宇宙線と言えますし、隕石を宇宙線と言えないのは、粒子とするにはあまりに図体がでかいからだけです。しかし大体において電子や陽子、軽元素の原子核が宇宙線で、それらが地球の大気にぶつかって発生する素粒子も2次宇宙線と称せられます。そしてこれらが未だ私たちの知らない力と物質の誕生、しいては宇宙の成り立ちを伝えてくれるのです。

 東大宇宙線研究所は、前身の宇宙線観測所から数えて2003年に50周年を迎えます。戦後間もない1949年に、大阪市大が乗鞍岳に乗り込んで戦後日本の宇宙線観測は始まりますが、これを全国の大学の研究拠点として発展させたのが宇宙線観測所です。まだ日本には大型加速器がない時代で、宇宙線の観測は、高エネルギーを必要とする素粒子物理学・核物理学には唯一の実験であり、金のない日本には唯一の方法と言えました。
 これ以前にも宇宙線研究は理化学研究所で世界に伍す研究が行われていたのですが、戦争が中断を余儀なくさせました。細々と連続観測と理論研究が続けられたのみです。戦後日本での原子核研究が禁じられたせいで、大阪大学のグループが大阪市大に移り、宇宙線に活路を見出そうとして乗鞍に観測小屋を建てます。翌年の1950年には朝日新聞の学術奨励金で、乗鞍岳山頂にもう一つ小屋が建ちます。乗鞍が宇宙線観測のメッカとなったわけですが、これだけではとても宇宙線研究者の要求を満たすことはできず、宇宙線観測所を1953年に東大の付属機関として発足させます。以後実験は本格化し、各種観測装置が据え付けられ、1955年設立した東大原子核研究所が中心になって精力的な観測が続けられます。1976年国立学校設置法改正により、宇宙線観測所に原子核研究所の3部門が移管され、東大宇宙線研究所に改組され今日に至ります。
 一方、加速器の登場、大型化で、高エネルギー物理学は加速器実験に足場を移し、1971年に高エネルギー物理学研究所が設立され、原子核研究所などが加わって1997年高エネルギー加速器研究機構(KEK)に発展していきます。
 宇宙線研もKEKも単独の組織というよりは共同利用の拠点です。多くの研究者がこの2つを行ったり来たりして、なんとか自然にひそむ真実を探りだそうとしています。天啓を伝える宇宙線を待ち構えている静の宇宙線研と、人為的に粒子を作り壊す動のKEKと言えます。開発研究などに比べたら微々たるものですが、ともに国の機関として多額の予算が割り当てられます。しかし、ここでの発見がなにかの役に立つ可能性はあまり期待できません。あくまで基礎研究だからです。
 1950年代より世界各地で数々の素粒子を発見する活躍を見せてきた大型加速器も、一国では賄いきれない予算規模となり、それでも理論が要求するところの高エネルギーを発揮できない限界に近づいています。そこで改めて注目されているのが宇宙線の観測実験です。宇宙線は宇宙から降り注ぐ天啓です。物質の秘密、宇宙の謎を解く鍵となります。
 宇宙線研は乗鞍以外にも山梨県の明野村に、宇宙線が引き起こす空気シャワーの観測所を持ちます。岐阜県にある神岡鉱山の地下には、5万トンの水でできた望遠鏡とも言えるスーパーカミオカンデが据えられます。海外ではチベットの高原やオーストラリアの砂漠地帯で空気シャワーの観測が行われ、国際協力の研究として宇宙の地図作りにも参加しています。他に、いまだに見つけられない重力波を捕らえる実験や、素粒子から宇宙まで説明する究極の理論研究が行われています。どれも基礎実験であり有益性を問うものではありません。それでも心血を注いだ研究がなされる動機はただ一つ、知りたいからです。

 スーパーカミオカンデの前身にあたるカミオカンデの実験で小柴昌俊さんは2002年のノーベル賞を受賞しますが、もはや基礎研究の実験を個人の力だけで行うのは無理です。レントゲンのX線発見もキューリー夫人のラジウム分離も遠い過去の話です。莫大な費用と優秀な労力を必要としない実験に、新たな発見を期待するのは望むべくもないことです。
 日本は成果を応用した製品で金儲けをするだけで基礎研究のただ乗りをしている、と長らく批難されてきました。基礎研究での受賞はようやくにしてその批難をのがれる免罪符です。オリンピックで金メダルを取ることは国民の多くが望むことでしょうが、国家の義務ではありません。しかし先進国を自称する国家が、基礎科学の発展に努めることはもはや義務であり、ノーベル賞受賞者の輩出はそのお墨付きです。その新しい知識は人類に計り知れない恩恵を与える可能性もありますが、底知れぬ災厄をもたらす可能性もあります。それでも人類は過去の無知に戻りたいとは思わないでしょうし、思っても仕様がありません。人間とはそういうものだからこそ、今の社会を築いたと言えます。それはパンドラの箱かも知れませんが、最後には「希望」が現れるのを信じているからです。
 子供のときは大人に数々の疑問をぶつけます。その中には大人を困惑させる、物事の本質を突いたものもあったはずです。夜はどうして暗いの、宇宙の向こうはどうなっているの。それは大人自身がかつて発した疑問でしょうが、ほとんどの大人には答えられない質問です。それはそうです。最近まで説明できなかったパラドックス逆説だし、本当のところの答えをまだ誰も知らないの問題です。
 70年前は太陽がなぜ輝いているのか知りませんでした。宇宙が大爆発で誕生したと分かったのは40年前です。物質がなぜ存在しているのか、空間はなぜ3次元なのか、こんなことはまだはっきりとは分かっていません。逆に宇宙がシンメトリー対称でないという、アインシュタインも想像できなかったことを知っています。
 アルキメデスが「ユリイカ」と叫んで狂喜した浮力は、いまでは小学生でも知っていますが、別に人類がアルキメデスの頃に比べ利口になったわけではありません。ほとんどの現代人の知力はアルキメデスの足元にも及ばないでしょう。我々はただアルキメデスの知らない2200年間の知の蓄積を持ち、それを共有しているだけです。それが、99パーセント同じ遺伝子を持つチンパンジーと我々の違いを大きくしているのです。
 物理学者はたいへんな労力と金銭を使って、人類を不思議がらせる根源的な問題に答えられるよう努めてきました。そして今、ある結果を出せるような大きな局面を向かえています。少々辛抱のいることですが、物理学の最前線で何が起こっているのか、シロウトだからといって聞き逃す手はありません。
 全てのものを形作る素粒子とはなにか、全てのものを包みこむ宇宙とはなにか、厳密な事はともかくとしてそのエッセンスなりを知ることは、自らの子供時代への回答です。
 その望みのエッセンスは東大宇宙線研究所にあります。高校物理もろくにも学ばなかったものが、はたして現代最先端の物理学、素粒子物理学・宇宙物理学のエッセンスなりを理解できるものか。無謀にも東大宇宙線研究所に勝手に入門します。
写真等提供:東京大学宇宙線研究所
http://sdss2.icrr.u-tokyo.ac.jp/(SDSS Japan Group site)
http://skyserver.sdss.org/jp/(SDSS SkyServer)
「宇宙をあやつるダークマター」池内了(岩波書店)
http://www.astroarts.co.jp/news/index-j.shtml(アストロアーツ天文ニュース)
間違い、勘違い、見当違いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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