んだんだ劇場2003年6月号 vol.54
No15
4章 天啓のシャワー

世界各地での観測
 中国(?)のチベット自治区でも、日中共同実験として、宇宙線観測が行なわれています。そもそもの始まりは1981年、標高5500mのカンパラ山でのエマルションチェンバー実験まで遡ります。これは日中文化交流協定に基づく共同実験第1号であり、文化大革命という世紀の大愚行でずたずたになった中国科学界の再起を標す第一歩とも言えます。
 エマルションチェンバーは、何層もの鉄板や鉛板の間に、光だけでなく荷電粒子にも感光するフィルムや原子核乾板を挟み込むものです。原子核乾板はアクリル板に乳化剤(エマルション)を塗布したものであり、フィルムは増感紙(シンチレータ)でサンドイッチされたりします。これで荷電粒子の飛跡を追い、宇宙線の高エネルギー核相互作用を捕らえます。
 高い検出効率を誇るカンパラ山のエマルションチェンバーと、AGASA同様のシンチレータアレイを連動させて、ハイブリッドの常時観測を目指しているのがチベットASγ実験です。
 1989年、ラサの北100kmの八羊井(ヤンパーチン)高原に、10TeV領域の宇宙線を捕える空気シャワー観測装置が建設されます。4300mの標高ですが、地熱発電が行われているような所で、積雪はほとんどありません。
 15m間隔で配置された45台の0.5m2プラスティックシンチレータと20台の周辺検出器が、8100m2の視野で待ち構える小規模のものです(Tibet-T)。当時ユタに建設中の1100台の検出器を持つCASAアレイには比べようもありませんが、1秒間に20個の頻度で10TeVスケールのシャワーを0.9度の精度で捕えます。
 これほどの低エネルギーをこれほどの頻度で捕まえるのは、従来の空気シャワー実験からは考えられない画期的なことです。1995年には検出器を221台に増やし、有効面積も5倍近い36,900m2となり、頻度は10倍になります(Tibet-U)。10TeV領域では世界最大のアレイです。
 翌1996年には、アレイ中心部80m2を覆うエマルションチェンバーが据えら、エマルションと空気シャワーの連動実験が始まります。大判のX線フィルムを、7層になった鉛板の間に挟み込こんだものです。これでシャワーの粒子が鉛の原子を蹴飛ばす様子を捉えます。最後に控えたプラスティックシンチレータは、一番下に敷かれた鉄板を飛び越えてくる粒子をPMTでカウントします。
 同時に5200m2で、検出器の間隔を半分の7.5mにして、4倍の高密度(High Density)を実現します。検出下限を3TeVまで広げるものです(Tibet-HD)。この高密度アレイの約500日間の観測で、99年にはカニ星雲からのγ線を検出しています。89年にチェレンコフ望遠鏡であるホイップルは、空気シャワーの解像からカニ星雲のγ線を捕えていますが、Tibet-HDはこの低エネルギーγ線を直接捕えたのです。
 Tibet-HDを拡張していって、Tibet-Uの全領域を7.5m間隔の高密度アレイにするのが、Tibet-Vです。5百数十台のシンチレータで36,900m2を覆い、1秒間に1000個のイベントを取得するものです。強大な広視野γ線望遠鏡の実現と言えます。
 これほどの宇宙線をこれほどの頻度で捕えるチベットASγ実験は、宇宙観測に新たな手段を提供するものです。
 視直径0.5度の月や太陽は、この宇宙線を遮蔽して影を作ります。一方で、地磁気は荷電粒子を東西に曲げます。つまり、高エネルギー宇宙線の大部分を占める荷電粒子が映し出す影と現実の月の位置が、南北では一致するのに東西ではずれが生じます。
 実際の角度分解能は1度程度ですので、月の遮蔽効果はぼやけたものでしかありませんが、もっとも頻度の少ない地点が月の中心を指すことになります。それが現実の月の中心方向と、西へ0.1度ずれていたのです。これはとりもなおさず、宇宙線のエネルギー値を検証するものであり、同時に観測装置の制度を確かめるものであります。Tibet HDが3TeVの検出能力を有することも、これで証明されたのです。
 太陽の場合には、地球太陽間の磁場構造や太陽活動を反映することになります。実際に太陽が活発な活動期にあった1991〜1992年の影は、大きく現実の位置とずれています。ちなみに八羊井には、太陽のフレア(爆発の閃光)を中性子で捉える観測器も据えられていて、同種の装置を持つ乗鞍と連携して、荷電粒子の加速を調べています。
 また2000年、2001年には、活動銀河核Mark421が発したフレアのγ線を捕えます。天候の影響を受けずに全天の4分の1を常時観測できる、チベットASγ実験の面目躍如です。

 空気シャワーと中心部に置かれたエマルションチェンバーの連動した観測は、親宇宙線の組成解明の手がかりとなり、粒子別のスペクトルデータを蓄積することで、宇宙線の加速メカニズムや起源が明らかになると期待されています。
 エネルギーごとの割合を示すものがエネルギースペクトルです。高エネルギー領域では、エネルギーが増すほどその割合は減じていきます。緩やかな下り坂を描くわけですが、1015〜1016eV付近で、足にたとえれば膝のような折れ曲がりが生じます。これが現代の宇宙物理学では古くから知られたknee問題です。スペクトルという美しくあるべき稜線が理由もなく乱されるなど物理学者には許せないことですが、半世紀たってもいまだ明白な理論を得ていません。
 この領域では核相互作用が大きく変化するとの考えや、1次宇宙線の元素組成の問題だとするものなどあります。世界各地のエマルション実験でも、相反する観測データに、結論めいたものは下せない状況です。
 高エネルギー粒子が作る空気シャワーは、π中間子の多重発生で中心軸にはハドロン成分の柱ができ、周囲には電磁カスケードシャワーのレプトン成分が広がっていきます。TibetVは、中心部に抱えたエマルションチェンバーでこのハドロン成分を詳細に調べ親粒子を推定し、周辺のシンチレータがシャワーの広がりをレプトン成分で捕えて、エネルギーを推測します。両者が相俟って粒子ごとのスペクトルが得られるわけです。
 八羊井のシンチレータによるエネルギースペクトルは、Knee領域でも意外に滑らかな曲線をなしていました。陽子やヘリウム核、鉄核のスペクトルが集められていますが、エマルションチェンバーとの連動による核種ごとのスペクトルが蓄積されていくことで、さらなる進展が望まれます。
 Knee問題は、衝撃波による加速の限界や銀河からの宇宙線の漏れ出し、伝播の仕方を解く鍵と見做されていますが、その実体もまだまだ明確になっていないのが現状です。

 数多くの素粒子を発見した原子核乾板からも分かるように、高エネルギーを要する素粒子実験も初期は宇宙線に頼るしかなく、エマルションが主役でした。加速器の進化は宇宙線への傾倒を減じましたが、大型加速器など望むべくもなかった日本は、宇宙線エマルション実験に活路を求めます。
 日本における宇宙線研究のメッカ乗鞍では1958年からエマルションチェンバーで観測を行っていますし、翌59年には空気シャワーの観測も始まります。68年には富士山にエマルションチェンバーが設置され、大規模な実験に発展していきます。一方で、役所や大学の屋上に観測器を置かせてもらうような実験も行なわれ、70年代にすでにGZK限界を超えるエネルギーを捕まえて騒ぎを引き起こしています。
 この信じられない現象は、明野での広域観測の動機となります。また日本の一連の経験は、文化大革命という悪夢からようやく抜け出した中国に移植され、カンパラ山でのエマルションチェンバー実験に結びつきます。そしてより一層の事象を求めて八羊井での観測が始まったわけですが、超GZK粒子やknee問題を明確にするためには多方面からのさらなる観測が、宇宙物理としても素粒子物理としても要求されます。
 八羊井以外にも、高エネルギー領域の空気シャワーを捕らえるために、高高度・広視野の適地が海外に求められました。すでに1960年にはボリビアとの国際協力研究が始まり、いまは標高5400mのチャカルタ山に4m2の検出器を5m間隔で配置した濃密アレイで、シンチレーション検出とチェレンコフ光観測を行うBASJE(Bolivian Air Shower Joint Experiment)実験が進行中です。
 空気シャワーの粒子は大気の密度が増すにつれ増加しますが、次第に大気の吸収を受けしぼんでいきます。その最大発達の高度は、入射宇宙線のエネルギーに相関します。
 BASJEの5200mという世界最高度での観測は、1016eVの宇宙線に最適と言えます。Knee領域を含む1014〜1017eVが効率よく観測でき、南半球に位置することで、高エネルギー現象が起きているであろう銀河系中心部を見張ることになります。また30TeV以上のγ線を捕らえることで、超新星によるコンプトン散乱などが候補に挙がっている、広がりを持つγ線源のメカニズム解明を狙っています。

 さらに高度を増し、シャワーを発生させる前の1次宇宙線を捕まえようというのが気球実験です。大型の気球で大型の検出器を上げることで、1015eV付近までの直接観測が可能となります。
 1979年から行われている日米共同の気球実験JACEE(Japanese American Cooperative Emulsion Experiment)は、宇宙線研などが製作した原子核乾板を米の大型気球に搭載し、上空およそ40kmをフライトさせて1次宇宙線に直接被曝させるものです。加速器では実現できない高エネルギーでの核衝突を捉える素粒子実験であり、高エネルギー現象の天体観測です。核相互作用で観測する粒子線天文学と言える面もありますが、方向や時間の特定は困難です。
 1995年まで14回の実験が行われています。オーストラリアから南米まで地球を半周させるものや、最近の5回は南極大陸を1周させる長時間フライトです。
 南極大陸が好都合なのは、白夜の時期は昼夜の温度差が少なく気球の高度を保つためのバラスト量を減らせます。その分大型の検出器を搭載でき、なおかつ安定した極回りの風が黙っていても十日前後で、気球を元の放球地付近に戻します。好条件に恵まれれば、2周させることも可能です。ただ極地だけに、オーロラを演ずるような比較的低エネルギーの宇宙線も入射してくるので、ノイズが増えてしまう問題もあります。蛇足ですが、この南極周回気球実験はBESS(Balloon-borne Experiment with a Superconducting Spectrometer)に引き継がれ、現在は反陽子の探索などが行われています。
 また、1994年にスタートした日ロ共同の気球実験RUNJOB(RUssia Nippon JOint Balloon experiment)も、この分野で大きな成果を出しています。こちらは気球をカムチャツカから放ち、140時間ほどのフライトで、ボルガ川流域で回収するものです。搭載されたエマルションチェンバーが、高度約30kmでknee領域近辺の高エネルギー粒子を捕まえます。1999年まで10回の回収に成功し、解析がいまも続けられています。
 JACEEは、50TeV付近で陽子のエネルギースペクトルが、折れ曲がっているのを見つけます。逆に鉄などのヘリウム以上の重粒子核のスペクトルは、上昇に転じているように見えます。この付近を境にして、宇宙線の起源が代わるのかも知れません。しかしRUNJOBの観測は、陽子もヘリウム核もスペクトルの幅はほぼ同じ、元素組成の変化は見受けられません。JACEEの陽子cut offを否定するもので、ここでも相反する解析が出てきたわけです。
 1019eVあたりまでの宇宙線は銀河系内に起源を持ち、加速の原因や核種の違いがkneeの折れ曲がりをつくる、GZK限界を超える最高エネルギー宇宙線は、電波銀河と銀河間にある強力な磁場の作用によって系外からもたらされる、とする根強い予測があります。真偽のほどは観測で判断するしかありません。高エネルギー粒子の観測も、なお一層の蓄積が要求されているということでしょう。

 大型加速器でも到達し得ない高エネルギー現象を伝えてくれるものは、宇宙線しかありません。それはまた、加速器のような閉ざされた空間ではなく、銀河のような巨大な空間や中性子星のような激烈な天体が生み出しているものであり、その様子を伝えてくれるものでもあります。
 可視光で見つめられた宇宙は、実質、銀河系のほんの一部でしかありませんでしたが、望遠鏡がその外にある銀河を見せてくれ、マイクロ波は宇宙誕生の名残りを見せてくれました。X線やγ線は、高エネルギー空間での現象を知らせてくれました。電磁波から粒子の世界に入った宇宙線は、素粒子の振る舞いを伝え、宇宙の構造を教えてくれるものです。そしてその先には大統一の世界があり、それを生み出した宇宙誕生の瞬間が待ち構えています。
 太陽系を抜け出ることも叶わない人類ですが、井戸の底にいるカエルであってもなんとか外界を知りたくて、世界各地で天啓を伝えてくれる宇宙線を待ち構えているのです。

参考資料・写真等提供:東京大学宇宙線研究所
http://windom.phys.hirosaki-u.ac.jp/RUNJOB/index.html(弘前大学RUNJOB計画HP)
http://www.kobe-wu.ac.jp/asakimori/jacee/jacee_index.html(神戸女子短期大学JACEE HP)
http://wwwcr.phys.titech.ac.jp/(東京工業大学理工学研究科垣本研究室HP)
間違い、勘違い、見当違いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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