んだんだ劇場2003年12月号 vol.60
No21
1章 追跡ニュートリノ

◆鈴木洋一郎
東京都出身 1949年生
京都大学理学部卒、京大大学院博士課程修了。ブラウン大学助教授、大阪大学助手を経て、現在東大宇宙線研教授、神岡宇宙素粒子研究施設長。


――先生のいまのお立場は神岡宇宙素粒子研究施設の施設長ということですが、これはスーパーカミオカンデだけではなく、重力波や暗黒物質の実験も先生の管轄に入っているということですか。
 単純ではないです。この施設ができたのは1995年、つまりスーパーカミオカンデが稼動する1年前で、スーパーカミオカンデの実験を行うが目的だったのです。その後に始まった重力波や暗黒物質の実験がここの管轄かと問われれば、イエスでもありノーでもあります。
 暗黒物質の実験には、結晶に飛び込んだ暗黒物質(ニュートラリーノ:ニュートリノの超対称性粒子)を温度上昇として捕えるボロメータを使うものと、液体キセノンを使ってシンチレーションを観測するものがあり、我々のグループがやっているのは後者です。前者は地下利用実験のための「穴」などを東大物理学科の先生方に提供しているだけで、装置等は彼らの自前です。
――カムランドも同様の立場ですか。
 まったく違います。カムランドが使用しているカミオカンデの跡地は、完全に東北大学に移管されています。入出坑は同じところを通りますが、まったく別の施設です。
 重力波は重力波でまた少し違いがあります。彼らは穴も独自で掘っています。入出坑や宿舎の便宜を図ることなどはしていて、この施設の共同利用研究の1つとしてカウントされていますが、実際のところはほぼ全て彼らの予算でやっています。
 このようにいろいろなレベルがありますから、管轄についてはイエスでもありノーでもあります。
――重力波実験(5章後述)は既存の坑道を利用するのでは。
 最終的には直交している基線長3kmのものが2本必要で、本格的に建設する際、1本には既存の坑道を当てる計画はあります。現在あるものは100mなので、新しいものを掘りました。
――先生が神岡の実験にたずさわるようになった経緯は。
 私は1979年から米国のブルックヘブン研究所で、加速器を使ったニュートリノ実験をしていました。そのときの共同研究者がアルフレッド・マンという人です。この人が後に神岡の実験に加わり私を神岡に誘ったのです。
 その頃、私は大阪大学に所属していたのですが、阪大も神岡とは多少つながりがあり、当時、カミオカンデからデータをもらってμ粒子の解析をしていました。それで近いうち神岡に加わるつもりでいたのですが、そうこうするうちSN1987Aで急にカミオカンデが有名になり入りにくい雰囲気になってしまって、結局参加したのは1987年の終わりごろです。ですから、かれこれ16年ですね。
 最初にやり始めたのがμ粒子と太陽ニュートリノの解析です。

――スーパーカミオカンデは、大気ニュートリノが2世代3世代間で、太陽ニュートリノが1世代2世代間で振動していることを明らかにしたわけですが、大気ニュートリノの検出は年間でどのくらいになるのですか。
 1日で10事象弱ですから、年間だと約3600事象ほどになります。
――この数は事故前と変わらないのですか。
 事故のよって何に影響するかと言えば、最低検出エネルギーが高くなることです。太陽ニュートリノですとこの閾値が問題になりますが、大気ニュートリノはこれより100倍も高いエネルギー事象ですから、事象数は事故前と変わりありません。
――では、太陽ニュートリノの事象数は減っているのですね。
 減っていることは確かですが、これはまだ解析中で、はっきりした数はまだ分かりません。いままでは5MeVの閾値で1日15事象ほどありました。今はこの閾値がよく分からないのですが、8MeVで10事象ぐらいだと思われます。まだ測定器の較正が済んでいないので、確定的なことは言えません。
――先生は「太陽ニュートリノの精密観測によるニュートリノ振動の発見」ということで、平成13年の仁科記念賞を中畑(雅行)先生と共に受賞していますが、振動が電子ニュートリノとμニュートリノ間のものであるとなぜ言えるのですか。
 それは正しくありません。μニュートリノとτニュートリノの間は非常に速い振動を起こしています。太陽ニュートリノは電子ニュートリノとして飛んで来るわけですが、μニュートリノだけに振動するのではなく、μニュートリノとτニュートリノの両方に振動していると考えられるのです。
 我々がSNOと一緒になって出した結論は、太陽ニュートリノが電子ニュートリノ以外の成分に振動しているというものです。大気ニュートリノで2世代3世代間の振動を見たわけですが、ここの混合が非常に大きいので、電子(太陽)ニュートリノは確かに減っているから、その分μニュートリノとτニュートリノになっているだろうということですね。2世代3世代の混じり方から、おそらく両者に半分ずつの電子ニュートリノがいっていると考えられます。
――半分ずつに分かれるというのは、エネルギースペクトルから出てくる推定なのですか。
 そうではなく、他からの知識を援用してやるとそうなるということです。

――K2K実験では3年間にμニュートリノを56個掴まえていますが、再開して9ヶ月ほどたった今の状況は。
 だいたいその割合で増えています。ですから定性的な答は変わっていません。
――これも、μニュートリノが電子ニュートリノとτニュートリノ両方に変身しているのでしょうか。
 いや、電子ニュートリノの成分は非常に小さいです。μニュートリノとτニュートリノの結びつきがたいへん強いから、μニュートリノの場合はほとんどτニュートリノにいきます。
 電子ニュートリノが出てくる振動もあるのですが、非常に割合が小さくて、今のK2Kでは見えません。それを見ようというのが、実は、新たに東海村に建設中の加速器で100倍の強度を持つニュートリノを作って行う振動実験です。
――各種の振動の様子が明らかになってくると、大統一理論の要求するパラメータのいくつかを決定することになるのですか。
 大統一理論にしっかりしたモデルがあればパラメータがどうのこうの議論もできますが、本当に大統一理論があるのかどうかすら分かっていません。
 仮にあったとしたら、個々のニュートリノ質量が分かってくれば、いくつかあるモデルに何らかのインプットを与えることができるかも知れません。ただあまりに範囲が広く、具体的なことが言える段階ではないです。今後の研究というのは、このへんで展開されていく可能性がありますね。

――SN1987Aが起きたとき、カミオカンデは、知らせを受けて分析をして初めてそれと認識できたわけですね。
 まだ私は共同研究者でなかったので人から聞いた話ですが、当時は1週間おきぐらいにまとめてデータ解析がされていました。神岡には計算機の設備もなかったですから、1週間に1度その間に取得したデータのテープを東京に送って解析するわけです。だからその間はどんなデータが捕えられているのか分かりません。
 SN1987Aの知らせがあったときは、急遽テープが東京に送られました。超新星のニュートリノは爆発光より数時間から数日早く到達しますから、超新星が撮られた時刻より前を捜せというアドバイスをしたのがマンです。そういうこともあって、見事テープに信号を見つけたわけです。
――超新星爆発はいつ起こってもおかしくないと思いますが、今スーパーカミオカンデで超新星からのニュートリノを捕えたとして、リアルタイムでそれと断定できるのですか。
 いまは約10分遅れで解析されていて、超新星のバーストが来たらアラームが鳴り、私のところにも自動的に連絡されるようになっています。
――そうなると、世界中の望遠鏡がその方向に向けられるのですか。
 このアラームには擬似的なものも含まれます。本当の超新星かどうかはよく解析してみないと分かりませんから、微妙なものも入れて一月に一辺程度の頻度でアラームが出るようにしています。
 スーパーカミオカンデが1番の感度ですが、世界には他にもニュートリノを捕えられる施設があります。そのいくつかで同様の態勢をとっていて、もし3箇所で同時発生となれば、まず間違いなく本物の超新星です。ここで初めて用意してある天文台のリストに、超新星が起ったという情報が流れるのです。
――その際、方向はどの程度絞り込めるのですか。
 それは難しい問題なのですが、方法としては2つ考えられます。
 1つは、距離が十分近い場合、スーパーカミオカンデで10個に1個程度方向性を持ったイベントが起りますから、これを捜して求めます。精度としては20〜40度、統計を入れて5度ぐらいの精度です。
 もう1つは、3箇所に測定器があるとすると方向によって到着時間に差が出ますから、三角測量の要領で方向が定められます。この場合は、距離によって精度が変わります。
――光学的には見えない超新星を、スーパーカミオカンデが捕える可能性はあるのですね。
 あります。銀河の中心部はほこりまみれですから、そこで超新星が起っても目では見えません。銀河の外側ならともかく、銀河面の内側でしたら光で見えるのは3kpc(約1万光年)ぐらいまでです。
――いままでに、ひょっとするとこれがそうだ、といったイベントはなかったのですか。
 ありません。あったら大喜びです。今なら電波などいろいろな検証手段がありますから、見つかればはっきりします。もう1つぐらい欲しいのですが、残念ながらありません。
――神岡では重力波の検出実験も進行中ですが、割と近いが光学的には見えない所で超新星爆発が起きたら、これが重力波を掴まえ、スーパーカミオカンデがニュートリノを捕えて、互いが追認しあうという夢のようなことも起こり得るのでは。
 可能性はありますが、それは彼らが完成させたらの話ですね。

――スーパーカミオカンデの次世代への将来計画としては、数百万トンのハイパーカミオカンデが考えられているのですか。
 スーパーカミオカンデが建設できたのは、大気ニュートリノ異常や太陽ニュートリノ欠損といった問題が知られていて、かつ大気ニュートリノと太陽ニュートリノを精密に測れば必ず何か分かる、と考えられていたからです。加えて、本来の目的の陽子崩壊や超新星といったこともあります。
 100万トンのハイパーカミオカンデとなると、スーパーカミオカンデの6、7倍の費用がかかるでしょう。これだけの費用をかけて、なんの成果も得られませんでした、では国民が納得してくれません。価値ある成果が見込めないことには、次世代建設云々といった話にはなりません。
――陽子崩壊が見込めたら、オーケーなのですか。
 陽子崩壊が見つかるならいいです。でも、いざやって見つからなかったら大変です。100%とは言いません。運悪く見つからなかったらごめんなさいと謝るほかありませんが、せめて90%ぐらいの見込みが欲しい。ですから、そのような担保をしてくれる知見がどこからか出てくる必要があります。
 あるいは東海村の加速器とのコンビネーションで、ニュートリノ反ニュートリノの非対称性の研究なども可能ですが、そのためにはμニュートリノがたしかに電子ニュートリノに振動していることを確立しなければなりません。
 こういったことが確かめられて確実な成果が期待できるまでに機が熟さないことには、多額の費用がかかる実験に安易に手を挙げるべきではないと考えています。
――そういう点で言えば、国立大学の独立法人化は神岡の実験にどのように影響してくるのでしょう。
 分かりません。分からないというのは、たとえば計画中の重力波実験でもスーパーカミオカンデと同等程度のお金がかかりますが、そういった基礎研究をどうやって予算化するのか今だ道筋がはっきりしません。
 今までは学術審議会などでの議論を経た上で文部科学省と大学にお願いし、文科省が大学と調整していました。これが今後、大学内での議論を先にしなさいとなった場合、我々のやるようなお金のかかる短期的成果が出にくい基礎研究は非常に推進しにくいものになる可能性があります。
 宇宙線研などは助教授以上が14人いませんから、14人に100億円も使うのかという批判がどうしても出てくるでしょう。お金だとか、人数だとか、すぐ出てくる成果だとかで基礎的学術が判断されるのは、非常にまずいです。
 法人化というのは微妙で、運用次第では非常に良い面も出てくると思いますが、間違えたら大変です。今までのように、大学の運営を誰がやってもあまり大きな違いが出ない、とはならないでしょう。基礎学術に理解がある大学執行部ができるかどうかが、我々の死活問題かも知れません。

――神岡での宇宙線観測は、社会にどんな意義を与えられますか。
 我々のやっていることは、短期的なものではなく、長期的に社会に蓄積されていく資産だと思っています。そこに夢を描く人もいるでしょうし、それを応用しようと考える人もいるでしょう。今は分からないが、将来社会に対し役に立つものがきっとそこから生まれるでしょう。
 しかし、今は無駄なものとしか映らないかも知れません。ですから社会全体にこれを受け入れる余裕がないといけない。あるいはこれに投資できるだけの余裕を持った社会でないといけない、と思っています。
(追記:2003年10月17日、政府の総合科学技術会議は、来年度の主な科学技術予算の格付けで、東海村の新設加速器を使うニュートリノ振動実験を、4段階の最低「C」と評価した。ちなみに最高の「S」には、高速増殖炉「もんじゅ」の改造工事や国際熱核融合実験炉計画の推進が含まれている。)

(2003.9.24)



4章 天啓の空気シャワー

◆瀧田正人
大阪府出身 1960年生
東京大学理学部卒、東京大学大学院理学系研究科修了。大阪大学助手を経て現在東大宇宙線研助教授、乗鞍観測所長。


――ヤンパーチンでの観測はチベットASγ実験と名前が付けられていますが、ASは空気シャワーのことですか。
 Air Shower、空気シャワーのことです。
――それではASγとは、空気シャワーとγ線を観測するということですね。
 ASは空気シャワーのことですが、γは宇宙γ線とガンマファミリーの両方を引っ掛けています。
――シンチレータアレイはシャワーの電磁成分を捕えるものですね。これを解析してγ線によるものをピックアップするわけですか、それともシンチレータに進入してきたγ線を直接捕えるのですか。
 空気シャワーの中からγ線によるものをピックアップします。直接捕えるものではないです。γ線が大気に入ってきてe+e-γ、e+e-γ…と分かれていく電磁シャワーの電磁成分をシンチレータが捕えます。2次宇宙線ですね。
――Tibetはなにもγ線だけを観測しているわけではないですよね。
 Tibetには今3つのテーマがあります。1つは、今おっしゃった天体からのγ線です。もう1つは、およそ1015〜1016eVのknee領域における一次宇宙線のエネルギースペクトルの測定です。ここでの元素がいったい何なのか、鉄なのか水素なのか、決定しようとしています。
 3つ目が、太陽の影と呼ばれるものです。宇宙線中に太陽の影を見ることができます。これを観測することで、地球と太陽の間の大局的な磁場構造の知見を得たいと思っています。
――TibetVでは1秒間に1000個のシャワーを捕えることができるのですか。
 最近TibetVが完成しまして、1秒間に1500ほど捕えています。
――この中からどれぐらいγ線を見つけられるのですか。
 例えばカニ星雲のγ線で言うと、1年間で5.000から10.000程度でしょうか。
――1秒間に1500のシャワーを捕えるにしろ、1時間に1個有るか無いかのスケールなのですか。
 そうです。γ線は非常にレアな信号です。
――月の影が西にずれたり太陽の影が見えたりするのは、宇宙線の大半が陽子だからですね。
 そうです。それと太陽(と月)が大きさを持っているからです。

――Tibetが低エネルギーのγ線を高い頻度で捕えられる理由はなんですか。
 標高4300mという高い所にあるからです。
 空気シャワーというのは、1020eVもの高エネルギーですと最大発達するのが地表レベルですので、低地で観測するのに適していますが、我々の観測するTeV領域ですとずっと上空で広がりしぼんでしまいます。ですから高地で広がったところのシャワーを捕えるのです。
――でもボリビアのBASJEはもっと高いですね。
 そうです、標高5200mですね。高度的にはボリビアのほうが良いです。それでも(低エネルギーγ線の捕捉を)できない理由は、ヤンパーチンのような37.000m2の平地面積を確保できないからです。
――Tibetは低いほうでは3TeVぐらいまで捕えられるようですが、高いほうにも限界があるのですか。
 たしかに低いものは数TeVから捕えられますが、高いほうは頻度で制限されます。
――数が来ないということですか。
 そうです。エネルギーが1桁上がると、頻度は10-3です。つまり千分の一になります。
――たまたま最高エネルギーの宇宙線が飛び込んできたら、それと認識できるのですか。
 ヤンパーチンの高度では(高エネルギーの)シャワーは広がりきりませんから、エネルギーを測れません。
 もっと上空なら粒子は1個なわけで磁場で曲げて計測することも可能ですが、それができないから、粒子が増殖していってマックスに達したところの数を数えるのです。ですから最高エネルギー宇宙線がかかっても、そのエネルギーは分かりません。ただ、何々以上のエネルギーだったとは言えます。
――その何々以上のものというのは、具体的にはどのくらいあるのですか。
 1017eV以上で言えば、年間数百例になります。
――そんなにあるのですか。
 さっき言いましたように、一次宇宙線の観測頻度はエネルギーが1桁上がるごとに千分の1になります。1017eVが数百あったとしても、1桁上の1018eVはその千分の一ですよ。

――Tibetは広視野のγ線望遠鏡と言っていいわけですね。
 CANGAROOとの比較ということで言えば、その通りです。
 CANGAROOは、天体からX線が出ているなどの情報を得た上で、それを目標に定めて観測します。その際の感度は、Tibetとは比較にならないほど良いものです。ただし視野が狭い。点源を見るCANGAROOと、Tibetは目的が違います。
――Tibetは全天の4分の1を見張るのですか。
 そうですね、それくらいになります。
――それは入射する角度がヤンパーチンのアレイ方向に向いている必要があり、アレイをかすめていくような方向のものはだめということですか。
 そうです。天頂角でおよそ30〜40度までを見ていることになります。そもそももっと水平に近い方向からのものは、厚い大気に吸収され極度に頻度が下がり、まったくと言っていいほど来ません。
――天頂からのものが一番頻度が高いということになりますか。
 エネルギーにも左右されますが、まあそう言っていいです。
――観測に、雪や雨などの天候は影響しないのですか。
 関係ありません。そこもムーンレスナイトでしか観測できないチェレンコフ望遠鏡(CANGAROO)と違うところで、Tibetは24時間観測できます。

――中心部のエマルションはシャワー中心軸を詳細に調べるためのものですか。
 実はエマルションはもうありません。もうフィルムを現像して実験データを収集しました。その解析をした論文がもうじき出るところです。
 これはさきほど言いましたknee領域の化学組成を調べるものです。我々は、化学組成がここで水素から鉄に代っていると考えています。それで80m2のエマルションチェンバーとシンチレーションバースト検出器を設置して、陽子を選別しました。方法は、エマルションに同じ方向に、4TeV以上の2次粒子が4本以上走っているファミリー事例と呼ばれるものを見つけます。それは陽子によるもの、と高い確率で言えます。
 理由は簡単で、陽子が大気100g(1気圧1013g)に1回程度の反応確率だとすると、ヘリウムは40gぐらいになります。つまり陽子よりずっと上で反応してしまうのです。鉄でしたらさらに上空で死んでしまいます。ですからエマルションに4TeV以上の4本の飛跡を残せるのは、直前まで生きていた陽子による若い空気シャワーだけになるのです。
 そしてこの陽子にバイアスをかけて空気シャワー事例を選別し、空気シャワーアレイにより、そのエネルギー分布を調べるのです。
――現像を1回したらそれでエマルション実験は終わりなのですか。
 (エマルションは)フィルムですから、一度現像したらそれで終わりになります。
――どのくらいさら曝したのですか。
 96年から3年間です。
――シンチレータはリアルタイムでデータを取得していくわけですね。片やエマルションは現像して初めてデータが手に入る。それがシンチレータとどうやって連携できるのですか。
 それができるのです。エマルションはたしかに時間情報を持っていないわけですが、エマルションの下に設置されたバースト検出器は、時間情報とおおよその位置情報を持ちます。ヒットするレートは1000秒に1回程度ですし、空気シャワーアレイの角度分解能はそのエネルギー領域でおよそ0.2度の精度を持ちますから、エマルションで捕らえられたファミリー事例に対応する空気シャワーを探すことができるのです。
 これを連携させて総合的に解析することで、knee領域にある陽子の詳しいエネルギースペクトルを求めようとしたわけです。
――Knee領域での折れ曲がりは明野のデータではかなりはっきりしていたものが、チベットのデータではずいぶん緩やかになっているそうですが。
 最近(のデータ)は近づきつつありますね。
――明野のデータに近づいたということですか。
 両者の間ぐらいにです。
――knee問題が存在することは確かなのですね。
 それは間違いありません。Knee問題があるのを誰も疑っていません。いま問題になっているのは、それが陽子なのか鉄(の核)なのかです。我々は鉄だと思っています。
 加速の限界がkneeを生じさせると考えられています。鉄の原子番号は26ですから、陽子(の電荷)はその26分の1です。鉄のkneeは(スペクトル図の)上のほうに現れ、陽子は下のほうにkneeを作ることになります。
 それでは観測データに現れているkneeが何なのかと問われれば、それは鉄であり陽子のkneeはずっと下(鉄のkneeの26分の1のエネルギー)のほうで起こっている、というのが我々の主張です。近いうち決着するでしょう。
――Tibet実験最大の成果は、やはりknee問題の核心に迫ったことでしょうか。
 そうですね。それと、空気シャワー観測装置としては初めて、カニ星雲のγ線あるいは2つの活動銀河核(Mrk421とMrk501)からのγ線を捕えたことでしょう。これらは先にチェレンコフ光観測の連中が見ています。それでもこれが重要なのは、発見物語としてではなくて、誰もそんなものは見えないだろうと思っていた空気シャワー観測装置で見たことにあるのです。この先にある未知のγ線源の全天探索が可能であることを示す第一歩なのです。
 あと、太陽の影を捕えたことも挙げられますね。小技かも知れませんが、どこもやっていないユニークなものです。

――他に太陽フレアの中性子観測もしていますね。
 これは名古屋大学太陽地球環境研究所の村木綏先生が中心になってやっている観測です。
――先生は乗鞍の観測所長でもありますが、ここでも同様の観測をしていますね。なぜ太陽からの中性子を観測することが荷電粒子の加速を明らかにすることになるのですか。
 私がお答えしてもいいのですが、ちょうどこれで学位論文を得た適任者がいますから、そちらから。
(以下 東大宇宙線研究所研究員 土屋晴文氏 談)
 まず太陽中性子がどうして発生するかを説明します。
 太陽表面で太陽フレアが起ると、そのメカニズムはまだ不明なのですが大規模なエネルギーが発生します。このエネルギーで太陽大気中の陽子やヘリウムなどの荷電粒子が加速されます。加速された陽子やヘリウムが、周辺の太陽大気に衝突して核反応を起こします。その際に中性子やγ線が放射されるのです。
 この2次粒子を測ることで、もとの荷電粒子における加速メカニズムの情報を得ようとしているわけです。
――荷電粒子は太陽大気に遮られてしまうのですか。
 太陽フレアにもいろいろなモデルがあるのですが、加速された荷電粒子は太陽表面をたたく方向と太陽の外に向かう2方向に分かれます。中性子やγ線を発生するのは表面をたたくものです。外側に向かったものは、そのまま太陽からのイオンとして、人工衛星などで観測されます。
 なぜ中性子を測るかと言いますと、中性粒子ですので、太陽の磁場や地球太陽間の磁場に遮られることなく真っすぐに飛んできます。それで(地球到達までの)時間を測ってやれば、TOF法(Time Of Flight:飛行時間から速度、エネルギーを測定する方法)でエネルギーを算出できます。それを源の荷電粒子に焼き直してやるのです。
(以上 土屋晴文氏 談)

――チベットが中国なのかどうかは別にして、欧米やオーストラリアなどとの共同の実験というのはありふれていますが、アジアとの大規模な基礎実験の交流というのは珍しいのでは。
 そうですね、珍しいと思います。しかも長く続いています。
――ヤンパーチンが神岡のような基礎実験の国際的拠点になる可能性は。
 中国はそれを目指していますね。
 実際に我々のチベットASγ実験の隣りで、中国とイタリアが共同実験(ARGO)を進めています。我々とは原理の違う測定器を使うものですが、やはり全天型の観測をします。Tibetのシンチレータは予算の関係で敷地のわずか1%を占めるだけですが、彼らの測定器は約5000m2を面として覆うもので、2005年から稼動する見込みです。そういう動向からすれば、ヤンパーチンも国際的な拠点になりつつあると言えるかも知れません。
 彼らはライバルになるでしょうが、不可欠なパートナーにもなります。例えばTibetがγ線バーストを捕えたとしても、同時観測でコンファームしてくれるところがないと、なかなか信用してもらえません。SN1987AのときのカミオカンデとIMBの関係が良い例で、追認してくれる存在が必要なのです。
――Tibetにおける先生の役割は。
 多分、実験のスポークスパーソンなのでしょう。この実験は湯田利典先生が生みの親のようなものですが、先生が2000年に退官されて、私はその後にこちらに来ました。まだ3年ほどですが、湯田先生の後を受けた、日本側の責任者と思ってもらっていいです。
――Tibet実験の近々の目標あるいは計画は。
 37,000m2のTibetVがようやく完成したので、これで連続観測してさきほど言及しました3つのテーマで成果を挙げるのが近々の目標ですね。
 その先はまだ議論の最中ですが、例えば敷地の1%でしかないシンチレータの面積を10倍とか15倍に増やして、500GeVぐらいまでエネルギーしきい閾値を下げて、γ線や宇宙放射線の探索をすることですね。あるいは、knee領域の化学組成をもっと精度良く見る観測装置の導入なども考えられます。
――またエマルションを置くことも選択に入っていますか。
 できればエマルションは置かないで済むように考えています。エマルションは解析がたいへんですから。

――先生はもともと素粒子が専門なのですか。
 どうでしょう。私は小柴研究室にいましたから、その後先生が退官されて戸塚研究室に替わりますが、ずっと神岡の実験をしていました。これをなんと言うかですね。宇宙線を使った非加速器実験とでも言うならば、もともとの専門は宇宙線物理と素粒子物理の合の子ということになりますか。
――今の立場では高エネルギー天文学ということになりますか。
 広く言えば宇宙線実験ですが、高エネルギー天文学と称したほうが聞こえがいいかも知れませんね。
――最初から実験屋になろうと。
 まあ成り行きでしょうか。
――日頃から宇宙線とか素粒子とか考えている研究者の方々は、学問的な厳密な宇宙論というのではなく、宇宙とはこういうもんだろうというような感覚的な宇宙観を持つものでしょうか。
 目先のことに忙しくて、宇宙の果てに何があるかみたいな抽象的なことや哲学的なことは一切考えないですね。
――素粒子についてはどうですか。近い将来素粒子とはなんであるか、すべて説明できるようになると思いますか
 スーパーストリングス理論といった類いの話ですか。それはまだ遠いと思いますね。まずヒッグス粒子が見つからないといけません。
――それはCERNで見つかるものと思われているのでは。
 そうですね、CERNのLHCで見つかると良いですね。
――Tibetもだいぶお金の掛かる実験だと思いますが、基礎科学あるいはTibet実験の意義を一般市民に説明するとしたら。
 基礎科学はアピールが難しいですね、ガンが治るとか実利的なことを言えたらいいのですが。人間の本質のひとつである知的好奇心の満足以外には、今は役に立たなくても将来役に立つ可能性がある、としか言えませんね。
 Tibet実験も、宇宙線はどこで生まれてどのように加速されているのかのメカニズムを探るものですが、実利にはほど遠いと正直に言わざるを得ません。
(2003.9.16)
間違い、勘違い、見当違いにお気づきになりましたら是非ご一報願います。  塩野梅也


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