んだんだ劇場2004年4月号 vol.64
No13
一路カブールへ
 バスはクンヅーツから一路南下してカブールを目指すのだが、それとは別に、クンヅーツの西側にはマザリシャリフの町があり、その間には有名な一〇〇キロ以上にわたるアフガン北部最大のタシュ・クルガン砂漠がある。
 朝の時間をゆっくり過ごしたあと、バスはカブールに向かって出発した。クンヅーツからバーグランやドーシを経由してカブールに南下する道路はこれまでと違って、バーグランを過ぎると舗装道路の立派なものとなった。ただこの先ではヒンズー・クシュ山脈のサラン峠を越えなければならない。
 ドーシの町を過ぎるといよいよサラン峠への上りとなる。
 コタール・サランは標高三六六三メートルで富士山ほどの高さである。ここにはソ連の援助によって出来た長さ二・七キロのトンネルがあってその手前の見晴らしのいい高所で休憩した。東西に走るヒンズー・クシュ山脈の一角、氷河を頂いた山々がまわりに見える。高度が高いせいか肌寒いくらいだが、これからいよいよ灼熱のカブールに向かって行くのだ。
 アフガニスタンは今、アジアハイウェイの高速道路が着々と整備され、ヘラートからカンダハルを経由するカブールまでの道路はすでに完成し、北のバグランからマザリシャリフ、ヘラートの路線も一部が出来ているという。
 このように国内の主要幹線こそ立派だが、地方道となると、かろうじて<自動車の通行が可能である>という程度のところがほとんどである。これまでたどって来たファイザバードからの道にしてもまったくそのようなものであった。
 国土面積が日本の約一・七倍という広さの中で自動車が通行できる道路の総延長が六千キロしかなく、それもほとんどがソ連やアメリカなど外国の援助に頼るという道路事情が今のアフガニスタンなのである。
 岐阜大学の学術調査隊の報告によると、一九六七年現在、アフガニスタンでの自動車保有台数はトラックが約一万八〇〇〇台、バスが約三〇〇〇台、乗用車が約三万台であるという。したがって、ぼくらは今、三〇〇〇分ノ一台のバスをチャーターしていることになる。
 サラン峠を越えると麓にサランの村があり、そこから東にパンジシールの谷がつづいている。そこはアンジュマン峠を越えてバダクシャンに出る道が通じている、いわゆるアンジュマン街道である。
 サラン村からは、これまでの茫漠とした茶色の世界とちがって緑のオアシスが目立って多くなった。チャリカールは果物畑が広がりとくにブドウが多い。新鮮なフルーツなど長いこと口にしていなかったので、バスを停めて透明な緑のぶどうをたらふく食った。しかし、全身に水分がしみわたるような美味しさに加減もなく食べ過ぎてしまったため、あとで腹を壊すことになってしまう。
 カブールはもう目と鼻の先であった。暑い砂漠の都市に帰り着けば、あのみずみずしいラグビーボールのようなハルブザ(メロン)もスイカも、シシカバブーも待っている。キャラバンの大半を現地食に頼ってきたせいか、願いはもう食べ物のことばかりであった。
 広い通り、ビルディング、バザールとモスク、何より喧騒の人通りが懐かしかった。カブール出発からおよそ一五〇〇キロもの全行程は、アフガニスタン北東部をほぼ一周するという長旅であった。

旅の終わり
 目抜き通りにあるスピンザーホテルの窓から喧騒のカブールを見下ろしている。遥か異国にありながら、一ヶ月ほど前にちょっと滞在したというだけで妙な懐かしさがある。
 この一国の首都にいると、食事はもとより依るべき文明生活ともいえるかも知れない、そんな熱気がひとつところに澱んだような乾いた空気でさえ、ある種の安心感をもたらしてくれる。
 行き交う車のクラクションとロバの鈴が混じり合って砂漠都市のにぎやかさに溢れ、ホテルの窓から眺める光景は、生き生きとしたカブールそのものである。
 アフガニスタン国軍の軍事パレードを間近に見た。これで戦争などできるのだろうかというような質素な軍隊ではあったが、ザヒル・シャー国王のもと、自立の行進に見えた。
 またある日は、窓の真下の広い通りに、フランス製のシトロエンがズラリと並んだ。パリ・カブール間のシトロエンラリーらしい。ヨーロッパから陸続きである大陸の壮大さを見た気がした。
 アジアハイウエィが東に延びつづけ、シルクロードへの憧れかオリエント志向なのであろうか、カブールの街には西側外国人の姿がけっこう多い。ほとんどは旅行者なのだが、中でも若者の姿がけっこう多いのにおどろく。物価が安くて少々あぶない麻薬も手に入り易いためヒッピーたちの立ち寄り先でもあるのだ。
 治安はそれほど悪くはないが安心はできない。ある日、ぼくがひとりでバザールに行こうと街を歩いていたら、外国人旅行者の女の子に道を尋ねられた。オールドバザールに行きたいらしい。
 ぼくはちょうどそこへ向かう途中だったので案内しながら同道した。スペインからきた大学生だと彼女はいった。旅の目的は仏陀の研究のためで、カブールからインドへ向かう途中だという。
 小柄なラテン系の顔立ちのスペイン娘とオールドバザールの人込みに入っていろいろな店を覗いていた時だった。
 彼女がキャッ!と叫んで足を抑えながらうずくまった。どこからか石つぶてが飛んで来たのだ。幸い怪我をするような具合ではなかったが、カブールの雑踏の中を男女二人で歩くことは危険なのだろうか。ちょっとヤバイと思ったので、彼女をエスコートしながらカブール川にかかる橋を渡って広い通りに戻ることにした。
 イスラム国のアフガニスタンでは一夫多妻の制度が公認されているためか、女にあぶれる男たちが多い。街でよく見かけたことだが、屈強の男二人が手をつないで歩く姿もめずらいいことではない。
ホモにもなれない男が外国人アベックに嫉妬して石を投げつけたのだろうか。それもあり得ると思った。
 彼女がホテルに帰るというので、日本男児はそこまで送ることにした。そのホテルに着くと、彼女は安心したのか、ぼくをまっすぐ見てにっこり微笑んだ。お互いさよならを言おうとした、そこまではよかったのだが、彼女は突然ぼくに抱きつきほっぺたにお礼のキスをしてホテルの中に消え去った。あっという間の出来事でぼくは呆然とした。こんなことってあるのかと思った。
 気を取り直し、露店で大きなハルブザを買ってホテルに帰り、そのことを仲間に報告した。誰も信用してくれなかった。でもこれは夢ではない事実で、石をぶつけられるよりはるかに強烈な衝撃が頬に残っていた。


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