んだんだ劇場2004年1月号 vol.61
遠田耕平

No31  麻疹の話

 新年になってしまった。クリスマス休暇をとって、しばし秋田に戻り、家族と再会。愛犬と戯れ、県立プールで泳ぎ、田沢湖でスキーをして、暖冬の秋田を遊んでいるうちに、原稿を書きそびれてしまった。僕のつたない原稿を楽しみにしてくれている稀有な読者に申し訳なく、僕の新年は皆様へのお詫びから始まる。そのしっぺ返しか、今は汗ばむプノンペンの家で、一人お仕置きのように深夜原稿に向かっている。

麻疹(はしか)ってなんだ?
 カンボジアの僕の12月は、ラオス国境で発生した麻疹(はしか)の現地調査から始まった。ところで読者の皆さんは麻疹をご存知だろうか?ここで少し麻疹の説明をしよう。
 麻疹(はしか)は麻疹ウイルスによる感染症で、感染してから10日ほどの潜伏期をおいて、高熱と目の充血、鼻水、咳を伴って発症する。そして、数日後には特徴的な発疹が顔から始まり、数日で全身に広がる。特に初期の高熱と同時にコプリック斑と呼ばれる塩の塊のような白い斑点が口の粘膜に出ることが有名で、早期診断のきっかけになるが、2−3日で消えてしまう。これが消えるころに、皮膚には赤くてわずかに盛り上がった小さな発疹が顔面の額の生え際や耳の後ろあたりから始まり、数日で全身に広がる。熱は下がり始めると、顔面の発疹も数日で消え、体の発疹は1−2週間ほどできれいに消える。
 人から人への感染は唾液の飛沫などで短時間に広がり、風邪のウイルスほどではなくても、天然痘やポリオよりもずっと早いスピードで伝染していく病気のひとつなのです。そしてこのウイルスの最大の問題は感染のあとに、肺炎、脳炎、中耳炎などの合併症があること。特に麻疹ウイルスによる肺炎とその2次性の細菌肺炎は深刻で、多くの子供が今でも命を落としている。特にアフリカなどの栄養状態の悪い、ビタミンA不足の子供に死亡率が高く、WHOは2001年の推計で、年間3から4千万人の子供たちが麻疹にかかり、年間74万5千人の子供たちが麻疹が原因で死んでいると指定しています。これはワクチンで防げるはずの子供の死亡数が170万人と推定されていますから、その半分近くになるわけです。

 実は日本でも麻疹のワクチン接種率が不十分なために今も毎年数人の子供たちが麻疹肺炎で亡くなっているのです。日本人の麻疹に対す警戒心は昔から意外なほどに薄い。麻疹にかかっている子供が近所にいると、おばあちゃんが孫に、そのうち遊びに行って、麻疹をもらっておいで、なんて言う。確かに一度罹ってしまえば一生罹らないし、早く罹った方が成人で罹るより症状は軽いことが多い。
 でも、これはワクチンのなかった時代の話。今はいいワクチンがある。麻疹のワクチンは1960年代に見つけられ、70年代には安全で安価な生ワクチンとして実用化されました。WHOとUNICEFは今も一人分を15−30円で供給しています。麻疹ワクチンは生後9ヶ月以降の子供に有効で、ワクチンを受けた子供の85−90%は終生免疫をえることができます。日本でも70年代の終わりから定期の予防接種に加えられたのです。
 ところがワクチンの副作用に対する過剰な心配から、お母さんたちのワクチン離れが進み、接種率は下がる。日本の政府は1歳から6歳の間でやってください、出来たら1歳半から3歳くらいでどうぞ、何てのんびりしたことを言っている。アフリカの子供たちはすでに生後数ヶ月から麻疹で亡くなっているというのに。

 一方、腹立たしいことの多いアメリカというお国ですが、麻疹対策に関しては偉い。アメリカは麻疹ワクチンを定期接種と一斉キャンペーン接種もしくは学童時の定期接種で、2度ワクチンを接種することで伝播を完全に抑え、アメリカにあった土着の麻疹ウイルスを2000年の初めに完全に撲滅してしまいました。
 今アメリカに年間数十例報告されている麻疹はすべて外国から持ち込まれた麻疹ウイルスで、その最大の輸出国はなんと日本やドイツ(敗戦国?)です。日本は自動車をアメリカに輸出するだけじゃなくて、麻疹まで輸出するんだな、なんて嫌味を言う連中までいる。
 日本政府は世界の麻疹制圧の為にアジアやアフリカの国々に何十億円もの麻疹ワクチンの供給をしているので、余計に残念に感じるのかもしれない。日本が自国の対策に消極的なのは、なぜだろう。やはり感染症の対策を世界レベルで考えた政策の一貫性のほうが、いくつかの国の利権を守るために送る自衛隊より余程日本にとって大事だと思うのだが。

麻疹を追って、メコン上流のラオス国境を走る
 麻疹発生の噂は11月の末頃からプノンペンに届いていた。ラオスのカンボジア国境の村で十数人が罹患して数人の子供が死んだらしいという未確認の情報が先に入ってきた。それとほぼ同時にカンボジアのスタントレン県(人口9万1千人)のラオスと国境を接する村で数十人の麻疹の子供たちが見つかったと、連絡が県の衛生局から入ってきた。患者の数はまだ20人程度で、麻疹(はしか)ではなく、風疹(三日はしか)の可能性もある。
 まず、採血して麻疹の確認をして、患者の年齢や接種歴などの情報をもう少し集めてから現地に行こうと僕は考えていた。ところが大発生という噂が保健省にいち早く流れ、長官から直接早急の調査の依頼が来た。ご本人は会議で日本に行くのでよろしく頼むという次第。
 翌朝5時起きで、車で現地に向かった。遠いとは聞いていたが、本当に遠かった。メコン川に沿って並走する道を上流に向かってひた走る。7時間ほど走ったところから道はひどい悪路になり、ブッシュの中をさらに5時間。なんとスタントレン県の町に着くまでに12時間かかった。さすがにインドでギックリ腰になったあたりが少し痛む。夕闇の中、県の衛生局の一室で衛生局長と話をし、とにかく大発生の場合に備えてプノンペンから麻疹のワクチンと注射器を7000人分、船を使って一両日中に取り寄せることにした。ワクチンを使うかどうかは明日の僕の調査待ちということになる。

スピードボートと不思議な大木と川イルカ
 翌朝、クイティオという麺の朝食を済ませ、トラックのエンジンを積んだ木製の細長いスピードボートとやらに救命胴衣とヘルメットかぶって乗りこんだ。このボートでメコン川の上流のラオス国境に向かって一時間走ったところに、麻疹の発生している国境沿いの村と保健所(人口7138人、13の村を管轄する)がある。
 ボートは物凄い爆音で川面を疾走した。メコン川は乾期で水量が減り、何百メートルもある広い川幅のいたるところで川底が中洲になり顔を出している。ボートはこの浅瀬を巧みに避けながら走り続ける。回りに人家もなく、延々と広がる緑の原始林の中をメコンが流れている姿は雄大だ。

メコン川の中でなびく木の枝?根?

その遠景
 目を奪われたのは中洲や川岸に立つ大木の不思議な姿である。大木たちはその幹の根元から4〜5メートルの高さまでに直接根か枝かわからないものを生やしているのである。その地上の根か枝はまるで幹から太い髪の毛が横に向かって直接生えたように川下の流れの方向になびくようにニョロニョロと伸びているのである。ここでは乾期と雨期で4〜5メートルも水位が変わる。多分乾期に中洲に根をおろした大木が雨期に水没しながらもその根か枝を水中でも成長させ、乾期になって地上にその姿を現しているのだ。これを見るだけで水位がどれほど変わるかがわかるからおもしろい。

 プノンペンの保健省から一緒に来たカンボジア人の先生が、「Dr.トーダ、ここにイルカがいるんを知っている?」といって、ラオスとの国境線上の水面まで来てボートのエンジンを止めさせた。しばらくすると、100メートルほど先に体長2メートル弱の小さなイルカが2頭、息をするために背びれを水面に見せては小さな弧を描き、またゆっくりもぐっていく。
 海で見るイルカと違い、鼻は平べったく、のんびりと水遊びしているようなこの川イルカはとても有名らしい。この川イルカを見るために物好きな観光客が今の時期訪れるという。もうひとつ医学的にユニークなことは、日本住血吸虫の仲間のメコン住血吸虫という珍しい寄生虫が人に感染して残っている世界唯一の場所でもある。

麻疹の子供たち
 麻疹の報告を最初にしてくれた、村の保健士さんがその調査中に脳出血で倒れ、数日前に亡くなったという。どうも他人事とも思えない。現地のスタッフと家を訪ね、嘆く奥さんと葬儀の支度をしているご家族にお悔やみをしてから仕事を始めた。
 まずは保健所の机の上に村の地図とこの一週間で見つかった42人のはしか疑いの子供たちのレポートを並べて、しばし瞑想。発症日(発熱と発疹)を横軸に患者数を縦軸に、毎日何人ずつ患者が出てきたかをグラフにする。それをまた村別に色分けしてみる。それから患者の平均年齢を計算し、患者のワクチンの接種歴を出してみる。
 患者の平均年齢は8〜9歳。ワクチン歴は13%しかない。患者は川沿いの道路のつながった小さな3つの村に集中していて、その真ん中に学校がある。どうやらその学校が感染の広がりを助けたらしい。水を一杯飲んでから、メモ帳と患者の口の中を見る懐中電灯、それに聴診器を久し振りに握って、11人の患者と29人のその回りに住む子供たちを村から村へ2日間かけて診て回った。

ラオス国境の保健所での打ち合わせ

村での調査、子供の診察

 軽い肺炎に罹っている子供が一人いたことを除いて、幸いなことに重症な患者は一人もいない。驚いたことに顔面から体に発疹が広がる典型的な麻疹の急性期の患者を診たのは赤ん坊一人だけで、あとはみんな発症から一週間程度経って、体にわずかな発疹と色素沈着を残す程度の子供たちばかりだったことだ。もちろん新鮮なコプリック班を見ることはできず、意気込んできただけに、正直言うと少しガッカリ。(19人の採血をした結果は、5日後に80%が麻疹の血清抗体検査で陽性と報告された。)
 たまたま村で出くわした少女が最初に罹ったと報告された患者より数日早く森の中で家族の手伝いをしていて発症していたことを話してくれた。この子がウイルスを学校に持ち込んだ初めの子供かもしれない。
 この地域では今がコメの2期作の刈入れ時で、学校の子供たちの半分くらいは1週間ほど学校を休んで、森の中の田んぼの刈入れの手伝いに行くという。あれから1ヶ月近くたった今も60人ほどの新しい患者が報告されていることを見ると、森から帰ってきた子供たちが感染を細くつないでいるのかもしれない。
 もう一つおもしろいことは、患者ではない子供たちの麻疹ワクチン接種歴を母親から聞き取って、接種カードも調べると、接種歴が58%ある。これは保健所や県のデータともよく一致する。つまり、麻疹にかかった子供たちの大部分はワクチンを受けていない子供の一方、かからなかった子供はワクチンで守られていたらしいということがわかる。さらに、県の役人はこの地域からはここ数年麻疹の報告はないというが、村人の話を聞くと毎年麻疹は少しあったらしい。このことは毎年麻疹ウイルスが少しは子供たちの間で伝染して、ワクチンによる免疫に加えて、ある程度の自然免疫も村の子供に獲得させていた可能性がある。

 再び夕闇迫る県の衛生局の一室で、衛星局長に調査の結果とデータの僕の分析を示して、麻疹(はしか)の大発生、大アウトブレイクの可能性は現時点では少ないだろうと結論付けた。
 この県では一月の終わりから麻疹ワクチンのキャンペーンを14歳までの学童にやることになっている。麻疹ウイルスの伝染は早く、現在この地域ではすでに広範に広がってしまっていると考えられ、ワクチン接種をするなら、広範にやる必要が出て来る。一方、県の全体のワクチン接種率がある程度高くて大アウトブレイクの可能性が少ないだろうと仮定すると、今、子供たちが森に入って学校にいない時期に無理やりキャンペーンをやって悪い接種率でやり直す羽目になるより、きちんと準備して、予定通り一月の終わりの一斉キャンペーンにあわせてやる方がコストも節約できて、結果もいいだろうと結論した。
 僕はプノンペンに帰って痛む腰をさすりながら2日間で報告書を書き上げ、保健省と県の衛生局に提出。麻疹の患者は今日までさらに60人ほど増えたが、大アウトブレイクにはならず、今も僕の予想はそれほど外れていないだろうと感じている。

麻疹(はしか)の急性期の子供の発疹

麻疹の回復期の色素沈着を伴った体の発疹

感染症はおもしろい
 僕のこんな話をおもしろいと感じる人は多分変人だろうが、本人は結構おもしろいと感じているのである。医者でもこんな仕事のしかたがあると最近少しわかってきた気がする。
 昼夜を問わず患者さんを診て、治療して、小さな感謝に生きがいを感じる世界がある。僕はその世界を尊敬する。一方、それとは程遠いが、感染症の伝染する中心に身を置き、患者や村の人たちを調査して、病原菌がどのように感染して、どのくらい広がるかを調べたノートを夜中までにらみ、村の将来も予測して伝染を最小限に抑えるのに最も適した対策を進言する。異なる場所での異なる状況が病原菌との一つ一つの真剣勝負となる。病原菌は一人にとどまらない。村を、町を、コミュニティー全体を感染の対象にする。
 これは僕自身が体で実感し体得していく学問のようなところがある。どんなテキストにも書いていない自分だけのものがあるとはっきり思えるとき、初めてこいつはおもしろいと感じる。少しはみんなの役に立ちたいものだ。

 12月は麻疹の騒動のあと、3つのワークショップを終えてクリスマスになった。新年早々プノンペンに戻って、連日プノンペンの外の保健所の活動を見て回っている。この最後の段落もベトナム国境の町で書いている。
 カンボジアには立派な保健所がたくさん立っている。インドやバングラやネパールとは比べようもない。冷蔵庫がある保健所もあって、いつでも保健所にくればワクチンを受けられるまでになってきている。
 それなのに母親たちはやってこない。保健婦も母親たちを呼んでこない。保健婦たちは村まで出向いてワクチンをしたほうが手間賃が入るからいいという。(政府の給料が12―3ドルしかない。手間賃は月10ドル近くにもなる)母親たちも、保健婦が村まで来るから保健所には行かないという。どちらもやる気がない。定期ワクチンの接種率は伸び悩み、保健所はどんどんさびれていく。この話はまたいつかしよう。


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