んだんだ劇場2004年2月号 vol.62
遠田耕平

No32  家の前の子供たち

感傷
 以前にも話したと思うが、僕の家の前の浮浪児たちはどんどん増えている。12,3歳から15、6歳がもう7,8人はいる。いつのまにか茣蓙を敷き、夜は茣蓙で囲いをしているらしい。最近は14,5歳くらいの女の子も混じり始めた。
 鼻をつく小便の臭いが弱りものである。家の前が残飯の食べかすとゴミだらけになっているが、その女の子が掃除をするのを一度だけ見かけた。その子はこの前、熱を出して昼間も寝ていたが、今はもうすっかり元気になったようだ。元気になったときの顔はなかなか美人さんである。
 この前、試しに子供たちがしているように、一緒に自分の家の前でしゃがんでみた。夕方、僕の家の前の蕎麦屋に来る客をぼんやり見ると、意外に客の顔も夕焼け空もよく見える。
 ほとんどの子が接着剤をビニール袋に入れて吸っている。もちろんタバコも吸っている。麻薬を火で溶かして注射している子もいるらしい。一度だけ夜に火をつけて何かを溶かしているのを見たことがある。僕の顔を見ると、接着剤の袋を後ろに隠す子たちがいるので、なんだ、わかっているならやるなよと、少し拍子抜けする。でも、僕が君たちだったらやっているかもしれないと思う。寂しいし、お腹も空くしな。

 やさしい笑顔をつくる子供が二人いる。バナナやパンを渡すとさらにニコニコする。僕の気まぐれだと非難されても仕方ない。家の前に好きなように居させているせいか、僕にはあまりすさんだ表情を見せない子達が多い。なのに、ふと見るこの子たちの顔はとてもすさんでいる。
 どうしてもこの子たちが気になって仕方がない。困った話だ。お手伝いのリエップさんでさえ本当に仕方ない人だという表情でしぶしぶバナナを買ってきてくれる。こんな子供たちはカンボジアにはたくさんいるのよ、と言う。
 確かにそうなんだろう。僕が暮らしてきたベトナムでも、バングラでも、インドでも、そんな子達は本当に大勢いた。でも一度もあえてこっちから何かしようとはしなかった。なのに今は不思議と子供たちが近くにいて子供たちの表情がよく見えている。
 僕はどうしていいかわからない。わからないのに気になっている。自分の内から湧き上がってくる感情をどうしていいかわからない。困ったものである。そんな子ども達なんか無視すればいいのにと思う、なのに、お腹がすいていないか、病気になっていないか、気になる。気になるが別に大したこともしていない。ぼんやりした甘っちょろい外人だから、家の前で追い立てられることがないとわかってぞろぞろ集まってゴロゴロと寝ている、それだけのことなんだ。なのに僕はうじうじと考えて止まらない。
 家の前の子供たちのことを考えることが、今の僕の心の隙間を埋めているのかもしれないと、ふと気がつく。どうやら連中がいることがここの僕には大事なことなのかもしれないと逆に思えてくる。

 僕は子供の頃、父親が家を飛び出して、母親は生活に追われ、長男の僕が2人の弟たちを連れて施設に入ることもあると覚悟したことがあったと思い出した。施設では兄弟でも別々な施設に収容されることもあると聞いて、夜眠れずに悩んだ。その母は祖父の助けもあり、見事に僕らを育て、2年前に死んだ。
 僕はこうして生きてこれた事に、当然だという気持ちが全く起こらない。自分の努力だとも思わない。周りの愛情と神様がくれた幸運の連続だったのだろうと思う。
 僕は家の前の子供たちを見ていると自分が子供の頃のあの崖っぷちに立たされた一人の孤独な少年に戻っている自分に気がつく。そして、たまたま幸運だった僕と、たまたま不幸だったこの子達の間に人間としてどれだけの違いがあるのかと、叫びたくなる。そして重い気持ちで心は覆われる。
 この子たちは誰一人として浮浪児になりたいと思って生まれてきたわけじゃないだろう。でも、こうして浮浪児でいる。神様は実に見事にどうしようもない不公平を僕らの前につくってみせている。大袈裟に聞こえるかもしれないが、この子たちがいるから僕たちが救われているのかもしれない。
 僕は以前からどうもそんな気がしてならないのである。そこにある一つの幸せは、もう一つの別な不幸であがなわれている様な、そんな気がしてならないのである。自分自身がこうして五体満足なことも体の不自由な人たちがいてあがなわれている。だからその体の不自由な人の一部になることは実に当たりまえなんだよと神様が言っていると僕は感じている。
 でもほんとうにその一部になることは少しもできていない。思っていることと、やることとの間にはとてつもなく大きな距離がある。何て自分は無力なんだろうとほとほと嫌気がさしてくる。

 感情が時折、思いもかけずに噴出する。ただの感傷なんだろうか。
 仕事が夜遅くまでかかって、家に辿り着くと、暗い家の前で寝ている子供を踏みそうになった。その子をまたいで家の中に入って、何か食べるものを探してまた家の外に出て、その子に渡してからシャワーを浴びた。お手伝いさんが用意してくれているご飯を前に一人テーブルに向かって、口にほおばった。突然、涙が噴き出して、目の前のテレビが見えなくなった。涙で食べ物が喉に詰まった。
 こんな感情的な自分に自分ながらに驚く。どうして泣き出してしまったんだろう。またいだ子供のことを考えただけなのに、涙が止まらない。あんまりひどいじゃないか神様よ。あんまりじゃないか神様よ。そんな気持ちが真っ直ぐに自分の心を底から突き上げた。
 なにもできない自分も情けない。安っぽい感傷だと言われても仕方がないのかもしれない。でも、感情は確かに僕の心の奥の深いところから突き上げてくるのである。だからそのまま思いっきり流してやる。つまらん説明なんか要らない。

 人はどんな人でも必ず愛されている。神の愛を受けている。
 マザーテレサの言葉だ。こんな簡単な言葉が僕の心を掴んで離さない。この子たちはこのままじゃダメだ。愛されていることをわかって欲しい。愛されている。愛することがある。生きていてよかったと思うことがある。

 カンボジアはインドに比べてはるかに暮らすのが楽な任地である。こんな楽なところに来ていいのかと少し後ろめたいほどである。そんな中で、僕は自由に自分の感情の流れる時間を今まで以上に意識しているのかもしれない。
 ふと自分の寿命はもうあまりないのかも知れないと最近思う。地雷でも交通事故でも発砲事件でも一瞬にして人の命は消える。だとすると、感情は、感傷といわれても、しっかりとそこに垂れ流しておかないといけないような気がしてくるのである。
 以前僕は老いの自覚と言うことを書いて、老いに向かっていく自分を暗く見つめたときがあった。今は与えられた寿命というもので考えると、老いという定義もあまり必要なく、意味がなくなるなと感じるようになっている。つまり、寿命を想定してみると、残る時間は大したこともなく、不完全な自分をわずかでも多少人間らしく近づけることで、時間は間違いなく使い果たされ、その思いを書き残すだけで、それは精一杯だろうと感じるからです。

 僕は全く口だけである。こうしている間にも家の前の子供たちは少し僕の手におえなくなってきている。数が増えて夜中に騒ぐ子達もいる。ご近所も嫌がっているだろう(もっとも隣はカラオケ屋だけど)。臭いもひどい。腹が減っているだろうと渡すバナナひと房じゃとても仲間のお腹が膨れそうもない。家の前にいさせているだけで、なんとも中途半端。
 朝オフィスに出掛ける時に、チラリと見ると、仲間で子犬のように抱き合って寝ている。これでいいのかな。僕にどうしろというんだろう。神様。この次ぎは僕が誰かに助けを求めに行くことになりそうだ。笑っちゃうね。

地雷原の上の麻疹
 実は今回はこの話をしようと思ったのですが、全く感傷に流れました。稀有な読者の人たちに心から謝ります。
 前回、麻疹(はしか)がラオス国境で発生したとお話ししましたが、それからバンテイミンチェー県のタイ国境で250人という麻疹の大きな発生があり、僕は一週間、村から村へ80人以上の子供たちを診ながら調査をしてきました。
 そこはまさに地雷原の上に今でも村がいくつもあり、目の前で未だに地雷処理をやっているのには多少閉口しました。しかし、麻疹の子供たちを診ながら、その土地での麻疹の感染の広がりや、対策を考える旅は毎回新鮮な思いを僕に与えてくれます。またこの話は別な機会にしましょう。

 プノンペンに帰ると、僕のすぐそばのお寺の前でとても有名な労働組合の若い指導者が、突然頭を打たれて即死しました。人の命ははかないです。人の心は深いです。
 来週から麻疹の追加ワクチン接種キャンペーンが、僻地の10の県で施行されます。僕は大好きな泳ぎも我慢して、蚊帳と寝袋を持って、一ヶ月間、地方を回ることになりそうです。次回はこのお話をしましょう。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次