遠田耕平
No34 メコン川・キャンペーンの旅
そして誰もいなくなった僕の家の前
そして本当に誰もいなくなった。大繁盛していたカンボジアの蕎麦屋さんは警察から道路で営業をしてはいけないと勧告されて、2ブロック先に小さな店を構えて移った。突然のことだった。そしてあの子供たちはもういない。
でも、一人、一番仲間と喧嘩をしていた、痩せて目のすさんだ14〜15歳位にみえるラックという子が時折ぽつんと僕の家の前に現われる。施設を逃げ出してきたときは新しい古着を着て少し小奇麗だったが、今は元通り垢と埃にまみれている。
新しいねぐらを近くに見つけて仲間といるという。でも、ラックの目は最近すさんで見えない代わりに、とても疲れているように見える。ぼんやりしている。だから余計に心配になる。前より痩せた様に見える。僕に近づいてくるときの目に力がない。僕がお腹が空いているのか?とお腹を触ると、ニッコリしながら頷く。家にあるバナナやパンを探して持ってくるとそこにしゃがんで食べている。水も渡す。カンボジアは今、日に日に温度が上がってきてとても暑くなっている。外で寝るのも大変で、病気でもしたら困るなと、僕は心配だ。
家の向かいのアイリッシュバーに久し振りに入って、カウンターに座り、生ビールを一杯注文した。カウンター越しの格子窓から見える僕の家の前の景色も蕎麦屋がなくなって味気ない。ジョッキの取っ手を握りながらラックのことを考えていたら気持ちが沈んできた。ただ幸運にもここまできた僕と浮浪児のラックとどこが違うんだろう。そう思うとまた気持ちが沈んだ。
僕の心はまるで碇の切れた船のようにどんどんと潮に流されていくように感じる。体もなにやら揺れている。気が滅入って、平衡感覚までおかしくなったのかと思ったら、カウンターの僕の椅子が本当に揺れていた。アレっと思って下を見ると、この店の叔母さんのビヤダルのように太った毛むくじゃらの犬だった。
僕のことを覚えていて、なでてくれと前足で椅子を揺っている。僕は嬉しくなって、床にしゃがみこんで、なでてやる。なでているうちになにやら目頭が熱くなってきた。どうして犬は人間の気持ちがわかるんだろう。僕はこうして、何度も孤独で寂しいとき、犬に慰めてもらったナー、と思い出した。今もちゃんとそばにいて慰めてもらっている。犬は不思議だな。ビヤダル犬の黒い瞳を見ていて少し心が落ち着いてきた。
またまた麻疹ワクチンキャンペーンの旅
タイ国境のポイペトという町へ、6時間車を走らせ向かった。この町は最近タイが巨費を投じてラスベガスのようなカジノを作ったことで有名だが、もうひとつ、カンボジア人がタイの労働力として連日、大量に国境を越えてタイに流入することでも有名である。この国境の向こうにあるタイのアランヤプラテートという町はかつて僕が学生時代に難民キャンプでボランティアをしたときの懐かしい思い出の町でもある。
国境は2ドル半を払えば誰でも丸一日、入国の許可がもらえる。朝6時にゲートが開き、夕方5時に閉じる。そこに並ぶ人の数は5万人とも6万人とも言われる。坊さんから、リヤカーの担ぎ屋までこの長蛇の人と物の流れを横目に、カジノの裏に日毎に膨れ上がっていく新しいスラムでのキャンペーンを見てきた。
こちらのスラムはインドのムンバイやカルカッタのそれと比べると村のように小奇麗にみえるのだけど、やはりどこでもこういう場所での仕事は大変だ。親たちは、その日の生活で精一杯、学校に行かない子供たちも多い。ワクチン接種なんて二の次である。こういうところでは特に保健婦たちのやる気で随分と結果が左右される。
ポイペトを後、再びメコン川上流の県、クラッチェへ向かった。プノンペンから北に7時間、人口30万あまりの県である。メコン川は今、乾期の終わりで水位が大幅に下がっていて、中州があちらこちらで白い川底が地肌を出している。
イスラム教徒、ベトナム人などカンボジアでは少数派の人たちの村も点在している。イスラム教徒たちの村はインドの北部と違い、とても落ち着いていた。やはり海外に出稼ぎに出ている男たちが多いと聞いたが、女性たちや老人たちはとても積極的で、一般のカンボジア人たちの村よりも却って積極的に接種所にやってくるようにさえ見えた。
ベトナム人たちのことはよくわからない。やはりかたまって住んでいるが、ベトナム人の保健婦が一人もいないことや、ベトナム語のポスターが一つもないことなど、カンボジア政府の対応の弱さを随所で感じた。少数派民族の問題はどの国でも保健行政の最大の落とし穴と言えるかもしれないが、この辺は実態はもう少し掘り下げて、自分で集中的に見てみないとわからなさそうである。
小学校や中学校など、学校での麻疹のワクチン接種は相変わらず盛況である。茅葺のぼろぼろの教室にいる子供たちも一人一人きちんと注射の順番を待っている。先生が何かノートをしているので何を書いているのですか?と聞くと、逃げてしまった子供たちの名前を記録していて、他の子供たちに探しに行かせているという。なかなかしっかりしている。
幼稚部の先生は自分の赤ちゃんを抱っこしながら子供たちを並ばせている。こんなのんびりしたところがなんともいい。中学生たちは相変わらず大混乱。女子学生がどの教室でも一人か二人、大泣きをしてみせる、教室中大喜び。すると、もっと泣く、やれやれである。
茅葺の小学校の子供たち |
麻疹ワクチンの接種 |
翌朝、ボートに乗ってメコン川を渡り、川向こうの車道のない、川に沿って延々と続く村々で20の接種チームが活動をする。僕は砂地の強い照り返しを受けながら、バイクの後ろにまたがって、埃だらけになりながら見て歩く。接種チームは麻疹のワクチンだけでなく、駆虫薬、ビタミンA、さらに1歳以下の子供たちに3種混合からBCGまでの定期予防接種、女性たちには新生児破傷風の予防のために破傷風のワクチンまでやる。とても忙しい。
メコン川を渡る |
バイクで走る保健婦たち |
3月には入って夏の日差しが焼けるように暑いが、道沿いのマンゴの木が実をたわわにつけている。マンゴのおいしい季節だ。まだ熟す前の青いマンゴを千切りにして、サラダにした物が僕の大好物である。ラグビーボールの2〜3倍の大きさがあるジャックフルーツの巨大な実も木の幹からにょきにょきとぶら下がっている。
もう一つ、こういう村回りで、乾ききった喉を潤してくれるのがサトウキビのジュースである。サトウキビを搾り器で何度も搾り、最後にライムも一緒に搾って、少々濁った怪しげな氷を入れて飲む。ほんとうにおいしいのである。僕は2回も飲んでしまった。もちろん鍛えたお腹は大丈夫である。インドで熱中症になりかかった事を思うと、カンボジアにはいくらでも体を癒してくれる方法があるように見える。
接種所と僕 |
村のサトウキビジュースの屋台 |
道で行き交う子供たちにワクチンの注射を受けたのか聞くと、半分くらいは受けていない。つまり、学校に行っていない。かといって、自分では接種チームがいる村の接種ポストへも行かない。学童年齢の子供たちは親が言ったからといって、言うことをきく歳でもない。嫌がる子供は言うことも聞かず、走って逃げていく。
森の畑で親の仕事を手伝っていた子供が、突然、ヌッと草むらから水牛にまたがって出てきた。ワクチンをしたのかと聞くと、首を振って、にやりと笑い、水牛に乗ったまま悠々と立ち去っていった。さすがに誰も水牛の前に立ちふさがって、押し止める勇気はない。この辺が村で子供たちを追いかける接種の難しさである。
注射をした村の子供たち |
水牛にまたがって逃げていく村の子供 |
3月は末にマニラのWHO地域事務局で予防接種の大きな会議が4日間あり、カンボジアは5つも発表を任せられた。忙しい中、保健省のスタッフも自分もよく頑張ったな。
4月はカンボジアで一番暑い季節である。12日からは一週間カンボジアのお正月(クメール正月)が始まる。その直前に、メコン川を泳いで渡るイベントがあるというのでエントリーをしておいた。どうなることやら・・・。次回はその結果からでも御報告しましょう。
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