んだんだ劇場2004年5月号 vol.65
遠田耕平

No35  メコン川を泳ぐ

ついにメコンリバースイム
 僕はどうも試合とか大会というと、聞くだけで緊張する。体が固くなるのである。実力があろうが、なかろうが、自動的に勝ちたいという気持ちで、緊張のスイッチがオンしてしまうようなのである。これは困ったもので、本番に弱い僕のこの癖はこの歳でも少しも改善されていない。回りの人は僕のこんなノミのような心がわからないらしい。僕はいつも大声で笑っていて、緊張など無縁だと思っている。でも緊張しまくるのである。そして緊張しまくって、メコンリバースイムがやってきた。
 メコンリバースイムは今年で9回目、カンボジア在住の欧米人たちが手弁当で主催している。水泳バカの僕はカンボジアに来たときからこの大会の噂を聞きつけていた。ただ、いつ開催されるのか、ぎりぎりまで広告がなく、大会の一週間ほど前にたまたま聞きつけて連絡した。ほとんどの参加者がそうだったらしい。
 プノンペンの街から見えるのはトンレサップ川である。メコン川には直接面していない。わずかにメコン川の合流点が見えるだけである。町から10キロほど国道を北上したところで、メコン川を臨み、その中州までの直線で800メートルほどを泳ぐ。800メートルというと大したことがないようであるが、川べりから対岸を臨むとなかなか遠くに見える。川べりは沼のように泥が堆積していて、わけのわからない浮遊物もぷかぷかしている。どうも足を入れるには勇気がいる。
 もっとも、僕は12年前に初めてベトナムで仕事をしてから、メコン川とはなじみが深い。ベトナムでの3年あまりの生活で3回もボートから川に落ちた外国人は僕ぐらいだろう。網の目のような運河をボートで連日のように村々を渡り歩いたメコン川にはいろいろな想い出がある。ボートから落ちるのではなく、この濁った川を一度自力で泳いで渡ってみたいナと言ういたずらっぽい思いは10年も前からあったわけである。

 当日、僕のアホな誘いにWFPの山中勇さん、JICAの増田貴美子さん、小泉さんが乗ってくれた。そして、飲み仲間たちも応援に駆けつけてくれた。当の僕は緊張のせいか、普段は叩いても起きないのに、当日は早朝に目がさめてしまい、どうにも落ち着かない。

日本人の仲間、左から山中つとむさん、僕、増田貴美子さん

ボランティアと参加者たち
 会場になったところは普通の民家の裏である。大会のボランティアたちが用意をしている。真夏の太陽が照り始めて、温度はどんどん上がっている。予想外に風が川下から吹いて波が立っている。水の流れはわからない。130-140人くらいが集まっている。ほとんどは欧米人たちだが、その中に僕ら日本人とカンボジアの水泳のナショナルチームが数人混じっている。仕事の上で顔を知っているオーストラリア人やニュージーランド人たちも数人いて、思ったよりお祭り気分である。
 去年泳いだ青年協力隊員の情報では、去年は川の流れが強くてみんなが下流にかなり流されて、また流れをさかのぼってゴールに向かって泳いだという。
 ぼくはここに集まっている連中の誰よりも泳いでいるんじゃないかなと、思っていたし、僕が優勝するよなんて、声をかけてくる連中もいたが、どうにも不安は募るばかりである。それに、すごいライバルがいた。なんと同じWHOオフィスで働く30歳の小柄なニュージーランド人の看護士である。彼は過去3年で2回優勝しているという。ああ、、負けたくないなーと48の僕が思うのであるから笑われそうだけど、本当に負けたくない。でも、そう思うと余計に緊張して、コチコチに固くなっていくのである。
 右腕に登録の番号をマジックで書いてもらい、川べりに降りると、足が泥にずぶずぶと沈んでいく。でも、水は思ったよりきれいで、心地よい温度である。140人がいっせいに泳ぎ始めた。先頭に出ようと僕も力いっぱい泳ぎ出したが、どうもおかしい。体が変に回るし、水がうまくつかめないし、呼吸もうまく整わない。人と風でかきたてられる波が想像以上に大きかったのである。

メコンに入る。スタート直前

メコンの荒波を泳ぐ参加者
 流されないようになるべく頭を上げてゴールを見ながら泳ぎはじめたが、波が高くて思うようにバランスを保てない。息をするたびに何度か思いっきり水を飲んでしまう。信じられないことにややパニックになって、とうとう頭を上げて少し休んでしまった。こうなるとリズムが乱れて少しも早く泳げない。
 前方に先頭グループが泳ぐのが見えるがもうどうにも追いつける距離ではない。川の中ほどでは、さらに激しく体が波にもまれ、とにかく何とか中州のゴールまで泳ぎ着いたのである。結局、川の流れは今年はほとんど影響なく、風で起こる波が問題だった。なんとこの小柄のニュージーランドの看護士が今年も優勝した。大したものである。彼に波のあるところで泳ぎ慣れていないからだよと言われて、僕はガックリ肩を落とす。全くプールの大将としては面目がなかった。レースが終わって、波のコツをつかんだせいか、帰りは調子よく泳いで川を渡って戻った。もちろん成績とは無関係の負け惜しみである。

 まあ、やってみるものである。勝負に負けた人間というのは、どうしてもそこで止められないのが自然の感情なのかも知れないなと、ふと思った。いくらそこで落胆し、ガッカリしても、一方でどうしても自分で納得できないのである。だから何度も何度もやってみる。たぶん体が本当に動かなくなるまで。きっと本来、人が自分を信じる力は多分バカじゃないかと思うほど強いものなのかもしれない。だから諦めない。諦めきれない。未練たっぷりの人の心は実はとても大事な人の感情なのである。僕はいつも未練たっぷりである。
 来年の楽しみができたと、心を切り替える。来年は大会の前に川に入って泳ぐぞと密かに心に誓う。今日も僕はやっぱり泳いでいる。僕に出来ることはただコツコツと人よりも泳ぐことである。この線上にしか結果がないことは誰よりも僕が分かっている。こう思うと僕の仕事も生活も生き方も全てそんな線の上にあるように感じてくる。不器用にコツコツとやった先にしか僕自身の確かなものはないのであるから、これはわかり易い。恵まれた才能も突然の幸運もないとすれば、ないものに期待する必要もないし、諦めずにやるしかないということになる。まあ、わかり易い。不器用な未練たっぷりの人たちに乾杯。

左端に見えるのが対岸のゴール

スタート地点からゴールをみる。(大会が終わって)

 メコンの水を心配する人たちに一言。メコンの水は意外にもきれいだった。不本意にもがぶがぶと飲み込んだが、まずいミネラルウォーターよりも、やや甘い味わいがあっておいしかったのである。村を回り歩いて時折下痢をする僕であるが、今回は全くお腹に問題はなかった。他の参加者もみんな快便のようである。メコンの恵みかな。メコン川とともに生活している人たちの気持ちが少しだけわかったような気もしたのである。どうか、皆様、一度泳ぎにいらしてください。


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