んだんだ劇場2004年6月号 vol.66
遠田耕平

No36  コッコンの旅

 カンボジアの南西部、タイにつながる海岸線と山岳部に囲まれたコッコンという県に行ってきた。名前は可愛いが、とんでもなく不便なところにある。首都のプノンペンから車で、途中4つの川をおんぼろフェリーで渡り、山を越え、乾期でも8時間、雨期だと10時間も片道かかる。今カンボジアは猛暑のピークを越え、雨が降り始まった。案の定、朝のうちに出発して、着いたときにはとっぷりと日が暮れていた。
今回は7歳から14歳までの学童を対象にした麻疹のワクチンキャンペーンを見て回るのが目的だ。コッコンは人口13万人弱、カンボジアでも過疎のまさに僻地の県で、僻地で大変だから思うように仕事ができなくて仕方ないだろう、という感じが露骨に行政側にあるところである。
 3年前に一度、5歳以下を対象にワクチンキャンペーンを行ったが、その接種率は50%にもいかない程ひどかった。確かにここは町を離れると人は交通の便の悪いところに住んでいる。というのも、漁村はカルダモン山脈から海に流れ出る無数の川の河口域にある広大なマングローブの原生林の中に点在して集落を作っている。
 河をさかのぼると、カンボジア最高峰1700-1800mの峰をもつカルダモン山脈の源流で広大な原生熱帯雨林が広がっている。開拓村はその熱帯雨林の中に点在している。正直に言うと、ワクチンの接種活動を見ながら実は僕の心はコッコンのこの豊かな自然に奪われたのであるが、その話をする前に少しだけ接種活動の実態を話そう。

 この県の予防接種の担当官と郡の担当官がまずいい加減である。お互いに仲が悪い。きちんと20チーム、40人の保健師たちのトレーニング、活動プランが作れない。チームの活動を見て回ると、どのチームもろくに子供たちを集めていない。ぼんやりとただ子供たちが通りすがるのを待っているチームもいれば、畑のど真ん中に接種所を設けて、子供が来ないとうそぶいているのもいる。
 ある接種所に行くと、記録用紙に80人の子供に接種したと書いてある。男の保健師はもう仕事は終わったと言って暇そうにタバコをふかしている。なんか変だなと思って、近くで遊んでいる子供たちにきくと一人もまだやっていないという。もう一度で接種所に戻って、使った注射器を数えてみると20本程度しかない。この嘘つき保健師はどうやら札付きらしい。夕方もう一度集計を取るときに調べると今度は45人と記録を書き替えている。どうして書き替えたんだというと、始めに書いたのはただの目標値だよとみんなの前でうそぶいた。

コッコンの河口域の原生林

麻疹ワクチンの接種風景

 時折、僕はこの仕事をしていると、まず、疑ってかかる癖がついて、どうも人が悪くなるんじゃないかと思うときがある。一見、とてもきれいで、うまくやっているように見えると、つい、いや、もしかすると嘘かもしれない、裏があるぞ、と疑ってかかるのは少し職業病的のようなところがある。どちらかというとずぼらで、すぐに人を信じてしまう、極めて単純な性格の僕としてはかなり無理をしているという事になるかもしれない。
 保健婦がきちんと仕事ができないのは多くの場合、彼らを監督する郡や県の責任者の側に問題がある。渋る彼らのお尻を叩いて、夕方、疲れた保健師全員を集めて接種の集計を取り、今日の問題を話させる。すると、明日どこでやるのかまだわかっていない保健婦までいる。
 今度は夕食が終わってから監督官だけ集めてもう一度プランを練り直す。ふー。毎日こうしてミーティングをやって、毎日少しづつでも質を向上させていってくれればいいのだが、僕らが帰ったあとはどうなるか?やはり疑ってしまうのは、またしても悪い癖である。
 宿の外に椅子を並べて監督官たちと話をしながら、稲光で光る夜空に目をやる。真っ暗な夜空が稲光でパッ、パット映し出され、雨期の雨雲の輪郭がさっと、見事に夜空に浮かび上がる。きれいだ。夜空の下のちっぽけ僕らをあざ笑うかのようだ。

 翌日スピードボートを飛ばして、いくつかの漁村を回って接種状況を見て回った。そこで驚いた。走っても走っても目の前はマングローブの原生林なのである。奇妙な、まるで足を伸ばして水面から立ち上がったように見える根をもつマングローブの林は、ボートで小一時間飛ばしても途切れることがない。
 波立つ川面、水際から立ち上がるマングローブの緑、その上に広がる空の青と白と黒の巨大な入道雲、思わず溜息が出る。現地の人は数年前にワニも見かけたよ、なんていう。
 漁村ではマングローブの下にいる小さな蟹を一杯採っていて、女子供が内職のように殻をむいてはビニール袋に詰めている。プノンペンやタイのレストランに売るといい値段で売れるという。これだから資源が枯渇するんだと嘆くカンボジア人もいる。それなのに、こんな豊かな海の恵みの前でも漁村は何か貧しそうである。どうもよくわからない。
 翌日はランドクルーザーで山岳部の荒れた道を4時間ほど走るとそこはまたもや広大な熱帯雨林である。深い森の中に点在する村まで入ると意外にもひんやりと涼しい。メコン川では見ることもない澄んだ水が流れている。森からは聴いたことのない鳥の声が聞こえてくる。
 道が途切れたところに立っていた小屋で、昼の休憩をとった。顔面髭だらけ、筋肉モリモリのご主人がお茶をご馳走してくれた。以前は軍人だったという。コメ、バナナの畑を少し作り、今は何とか奥さんと二人で暮らしている。3人の子供も成人したという。マラリアには罹ったけど、森の暮らしも悪くないという。そういえば、一度トラを見たなと、優しい目で笑う。
 以前は入植を進められて入ったのに、今は役人が来て森から出て行けと言うんだと、その優しい目の縁に少し不安の色を漂わせた。僕はまたわからなくなる。
 カンボジアは貧乏で大変な国だと言う人がいるが、この豊かな自然を見ているとそうも思えない。ダメになっていく地球に大量の酸素を供給しているこの国に世界の資源とエネルギーの70%を消費している少数派の先進国の僕らはもう少し敬意をはらってもいいのではないかなとさえ思う。

漁村とカニ、ワクチンは受けたかな?

広がるマングローブの原始林

 ところで、この豊かな自然と暮らしている人たちの生活は意外にも大変だ。金持ちが突然マングローブや森を買い占めて、漁師や森の人たちに海老の養殖や焼畑でコーヒー園をやらせる。すると環境保護団体が来て止めろと叫ぶ。最近は政府の役人が来て、他の援助の見返りに環境保護だから、漁を止めろ、森から出て行けという。
 どうも僕にはよくわからない。環境保護は大事だけど、なぜそこで生きている人たちが出て行かないといけないのか。
 自然が単に鑑賞するものになるなら、僕にはあまり魅力がない。人がそこで生きてこそ、人が挑んでこその自然じゃないか。豊かな自然は少しも揺らぐことなくそこにある。
 僕が敬意を払うものは、人間を凛として受け付けない自然そのものと、その厳しい自然ときっちり向き合って、つつましくも真面目に生きている人達、自然の大切さを本当に知り尽くしているその人たちそのものなんだ。そんな人たちがいなくなったとき、本当に人間にとっての自然もなくなるように感じる。
 尊敬する人も自然もなくなる時が来るのだろうか。せめて環境破壊から守るという環境保護が人間破壊にならなければいいと思うのは、単に僕の偏見だろうか。

 月の後半はプノンペンでミーティングとワークショップの準備にひたすら追われてしまった。こういうのはなぜかとても疲れる。つくづく僕はオフィスで働く人間じゃないなと、感じる。体の辛さはともあれ、心は明らかに地方での現場の人たちとの仕事を楽しんでいる。現場から遊離したつまらん人間たちとのつまらん話し合いを如何に減らすかというが、残り少ない生きている時間の大事なポイントに感じるんだけどなー、としみじみ思っているうちに48歳の誕生日が過ぎてしまっていた。
 雨期が始まって、今、あのベトナムでもインドでもいつも僕を励ましてくれた赤い花をつける木がここでも真っ赤な花をたわわにつけている。ここではクローンゴック(孔雀の木)というらしい。皆さん、頑張りましょう。

熱帯雨林の中のコーヒー園

熱帯の赤い花(クローンゴック)はカンボジアでも元気をくれる。


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