んだんだ劇場2004年7月号 vol.67
遠田耕平

No37  カンボジア保健所事情

カンボジアの保健所はお暇
 カンボジアには全国で940の保健所がある。つまり一つの保健所で1万から1万5千人の住民のお世話をする。カンボジアの保健所はなかなか立派な建物で、十分広い土地の上に立っている。もちろん屋根はあるし、薬局、診察室、分娩室、妊産婦検診の部屋など4〜5つの部屋がある。裏にはトイレがあり、焼却炉もあるものもある。
 スタッフは保健所長の下に助産婦、保健婦、薬剤師など5-7人いる。もっとも、お医者さんが働いていることは滅多にないのであるが(実はこれは問題)、バングラや、インド、ネパール、ベトナムのおんぼろ保健所に比べると施設は驚くほど豪華なのである。これはさぞ患者やお母さんたちで賑わっているだろうと思うのであるが、暇なのである。
 カンボジアの保健所ではどんな仕事をすることになっているかというと、

  1. 肺炎や下痢を含む一般の診療と簡単な治療(数種類の決まった常備薬剤のみ)
  2. 一歳未満の子供を対象にした定期予防接種(BCG、ジフテリア+破傷風+百日咳(三種混合)、ポリオ、麻疹)。 他に、新生児破傷風予防の為の妊娠可能な女性への破傷風ワクチン、B型肝炎ワクチンなど
  3. 妊産婦検診とお産
  4. 家族計画の指導(避妊薬の配布)
  5. 結核(検査)投薬治療
  6. 栄養指導(ビタミンA、鉄剤、ヨード剤)
  7. マラリアの診断治療、駆虫薬の配布
  8. HIV/AIDS予防(コンドームの配布)
 こうみると、実に多岐に及んでいて、さぞ忙しいだろうと想像するのであるが、暇なのである。暇な理由はなんだろうか。実はこれが僕が一年前にカンボジアに来たときからの疑問だったのである。

カンボジアの一般的な保健所、人の姿はまばら

保健所のスタッフたち
 保健所をいろいろ歩いてみて少しわかってきた。どこの保健所もたいてい午前中の3時間程度しか開いていないのである。患者もほとんど来ない。なぜ3時間しか開かないか、まずスタッフの給料が安い。月給20-30ドルで、しかも政府の怠慢で、何ヶ月も遅れてしか支給されない。スタッフは政府の給料だけではとても食べられないので、みんな副業を持っている。つまり午後は副業というわけだ。村の住民のお産はほとんどが自宅分娩。3時間しか開いていない保健所に頼れるわけもない。
 おもしろいのは村の自宅分娩の半分近くは保健所の助産婦がアルバイトで出向いているのである。実はこれがあとで僕のアイデアのもとになる。保健所の仕事の中でも、外国の援助などで金回りのいいプログラムは優先される。つまり、家族計画も、結核もマラリアも、栄養も、AIDSもお金がつぎ込まれたときだけ威勢良くやるわけである。お金が来なくなるとストップする。これもまあわかり易い。

 予防接種はどうかというと、カンボジアでは1986年ごろから本格的に保健所の中心的事業として強化された。予防接種の仕事はワクチンと注射器材の安定供給をWHOとUNICEFが底支えしてきたし、予防接種率というのは国の保健事業の成果の指標ともなるので、国のメンツにかけて、安い給与でも進展してきた。予防接種は、毎週の決まった日に母親が赤ん坊を連れて来て保健所でワクチンを受けるのが本来の形で、多くの国ではワクチン接種は保健所でやるというのが常識である。ところが、カンボジアでは、当初から予防接種は村でやるものだとして訓練されたのである。これは不思議である。
 この背景には、当時カンボジアの事情もある。当時ポルポト圧政から開放されたものの、混乱期で、保健所は荒廃し、保健婦もほとんどいない。母親たちも生活に追われて予防接種どころではない。道路の整備も悪く、母親たちは保健所に来れない。つまりは予防接種は保健婦が村に行ってやるしかないと定義づけられたのである。
 その後17年間今日に至るまで、保健婦にとって予防接種は村に行ってやる仕事として、一切変更が加えられなかった。誰も疑問を発しなかったのである。人の固定観念というのは不思議なものである。
 保健婦は村に行くことで給料の2倍の交通費と日当をもらって生活の足しにする。例えば20の村を管轄する保健所では一月に20日間保健所を空にする。なんと保健所のすぐ目の前の村にまでも出張するのである。WHOやUNICEFなどの国際機関も何十人、何百人とコンサルトを雇って、村での活動を支援したきたのであるから、WHOのアドバイザーの立場の僕としては複雑な気持ちである。
 様々な他のNGOの団体もしかりである。村に行くことだけが、予防接種率を維持する方法だと言い続けた。さらには、どうせ予防接種で村に行くのなら、駆虫薬も、マラリア薬も、結核薬も、ビタミン剤も、避妊具もみんな村に持っていけという乱暴な委員会が組織される。どうも変なのである。一方、立派な保健所の建物は、相変わらず、いつ行っても人がいないままなのである。
 さて、果たして保健婦たちは本当に村に行かないと予防接種ができないのだろうか?保健所と村を歩いてみてこれもわかってきた。ここ数年間、カンボジアの主要幹線道路の整備は日本の援助などでめざましく進展した。以前は道路が悪くて、2-3日かかって辿り着いた僻地の県でも、道路がよくなった今はどこでも大体10時間以内で辿り着く。以前は各地に飛んでいた飛行機の路線がが今はすべて廃止になってしまうほどある。
 確かに森や、島や、川の中州など、特に雨期になると辿り着けない僻地は今もある。でも、保健所から本当に遠い場所というのはせいぜい30%で、残りの70%は大体保健所の10キロ圏内にあるのである。自転車か、乗合バイクを使えば、わずかな交通費で保健所に来れるのである。その他アルバイトのスタッフも含めて保健所には母親たちの相談に乗れる十分なスタッフがいるし、日本の援助などで冷蔵庫を配備された保健所も増えてきて、保健所でもワクチン管理がよくなり、母親たちがいつきても一定のサービスができるようになってきている。
 ここで、保健所に来てもらった場合のいい事をまとめてみよう。
  1. お母さんが自分の都合の良い日にちと時間を選んでいつでもワクチンを受けに来ることができる。
  2. 保健所のいろんな栄養、妊婦検診、家族計画などの情報、サービスを受けられる。
  3. お母さんたちに様々な保健教育をすることができる。
  4. 保健婦が保健所を留守にしないで、より長い時間保健所で働いて、住民の信頼を回復できる。
  5. ワクチンの無駄を少なくすることができる。
 保健所の信頼を回復して、一般診療の患者が増え、保健所の一般収入が増える。
 特にワクチンの無駄というはカンボジアでは深刻な問題である。カンボジアでは村に出張するたびに使った残りのワクチンを捨てているため、実際に子供に投与する量と同じ量のワクチンを無駄に捨てている計算になる。つまりもう一つのカンボジアと同じ人口の国にワクチンをあげられる量だということである。

保健所の薬局 (数種類の解熱剤と抗生物質、抗結核薬、抗マラリア薬がある。)

捨てられたワクチン。茶色の麻疹のワクチンは10人分のうち一人分しか使われていない。
 保健婦は村に出張するたびに新しいワクチンの容器を開け、残ったワクチンは捨てる。途上国では経費の節約上、一つのワクチンの容器に10人分〜20人分入っているものを使う。なるべく無駄を少なくするためにWHOでは清潔に管理できて、0-8度Cの冷蔵保全ができるなら、3種混合とポリオ、破傷風ワクチンに関しては最大1ヶ月まで使い続けてもいいですよ言っている。
 でも、村にワクチンを持っていく場合は清潔な管理も冷蔵保存も確実ではないので、基本的には使い捨てになる。麻疹とBCGは特に蒸留水で溶かして使うワクチンの為に8時間以内の使い捨てがどんな場合でも厳守される。(蒸留水を入れる際に細菌の混入がある。事実インドでは細菌の繁殖した一ヶ月近く経った麻疹ワクチンを使ってたくさんの子供たちが亡くなった事例がある。)
 ワクチンの無駄を減らすためにも、多くの国では一週間のうち数日を予防接種の日として決め、なるべくたくさんの母親たちと赤ん坊たちを保健所に集めて一斉に接種するようにしているのである。カンボジアでは村に出張しワクチンを接種し続ける限りこのワクチンの無駄をなくすことはできない。

 こんなにいい利点が一杯あるならさっさと村の出張は止めて、保健所での接種にすればいいだろう、と言われそうであるが、なかなかそうは簡単にいかない。今、カンボジアの保健婦みんなが心配していることは、もし村に出張しなくなった場合、自分たちの収入が減ることとワクチン接種を受ける子供の数が少なくなることである。
 さて、村への出張を止めて、主に保健所だけの接種にして、保健婦の収入を減らさずに、ワクチン接種を受ける子供の数を維持する方法があるだろうか。ここで僕は保健省と一計を案ずるのであるが、どうか皆さん1ヶ月間一緒に考えてみませんか。 次号に僕のアイデアをお話しさせていただきます。皆さんの方にいい妙案があったら、それも聞かせていただきたい次第。

保健所に来ない村のお母さんたちと赤ちゃんたち


カンボジアの風邪、病める体、病める心
 ところで、2週間前、田舎からプノンペンに戻った僕は保健省への報告書とこの原稿を書こうとしていたのであるが、軽い咽頭痛と鼻水とともに突然激しい高熱に襲われたのである。
 僕の平熱は普段36度もないので、少し熱が上がるだけでへなへなになる僕であるが、なんと今回は40度近くまで上がり続けた。一年に一回くらいは体調を崩すのであるが、40度近い高熱は何年も経験していなかった。
 そうだ、丁度10年前ベトナムに赴任していた時に罹った腸チフスの時以来である。でも、最近腸チフスのワクチンは接種したし(3年間有効)、マラリアか、デング熱か、ウイルス性肝炎か?解熱剤があまり効かず、ひたすら氷水で頭を冷やしていて、やっぱりデング熱かな???と思い始めた3日目、やっと少しずつ熱が下がり始めた。

 人間というのは不思議なものだとつくづく感じる。自分の体調が悪くなったその瞬間から、健康であった自分は別人となり、凄まじい不安と焦燥で悶々として、天井を見つめる。熱がいつまでも下がらないと、大袈裟に聞こえるだろうが、死ぬかもしれないなんて気持ちまで頭をよぎる。
 体調が悪いことに加えて心がどんどん落ち込む。心が落ち込むともっと体調が悪く感じる。まさに悪循環である。この悪循環を断てる何かがあるとすると、効きの鈍い解熱剤ではなくて、むしろ「心配しなくていいよ。」と言って、冷たいタオルで額を冷やしてくれる誰かなんじゃないだろうかな……。
 どうだろうか読者のみなさん。僕は単純ですね。医療にはもちろん高度な知識と技術が必要となる部分があることは確かだけど、それを使う場はそれほど多くない。大部分は、もし、医者や看護婦や家族が僕のそばにいて、一晩、手を握って、額のタオルを取り替えてくれていたら、僕の心は高熱の中でも、確かな安らぎを感じるだろうなと。
 医療のあり方も、終末医療も、やるべきことは本当はとても簡単でハッキリとわかっているのに、実は誰もが無理だ、やれないといい、誰もやらないのである。医者にも看護婦にも家族にも時間がない、そんなやり方じゃ食べていけないという。僕は食べていけない医者をやってみたくなるのである。僕は今でもいいお医者さんになりたいと真面目に思っているのである。いいお医者さんってなんだろうか。

 やっと熱の下がった体を引きずって秋田大学に2日間だけ講義するために日本に帰った。咳き込みながら講義する僕の様子を不安そうに見ていた学生たちに、僕の病気はなんだろうかと聞くと、「SARS、鳥インフルエンザ、ADIS…。。。」という診断をつけてくれた。有難い限りである。今度は、手の握り方、額のタオルの取り替え方でも講義しようかと思っている。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次