んだんだ劇場2004年9月号 vol.69
遠田耕平

No39  ジフテリアと百日咳

 8月はなんとも慌しく過ぎた。日本国内での度々の移動、家族全員+我が家のやかましい愛犬を連れての10年ぶりのプノンペンとアンコールワットの旅、その最中の息子二人の食中毒、、、、。まあ、この話の顛末はまたの機会に。

 たっぷりと休暇をとったのに何故かぐったりと疲れた体をひきずって8月20日過ぎにオフィスに戻ると数日はひたすら溜まった電子メールの対応に追われる。コンピュータを開けると何百も届いている電子メールのほとんどはきちんと読む必要もないもので、目を通したと言う事実だけが必要なものである。全部を削除にしてしまいたい誘惑に駆られるのであるが、中に僕宛の直接の対応を要求されているメールが混じっているから性質が悪い。それでも多くは、地域事務局のマニラや本部のジュネーブのあまり訳のわからない会議やワークショップ、トレーニングコースにカンボジアの誰を送るかなんて事が中心で、その手はずを取れという、結局はあまり大事な内容ではない。
 僕にとって大事なことはカンボジアの保健省の人たちとの直接のフィールドでの仕事である。先月号で話をした保健所の活動の再建、麻疹などの予防接種で防げる病気の報告や調査、ワクチンの輸送や冷蔵庫の配備、注射器の廃棄、等などフィールドで待っている仕事はいくらでもある。
 例によって秋田のかの有名な金満という饅頭を手土産をもって保健省の連中と再会。うめーかー?、うめーべーとばかり、再会を喜ぶ。もちろん秋田弁で声を掛け合ったわけではないが、保健省の連中は「ソクサバーイ(元気だった?)」と声を掛け合い、みな元気である。3週間の僕の不在くらいで何かがあったんじゃないと考えるほうがおかしいのであるが、ついそう考えている自分が少々おかしい。つまり僕がいなくても何も変わらないのである。
 こういう感じは、こういう仕事をしていると、ベトナム、バングラ、インドでもふと気づかされた思いなのである。僕がいないとダメだ、僕がいるからこれができた、なんていうことは、僕の10余年のWHOの経験からはどうも何一つないらしい。カンボジアのことはカンボジアの人によってカンボジアらしく解決し、カンボジア的に進んでいるようなのである。うーーん、僕はいなくてもいいのか、そう思うとなにやら少し寂しくなってくるのは、これまた単純な僕である。

 そんな少し落ち込み気味の僕の目の前に、保健省のスタッフが「これが届いたんで、どうしたらいいか、トーダが帰るのを待っていたんだ。」と言って、患者の喉から取った一本の検体を差し出した。僕は思わずオーっと声をあげてしまう。これこそ去年からずっとカンボジア全県に少しでも疑わしい患者を報告してくれと頼んで歩いて、まだ一例も報告されていなかったジフテリア疑いの患者からの検体である。
 ジフテリアは高熱と喉の激しい腫れと菌によって作られ喉の壁に付着する白い膜を特徴とする細菌による感染症である。性質が悪いのは、ジフテリア細菌が体内にばら撒く毒素で、心臓の筋肉に炎症を起こし、多くの子供が心不全で亡くなる。日本でも1940年代には数万人の患者と数千人の死亡があった。
 1950年代に入り、ワクチンの登場で一気に患者数が減り、今や日本では目にすることすらなくなったが、まだ世界にはワクチンの接種漏れから、毎年何千にも患者が報告されている。実際、僕自身もベトナムやインドでジフテリアで死んでいく子供を目にした。最近の大流行はソ連が崩壊した後、予防接種率が急落し、1995-6年にロシアからモンゴルにかけて死亡を含む何百人もの患者発生があった。

ジフテリア患者の頚部の腫脹

ジフテリアの患者の喉にみられる細菌塊の白色の膜

百日咳の子供
 現在世界中で使われているワクチンがジフテリアと百日咳と破傷風ワクチンを混ぜた3種混合ワクチン(DPT;Diphtheria、Pertussis、Tetanus)である。僕の属するWHOの予防接種部門ではポリオ(小児麻痺)ワクチン、麻疹のワクチン、小児結核予防の為のBCGと3種混合ワクチンの6つを予防活動の柱としている。WHOはポリオと麻疹は一般の定期予防接種に加えてワクチンの一斉投与キャンペーンと便や血液の検査による確定診断を含めた患者報告のシステムの充実で患者は激減してきた。しかし、ジフテリア、百日咳に関しては定期予防接種までが限度で、患者を見つけ出すことまでは十分手が回らないので各国でやってくださいと言う感じなのである。
 僕は長年、ジフテリアと百日咳が気にかかっている。定期予防接種で多大なお金と人材を使って世界中で3種混合ワクチンをゼロ歳児に3回も接種しているのだが、本当に病気は減少しているのだろうか、それともまだ病気は一杯あるのだろうか、その理由はワクチン接種が悪いからなのだろうか・・・・・・。

 カンボジアに行ってみて不思議だと思ったことは、ジフテリアの報告はここ何年も一例もないということである。ところが昨年はカンボジアと国境を接するベトナムでも、タイでもラオスでも数十例のジフテリアの報告がある。問題の一つはカンボジアの医師の診断技術の未熟さである。患者が多く見逃されている可能性がある。もう一つの問題は、疑いの患者がたとえ報告されても、それを細菌学的に診断し証明する検査室がカンボジアにはない。
 そこで助け舟は、有難い僕の日本人の仲間である。東京の感染症研究所のポリオ担当の清水博之先生に相談してみた。彼は10年来の友人で、WHOのポリオ実験室の責任者の一人として活躍している。彼が同研究所、細菌部門のジフテリア専門家の高橋元秀先生と百日咳専門家の堀内善信先生に紹介してくれた。それに、僕の長年の友人で現在WHOのポリオと麻疹の実験室ネットワークの責任者としてマニラにいる小島和暢先生が橋渡しをしてくれ、先生達がカンボジアから届く検体を好意で検査してくれることになった。
 ジフテリアと百日咳の検体は喉の一番奥の壁に綿棒の先をこすりつけて採取する(咽頭ぬぐい液)。いずれも雑菌には弱い菌で、増殖させたり培養することが難しい菌だと言われている。では、その検体をどう日本まで輸送するか。
 実はカンボジアには大きなメリットがある。カンボジアは毎週ポリオの疑いの便の検体を氷詰で日本の感染症研究所に送って診断してもらっているが、実はこの輸送を利用してジフテリアと百日咳の検体を送ることが可能だった。感染症研究所の好意に心からの感謝である。すでに百日咳の疑いの16検体を送り、一例の陽性を確認してもらった。多分これがカンボジアの百日咳を実験室で確認した最初の例だと思う。ジフテリアは?

 さて話をカンボジアに戻そう。ジフテリア疑いの患者の詳しい情報を聞くとベトナム国境の村で、6月と7月に発症した4人の子供が報告され、すでに3人が亡くなり、生き残った一人からの検体だと言う。死んだ子供達は3種混合ワクチンを受けておらず、生き残った子供だけが受けている。ますます怪しい。さあ、どうするか。話は簡単である。
 翌日朝5時起きで車で現地に向かった。増水しているメコン川をフェリーで渡り、スバイリエン県の担当者と落ち合い、4時間半ほど車で走ってベトナム国境(タイニン県)の村に着いた。患者の報告は先月号で一度紹介した保健所の村のボランティアの人が保健所に知らせてくれたという。嬉しい話だ。しかし問題は、昨年この保健所で3種混合を受けた子供の数は目標の半分しかいないことである。
 バイクの後ろにまたがって村まで乾いたあぜ道を砂埃を上げて走る。お母さんが田んぼから子供たちを連れて戻ってきてくれた。抱き上げている子供がジフテリア疑いの助かった子供である。実はこの子の13歳の姉が亡くなったもう一人のジフテリア疑いの子供である。
 お母さんのそばに15歳の息子、8歳の娘が佇んでいる。母親は落ち着いた表情で、悲しみを表すことなく、きちんと質問答え、どういう状況だったのか話してくれる。僕は13歳の娘を無くした母親の気持ちを思うと辛くなる。悲しい気持ちのときに申し訳ないと、クメール語で話してもらう。ただ、必ず調べて、何の病気だったのかを突き止めて、他の子供達がかからないようにワクチンを受けてもらうようにしますからね、と話すと、母親は、ここまで来てくれてちゃんと調べてくれて本当に有難うと言う。胸が詰まった。人の心の気高さは計り知れない。そんな人はすぐ傍の目立たないところにいるんですね。

助かったジフテリア疑いの子供を抱く母親。1ヶ月前に13歳の娘をジフテリアの疑いで亡くしている。

舌を押さえて、喉の奥に綿棒をこすりつけて検体を採取する。
 もう一つの村も回った。やはり5歳の娘を亡くした母親から話を聞く。このお母さんも悲しい気持ちを押さえて詳しく話を聞かせてくれた。有難い。幸いなことにどちらの村にも現在ジフテリアを疑う子供はいなかった。ジフテリアの菌は患者の家族の健康な兄弟の喉からも見つかることがあるので、これらの家族の兄弟や近所のジフテリア疑いの子供から合計10本の検体を取った。
 ジフテリアの菌はまだ証明されていない。日本の研究所の先生方の好意にすがる。そして、悲しみの中で協力してくれた母親の心に報いたい。ジフテリアの実態を明らかにして、少しでもカンボジアの予防接種の改善に役立てたらと願うのである。


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