んだんだ劇場2004年03月号 vol.63

No21−よたよた、ふらふら、ヘトヘト−

2月2日(月)
 昨日(日)はゆっくり朝寝をしたせいか午後から仕事する気がおきず、事務所のソファーで沢木耕太郎『冠』(朝日新聞社)を読む。アトランタオリンピックの取材旅日記だが面白くてやめられない。夕食後、散歩をやめて今度は日韓共催のサッカーワールドカップ旅日記『杯』を読み始め、夜中の2時頃読了。どちらかというと『冠』のほうが面白かったのは、こちらにサッカーの詳しい知識がないからかもしれない。いや、沢木さん自身「サッカーはやったことがない」と公言しているので、ゲーム描写が他のスポーツよりもかなりくどく、得意のボクシングや陸上のあの簡潔でディテールに神が宿る、あの心躍る迫力がない印象。それでも沢木さんのスポーツノンフィクションは群を抜いて面白い。特に今回の2冊は主人公が著者本人であるのがいい。携帯電話を持たず、コカコーラは呑まない。タクシーよりバスが好きで、紅茶とリンゴとバナナだけの朝食をとり、編集者を同行させずディパック一つでどこにでも出かける。かっこいいだけではない。この2冊では珍しく日本のバレーボールやトルシエを批判する「激しい口調」も垣間見える。前の本でも触れていたのでよほど腹に据えかねたののだろうが、中野浩一の世界自転車選手権の10連覇というのはヨーロッパでは誰も興味のない、えらくも何ともない記録であることにも言及している。ヨーロッパで自転車が人気あるのは「ロード」だけで、「トラック」はアマチュアの専門分野。そのアマチュアの世界のレヴェルは高いが、中野が出場しているのは「プロ部門」で、「ロード」で使い物にならなくなったプロ選手ばかりが出場、しかも10人前後のエントリーしかなく、かつそのうち半分近くが日本人、という「世界一」が笑ってしまう競技だそうだ。もともとプロのトラック競輪選手がいない外国ではトラックプロ部門は日本人が勝つのがあたり前、世界一というのはあくまでアマチュア部門のことをいうのだそうだ。目から鱗ですね。オリンピックの3日前の公開練習で選手を怒鳴りつけ自信喪失させる日本のバレーボールチーム監督への批判も辛らつだ。

 と、長々と書いてしまったが、じつは夢中で本を読みすぎて寝違えたのだろうか右胸上部が痛くて、なかなか昨日は寝付けなかった。このまま疲労を残して月曜のレッスンに出てもなあ…と弱気になったが(先週は3回もレッスンに出ているし)、思い切って汗を流したら、なんと右胸のしこりは取れてしまった。「エアロビは宗教である」という自説が正しいことを証明してしまったヨ。先週あたりから新しい人が何人か参加するようになりレッスンは満杯。ステップリーボックの台なしで参加している人が5名ほどいた。ある人は場所とりで置いていたステップ台が新しくきた人にちゃっかり横取りされ、大騒ぎする一幕もあった。満杯のせいで今日は最後尾でレッスンを受けた。いつも最前列に行くのは緊張感と他の人の動きを邪魔したくないからだが、後列で踊っているとやっぱり緊張感はかなり薄れてしまう。



2月10日(火)
 今日から仙台・東京出張の予定だったが体調不良で断念。前回10日前のこの日記で意気揚々「週3回違うインストラクターのレッスンを経験」したことを誇らしげに書いた。その2日後もまたレッスンに出たので、こんな頻度は快挙!とほくそえんでいたのだが、このあたりで右胸部にしこりのような違和を感じていた。日記では「沢木耕太郎の新刊に夢中になりすぎて」(読書の姿勢のせいで)胸に違和感、などと書いているが、とんでもない勘違いだった。まずは冷静にこの10日間をたどると――
 1月31日(土)疲れているのか昼まで眠りすっきり。午後は仕事。2月1日(日)日曜なのに珍しく仕事の気力おきず。この日から右上胸部にしこりのような違和感。2日(月)こりずにエアロビ。汗を流したら、あらふしぎしこりは取れた。しかし午後から疲労ひどく早退。食欲なく、眠られない。3日(火)仕事を休む。が、まだ寝床で本を読む気力あり。4日(水)朝起きるとすっきり。疲れが取れたと判断しバリバリ仕事。5日(木)やはりダメ。仕事場に行くのを止める。熱もないし咳も出ないのに身体がだるく気力がなえきっている。ときどき猛烈なさむけ。夜、風呂場でお札サイズのまっ赤な斑点群が右胸にできているのを発見、ビックリ。『家庭の医学』をみるとほぼ間違いなく「帯状疱疹」の症状。この湿疹の出る理由が本には書かれていないので、この時点でだるさと湿疹は別の原因によるものと判断。いや、実はこのだるさの原因は「脱水症状」だと素人判断で確信していた。6日(金)仕事に出るが、やはりだるさはつづく。医者に行こうと思うが、休養すれば治るさ、という甘い思いがあり我慢。早めに仕事を切り上げ「和食みなみ」で夕食(カミさん不在のため)。さすが酒は飲めなかった。7日(土)ゆっくり寝たせいか朝の調子はいい。午後から理髪店へ。帰り際、エアロビ仲間の近所のHさんとバッタリ。体調が悪い愚痴をたっぷり聞いてもらう。事情のわかっている人(エアロビのハードさ、楽しさ、中毒性などはやった人でないとわからない)に話を聞いてもらうだけでも精神的にはずいぶん楽になる。もう1週間夜の散歩をしていない。8日(日)一日中ベットの中。体調最悪。寝返りをうつのも苦しい。断続的にさむけが襲ってくる。9日(月)一日中ベットの中。断続的なさむけ。帯状疱疹は痒くも痛くもなく不気味。市販の保湿クリームを塗ってごまかしていたが、ことここに至り、このだるさは帯状疱疹が原因では?という疑問が。過労が引き金になって疱疹が出たのだから、それを治すのが先なのでは。というわけで今日(10日)になって近所の皮膚科へ。医者はものの10秒の見立てで「典型的な帯状疱疹。あと1週間ぐらいでよくなります。それまでは無理な運動などしないように」と診断。帯状疱疹になる原因は、と訊くと「過労です」の一言。

とまあこんな10日間。基本的にこの日記は「エアロビと東京事務所の日々」に限定したものであるが、突然のこんな病状報告もご海容いただきたい。それにしても皮膚科で帯状疱疹の薬を塗ってから、ほとんどそれまで痛みのなかった患部が猛烈にチクチク、ピリピリ、重苦しく痛み始め、夜は寝返りが打てないほど。大げさのようだがその痛みは音を奏でる。急激に患部を縮小させ、かさぶた化するパチパチ、ジュージュー、チュルチュルという、患部を焼ききって膿みが黒い燃えカスに変わっていく音である。よっぽど強烈な薬なのか、それともたまたま治りかけの時期と合致していたのか、薬を塗りはじめて2日後に疱疹は小さな黒い染みに変わっていった。そして身体のだるさもみるみる小さく消えていった。
 エアロビに復帰できるのは2月の後半だろうか。いろんな予定も狂ってしまったが東京には中旬にどうしても行かなければならない。この日記のタイトルを真剣に「エアロビ&東京&老衰日記」に換えようかと思ったりする今日この頃である。



2月14日〜23日
 14日(土)10時のJAS便で東京。出来上がってきたばかりの『ラルート』にミスが見つかり急遽シールを貼ることに。舎内はてんやわんや。初歩的なミスで怒る気にもならない。というか体調がいまいちよくないので早く仕事の現場から逃れたい、という気持ちが強く、事後処理を任せ、そそくさと車を運転し飛行場へ。菅野明子『未来をつくる図書館』読みながら事務所着。何もする気にならずとにかく布団を敷き寝る。息子は受験まっただなか。親は何もしてやることができないが、一人暮らしに慣れているので自分のことは自分でやれるのが救い。つい先日まで全力で編集作業をしてきた『戦国武鑑』全3巻が著作権問題をクリアーできず出版断念するという大事件がおき煩雑な事後処理中なのだが、いまだ周辺には地雷のような危険物がたくさん埋まっている。早くこの悪い流れをかえなければ。
 15日(日)少し体調がいいので新宿まで出てデパートの食堂で蕎麦にお銚子。神保町で数冊本を買い、戻ってくるとバタンキュー。体調はまだ本物ではない。
 16日(月)一日中家でビデオと読書。ウディ・アレンの一番好きな映画『結婚記念日』は何度見てもおかしい。本は『ぼくたちの70年代』『私生活』『野口体操入門』に『悪の読書術』。帯状疱疹の痕が服とこすれて痛い。歩くのが辛いが腹が減ったので神保町まで足を伸ばし焼き鳥屋でいっぱい、レバニラとチャーハンの夕飯。とにかく毎日1万歩以上歩かないと気分が悪いというのは困った習慣だ。家の中でも歩数形をつけていると1万歩近く動くから毎日2万歩は最低歩いている計算、自慢にもならないが。
 17日(火)朝の目覚めはいい。洗濯してインターネットに向かうがなぜか接続できず、あきらめて散歩。神保町で本を買う。何の用事もないのに仕事のように毎日神保町に寄るのはどうしてだろう。午後になると疲労感強くグッタリ。夜は肉鍋を作る。
 18日(水)とにかく毎日快晴、これだけで十分に気分はいい。秋田はものすごい天候不順らしい。四谷経由で新宿まで散歩。途中で友人の喫茶店でおしゃべり。帰りに神楽坂でデザイナーのUさんにバッタリ、立ち話。平野甲賀さんの『聞き書き』をしてきた帰りとのこと。そういえば平野さん、この辺に住んでいるんだよなあ。『調子のいい女』(角川文庫。)は元銀座ホステスと整形女がアメリカに留学する話で、知らない世界のことを小説で知るのは一石二鳥。毎日平均すれば1冊ずつ本を読んでいる。それも軽めのものばかり。本ばかり読んで仕事らしいものは何もしていないので少々後ろめたいのだが、病気療養ということで自分を納得させるしかない。秋田にいれば仕事はできてもストレスやフラストレーション(天気への)は増大、病気を長引かせてしまうのは目に見えている。だから、できるだけ秋田と連絡を取らないつもりだったが、ここにきていろいろと連絡の必要な用事が増えてきた。秋田にできる新しい水族館の話を子供向けに書きたいというキャンベラ在住のIさんから企画に関する電話。長々と30分以上話してから、ありゃ、これ国際電話だった、と気が付く。悪いことしたなあ。夜は近所(牛込中央通り)にある「たかさご」という蕎麦やでいっぱい。東京で外食といえば蕎麦屋オンリー。そこでお銚子1本を頼み晩酌はしなくなった。地方小センターのすぐそばにこんなうまい蕎麦屋があったとは「灯台もとくらし」。ビデオで映画『トーク・トゥ・ハー』。目的は舞踏家ピナ・バウシュを観るためだったが映画も面白かった。字幕が本で言う「落丁」で2度見てようやくストーリーが理解できた。
 19日(木)メールやファックスで事務所からいろんな連絡が入る。そろそろ隠れているのも限界のようだ。でも帰ると仕事中毒者の日常に戻り、好きなエアロビに復帰するのが遅くなりそうな悪い予感(今回は帰りの日にちを決めていない)。さて、どうしたものか。北の丸公園から東京駅まで散歩。大丸デパートで春のジャケットを買う。ステーションギャラリーで「香月泰男展」。生で観るとすごい迫力。事務所に帰って日記、ラルート用、HP用の原稿書く。久しぶりに仕事をした気分。ほとんど買ったことのない「月刊文藝春秋」を買い話題の芥川賞の若い女性作家2人の受賞作を読む。悲しいかなおじさんにはほとんどリアリティのないお話だが、『蛇とピアス』は短いながら人生の元手をかけている物語。森絵都の『永遠の出口』を読んだばかりなので『蹴りたい背中』の少女の描写には新鮮さを感じることができなかった。
 20日(金)1日中、家で寝たり起きたり。外に出る気力がまるで起きず食欲もなし。熱もだるさもないのだがアグレッシブな気分がすっかり消えている。重症だ。23日に秋田に帰ることにしたが、このままでは秋田に帰っても使いものにならない。毎日が老後を先取りしているような日々。もしかしてこれは過労が誘発した更年期障害では、という不安がよぎる。一日中うつらうつらしても夜ちゃんと眠れるから、やはり疲れが溜まっているのだろう。帯状疱疹という病気を侮っていたことを反省。
 21日(土)今日あたりから天気が崩れるという予報だったが快晴。というか初夏のような暑さ。体調はよくないが家に閉じこもっているよりはと外に出る。浅草まで出て並木藪でざる蕎麦にお銚子1本。家に帰って無理やり仕事を始めるが集中力が続かない。ダラダラテレビを見続ける。NHKの『火星探査』の番組が面白かった。夕食を作る気力なし。
 22日(日)今日も晴れ。朝から洗濯に掃除、秋田に送る荷物の梱包。九段下から東京駅、日本橋、神田、神保町周りで2万歩の散歩。途中デパートで靴下を買い、本屋で直木賞の『オール読物』、薬局、スタバなどで休み休みだが、ほとんど疲れが残っていない。いよいよ復調か、と自分の都合良いように解釈して後でしっぺ返しを食う。
 23日(月)昼のANA便で秋田へ。秋田は吹雪で「視界不良で引き返すかも」というアナウンスが何度も流れる。毎月二回以上飛行機に乗っていても実際に引き返したのはこの20年で2回しかない。たぶん大丈夫だろうと乗り込むが飛行機は揺れがひどい。着陸寸前もよたよた、ふらふら(風のため)でどうにか着いた。事務所で猛然と仕事を始めるが3時間でヘトヘト。まだ集中力は戻っていない。8時前に寝る。とにかく横になりたい。


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