んだんだ劇場2004年04月号 vol.64

No22−帯状疱疹の足枷−

3月4日(木)
 前回の記述から10日あまりたっている。このあたりで病状の中間報告をすると、実は一向によくなっていない。右胸疱疹痕はむずかゆく、歩く度にこすれて、ヒリヒリ飛び上がりたくなる痛みが伴う。擦過傷と似たようなもの、と思っていたが、いろんな人の話を総合すると、これが帯状疱疹の痛みのようだ。初期にはほとんど痛みもかゆみもなく、1ヶ月たった今、その痛みに悩まされているのだから帯状疱疹恐るべしである。2ヶ月も入院する人がいるそうだから本当に甘く考えていた。症状を具体的にいえば、朝起きてから午前中ぐらいまでは調子いいが、午後3時頃からエネルギーが涸渇したかのように急速にモチベーションが下がる。とにかく集中力がつづかない。それでもちょっと調子がいいと夜の散歩には行く。そうなると今度は朝なかなか仕事モードに入れない。原因は疲労の蓄積だから「休養」が治癒の一番の近道なのに、少しぐらいは、という気持ちで体に負荷をかけるクセは、一朝一夕にはなおらない。

 この10日間、周辺もいろんな出来事があった。まず父親が寝たきりになり、足の怪我(火傷)で入院することになった。時期をほぼ同じくして長男は受験に突入、どうにか大学に滑り込んだ。しかし実は合格と入院が同じ日で、喜んでいいのか悲しんでいいのか、よくわからない1日だった。
 仕事への集中力が失せるというのは初めての経験で(それも1ヶ月という長期間)、エアロビにはいけないし、東京出張も思うに任せない、という逃げ場のない状況で冷静さを欠くことも度々だった。周辺にこれだけドラステックな変化が起きると「これは更年期障害では…」という不安が募ってきた。エアロビや夜の散歩はこうした重いストレスや不安を取り除く「薬」であったことをしみじみ実感した。

 ある本で「ストレス」に関して興味深い話が載っていた。ストレスと言う言葉がこの世に生まれたのは1946年、いまから60年前のことだそうだ。
 39歳のプラハ生まれの医学者ハンス・セリエがパリ大学の講義で、初めて名づけた病気の概念なのだ。麻疹やショウコウ熱、インフルエンザではいずれも病原体が異なる。ところが発病の初期には、それぞれを区別するのが不可能なほど共通の症状「いかにも病気である症候群」を呈する。この症候群のメカニズムを知ることが大事ではないか、とセリエは考えた。ある特定の原因からある特定の病気を引き出すのではなく、それを逆転させ、原因は何であれ、どんな病気にも一般的にみられる「病気らしさ」に目をつけたわけである。セリエはその説を立証するためにネズミに化学物質を与え、細菌を注入し、熱や電気ショックを加え、実験を根気よく繰り返した。そしてついに「一つひとつの負荷が何であっても、つねに〈いかにも病気である〉という同じパターンの生体反応が見られる」ことを認めた。これが「ストレス」であり、これまでの医学にはなかった考え方(心身のメカニズム)の誕生だった。
 ふだん何気なく口にして、わかっているようなつもりになっている言葉の背後にこれだけドラマチックで奥の深い意味が隠されていたわけである。




3月10日(火)
 帯状疱疹になってから40日余りが過ぎた。まだ右胸上部と背中の一部に時々痛みがある。医者にかかったのは2回のみでいずれも診察は5秒で終わり。インフォームド・コンセンサスとまで言わないがアカウントビリティというのか、病状の背景についていろいろ訊きたいのに、ほぼとりつく島がない。さして忙しそうにもないお医者さんで子供には幼児語で優しい言葉をかけているのに、大人とはなぜか口も利きたくないらしい。訊きたかったことは、以前もチョコチョコ腰周り(ベルト沿いに)にできていた赤い痒い発疹(1週間ぐらいで消えてしまう)もやはり過労による帯状疱疹の一種なのか、ということ。小生はてっきり乾燥肌でエアロビのし過ぎによる一時的な脱水症状、と素人診断をしていた。いろんな人たちの話を総合するとこれも一種の軽い帯状疱疹のようなのだ。とすればここ2,3年前から小生は軽い帯状疱疹の症状をていしていたことになる。なるほど、そういわれればちょうど10数キロ体重が落ち、ダイエットに成功してエアロビに夢中になっていた時期と症状は符合する。この腰周りの発疹が危険信号だったのに自己管理できなかったことが今日の悲劇に繋がったわけである。

 この1ヶ月間、エアロビはむろん、外出も控え、夜の散歩も2日に1回、モンモンウツウツの日々を過ごしてきた。1週間リフレッシュを理由に東京に出かけているが、息子が大学受験の真っ只中で秋田にいるときよりも気を遣い本末転倒、逆効果だった。蟄居しているあいだ、いろんなことを考えた。さまざまなことが重なって台風のように身辺を襲ってきた。8年間続けてきた秋田経法大の「地域社会論」は今年で講座そのものが廃止になった。10年近く続いたある雑誌連載も去年暮れに終了。重要な戦力だったが島田真紀子が妊娠出産で退舎し、四半世紀仕事をともにしてきた岩城良一も今年の7月で定年退職する。この仕事上の大きな変化がたぶんいいがたいプレッシャーになっているのだろう。6人体制が今年から4人体制になり、かつ同じ仕事量をこなすことになるのだから頭が痛い。加えて定期的にもらっていた外部の仕事も不景気の影響で廃止や見直しを迫られ、まさに内憂外患の厳しい事情も、心身の不調に関係あるのかもしれない。

 少し希望をもっているのは時間的余裕ができそうなので「本を書き下ろしてみようか」という意欲が起きてきたこと。連載でなく書き下ろしで、しかも「秋田」にテーマを絞ったローカル色の強いものを考えている。構想倒れになる可能性が高いが、目次や企画構想を立てているときは無性に楽しい。それと、これまでは本を作る事ばかりに精力を使ってきたが、これからは作った本を(古い本も含めて)どのように売っていくか、という販促活動に持てる力の半分以上を使っていきたい、とおもっている。本を作るのは楽しいが、それを売るのは苦痛以外何物でもない。その苦痛と真正面から向き合い勝負してみるのも面白いのではないか。本を売る、本を書く、本を読む……いずれにしろ本から逃れられない運命であることは間違いないようだ。



3月12日〜21日
 12日(金)いつもより1時間遅い11時半ANA便で東京。ANA便にしたのは羽田についてからバスでターミナルまで行くのが面倒だから。空港使用権の問題なのだろうが国内線の強いANAはターミナルに飛行機を直接つなげられるが、JALやJASはターミナルから遠くに着陸するためバス移動になる。そのことを知っていたのでANAを選んだのだが結局バスに乗せられた。夜は息子の大学合格祝いで神楽坂のモロッコ料理店へ。2人ともはじめてだが見事にマズくてがっくり。食事の後、神楽坂周辺を散歩。今日は一日中飯嶋和一著『始祖鳥記』(小学館文庫)。最新作『黄金旅風』が面白そうなので買ったが前作を読んでいないので急遽読み始めるとやめられなくなってしまった。
 13日(土)朝9時起床。夜ぐっすり眠られる。これまでは受験生がいたのでどこかしら気をつかい熟睡できなかった。今日から、なまった身体を鍛えなおそうと腹筋、腕立て、ヒンズースクワットを朝、昼、夕方3セット。何かをやり始めないととにかく大型画面でテレビばかり見てしまう。途中、神保町へディパックや文具を買いに。アクセスによるとN社の女性雑誌記者を紹介されるが名刺を持っていない。いつもこれだ。東京堂で有田芳生著『酔醒漫録』買い夜を徹して読了。HPの日記の単行本化だが、驚いたことに自費出版。内容の面白さよりも「なぜこの本が自費出版なのか」という出版経営者兼編集者の目で興味深く読んだ。「1本勝負」にも書くつもりだが、やはりこの本はこういう形で出すのがベターだったというのが結論。
 14日(日)10時起床。午前中に手紙やメール書き。昼から息子と新宿へ。息子はCDラックを買いにだが親父は無目的。結局タカシマヤのデパ地下食料品売り場で大量の食品を買い一人帰宅。つくづく東京主婦している。
 15日(月)7時起床。スーツ(ノーネクタイ)を着て仕事モード。最初は地方小へ。九段でN広告社と今年1年間の新聞広告日程の打ち合わせ。神保町に回り何人かの人に会い、いったん帰宅。メールチェックして夕方再度神保町へ。帰路によった編プロのS夫妻が「事務所を見たい」というので来て頂く。お酒好きなので3人で早速宴会。7時ころ息子帰宅。入学式まで暇なので予備校で英検と漢字検定の勉強をしているのだそうだ。
 16日(火)晴天。7時半起床。炊事洗濯掃除をすませ午前中デスクワークをしていると地方小の川上社長から電話。福島の版元のUさんが見えているので一緒に話しをしないか、とのお誘い。午後から気分転換に吉祥寺まで移動し井の頭公園を散歩。三鷹まで歩く。スケッチブックを持っていったが絵を描く余裕はなし。公園はまるで秋田のお花見シーズンのような混みよう。今日は火曜日だぜ。帰ると会社から連絡が多くはいっている。サボって散歩していたのを見咎められていたような感じ。夜、息子は寄席(浪人時代もよく行ってたらしい)、一人さびしく夕食。まあ居たところで息子は酒がまるでだめなので一人で飲んでるのだが。
 17日(水)今日も晴天。息子はパソコンのセットアップで一日中家にいるようなので、午前中に仕事を済ませ、京成金町駅まで行き江戸川べりを散歩。柴又駅まで歩き、帰りは日暮里で降り谷中周辺を散策。とちゅう白山通りにうまそうな蕎麦屋があったので燗酒、にしん煮、ざるの量が多くて満腹、味はまあまあ。春日まで歩いて大江戸線1万6千歩。帰って2時間ほど昼寝。夜は机の前に座り続けまじめに仕事。このところずっと「本」を作るのでなく「売るために」何をすればいいのか考えている。少しずつ方向は見えているが成功するかどうかは本を出版するのと同じく賭けになる。それも結果が出るのに1年はかかる大仕掛けの博打。小さな出版社にはいい営業マンがいることが必要最低条件だ。いい編集者や経営者がいても、それだけで出版社は長続きしない。今日は恒例の1万通愛読者DMだしの日、さて結果はどうだろうか。
 18日(木)8時半起床。外は雨。東京も雨が降るんだ。お昼は神保町「新世界」で週刊P誌のデスクI氏と会食。場所を変え元冨山房地下喫茶店「フォリオ」でお茶。ここは夕方からバーに変身するようになった。いったん家に帰り昼寝。夕方、神保町の「古瀬戸」で河上進さんから今度出る本のゲラを受け取る。そのまま2人で編集者や書店員の飲み会に移動。半分以上知らない人たちだったが楽しい会(一応私の歓迎会という名目)だった。場所は神保町に最近できた焼き鳥屋。突き出しにキャベツが出てきたので九州系の居酒屋のようで安くてうまい。宴会が終わったらもう11時を回っていた。歩いて家へ。
 19日(金)雨は降っていないが肌寒い。午後から神保町。小学館のOさんを編集室に訪ね雑談。編プロのAさんの事務所へ顔を出す。販促会社のKさんは不在。ミズノで腹筋のとき床に敷くエクササイズ・マット2千円買う。夜は一人夕食。本を読む気が起きないのはどうしてだろう。テレビばかり見てしまう。
 20日(土)取手から長女夫婦が赤ちゃん(私はおじいちゃんなのだ)を連れて遊びに来る予定だったが、赤ちゃんに熱が出て急遽中止。外は雨模様。一日中机に座ってごちゃごちゃ。体調もいいのか悪いのかよくわからない。内田樹の本、ようやく集中できる。夜遅く、水道橋、秋葉原、上野コース1万5千歩散歩。
 21日(日)快晴。1日中掃除・洗濯をしていたい日和だが午前10時、帰秋のため事務所を出る。12時のANA便。仕事がんばらなくっちゃ。

東京生活一年の雑感

 月に1度、1週間ほどを東京で過ごすようになって1年が過ぎた。東京に事務所を構え、そこで年に延べ90日弱の日々を過ごすことで何が変わり、何が変わらなかったのか、今も冷静に考えてみてよくわからない。もう少し時間のかかる問題なのかもしれないが、元々あまり大きな意味(のっぴきならない理由)があって開設したわけではない。ゆくゆく東京に拠点を持っていたほうが仕事がしやすいだろう、ぐらいの漠たる予感から作った事務所なので、結論を急ぐ必要もないのだが、ここで仕事の基礎を確立するのは思ったよりも難しそう、というのが正直な印象である。だから仕事上の短期間の成果は棚に上げ、ここでは「東京」への個人的な雑感で、とりあえず一年間の総括にかえたい。

* ひしひしと群衆の中の孤独を感じた1年でもあった。
* 繁栄というなの歯車にならなければ浮いてしまう。余り仕事してないせいか街から「疎外」されている違和感があった。
* 街に蠢く人たちは活気に満ちているが、その9割は「負け犬」で「勝ち犬」は街中でなく建物の中にいる、らしいと気がついた。
* サラリーマンの国。華美さとは裏腹に彼らは貧しく、かっこよくない。
* 若者はほとんど流行の奴隷、没個性的で、時代の閉塞感を象徴していた。
* サービス産業で成り立つ街、なのにデパートや大型量販店は大きな街以外なく、スーパーも品数少なく、一挙に物がそろわない不便さは意外だった。
* 騒音、サイレン、排気ガスと共生するのが生活の基本条件。
* ガソリンスタンドが表通りでなく裏通りにしかないのは田舎と逆。
* 歩く速度が遅くてイライラ。階段、坂道多く、都会の人はよく歩く。
* 人口密集地帯ゆえ、歩きタバコの危険は深刻で何度か火傷しそうに。
* 普通の人も一見センスがよさそうに見えるが、田舎とそれほど大差ない。
* 年中春のようで四季のメリハリ薄く、季節感がない。
* うまい店は多いが、行きつけの店は作りにくい。

 と、目についた点(マイナス面)を、まるで初めての外国旅行者のようにアトランダムに列挙してみた。もちろん、いいところも多くある。本屋がいたるところにあり、喫茶店も多く、公園や散歩コースに事欠かない。特に散歩は私の趣味なので東京で一番の楽しみな日課になった。秋田だと知り合いに会うのがいやでもっぱら夜に歩いているのだが、東京の光に満ちた午前中の散歩はすこぶる気持ちいい。毎日がほぼ快晴という気候も、冬に青空をみることのない雪国育ちには精神衛生上舞い上がるほどうれしいプレゼントだった。ただし毎日知らない街をほっつき歩いていると、ときどき自分はこれから来る「毎日が日曜日」や「老後」の生活に備え、一足早い高齢化予行練習をやっているのではないか、といった気分に襲われるのには閉口したが。
 都市には人生を楽しむためのサービスや施設がたっぷりある。店や在庫が充実しているので薬も本もCDもあわててまとめ買いする必要がない。ここで買わないと買えなくなる、という焦燥感でまとめ買いすることが田舎では案外多い。言い方を変えれば、余分な贅沢にあふれた都市に比べ、生きていくのが精一杯で余分なものがほとんどないのが田舎、といった分類ができるのかもしれない。
 東京のファッション・センスについても一言。秋田から東京に行くと、都会の人は(あらゆる階層にわたって)なんてアカ抜けているんだろうと思ったものだが、よく見てみると単に横並びの服装をしているだけで(選択肢が沢山あるし)、靴下の色やバック類、靴やマフラーなど全体に統一感がなくダサい人がけっこう多いのに気づく。電車で青森弁の出稼ぎ系老人三人を見かけたが、そのファッションはキャップをかぶりジーンズにスニーカー、セーターにブルゾン姿。田舎なら考えられない服装(若作りでバカだと思われるし、彼らも故郷に帰ると絶対こんな格好はしない)である。が都会ではどんな格好をしてもなにも言われないし、安くて気楽に服を買うとなれば自然にこんなファッションに落ち着くのだろう。ところ変われば洋服も変わる、というだけの話。この出稼ぎ老人たちのジーンズ姿を「アカ抜けている」とみなすか、郷にいれば郷に従う、とみるかの違いだけだ。

 顕著に変化したのは「出張」である。東京事務所開設までは年に10回近く東北や九州、外国に足を伸ばしていたが、事務所のできた去年の「出張」は仙台1泊のみ。「少ない」新記録だろう。秋田では事務所と家の往復で外に出ることはめったにないため、私にとっては出張がストレス解消、閉塞感打破に最高のリフレッシュ・タイムだった。それが事務所開設で出張はほとんどなくなって余分な経費がかからなくなった。おまけに移動中に読書をする習慣も身についたのは「もうけもの」。
 たまたまこの1年は同居人の息子の受験期と重なったので、その結果、おさんどんや規則正しい生活を余儀なくされ、けっか夜遊びや暴飲暴食の弊害から逃れ、もっとも心配していた体調不調、体重増加の危険から身を守れた。
 東京に行く前は、おそれていた敵は「うまいもん」だった。食いしん坊の悪癖で毎日食べまくり、デブに逆戻りする悪夢に悩まされつづけたのである。それほど東京は魅力的な美味あふれる街であった。自分の食に対する「あさましさ」を改善しない限り行かない方がいい、とまで思いつめた。が、2年前からのダイエット成果で体重が10数キロ落ちると、空腹時に飲食店街を歩いても誘惑に負けない身体になっていた。脂っこいものはしぜんに遠ざけ、酒もすぐに「もう止めよう」という危険信号が脳から発信された。「食いすぎは脳の異常」という医学的見地に説得力があった。体重が落ちると「食」だけでなく、いろんな好みも微妙に変わってきた。特に服装は黒系のシンプルなものしか受け付けなくなり、買い物しても「あれ、俺変わったなあ」と自分で自分の選択に驚くことしばしばだった。東京へ出たのと、身体が変わったのが同じ時期だったのが幸いしたのである。
 その一方で、今年の2月から3月にかけて過労による帯状疱疹で体調を崩し、エアロビは2ヶ月近くおあずけになった。これはショックだった。油断から来る慢心。そこでも仕事から離れられる「隠れ家」として、東京は重要な役割を果たしてくれた。仕事のストレスやプレッシャー、日常雑務から私を守ってくれる砦になってくれたわけである。
 そういった意味ではこの1年間、十分に東京事務所はその役割を果たしてくれた、といっていいのかもしれない。
 下世話な話だが、田舎に住んでいるとなかなか出来ない、たとえば相撲や歌舞伎、プロ野球観戦、美術館めぐりや高級レストラン、競馬や演劇・コンサート鑑賞…こういった遊びも一通り体験できた。個人的興味はもう満たされたので、あとはどのような仕事を「ルーティン・ワーク」として東京に確立させるか、そこが2年目の大きな課題だろう。



3月27日(土)
 もう丸々2ヶ月エアロビとご無沙汰である。体調はだいぶ回復しているのだが、まだ胸と背中の一部に痛みが残っている。「ちゃんと治さないと帯状疱疹は厄介なことになる」と友人に脅されているので、ここはあせらずじっくり休んでおこう。というわけで日課の散歩と先週からはじめた腹筋、腕立て、ヒンズースクワットのトレーニングで、とりあえずは身体がなまらないようにしているのだが…。外はすっかり雪が消え春の装い。友人のF氏(ライター)は仕事の打ち合わせにマウンテンバイクで颯爽とやってくる。うらやましい。今に見ていろ俺だって…と気ばかりあせるが、仕事をしていると午後3時頃から猛烈な睡魔が襲ってくる。病気と関係あるのかは不明だが、この時間帯は外にでてリフレッシュして睡魔を打っちゃる作戦。夕方は一度家に帰ってカーテンをしめ、食器片づけ、風呂準備、暖房や晩酌用意をするのが日課なので、その時間に家で腹筋トレーニング。散歩は夕食後の1時間半。でも週に2回は疲れるほど汗をかきたい、というのが本音。あの栄光の日々(エアロビ)は本当に戻ってくるのだろうか。4月は忙しい月になりそうなのでいまのうちにと近所のビデオ屋で借りたニコラス・ケージ主演の『マッチステック・メン』。最後のどんでん返しにぶっ飛んでしまった。これは原作を読みたいなあ、でも結末がわかったからもうダメか。

 「身体を丁寧に扱えない人に敬意は払われない」
 これは内田樹さんの本に書いてあったこと。内田さんは「敬意」というのは他人から受け取る前に、まず自分から自分に贈るものだ。自分に敬意を払っていない人間は他人からも敬意を受け取ることは出来ない、と言う。自分に敬意を持つことの第一歩は自分の身体を丁寧に扱うこと。自分の身体から発信される微細な「身体信号」に敏感に反応すること。「悪い場所」に近づくと人間の身体はその場所が発する「瘴気」を感知する。そこに踏み込むと自分が汚れたり、損なわれたり、リスクが高いということが身体にはわかる。しかし、自分の身体に敬意を持たない人は身体がいくら危険信号を送っても、それを感知できない。道路にへたり込んだりドラッグや売春におぼれる若者は「誰にも迷惑をかけていないから、関係ない」というロジックを使う。社会人としての最低ラインをクリアーしているから文句ないだろうというわけだが、自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることが出来ない。若者たちがセックスやドラッグにはまりこむと世間は「身体的快楽におぼれて」という表現を使うが、身体そのものは身体を傷つけたり、汚したりする行為を決して「快楽」として感知することはない。「快楽」と感知するのは「脳」である。若者たちの行為は「身体依存的ふるまい」ではなく総じて優れて「脳依存的」ふるまいなのである。脳は自己中心的臓器だが、身体は実はもっと社会的な臓器なのだそうだ。自分の身体が本当にしたがっていることは何か、身体が求めている食物は何か、姿勢は何か、音楽は何か、衣服は何か、装飾は何か……それを感じ取ることが自分に対する敬意の第一歩なのだ。


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