んだんだ劇場2004年06月号 vol.66

No24−さあ仕事だ−

5月4日(火)
 GM中は例年通り仕事。電話も来客もなく仕事が進む。うまい具合にカミさんも東京に行き優雅な独身生活。といっても外を飲み歩くなんてことは昔の話でいまはもっぱら禁酒ダイエット。夕飯時にカミさんの晩酌に付き合うのが日課で普段は酒を抜けないのだが今回はいい機会。実は先日の健康診断の結果が出て前回(去年の10月)より2キロも体重が増えているのが発覚、こりゃやばい、GW中に禁酒節制して一挙に体重を落とす作戦なのだ。どうにか目的は達成できそうだが、カミさんがいないと節制生活ができるというのも普通とは逆の話かな。夜の散歩の後、簡単な腹筋、腕の筋トレ、寝るまでずっと中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫)を読み、連休いっぱいで読了。夜更かしして朝何時に起きても文句いわれないというのがいい気分。

 仕事の合間に机周りや倉庫、書斎の整理もした。おもに衣類の冬物の整理と不要物処理だが、かさばる冬物を収納すると空間が目立って広くなり気持ちいい。身体や身の回りからゼイニクを取ると気分爽快、ヒマすぎて不安に苛まれたりストレスとも無縁のGW。湯沢の父はあいかわらず寝たきりで、病状に大きな変化はないが酸素マスクの呼吸が苦しそうで病床にいるこちらまで息苦しくなる。大きな声で呼びかけると目を動かして反応するが口は開かない。植物人間ではないが、栄養を自分で取れないための衰弱は思ったより残酷な変化を体に及ぼしているようだ。逆に、父が寝たきりになり看護から解放された母が、このところ急に元気になってきた。寝たきりの父の行く末は見えているが母まで看護疲れで道連れになるのでは、というほど憔悴しきっていたのが、GW中に会うと見違えるように元気に若返っている。ハルシオンという医者から処方された睡眠薬で夜もぐっすり眠れるようになったらしい。湯沢への行き帰りはカーステレオで「憂歌団」や「早川義夫」を聴きながら快適な高速道50分。早川さんは伝説のロックバンド・ジャックスから本屋さんに変身、最近(といっても3、4年前)歌手として再活動をはじめた。歌の中に「足りないのではなく、何かが多いのだ」という印象的な歌詞。この言葉はこの10年の自分の理念というかポリシーと相通じていてシンパシーを感じる。そういえばウチの鐙編集長や渡部は元々書店出身で、書店を立ち上げるときにモデルにして指導を仰いだのが川崎にあった早川さんの書店だった。

 いつも行く喫茶店で高校時代の柔道部の仲間だったSが昨日ガンで亡くなったことを聞かされた。そんな親しい間柄ではなかったが、キャップテンで全県個人戦優勝までした、気まじめで信念を曲げない、印象に残る男だった。高卒後、警察官になったが上司との折り合いが悪くそのストレスが身体を蝕んだのでは、という人もいた。大学生の頃、4畳半の私のアパートに突然(唐突に)訪ねてきて(後から学生運動の情報収集のため命令された仕事だったとわかり)、以後、会うことはなかった。立派な息子さんがいて、本人は県内の駐在所を転々としていると風の噂に聞いてはいたが、あの屈強で生真面目な男が55歳を前に簡単に亡くなるとは……ぴんと張られてたわみひとつない紐が突然プツリと切れたような唐突感。一度会ってじっくり高校時代の話をしたかった。合掌。

 「今日の出来事」にGW中は仕事をしているので遊びに来て、と書いたら本当に来客。青森の印刷所のKさんで、おいしい黒石リンゴをお土産にわざわざ秋田まで来てくれた。同年代なのでひとしきり健康や仕事のはなし。へヴィ・スモーカーだったのにタバコを吸っていない。自分の身体や社員への影響を考えてやめようと思っている、とのこと。さあGWも明日で終わり。5月からは自分の書く仕事のほうを本格的に再開する予定だ。3,4本あっためていたテーマの取材をしながら暫時HPに発表していくので、明日からはその取材準備にはいる。8日からは東京で、これもいろんな約束が入っている。いろんな悩みやストレス、難問、不安は山のようにあるが、忙しくしているのが、とりあえず幸せなこと、最近はこんなふうに考えられるようになった。



5月8日〜13日
 8日(土)JAL10時便に乗るつもりで渡部に空港まで送ってもらうが、事務所の鍵を忘れた。あわてて東京の息子に電話すると「バイトで遠くにいる。夜7時ころまで帰れない」と絶望的な返事。飛行機を11時半のANA便に変更、渡部に鍵を家から持ってきてもらう。こんなドジを踏むのは昨夜まで飛び歩いて寝たのが深夜2時過ぎ、準備もなしに飛び出したから。昨日は自分の取材活動第一日目で、貧乏性のためスケジュールを詰め込みすぎ目の回る忙しさだった。朝早くから西仙北町のK商店で「こうじ」の取材、発酵食文化と地域社会のインタビューを通して「乳酸文化と麹文化」のボーダーがよくわかった。角館町に移動し、カヌーレーシングクラブのELKのSさんを取材。この15年のクラブの歩みをできれば本にしたいと思っている。中仙町の蕎麦や「若竹」で遅い昼食をとり、そこから湯沢まで走り、集団就職のことを高校時代の同級生Sさんに取材。夕食は実家でうどん。秋田にたどり着いたのは11時を回っていた。それでも機中で眠りもせず半藤一利『昭和史』読み続けた。事務所に着いていつものように掃除、買い物。夕方、サンパウロのMさん来宅。4年ぶりに会い(ある事情で絶交していたのだが)ウィスキーを痛飲、一本あけてしまった。こんなに飲んだのは何年ぶりだろう。Mさんはそのまま事務所でバタンキューの泊まり。
 9日(日)朝6時前に目を覚ます。二日酔いだが気分は悪くない。朝ごはん後、Mさん帰宅。外は曇り、少し寝てシャワー後、早稲田、新宿、四谷1万6千歩散歩。途中で雨が降ってくる。散歩の間しゃっくりが止まらない。横になると止まるが、起きて動き出すとヒックヒック。夕方、TVでNHK杯カヌー競技を観戦、123位と秋田ELK勢がそうなめ。おとといELKの指導者に取材したばかりなのでモーレツに入れ込んで観戦。これだけ強いのにアテネにいけなかった理由もちゃんと一昨日聞いているのだが、ここではいえない。夜は酒抜き、息子外泊、しゃっくりしながら『昭和史』読み続ける。
 10日(月)身体からようやくアルコール抜ける。しゃっくりも止まった。外は雨。朝、地方小K氏と喫茶店で打ち合わせやら雑談。神保町周辺を散歩。昼は蕎麦屋でお銚子1本にざるそば。とぼとぼ帰る途中、飯田橋駅前で山口県のM書店のMさんとばったり。事務所まで来ていただく。71歳なのにとにかく50歳ぐらいにしか見えない人なので、その若さと健康の秘密をじっくり聞かせてもらう。私はひそかにMさんを「地方出版の三浦雄一郎」と呼んでいたぐらいで、一緒に出版仲間とニューヨークに行ったときも朝から晩まで歩き詰めで平気なその体力に驚愕したものだ。こちらも歩きと体力にはいささか自信はあったのだがMさんを前にすると赤ちゃんと大学生ぐらいの差。その健康法はというと一日2食と毎日の散歩。そして働きすぎないこと(仕事を身の丈にあわせること)。月に1回は東京に来て息抜きをし、地元でもほとんど人と会わず孤独を楽しみ、奥さんとの晩酌は欠かさない。ビックリしたのだが、僭越ながら、これって私とほぼ同じライフスタイル。違うのはストレス発散法として夜中に大声で歌を歌うことぐらい(本も目に悪いので夜は読まないといっていた)。なるほど、私も70歳を超えてもMさんのようになれる可能性が少しはあるわけだ。でもMさんがこうしたライフスタイルを確立したのは30代のときからだそうだ。私は40過ぎてからだもんなあ。お話をうかがって少し自信がもてて、かつうれしかった。夕食は冷蔵庫の残り物。息子の部屋から古典落語のCDの音が漏れてきて寝付けない。落語は息子の中学時代からの趣味、ましてCDは私が買ったもの、これでは頭ごなしに怒るわけにもいかない。そういえば中学の修学旅行(東京)で息子が行方不明になり担任教師から緊急電話をもらったことがあった。やつは一人で新宿の末広亭で落語を聴いていた。『昭和史』読み続けるが、驚くことばかりで油断すると眠られなくなってしまう。
 11日(火)快晴。朝めしは抜き。息子が食べないせいもあるが、昨日のMさんの「一日3食というのは誰がなんと言おうと食べ過ぎ」という言葉が頭に残る。小生も日ごろ2食(昼抜き)だが、東京にいると運動量も増え昼を食べることも少なくない。朝のシャワー後、どこへも行かずずっと机。来週東京に研修旅行にくる沖縄のB出版社の「歓迎計画」をアクセスのHらとメールで協議。東京のデザイナーUさんからバイク便で装丁の原稿届く。そうか東京はバイク便という手があったか。昼はベランダで自分の作ったサンドイッチ。東京に来てはじめて布団を干す。息子が何度か干してくれていたらしいが叩くとものすごい埃が出る。東京でもこんな強い日差しの布団干し日和というのはそう何度もないのでは。夕方、江戸川橋付近を散歩。会社社長が帰宅のために乗る黒塗りの車と運転手、洗い桶片手で銭湯に行く労働者の姿を何人か目撃、おもしろい街だ。夕食は麻婆豆腐、ゴーヤチャンプルと豆腐攻め。
 12日(水)朝10時起床。朝飯抜きでシャワー後、仕事。曇り空だが半そでのまま町にでて神保町でSさんと昼食。書店や古本屋、スポーツ店をチェックした後、帰宅。仕事。夕飯は八宝菜(インスタント)。食後、机の前を片付け。引越し以来はじめて。仕事場すっきり気持ちいい。東京堂で買った末井昭『絶対毎日スエイ日記』を読み始める。1000ページもある2段組の本だが日記好きにはこたえられない本、徹夜で読みそうになり明日の仕事のことを考えてやめる。
 12日(水)曇り空で蒸し暑くなる予感。午前中に仕事を済ませ、午後から近所の小石川後楽園を散歩(入園料300円)。水戸徳川家の屋敷跡庭園だが国の管理が行き届いていてキレイで気持ちいい。300円は安いのかも。神保町に出て夏の室内履きや乾電池、洗面用具など買う。帰ってベランダで夕涼みしながらビール。朝もベランダでコーヒーを飲んでいるので、このところベランダでボーっとしているのがお気に入り。夕食は中華づいてチャーハンにマーボー春雨。
 13日(木)朝8時起床。快晴、暑くなりそう。JRで羽田へ。これだと所要時間1時間。ということは昼の出発なので家を1時間40分前に出れば問題ない計算。でもちょっと怖い。秋田も晴れているが寒い。まだ半袖は無理のようだ。



5月19日〜24日
 19日(水)11時20分ANA便で東京。雲の中をグラグラ揺れ続け羽田まで。昨夜ある不安が突然襲ってきて眠られなくなり、その余波が続いていて心の中もグラグラした「不安のコラボレーション」。2時、事務所に友人のYさん。ベランダでビール。一緒に根津に出かけ内澤旬子さんの個展に行くが休み。東京も秋田に負けず寒く雨脚強くなるばかり。根津の台湾カフェや「九ちゃん」という魚のおいしい居酒屋でいっぱい。神保町にもどり最近できた讃岐うどんの「野らぼー」に寄り、近所のSさんに電話すると駆けつけてくれ、うどんで酒盛り。雨の中タクシーで帰る。
 20日(木)8時起床。シャワー、ベランダでコーヒー(少し寒い)。昨日までウジウジ悩んでいたのに霧が晴れるように消えている。これが東京効果というやつか、単純なだけか。午前中電話多し。デザイナー、印刷所、著者、実家やセンター…秋田にいるときよりも忙しい。午後から線路沿いに市ヶ谷、麹町、皇居、神保町1万7千歩。「Ninas paris」という紅茶専門の喫茶店で一休み。ここはちょっと穴場だなあ、本もゆっくり読めるし。そういえば喫茶店で本を読むというのは東京ではじめて経験。本は机か寝床で読むものと思っていたから新鮮だ。食堂やベンチ、居酒屋でも本を読んでいる人がいるのは強い味方。
 夜6時過ぎ、沖縄ボーダーインク社員7名、事務所に見える。東京社員旅行中なのだ。そのまま神楽坂の「きらく市」という居酒屋へ。歩いて30秒の距離だがこういった店があることさえ知らなかった。蕎麦がウリらしく、おいしかった。ボーダーインクは若く明るく元気のある出版社なので、あまり気を使う必要のないのがうれしい。
 21日(金)息子は授業がない日なので朝早くからバイト。ゴミ出し後、2度寝。朝ごはんを作らなくなったので朝寝ができるのがうれしい。10時から仕事開始。今日の夜の段取りのためいろんなところに電話。昼は飯田橋「おけい」でタンメンに餃子。あいかわらず隣の有名ラーメン屋に行列。神保町を散歩。昨日の紅茶喫茶に入り、人に薦められた「北島亭のフランス料理」を読むが、読みかけの「秋田の歴史」の本の続きを読みたくなる。読みにくい本だが内容にはまってしまったんのだ。いったん事務所に帰りメールチェックと夜の最終確認。5時、神保町の「アクセス」で沖縄のボーダーインクの連中と待ち合わせ。神保町の大小さまざまな出版社や書店を見学の予定だったが、ツアーコンダクター(小生のこと)の段取り悪く7割がたの達成。「名舌亭」で書店や出版社の方も大勢来てボーダーインク歓迎宴会。2次会も勢い衰えず1時半ころまで神保町で。
 22日(土)昨日は遅くまで飲んだのに二日酔いなし。沖縄の人からもらったウコンが効いたのかしら。午前中、小泉武夫「発酵は力なり」(NHKライブラリー)読む。昼は出版クラブで地方小のK氏と食事。これからのことなど本音でなんでも話せるのがうれしい。
 そのまま四谷、新宿まで散歩1万7千歩。雨の新宿御苑は入場料200円を払っても行く価値ある公園。土曜日なのにほとんど人がいない。飯田橋の書店で末井昭「スエイ式人生相談」(太田出版)、神崎宣武「江戸の旅文化」(岩波新書)、石川文洋「日本縦断 徒歩の旅」(岩波新書)買い、近くの喫茶店で3冊を斜め読み。夜はバイトから帰ってきた息子と神楽坂で待ち合わせて食事。これからの無明舎のことなどぼそぼそ話すが、どれだけ親父の仕事について理解していることやら。夜、テレビは金太郎飴の北朝鮮報道なので無視して「スエイ式人生相談」読み続ける。「短気で困っている」という質問になかば真剣に「ヤクザになったらどうだろう」と答えたりして傑作。
 23日(日)またしても雨模様。今回は一日もちゃんと晴れてくれなかった。昼、若い編集者の友人F君来宅。近所のうどん屋で昼食後、2人で新宿へ。ある買い物に付き合ってもらうためだが、その中身については内緒。F君と新宿3丁目で軽くいっぱい。別れてひとり四谷、市ヶ谷経由で歩いて帰る。これでようやく今日は1万歩達成。明日帰秋のため荷物の準備。テレビを極力見ずに、書斎(事務所)にこもるよう心がけたせいか仕事にだいぶ集中できるようになった。おさんどんから開放されたのも大きいが、これからは外食による暴飲暴食も要チェックだなあ。秋田に帰ったらダイエット再開だ。今回の東京暮らしは、ある決断をしたことで自分的にはちょっと大きなターニングポイントになる可能性あり。
 24日(月)8時起床。シャワーとコーヒー。午後からの飛行機なので午前中はゆっくり散歩。高田馬場まで約7千歩。帰りにマンションのそばの紅茶専門店にはじめてはいる。思っていた通り感じのいい店だった。1時半マンションを出て羽田へ。電車も飛行場も空いている。「なるほど秋田の歴史」を読んでいるうちに少し肌寒い秋田空港着。さあ仕事だ。


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