No25−残された時間はそんなにない−
6月1日〈火〉
6月に入ってしまった。5月中も結局スポーツクラブには行けなかった。帯状疱疹は消えたが、ときどき傷跡が痒くなったり疼いたりするのが不気味で自重している。この10月で55歳、「無理をしない」という選択肢も必要な年齢だ。運動は夜の散歩だけで腹筋や腕立てもやらなくなってしまった〈なんとなく自分に向いていないのがわかったため〉。その代わり散歩中1キロのバーベルを持ってストレッチやダンベル体操を入念にやるようになった。まだ定かではないがエアロビに匹敵する運動効果があるという人もいる。バーベルの重みでストレッチがしやすく普段鍛えられない上半身が引きしまってきた、ような気がする……。 ここしばらく〈1ヶ月くらい〉東京出張はない。規則的な生活が約束されているので、この機会に身体のシェープアップをしておきたいところだが、秋田でもけっこう外に出歩く機会が多くなった。自分の本を書こうと思っているので取材に出たり、実家の父親の容態があやふやで、そのため始終湯沢を往復していることもある。 それにこの6月、二人の舎員が退職する。ながく一緒に仕事をしてきた二人が抜けるのは痛手だが、あえて新人補充はしないことに決めた。現勢力で仕事の規模縮小という道を選択した苦渋の決断だったが、仕事に身の丈をあわせるのではなく、身の丈に仕事を合わせよう、ということにしたのだ。後継者をつくらないと言うことは、無明舎がこれからドンドン小さくなっていく、ということを意味する。無明舎は安倍一代かぎりで終わり。税理士にもこのプランを承認してもらい、この2年ほどでスリムかつフットワークの効いた組織になる生まれ変わる予定だ。そして櫛の歯が抜けるように時間とともに舎員が去り、安倍ひとりが幽霊のように残って仕事を死ぬまで続けていく、というシナリオだが、そんなうまくいきますかどうか。 まあ、こんなことがあって右往左往というか東奔西走しているのだが、楽しい催しも2つあった。南外村で百年つづく茅葺きの伊藤家(「刈穂」の社長の自宅)で料理研究科の岸和子先生が佐竹初代藩主の正月料理を再現する、という試みに参加して、たっぷりとうまいお料理を堪能してきた。殿様の食事はけっこう質素と聞いていたが、なかなかどうして。その2日後にはHPにも連載している脳性まひの中学校教師S君に誘われ、これも刺激的な飲み会。ストローでものすごいペースで酒を飲むS君に圧倒されっぱなし。会話も弾んで再宴会を約束してわかれた。さらに忙しさに拍車をかけたのが原稿かき。ものになるかどうかは未知数だが、『「食文化」あきた考』という原稿と、もう20年以上取材を続け、ほったらかしにしている『トメアスー――アマゾンの日本人移民村』という2本の原稿を書きはじめた。自分に残された時間はそんなにないんだよ、という声がノーテンキな私の頭上にも聞こえるようになった。 6月19日〜28日 19日(土)1ヶ月ぶりの東京。ANA便11時20分。事務所でずっと原稿書きに専念していたので外に出るは久しぶり。東京はとにかく暑くてイヤになる。前日、29年間一緒にやってきた営業のIが55歳の早期定年退職、いつもの「みなみ」で送別会を開いたばかり。うちは55歳でいったん退職金を払い、その後は60歳まで嘱託で勤務するか退職して第2の仕事に就くかの2社択一制度をとっている。前のWは嘱託のほうをとり今も残って仕事をしてもらっているが、Iはやりたいことがあるようで退職という道を選んだ。重要な戦力であった嘱託の嶋田真紀子も出産育児のため休業で、ともかく大きな戦力を同じ時期に2名失うことになった。でも補充はしない。もう覚悟は決めているのだが、無明舎は小生一代で終わり。まだ若いAが60歳になるまではナントカがんばるが、その後はAの意志を確認して、後は一人で静かに自分の仕事をしたい、というのが小生の本音。その節目となる宴席だったが、いつものように淡々と終了。最後に食べた「幻のうどん」=稲庭吉左衛門のうどんが本当にうまかった。そんな節目の日の次の日の出張である。東京の事務所には前日からカミさんが泊まっていて入れ替わり滞在。移動中は『食べものと日本文化』(評言社)。夜はさびしくひとり晩酌。でもこれが一番気楽で楽しい。酒量は酒1合に焼酎1パイが限界。 20日(日)朝からドキドキ、シャワーを浴びて上野駅。今日は中学時代の同級生3名と何十年ぶりかで会う約束。昼からアメ横の寿司屋で宴会。話し尽きず2次会も居酒屋チェーンで終わったのは6時ころ。ということは6時間飲み続けたということか。楽しかった。一番成績の悪かったYという生徒がカンニングで成績がトップになり、そのことをめぐって学級と担任教師の大問題に発生した話が出たが小生はほとんど記憶にない。音楽室で復讐のため担任女性教師のピアノに蛇を入れたのだそうだ。上野から帰って新宿歌舞伎町まで散歩。帰りは四谷経由で1万6千歩。むかし何度か行ったことが「サッシ・ペレレ」といブラジル料理店を発見(小野リサの実家)。こんなところに移転していたんだ。台風が近づいているせいかフェーン現象のような暑苦しい夜。奥田英朗『イン・ザ・プール』読む。何かにとりつかれ中毒になった人々(他人事でない)のユーモラスな物語。けっきょくクーラーをつけて寝て夜中に寒くておきだす。 21日(月)台風の影響で雨と風。どこにも出ずに一日中マンションの中。ボーっとソファーに寝転んで一日過ぎる。ビデオ屋で『死ぬまでにしたい10のこと』。今日もクーラーをつけて寝る。寝つけず夜中に何度も起き出す。頭にくるなあ。 22日(火)快晴、台風一過で仕事モード。家事を済ませ、パソコンで用事を済ませてから外出。朝日新聞S記者と築地で昼飯。歩いて日本橋の取り壊されるライカビルを2人で観にいく。『下山事件』の重要な生き証人ビル。帰りに有楽町の無印良品にフランス人夫妻のギャラリーを訪ねるが留守。市ヶ谷で出版仲間のY君と会い雑談。神楽坂まで歩いて帰る。銀座をかなり歩いたので歩数計は1万3千歩。神楽坂の焼き鳥屋でいっぱい。家に帰ってメールチェックの後、ビデオ『キル・ビル』、このどこがおもしろいのか。寝る前に武満全集の最終巻CD聴きながら『スポーツジャーナリストで成功する法』(草思社)読む。タイトルの凡庸さに逆に「これは何かあるな」と思って読んだのだがアタリ。夜、自分のところで出した読売新聞秋田支局編『あきた雑学ノート』読む。食文化の原稿を書くために読んだのだが、ものすごく参考になる。灯台もと暗し。 23日(水)晴れ、今日もかなり暑くなりそう。午前中日本橋タカシマヤで今日の夜の会のため買出し。帰って生ものの下処理をし、近所の小川町のビルで雄勝町の出版物の打ち合わせに出席。3時間ほどで終了し、急いで事務所に帰って夜のパーティ用料理の盛り合わせに2時間。ほとんど出来合いのものだがけっこう大変な作業。6時半、イラストレーターのH女史、A編集長、若い編集者F君の今日のお客様3名が見える。だいぶホームパーティにも慣れてきたが、いかんせん皿やグラスが2人分しかないのが辛いところだ。夜遅くまで話は尽きない。 24日(木)朝になっても疲れが抜けない。どうもクーラーが悪いようで身体がだるい。シャワーを浴び、気持ちを切り替えて東京駅へ。京葉線で房総半島の大原へ。ここでK氏と落ち合い海辺を車で案内してもらう。東京と違って暑くても風が心地よい。K氏の自宅で自慢の野菜畑のレクチャーを受け、野菜についていろんなことを覚えた。獲れたてのアジやカツオのお刺身の夕食をご馳走になり、総武線で帰ってくる。車中、『スポーツジャーナリストで成功する法』読了。これはいい本だった。この人の書いた『カツラーの秘密』も読むことにしよう。帰ってメモの整理や永江朗『インタビュー術』半分まで読む。 25日(金)曇り空で蒸し暑そう。事務所で仕事。今ひとつ身が入らない。2日間散歩をしていないので、そのせいか気持ちがしゃんとしない。でも外は雨がいつ降ってきてもおかしくない空模様。近所のビデオ屋で北野武の『座頭市』。暴力的な映画はあまり観たくないのだが、これは面白かった。タランティーノのつまらなさが浮き彫りになった。『インタビュー術』読了。マンションの向かいにあるラーメン屋で引越し以来2回目の夕食。濃いギトギトのラーメンで夜中てきめんに下痢。慣れないことはするものでない。 26日(土)昼ごろ起きだす。今日は思い切って外に出ることにする。神保町から浅草橋、上野まで1万6千歩。散歩から帰ってきてのビールがうまい。秋田でビールを飲むことはほとんどない。今回の東京滞在は明らかにこれまでとは意識が違っている。秋田でやらなければならない取材や仕事が待っているからだ。気分転換でやむなくここにいるのだが、早く帰って仕事をしたい気持ちが強い。親父の容態も気にかかるし、新体制(4人)の事務所のスタートも心配。夕方、モノクロ映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』観る。30代のころ見たのだがあまりに印象が違ってビックリ。これはいい映画だ。秋田は少人数(3人)でてんてこ舞いの忙しさ。毎日入る業務連絡も滞りがちで、一人一人が自分の仕事で手一杯、今日も出舎して仕事をしているようだ。腰が痛い。布団が薄いためだ。こうやってどんどん環境に順応できなるのかも。アン・タイラー『ここがホームシック・レストラン』読みはじめる。 27日(日)うす曇。そう暑くなさそうなのが救い。午後から神保町、皇居1周して古本屋をあさってから北の丸公園経由1万5千歩。途中、東京国立近代美術館で「ブラジル:ボディ・ノスタルジア'9人の作家による現代美術展'」を観る。神保町周辺でR・雷太という俳優や書評家のK・茂氏、ジョギング中の元アイドルタレントSなどに立て続けに会う。腰が痛い。今日から敷布団2枚重ねで寝ることにする。秋田に帰ってからの仕事の段取りやアイデアをメモ、荷物の梱包をする。外食をせずほとんど「秋田のガッコ」をおかずにお茶漬けで済ませてしまうのは今回4晩目。早々と寝床にはいってアン・タイラー読み続ける。帯状疱疹の痕はしつこくまだ残っていて最近痒さがまたぶり返してきた。こんな厄介なものだと思わず油断していた。いつになったら完治するのだろうか。 28日(月)今日もうす曇。雨になるかも。昨夜は悪い予感どおりアン・タイラー「ここがホームシック・レストラン」最後まで読む。8時に起床しシャワー。もろもろの雑用片付け、12時の飛行機で秋田へ。これでようやくクーラーのない場所にいけるのが何はともあれうれしい。夏の間はできるなら東京には来たくない。どうかしばらく何も行事や用事がありませんように。 |