んだんだ劇場2004年10月号 vol.70

No28−新年度あれこれ−

9月1日〜8日
 もう9月である。8月決算なのでこの日から新年度。それにしても今年の前半はまったくいいことがなかった。はやくこの大きなスランプから脱出したいのだが、その糸口がなかなか見つからない。少しずつだが光明の兆しもないわけではない。8月末に環境マネージメントISOの認証を与える会社そのものが不祥事を起こして一時認定を取り消される前代未聞の事件がありショックを受けるが、その担当者だった島田に無事男の子が誕生、よかったよかった。まさに暗闇の中の光である。気分を一新するため事務所の徹底的なクリーニングを実施(アルバイトに依頼)。ついでに自分の車も買ってから初めて、外と中の徹底的清掃を業者に頼んだ。
 1日、長く湯沢市の雄勝中央病院に入院していた父が退院、秋の宮の温泉病院こと「湯雄医師会病院」に再入院。糖尿病による右足壊死切断の治療を終え、今度は終末医療の、自然環境に恵まれた広々とした病院へ転院。院長先生、およびこの病院を紹介してくれたY先生に弟と二人で挨拶。家族としては正直なところ一安心。
 2日、夏の間ずっと調べ書いてきた『食文化あきた考』の朝日県版連載がいよいよスタート。5日連続で掲載された後、毎週日曜日に週1で続く予定。長く続きますように。
 4日5日の土日は2階に仕事場を移すため作業に没頭。1階の仕事場が資料でゴチャゴチャ、集中力が失せ、イライラが募ってきたので誰も使っていない2階に引越したわけである。1階のデスクも残しているので、どちらでも仕事が出来るぜいたくな環境。6日、近所に住むエアロビ仲間Hさんにバッタリ。最新スポーツクラブ事情を10分ほど立ち話。エアロビのトレーニングメニューが都会並みに増え、仲良しグループが顔をあわせる機会がめっきり減ったという。こちらは2月からクラブにご無沙汰、行きたい気持ちは強いのだが体調は悪くないし、体重も増えてはいない。毎日の散歩(1万5千歩)で十分では。クラブに行くと張り切りすぎて疲労が残る。それに自由に時間を使えるメリットがある。最近、本を書くための取材旅行がめっきり多くなっているのはクラブに縛られなくなったせいでもある。
 7日、前日の一時的な豪雨で窓のそばに置いていた書斎のテレビが水浸しで映らなくなる。出入りの電気屋さんにきてもらうが、先日の台風17号騒動でT電力から4500本の懐中電灯の注文があったという。災害で潤う人もいる、とは聞いていたが実物?を目の当たりにするのは初めて。
 8日は台風18号で緊張の一夜。が朝方強い風が数時間吹いただけで、あっけない幕切れ。先月末の台風16号が凄すぎたので免疫が出来てしまったのかも。17号もあっけなかったが農産物への塩害はかなりひどいようだ。カミさんに言われてガソリンスタンドで洗車。雨に塩分が含まれているので放っておくと車が錆びるのだそうだ。それにしても台風(風ですね)は怖い。個人的に屋根が吹き飛ばされるイメージが強く、屋根がなくなる恐怖感というのは私にとって何よりも恐ろしい。南の人たちは毎年こんな恐怖感を味わっているのだから同情を禁じえない。
 車と同様マウンテンバイクも錆びを落しと油さし。なにもかも気分一新して2階事務所で自分用の取材原稿を書き、ゲラのやりとりに忙殺される日々。忙しいとクダクダ悩まなくてすむのがいい。もう悩んでもしょうがない年になった。なるようにしかならないのだから。こんなふうに30年以上同じことを繰り返してきて、今でも、ほとんど何も進歩していない自分に呆然とすることがあるのだから始末が悪い。50代になった男女の生き方を短編で描かく名手といわれる内海隆一郎の新刊『郷愁・サウダーデ』(光文社)を読む。経営に失敗した出版者や写真家などが主人公でそれなりに楽しめるが、プロットが弱くて後味がスッキリしない。弱いというより「書きすぎ」で余韻が楽しめない。登場人物にはシンパシーを感じるので文庫本も3冊購入する。



9月28日(火)
 9月ももう終わり。本当にこの「エアロビ&東京」というタイトルが意味をなさなくなってしまった。どちらもまるでご無沙汰。東京は暑いうちは行きたくないし、エアロビはもういつ復帰してもおかしくないのにダラダラ先延ばしにしている。真剣にタイトルを変えようか、思案中。
 昨日は何年かぶりに血液検査、コレステロール値や尿酸値を調べてもらってきた。血圧正常、体重1.5キロオーバー、コルステロール192、尿酸6.1、中性脂肪152、ガンマGTP30という数値。尿酸値と中性脂肪がちょっと高めだが、まあまあの結果。ここいらで気を引き締めてもう一回心身をケアしておきたい。とにかくどんな状況になろうと最後に力を発揮するのは体力、健康これいがいない。健康のためなら喜んでオタクになってもいいと思っている。そのため10月から本格的にエアロビ復帰にむけてスケジュールを練っている。

 東京にはこの30日から1週間ほどいけそうだ。2つほど予定が入っている。暑さもだいぶ和らいできたようだし(東京は熱帯地域だと個人的に思っている)やらなくてならないことがたまっている。ま、それまで秋田でやっつけてしまわなければないらない仕事もあるから、行くとなるとけっこうシンドイ。
 今日は仲秋の名月。朝からカミさんに「近所でススキを調達するように」厳命されていたので、朝、自転車で医学部裏の森に探しにいったらススキはいくらでもあった。砂利道を走ったせいで自転車パンク。事務所に帰るとサンパウロから石川秋田県人会長さんと元パウリスタ新聞社長の吉田さんが来舎。来年の県人会45周年記念に知事の来聖をお願いにきたのだという。昼は、朝日県版連載の読者だという見知らぬ60代の男性に突然誘われて昼飯をご馳走になる。こういうのってどうなのかなあ。それでも最近は来客慣れして一日5人以上の人と会っても「ヒトアタリ」しなくなった。検査に行った病院の医者に「水をいっぱい飲めば尿酸値は低くなる」といわれ、そういえば最近水をあまり飲まなくなっていたことに気がつき、昨日から一日2リットルを目標に水を飲んでいる。

 それにしても月日の過ぎるのははやい。9月は特に早かった気がする。父親の転院や自分の取材活動、9月から集中的に始まった朝日県版の「食文化あきた考」の連載、資金繰りに新刊準備、土日も何もなく一日中机に向かって仕事をして夜は晩酌をカミさんといっぱい、後は1時間半の散歩をして、部屋でテレビや本を読む生活を、判で押したように1ヶ月間こなした。事務所の2階に新たに社長室を作ったり、取材資料を読み込んだり、来年からの出版スケジュールや組織経営に思いをめぐらし、ずっと外に出ないでこの1ヶ月を過ごした。そのため新鮮な空気を吸いたくて右往左往、パクパク口を動かしていた。
 何度も書いているのでウンザリされている方もいるかもしれないが、今年は無明舎にとってこの30年間でも2,3度しかない大激変の年だった。まだ終わったわけではないので油断は出来ないのだが、いまから15年前の40歳前後の「絶不調」の時代を髣髴とさせる、しんどい年なのである。舎員が一挙に2名いなくなり、新刊点数は激減、書籍編集製作の仕事も半分まで落ち込んだ。その理由のほとんどはこちら側にあるのだが、たぶん贅肉がつきすぎて心身の感度が鈍くなっていたことが原因である。ここらできちっとダイエットしないと、死に至る成人病になりまっせ、という神の配慮とうけとめて、今後の対応を考えていきたいと思っている。


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