んだんだ劇場2004年1月号 vol.61

No8

冬至荒れとお年玉

 洋服屋にとって12月は1年でもっとも予算が高い月である。僕の勤めていた会社でも例外ではなく、11月中旬からクリスマス商戦は始まっていて、メンズ、レディース、子供服どれをとっても最高の品揃え、最高のディスプレイでこの時期を戦う態勢を整える。春物の実売期3月、秋物の実売期10月も予算が高くこの3ヶ月をこけてしまうと残りの9ヶ月でどんなに盛り返しても年間予算は到底クリアできなかった。
 僕の担当は池袋、埼玉地区で「西武」「パルコ」「そごう」を含んだ高い予算の担当であった。その日その日の担当ショップの人員体制を見てスタッフを振り分けたり、自分がヘルプに行ったりと都内、埼玉を行ったり来たりした。店を閉じた後は担当ショップの売上を集計して各店の売れ筋情報やディスプレイのチェックをするそんな毎日だったが特にこの12月は忙しかった。
 年間最大商戦日となっている12月の第2週の日曜日には、1日の売上が1店舗数百万になるのだが各店舗のスタッフは休憩も出来ないほど1日お客さんの対応に追われる。それでも24日のクリスマスイブを過ぎると閑散として来て一息つくのだがそれもつかの間、今度は初売りやセールの準備が始まり、年越しやお正月の気分もそこそこの年末年始を過ごしていた。
 漁師にとっても年末のこの時期はやはり稼ぎ時となる。仲買の伸之あんちゃんによると「冬至荒れ」と言って、冬至の時に海が荒れると年末も荒れ、正月用の魚が市場に出ないと言う伝えがあり、天気の良し悪しによって相場ががらりと変わるとのこと。今年はやはり12月のはじめに高くなり、中旬に落ち着いたが下げたり上げたりしながらクリスマスまで経過、クリスマス明けにグーンと高く跳ね上がった。子持ちの石ガレイは値段が良く、キロ千四、五百円の値がついていたが一度半値まで下げ、その後又上がった。しかし冬型の気圧配置が強まり仙台湾は北西の風が吹いて出漁を見合わせる事もしばしばで、出たくても出られない日が続いた。

 漁場は荒浜から1時間50分、かなり沖での漁で、一眠りしてもまだ到着しないこともある。網を海に入れる時はまだ辺りは真っ暗で、照明を点けての作業だ。昼間の明るい時よりもオーバーアクションで親方に合図を送りながら網入れ終了。ただでさえ危険な海の上、一つの手違いが大きな事故につながるのだ。網を投げ入れた船の上をホースの水できれいに洗い流し、ストーブの点いた部屋の中に速攻で引っ込む。少しの時間でも思いっきり体が冷え、指先まで冷たくなる。温かいコーヒーを入れて網上げを待つ。
 日が昇り明るくなり始めた頃1回目の網を上げる。いつのまにかうとうとしていてあっという間に時間になっていた。遠くにはいつもより大きく金華山が見える。周りに仲間の船も見え大体の船がこの場所に来ているようだ。心配していた北向きの風はそよそよと吹いていて今のところは大丈夫。徐々に網の姿が海面に見えてきた。
1番胴にヒトデ、越前クラゲが入っていて、魚影は無かった。網を編んでいた紐を解いて、船には上げず水の中に投げてやった。2番胴にマガレイ、石ガレイが10数枚見え3番胴に期待が膨らむ。3番胴を上げるとマガレイを中心になかなかの入りだ。マガレイはちょうど手のひらサイズで値段も一番高いものだ。あまり大きすぎても使い道が無く、ちょうど皿の上に1枚のせて様になるこのサイズが煮たり焼いたりするのに一番需要があり、キロ千円前後で値がつく。
 この日は海も穏やかで、4回網をやる事が出来た。大体同じ様な入りでまずまずの漁だった。夕方4時過ぎ間もなく入港、南の方にポツリと海苔の船が1艘作業をしているのが見えた。幹彦あんちゃんも遅くまで頑張っている。

 底引きの船が出られない日でも、荒浜沖すぐの所で作業をする海苔屋さんは仕事が出来る日が多い。6時まで待って底引きが出ないのが決定すると、清幸丸のたっちゃん、一芳丸の裕一と3人で合羽を持って海苔屋さんの手伝いに自転車を走らせる。この時期、秋に収穫していた海苔網は「お役目ごめん」ということで、「網取り」の作業、新しい種網を出し4月までの収穫をする「網張り」の作業、そして従来の収穫、網洗いの作業と大忙しなのだ。
 一つの小さな船に2〜3人で乗り、網を取ると冷え切って動きの悪かった指先も温まり、夜明けとともに寒さは感じなくなる。陸が近い分、少々風が強い時や波が高くても出漁はするのだが、船が小さいので作業は困難を極める。波は容赦なく入ってくるし風で船はあっという間に流されてしまうのだ。「そっち掴んでいろ!」「そこ結べ!」「もっとゆっくり進め!」など言い合いながらなんとか終わらせる事もよくある。この作業は1月初めまで続く。

 いよいよ年末、お世話になった人たちにお歳暮代わりに魚を配る為、毎年正月休みの前に漁に出る。本当は一番魚が高いこの時期獲ってきた魚は市場に出して売りたい所なのだが、昔からの荒浜の風習らしい。
 僕などは荒浜歴も短く近所に5,6件、子供がお世話になっている方3,4件、後は親戚などに配り、全部で10数件もあれば沢山なのだが、多い人だと4,50件にもなるらしい。2日に渡って「お賄い用」の魚を獲りに行く船も有るくらいだ。
 船は前の日マコガレイと石ガレイが入った仙台湾の少し灘寄りの所に直行した。他の船は沖のいつもの場所にマガレイを獲りに向かったようだ。「お賄い用」「正月休み前」ということもあり、いつものような緊張感はあまり無い。なんとなくリラックスムードの中、網を上げる。そんな時に限って朝から今年初めてのタラ、スズキ、カレイなどが大漁でうれしいような悲しいような複雑な気分だ。3回目の網の途中で風が強まり、全船戻りとなって今年の漁は最後となった。
 翌朝、正月用の魚を親方と分け、船を洗った。今からこの魚を各家々に届けるため10数件分に分ける。近所には凪と風が「今年一年お世話になりました。お正月に食べてください」と挨拶しながら魚を配る。「パパ−!お年玉もらっちゃった−!」凪も風もぽち袋をかざして嬉しそうに走ってくる。なんと行く先々でおばーちゃんたちに「ありがとねー。はいお駄賃」 と頂いてくるのだ。それが数件にもなると結構な金額だ。たっちゃんや裕一に聞くと「俺等も小さい時そうだったなー」との事。漁師の家の子達は魚を届けてお年玉を貰えるのがとても楽しみだったようだ。今年も最後までご近所の方々にはお世話になりっぱなしだった。ありがとうございました。 
 今年は僕が来てから一番漁の無い年になってしまった。年々悪くなっていくのだが、大きなケガも無く漁を務め、家族が元気に過ごせたことに感謝して、又来年、家族の健康と大漁を願いたい。いい年にするぞ!

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 年末から3日まで仙台の実家でのんびりしてきた。軽い気持ちで2日の仙台初売りにみんなで行ったのだが、あの人混みで途中引き返してきた。渋谷駅前交差点を毎日のように歩いていたのだが、すでに体は「荒浜ペース」に慣れきっていて順応できないのだ。初売りは行くもんじゃないなと実感。
 4日から海苔屋さんが始まり今年の仕事がスタートした。今年もケガに気をつけて安全第一を心掛けたい。
 6日、いよいよ今年の初漁。朝3時10分、船に行くとすでに何艘かはエンジンをかけ出港する所だった。船から岸壁にジャンプするとき足を滑らして「あっ!水の中に落ちる!」と思った瞬間、肩から「ドシン!」とたたきつけられた。間一髪、海の中は免れたが危なかった。船べりが凍っていて踏ん張りが利かなかったのだ。舫いを解いて、いざ出港!という時、今度は網に足を引っ掛けて肩から転倒。初日から散々な目にあった。これを今年の危険な目の最初で最後にしたい。思わず気を引き締めた。
 今日の漁場は年末に「正月魚」を獲りにいった場所。「入っていろよー!」と念じながら網を上げる。年末に少し減ったように思えた「越前くらげ」が大量に入った。年明けに又増えたような気がする。タラが7,8匹、マコガレイ、スズキ、合いなめと満遍なく入った。
 先シーズンはかなりの沖に行かなければタラは獲れなかったのだが、今年は豊漁なのか少し灘に近い所でもタラが入る。「ヒロタケー、男で値段高いのはタラだけだぞー」と親方。確かにどの世界でも女の方が高い?のだがタラだけは「白子」の入ったオスのほうがメスの倍の値をつける。
 途中で伸之あんちゃんからメールが入る。明日の初競り「みんな魚が欲しいからいい値がつくんじゃないの」と嬉しいコメント。マコガレイなど産卵が終わり平べったいものが多かったがまあまあの漁だった。「ご苦労さん!今日はどうだった?」と妻に聞かれ「今日はまあまあだよ」と少し自慢気に答えた。今日の魚の量と明日の初競りのご祝儀相場で少し期待も膨らむ。
 次の日、漁を終えて岸壁に着岸。水揚げの為に待っていた親方のお母さんに「今日の競りいくらだったの?」と聞くと「9万8千円!」「えっ?」19万8千円の間違いかと聞き直してしまった。親方と顔を合わせてガックリ。ご祝儀相場どころかカレイ類などキロ300円~と軒並み安値だったらしい。確かに平べったいマコガレイが多かったのだが期待が大きかっただけにショックもでかい。「頼むよー伸之あんちゃん」家に帰りおとなしくすごしたのはいうまでも無い。
 スタートはずっこけっぱなしだが、今年は1級免許を取りに行く予定で、ステップアップを図りたい。明日から又大漁目指して頑張ろう。


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