例えば、階段の上り下り。僕は、一人で上り下りをすることができません。必ず、誰かの肩に掴まります。生まれてから今まで、僕はこのように階段の上り下りをしてきました。階段の上り下りの中に、人との関わりがあります。小学校・中学校・高等学校までの学校生活では、2階に行きたいとき、必ず友だちに頼まなければなりませんでした。
「○○先生、2階に行きたいです」と、先生方にはっきりと自分の気持ちを伝え、行きたいところへ連れてもらいました。でも、ほとんど先生に頼みませんでした。なぜなら、先生の詮索があるからです。「数学の課題をやってきましたか?」と聞きます。やってきている場合は良いのですが、なかなか階段の上り下りをしながら、「やっていません」と言い辛かったです。「最近、調子はどうですか?」と聞かれた方が気楽でした。先生よりも友だちに頼みました。毎朝、友だちと一緒に学校へ行っていました。朝、その友だちと一緒に階段を上り、教室に入りました。体育館や音楽室、理科室、美術室…などの移動教室は、クラスメイトと一緒でした。ときどき、休み時間に遊びすぎて、移動教室に送れるときがありました。そのとき、「ガクちゃんと一緒に来ました」と答えると、教科担任の先生に許されました。それを見て、クラスメイトが先生に告げ口をすることはありませんでした。それどころか、「とても良い友情だね!」と友だちが誉められるときもありました。(なぜ、僕と一緒にいることで、友だちは誉められるのだろう)と不思議に思うときがありました。でも、僕の世界で楽しんでいるような気がしていました。もちろん、全てが良好だったわけでありません。教室に一人置いてきぼりになったことがありました。そのときは、教科担任の先生が指示をだし、クラスメイトが迎えに来て、移動教室に行きました。このようなとき、必ず学級委員長が僕を迎えに来る役目でした。そして、教科担任の先生が担任の先生に事情を伝えていました。クラスの中で気配りの効く人に担任が"お願い"している様子を見ていました。担任の先生が良かれと思ったことでも、頼まれた方は負担に感じるときもあると思います。(個人的に頼むことは、やめてほしいなぁ)と思っていました。別に、僕が担任の先生に頼んだ訳でもありません。「階段の上り下りは、クラス全体の課題と思います。あまり、個人的に声をかけないでように、お願いします」と、自分の気持ちを担任の先生に伝えたときもありました。すると、帰りの会で、担任の先生は説話をしてくれました。
「…三戸クンができないことを、みんなで協力してやっていこう…クラスメイトの一人なんだぞ!!」
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