んだんだ劇場2004年5月号 vol.65
No19
「個性を受け止める」ということ

 この春、母校の秋田市立秋田西中学校へ転勤となりました。「新採用3年目は1つの区切りだから、転勤の可能性は高いよ」と先輩の先生方の話。秋田市立土崎中学校に採用となり、3年が過ぎていました。僕と生徒、保護者、地域の方々がお互いに慣れて、楽しく教師生活を過ごしていました。僕は良く'慣れる'という言葉を使います。'慣れる'とは、どのようなことでしょうか。それは、'その人の持っている世界を受け止める'ことと思います。
例えば、階段の上り下り。僕は、一人で上り下りをすることができません。必ず、誰かの肩に掴まります。生まれてから今まで、僕はこのように階段の上り下りをしてきました。階段の上り下りの中に、人との関わりがあります。小学校・中学校・高等学校までの学校生活では、2階に行きたいとき、必ず友だちに頼まなければなりませんでした。
「○○先生、2階に行きたいです」と、先生方にはっきりと自分の気持ちを伝え、行きたいところへ連れてもらいました。でも、ほとんど先生に頼みませんでした。なぜなら、先生の詮索があるからです。「数学の課題をやってきましたか?」と聞きます。やってきている場合は良いのですが、なかなか階段の上り下りをしながら、「やっていません」と言い辛かったです。「最近、調子はどうですか?」と聞かれた方が気楽でした。先生よりも友だちに頼みました。毎朝、友だちと一緒に学校へ行っていました。朝、その友だちと一緒に階段を上り、教室に入りました。体育館や音楽室、理科室、美術室…などの移動教室は、クラスメイトと一緒でした。ときどき、休み時間に遊びすぎて、移動教室に送れるときがありました。そのとき、「ガクちゃんと一緒に来ました」と答えると、教科担任の先生に許されました。それを見て、クラスメイトが先生に告げ口をすることはありませんでした。それどころか、「とても良い友情だね!」と友だちが誉められるときもありました。(なぜ、僕と一緒にいることで、友だちは誉められるのだろう)と不思議に思うときがありました。でも、僕の世界で楽しんでいるような気がしていました。もちろん、全てが良好だったわけでありません。教室に一人置いてきぼりになったことがありました。そのときは、教科担任の先生が指示をだし、クラスメイトが迎えに来て、移動教室に行きました。このようなとき、必ず学級委員長が僕を迎えに来る役目でした。そして、教科担任の先生が担任の先生に事情を伝えていました。クラスの中で気配りの効く人に担任が"お願い"している様子を見ていました。担任の先生が良かれと思ったことでも、頼まれた方は負担に感じるときもあると思います。(個人的に頼むことは、やめてほしいなぁ)と思っていました。別に、僕が担任の先生に頼んだ訳でもありません。「階段の上り下りは、クラス全体の課題と思います。あまり、個人的に声をかけないでように、お願いします」と、自分の気持ちを担任の先生に伝えたときもありました。すると、帰りの会で、担任の先生は説話をしてくれました。
「…三戸クンができないことを、みんなで協力してやっていこう…クラスメイトの一人なんだぞ!!」

 教師になってから、「階段を一人で上り下りできるように、努力したら…」「杖を使って、上り下りはできないの?」と言われることがありました。もちろん、相手は善意で話したと思います。しかし、このような言葉を聞くと、僕の反骨精神が燻ぶりだします。
(階段の上り下りの仕方は、いろいろとあるのだ。階段の上り下りに、いくつかのエピソードがあり、そこで芽生えた友情があります。かっこよく言うと、僕の生き様)
 障害者には、生きていく中で培った知恵のようなものを一人ひとりが持っています。その生きる知恵で、その人は生きてきました。その生きる知恵は、様々な人生経験の中で磨いてきたと思います。この事実を尊重してほしいと願っています。たぶん、階段を一人で上り下りできる人にとって、このような世界があるということを分からないと思います。だから、最初は戸惑います。しかし、接していく中で、このような世界の存在に気づいていきます。少しずつ、その世界を受け入れていきます。そのことが'慣れる'ことと考えています。世の中には、どうしても受け入れようとしない、或いは受け入れたくない人もいます。人は出会う人に何らの影響を受け、自分の価値観を形成していきます。人との'出会い'を大切にできない人かな…と感じます。楽観的に考えると、世の中にはいろいろな人がいた方が面白いです。
"生徒といっしょに 先生方といっしょに みんなといっしょに"をキャッチフレーズに掲げました。何事も"いっしょに"することで、僕に慣れてほしいと思いました。
『階段をいっしょに上り下りしよう』
『いっしょに、掃除をしよう』
『いっしょに授業を創ろう』
『休み時間や放課後、いっしょに過ごそう』
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 気づいたら、生徒は僕に慣れていました。例えば、教師3年目の文化祭の準備活動の1コマ。
生徒「三戸先生は、黙ってみているだけなの?」
僕 「そんなことないよ」
生徒「先生もいっしょに準備しよう」
僕 「いいよ。僕ができそうなこと、教えてよ」
生徒「先生のできそうなヤツ…ウ〜ン。私たちといっしょに、これをやろうよ」
 生徒といっしょに、ダンボールでゴミ箱を作りました。生徒は、"ハサミを上手く使えないこと""手に力が入らないこと"など、僕が決して器用とは言えないことを知っていきました。それでも嫌がらず、むしろ"いっしょに"やることを楽しんでいるようでした。また、昨年の階段の上り下りで。20人以上の男子生徒に「先生は、オレよりも女子生徒の方がいいでしょ」と質問されました。
 土崎中のある先生の言葉。
「うちの生徒の特徴は、三戸先生といっしょに生活をできることだ。他の学校の生徒には、できないよ」
 きっと、忘れられない言葉であり、僕の教師生活の原点になる言葉なような気がします。


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