んだんだ劇場2004年10月号 vol.70
No23
海外旅行準備が、もう研修

 1週間の研修を同伴するNさんとメールのやりとりをして、海外研修に向けて、本格的に準備をしました。初めての海外なので、分からないことばかりでした。
6月26日のメール
・お金に関して
 外貨への両替は、どこですればよいのでしょうか。近くの郵便局で、ある程度の金額を両替すると良いのでしょうか。また、クレジットカードを利用したほうが良いのでしょうか。
・荷物について
 アーカンソー州はネットで調べたら、秋田の夏とほとんど同じ気候ですね。秋田の夏と同じ感覚の服装で、よろしいですよね。宿泊地で、洗濯をできますよね。そうすると、1週間分を持っていくというより、 4日分くらいの着替えで充分ですよね。スーツケースに詰めていきます。
・海外旅行保険に入った方が良いですよね。Nさんは、どの保険に入っていますか?研修中に、具合が悪くなったら…どのようになるのでしょうか。熱が上がった場合、日本から風邪薬などを持っていて、服用しようと思っています。
・海外携帯電話を利用したほうがいいのかな・・・? 
・現地に、パソコンを持っていこうと思います。すぐに、まとめたいのです。できれば、インターネットに接続して、発信したいのですが…変圧器を購入したほうがイイのですか?
すみません。いろいろと分からないことがあり、質問して…ゆっくりと準備をしたいのです。準備から研修のつもりで。
7月11日のメール
 旅行代理店「E&Tインターナショナル」の大澤さんとメールのやり取りをして、電動車椅子の持って行き方を確認しています。まだまだ、バリアだらけですね。研修に行くまで、JCIの太田さんに頼んでメンテナンスをします。先日、AIUの保険会社に入りました。海外研修のこと、校長先生が職場で紹介してくれました。職場にお土産を買うために、アーカンソーのお土産は、何を買えばよろしいのですか。荷物にならなければいいです。また、「海外おみやげお任せシステム」を利用しようかなと思います。
 服装ですが、長袖と半そで、背広を持っていきます。洗面道具は、Janeさんの家にありますよね。お金は、現金で持って行きますね。20$札で、準備します。デジタルビデオカメラを持っていきます。研修の内容をしっかりと、撮ってきたいです。英語の学習をしていますが、とても不安です。訪問先で、英語で質問できるかどうか…学校に来るALTの先生と会話をしています。秋田空港までの行き帰りは電動車椅子が乗る車を母の運転で行く予定です。近いうちに、1度お会いできたら、と思っています。
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 旅行代理店「E&Tインターナショナル」の大澤さんが国内線と国際線の航空チケット、8月6日前泊の成田日航ホテルを予約してくれました。国内線の航空チケットは25%引きの障害者割引で購入しています。「障害者割引制度を利用できるので、障害者手帳を見せて下さい」と言われたことはほとんどありません。どのように見ても、見た目が障害者であっても、自分から障害者手帳を提示しないと、福祉制度を活用できません。今回も同様に、自己申告をしました。
 「ご指摘の障害者割引適用にて往復【秋田⇔羽田】とも入れて有ります。適用航空運賃:\13,200.-(片道) X2 = \26,400.-本券を発券させる為、障害者手帳番号が必要と成りますのでお手数でも手帳のコーピーを弊社FAX迄お送り下さい。8月6日成田前泊ホテル予約。1泊\16,500.-(税、サ別)にて一人部屋確保出来ております」
 見積書には、国際線の航空チケットに障害者割引が適応されていなく、福祉制度を活用したい僕はいつもの癖で問い合わせました。「国際線に、障害者割引はありませんよ」と返信メールが届きました。<あっ…そうか>と初めて物事を知ったときは、とても賢くなったように思います。反面、そのメールを読みながら、とてもケチな男に思えてきました。また、成田日航ホテルにハンディキャップルームがあるか、確認しました。なぜなら、一般客室では電動車椅子で通路を通ることができない場合があります。それに加えて、浴槽に段差があり、手すりが付いていなかったりして、使うことができない場合があります。だから、ホテル泊のとき、いつもハンディキャップルームを予約します。より安全だからです。大澤さんに問い合わせてもらったところ、予約できるということなので、ハンディキャップルームに変更してもらいました。
 さて、肝心な電動車椅子の航空内での移動。このころ、JCI秋田支店支店長の太田さんは、高さが70p以上ある電動車椅子をアメリカン航空の貨物入れに入れようと考えてくれていました。(電動車椅子を分解するしかないのかな…)と思いながら、他の電動車椅子使用者はどのようにして海外に行ったのだろう…と思いを寄せていました。友人・知人に連絡をとり、自分なりに情報収集をしました。電動車椅子が飛行機の貨物に入らない…ということは、予想外のことでした。
 7月7日、「高さを70p未満にする方法があったよ」という太田さんの声は少し興奮気味に聞こえてきました。「早速、今晩お邪魔して、実演しても宜しいですか」「どのような方法ですか?」と聞くと、「ウフフフ…それは、お楽しみ〜」と太田さん。その日の夜、彦星と織姫が1年に1度会うような気持ちで、太田さんの実演を見ました。それは、ボルト2本をスパナ(10‐12o)で弛めて、フットレストを前に折り畳むことでした。夜の8時過ぎに、アパートの前の電動車椅子置き場で得意げに作業する太田さんと、呆気に見ている僕がいました。毎日、学校への通勤に愛用している電動車椅子のことを何も知らなかったと気付きました。折り畳むには、スパナを使わなくてはならなく、僕には不可能な作業でした。同伴するNさんが折り畳むことになりました。太田さんとNさんがスケジュールを調整し、7月21日に秋田西中で太田さんがNさんに電動車椅子の折り畳み方をレクチャーすることになりました。その様子は、こちらで(JPEGファイル A B C)。
 7月12日に、航空利用時の行動予定表が届きました。「今回のご移動に付帯する手配内容、一覧の予定表を作成、添付致します。該当電動車椅子の折り畳み、組み立ての回数を極力減らし且つ乗り継ぎを効果的に移動出来る様、日航、AA航空、両社担当と打ち合わせ、お作りして有ります」と大澤さんからメールが届きました。
航空便利用時の行動予定表
2004年7月12日
出発便
8/6 秋田/羽田
   ご自宅より秋田空港へ ( 08:30着 )
   航空便 JL1262便/ 秋田発/ 10:05
   利用便大型機の為、電動車椅子原型のまま日本航空受領可 (確認済み)
   引渡し後日本航空手配車椅子にて機内まで (手配済み)
   羽田着/ 11:10
日本航空手配車椅子にて機内より手荷物引渡しターンテーブルへ、電動車椅子受領後
   タクシー乗り場へ (電動車椅子利用)
   リフト付バンタクシーにて成田日航ホテルへ、バンタクシー予約済み(ムツミ交通)
   ホテル着チェックインの後、バリアフリールームへ(予約済み)
8/7 日航ホテル/成田空港/シカゴ空港/ファイアットビル
   09:00 成田日航ホテルチェックアウト後、 日航ホテル手配リフト付バンタクシー(サービスタカネ) にて日本航空国際線出発カウンターへ、(09:45着要)日本航空係員立会の上、背もたれ部分折り畳み後、搭乗手続(車椅子引渡し)を済ませ日本航空手配車椅子にて機内まで移動、その間日航エグゼクティブラウンジ立寄り可。
   成田発/ 11:45、シカゴ着/09:05 (同日)
   シカゴ着後、日本航空手配車椅子にて機内より入国手続を経て手荷物引渡しターンテーブルへ、一旦受領後(折り畳んだまま)通関手続、後 同フロア−にあるアメリカン航空
   カウンターへ引渡し、日本航空手配車椅子にてアメリカン航空ターミナルへ移動、機内迄
   AA4298/ シカゴ発/14:25、 ファイアットビル着/16:10
   ファイアットビル着後、アメリカン航空手配車椅子にて機内より手荷物引渡しターンテーブルへ、電動車椅子受領、後背もたれ部分を元に戻しファイアットビル宿泊地へ
帰国便
8/13 ファイアットビル空港着 04:30
   空港にてアメリカン航空係員立会の上、電動車椅子背もたれ部分折畳み後チェックイン
   (折り畳んだ電動車椅子は成田まで運ばれます)、アメリカン航空手配車椅子にて機内へ
   AA4479 ファイアットビル発/06:40 、シカゴ着/08:19
   シカゴ着後、アメリカン航空手配車椅子にて日本航空ターミナルへ移動の後機内へ
   ※シカゴ空港では出国通関手続は必要なし
  JL009/ シカゴ発/11:35 、
8/14 成田着/14:40 成田着後日本航空手配車椅子にて機内より入国手続を済ませ、手荷物引渡しターンテーブルへ、受領後通関、リフト付バンタクシー(手配済み)にて羽田空港へ、
   JL1267/ 羽田発/18:10 、秋田着/19:10
   日本航空国内線カウンターにてチェックイン、日本航空手配車椅子にて機内へ、
秋田着後、日本航空手配車椅子にて機内より手荷物引渡しターンテーブルへ、
   電動車椅子受領、背もたれ部分組立て、ご自宅へ。
手配依頼済み連絡先
アメリカン航空:車椅子担当/永山さん/男性
        電話:3214−2111
日本航空:車椅子担当/遠藤さん/女性
        電話:0120−747707
*各空港での手押し車椅子手配、と電動車椅子移動に関する手配を仔細に依頼して有ります。
睦交通/バンタクシー
        電話:3762−0136
        8/6  羽田taxi乗り場/成田日航ホテル間
        8/14  成田taxi乗り場/羽田出発ターミナル間
     料金:定額料金 片道¥19.000+通行料 ¥2.350
 合計.片道¥21.350
サービス・タカネ/バンタクシー(成田日航ホテル手配)
        8/7  成田日航ホテル/成田空港第二出発ターミナル
             料金:定額料金 一時間 ¥5.920
*上記手配は三戸学様のお名前で予約、念のためNさんの携帯電話の番号を知らせて有ります。

僕のメールマガジン

 2001年2月26日から2001年6月4日までの計16回、【ガクちゃんの教育日記】というタイトルでメールマガジンを発行しました。ネット上で、読者とコミュニケーションができました。今回は6回目まで、掲載します。

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 創刊号では、簡単に僕の自己紹介をしたいと思います。僕は昭和51年生まれの24歳。血液型はA型。生まれつきの手足と言語に障害があります。障害名は脳性マヒ。身体障害者手帳は1種1級。
 僕はずっと、普通学校で過ごしてきました。秋田市立日新小学校、秋田市立秋田西中学校、秋田県立秋田南高等学校、山形大学教育学部を卒業しました。僕は高校生のころから、"将来は先生になりたい"という夢を持っていました。先生になりたいという夢を実現するためには、超難関の「教員採用試験」に合格しなければなりません。僕は昨年、3度目の挑戦で見事に、中学校の教員採用試験を突破しました。
 僕の教科は「数学」です。「数学」と聞いて、ひく人もいるだろうと思います。いろいろな場面で、「何の教科を教えているの?」と聞かれます。僕は逆に「何の教科を教えていると思う?」と聞き返します。「国語」「社会」または「道徳」という応えが返ってきます。僕の第1印象はこんなものかなぁと思いながら、「実は数学です」と言うと、ビックリした表情を浮かべます。よっぽど、数学に良い思い出がないようですね。
 なぜ、中学校の先生になりたかったと言えば、生徒一人ひとりがバライティーに富んでいて、1つの教室で一緒に学ぶのです。その不思議さとすばらしさを感じます。また、思春期の時期に関わって、何か一つでも伝わるものがあればなぁと思ったからです。あと、TVの金八先生に憧れました。今年の4月からの正式採用を控えて、現在、秋田市立下北手中学校で、講師をしています。毎日、生徒から教えられています。これから、僕から見た教育現場をつづっていきたいと思います。
 ちなみに、「ガクちゃん」は僕の幼いころからの"あだ名"です。これから、「ガクちゃん」でよろしくお願いします。
2001.2.26

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 創刊号に、たくさんの反響、心嬉しく思いました。読者のみなさんに支えられて、メルマガを気軽に発行していきたいと思っています。
 3月は別れの季節。今週の9日(金)に、卒業式があります。厳粛な雰囲気の中、教え子たちの晴れ舞台を見ることができることを楽しみにしています。3月は卒業生との別れもさることながら、僕にとって、秋田市立下北手中学校との別れの季節でもあります。忘れることができない昨年の10月2日(月)に、合格通知が届いて、まもなく、秋田県教育委員会から「秋田市立下北手中学校で、講師をしてほしい」と、電話連絡があり、昨年の10月16日(月)から、秋田市立下北手中学校に勤務することになりました。1学年2クラスで、全学年6クラスの学校です。授業はTT方式。簡単に説明すると、2人の先生が一緒に授業をすることです。1人の先生が授業を進めていき、もう1人の先生が1人1人の生徒に個別に対応していく役割を担っています。
 2年生、3年生の授業は、僕の役割は生徒へ個別に関わっていく役割ですが、1年生の授業は僕が授業を進めています。最初、自分が主体となって、授業を進めていくことに大きな喜びと期待、それと同じくらいの不安がありました。でも、実際に授業をしていくと、不安は徐々に薄れていき、それと反対に"僕もやっていける"という大きな自信が芽生え始めました。「板書が困難」という僕の不便なところを、生徒にサポートしてもらう授業、生徒と一緒に作っていく授業が僕の授業です。最近、1年生の生徒が僕の授業に慣れてきて、本当に共に支えあって、学校生活を送っています。生徒との距離がどんどん縮まっていることを肌で感じます。今月の20日頃、正式採用される赴任校が内示されます。できることなら、下北手中学校で採用されたいと思っています。しかし、来年度の1年生が1クラスなので、全校で5クラスになり、各教科の先生が1人で足ります。今、数学の先生は2人いるので、どちらかが移動ということになるでしょう。あまり深く考えずに、残された3学期を生徒と楽しく過ごそうと思っています。
読者の広場
 こんにちは。埼玉県に住む主婦です。 3人の娘がいます。・・・といってもまだ一番うえが小学3年生ですが・・・。たまたまこのサイトをみつけ、登録してみました。私の両親が脳性マヒの子供達がいるセンターで働いていたことがあり、(父は整形外科医で、母はそのセンターの保母でした)子供心にも脳性マヒの方と会ったことがとても印象強く残っています。4月からの新しい先生ぶりを楽しみにしています。がんばって下さい!応援していますよ!ちなみに私も金八先生大好きです。今も再放送やっていますね。忙しい時間なので、ビデオに録って夜洗濯物をたたみながら観ています。
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 ガクちゃんへ。はじめまして。現在は、Webに関する仕事をしています。実は私は去年の8月まである塾
で講師をしていました。アルバイトではなく、社員としてです。その塾は「合格一直線」というか、志望校に受からせることを第一目標とする、バリバリの進学塾でした。「こころを育てたい」という私の教育の理想とのギャップを感じていた矢先、夏期講習でのハードスケジュールのために体調を崩し、入社後たった半年で退社しました。教師を辞めてまったく違う畑の職についてはみたものの、大学生のときから4年も続いていた(教師としての)生徒の暮らしがいざ終わってみると寂しくてしかたがないのです。矢も盾もたまらない、といった感じで教師のアルバイトを探しました。結果、以前のところとはまったく違った小さな塾で教え始め、2ヶ月になろうとしています。人間にとって初めて接する社会ともいえる「学校」、その現場で先頭に立ち
指導する「教師」という存在は、子供たちに多大な影響力を与えていると思います。大人になった今、自分が彼らにとってそういう存在になったということは何を意味するのか、自分はどうするべきなのか、自分の頭の中だけでは分からない部分も多いのです。そういう意味で、いろいろな人にお話を聞きたいと思ったのが今回メルマガを読ませていただこうと思ったきっかけです。これからもよろしくお願いします。
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 がくちゃん、(と呼ばせてもらっていいですか?)はじめまして。私は、現在兵庫県のある中学校で英語講師をしています。同じ教育現場で働く者として、(昭和51年生まれというところも同じなので)これからの「教育日記」をとても楽しみにしています。ところで、私の通う中学校は、所謂「教育困難校」です。家庭、地域の環境がかなり影響しているのか、指導の難しい生徒もいっぱいいて、私自身が自分の指導の仕方、生徒との接し方に悪戦苦闘している感じです。(時々、まったく自信がなくなってしまうときもあります。)学生の頃から憧れていた「先生」も、実際やってみると、理想と現実のギャップに苦しんだりしますが、それでもやっぱり、「やっててよかったぁ」という瞬間があります。生徒から教えられることは、多いし、日々、勉強です。今の受け持ちは3年生なのですが、今日からもう3月、卒業まで日があまりありません。受験という難関も控えていますが、あともう少し、がんばってあの子達と一緒に思いで作りができたら…と思っています。
Y.M.

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 こんにちは。私は、A島の小さな小さな小学校で教師をしています。結婚と同時に、A島での生活が始まりました。結婚して13年、子どもが4人。とっても元気な37歳。今は、複式学級の1・2年生を担任しています。両親がいわゆる障害者関係の仕事に従事していたので、幼い頃から心身にハンディを持つ友人が回りにいっぱいいました。大学も教育学部の障害児教育が専門です。そんなわけで、今回、ガクちゃん(勝手にこうお呼びしてもいいのかな。)のメルマガ紹介文を見て、とっても関心を持ちました。私も数学は大の苦手。算数は好きなのですけどね。一番上の子(息子)が今年中学に入学なので、また、いっしょに一から勉強しようかと思っているくらいです。その中学校の現場は、ここA島でもなかなか難しいものがあります。そちらは、どうですか?お互い、子どもたちと共に元気でやりましょう!  Rさん
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 読者のみなさんから、たくさんのメールを頂きました。ありがとうございます。その一部を掲載しました。 なさんのプライベートを考慮して、多少、文章を修正・削除したところがあります。ご了承下さい。尚、個人的なメールの場合は、その旨を書いて下さると、掲載致しません。よろしくお願いします。
2001.3.5

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 今日9日は卒業式。始まる前までは快晴であったけど、3年生を見送るときは、雪交じりの天気。ほとんどの秋田市内の中学校は、今日が卒業式。14日は、公立高校入試の合格発表。一人ひとりの希望がかなうことを信じて、僕は卒業生を見送りました。
 今回は号外ということで、卒業生に宛てた僕の気持ちがぎっしりとつまった手紙と、その返事を掲載しました。僕と生徒との心の交流です。
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3年生のみんなへ

 みんなとの半年間、本当に楽しかったです。下北手中学校を卒業されるみんなに伝えたいことがあり、こうして、手紙を書いています。伝えたいことがあったら、手紙を書き、伝えるというのが僕の1つのスタイルです。みんなと出会って、授業中、みんなの表情やしぐさを見ていて、僕の15歳のころを思い出していました。そのころ、何を考えていたかというと、ほとんど何も考えていませんでした。ただ、今できることを自分のできる範囲で精一杯やっていたことは覚えています。僕は進路に関して、後悔をしたことはありません。僕は南高校、山形大学と進んできて、本当に良かったなぁと思っています。誰が何と言おうと、僕の1番の学校です。みんなから見たら頼りなく見えるかもしれないけど、今の僕がとても好きです。南高校、山形大学と進んでこなかったら、きっと、今と違う自分がいると思うけど、その自分を今と同じくらい好きになれるかなぁと考えると、ハッきりと言って、自信はありません。
 僕は"先生になりたい"という夢がありました。この夢に向かって、今まで生きてきたような気がします。昨年、3度目の挑戦で、教員採用試験に合格し、念願の"先生になりたい"という夢を実現することができました。毎日、学校生活を送りながら、"夢を実現する"ことは、いいものだなぁと実感しています。自分のやりたいことをやっているので、とても生き生きした、充実した毎日を過ごしています。僕は"夢を抱いて、その夢を追いかけ始めたとき、そのときから、ステキな人に生まれ変わる"と実感します。夢を抱き、その夢を追いかけ始めたとき、人は強くなれます。友達から「ガクちゃん(僕のあだ名)は、夢を実現させた人だなぁ」と言われたとき、不思議と寂しい気持ちになりました。しばらく考えて、"夢を実現させた人よりも、夢に向かって生きている人がカッコイイ"ような気がしました。そう思ったら、自然に僕の次の夢が現れました。それは"2004年に、アテネの星になる"ことです。僕は2年前から、卓球を始め、昨年の秋田県身体障害者体育大会に初めて参加して、金メダルを取り、スポーツの楽しさを知りました。これからも卓球は続けていきたいと思っています。今、僕は今年の7月に大阪で開催される全国大会に向けて、卓球部の部員と一緒に練習をしています。どこまでやれるか、分からないけど、挑戦したい気持ちでいっぱいです。挑戦をするからには、それなりの練習をしなければなりません。先生の仕事と両立することは大変かなぁと思いました。だけど、"僕はまだ24歳の若者。いろんなことに挑戦したいなぁ"という気持ちと、"挑戦することで、多くの人たちとステキな出会いができ、僕の生きる世界を広げていきたい"という2つの気持ちから、"やってみよう"と決意しました。夢は必ず、実現できるとは限りません。結果は時の運。僕自身、結果にこだわる気持ちは全くありません。それよりも、自分が掲げた夢に挑戦することで、きっと、かけがえのない宝物を得ることを楽しみにしています。僕が大予言をすると、これから求められる人は開放的な人です。心を閉ざさず、誰とでもコミュニケ―トできる人です。やりたいことがあったら、思う存分やってください。僕はこう見えても小心者で、何かをしようとするとき、不安な気持ちでいっぱいになります。この不安な気持ちを友だちに相談にのってもらったりして、いろいろと悩み、そして、結局、最後は自分の気持ちに素直になります。結果的に失敗することもあります。また、(な〜んだ、たいしたことなかったじゃん)と不安に駆られていた自分を苦笑するときもあります。その繰り返しです。しかし、それはやってみて、初めて分かることです。
 みんな一人ひとり、ステキな個性を持っています。個性は人から見出されるものでなく、自分で見出していくもの。それは自分自身を好きになっていくことにつながります。自分を好きになれない人が、他人に優しく接することはできません。
【今を楽しく生きていこう】
 みんなに、僕はこの言葉を送りたいです。今日が楽しいからこそ、きっと明日も楽しい日が待っていると思えるのです。今、この社会には楽しく生きられない人がたくさんいます。自称『楽しく生きている』僕が楽しく生きられない人に、生きる楽しみを伝えていきたいと心の底から思っています。そして、一人でも多くの人が楽しく生きてほしいと願っています。もし、みんなの中で、毎日楽しく生きられなくなったとき、僕に連絡下さい。飛んで行きます。(あっ。そうそう。秋田は僕にとって、バリアが多いところなので、みんなから来てもらった方が早いかもしれませんね)僕が生きていくためには多くのサポートが必要です。サポートを通して、多くの人たちと出会い、みんなの力を引き出していきたいと思っています。
 卒業、おめでとう。最後にみんなと出会い、半年間、みんなと過ごせたことは僕のステキな宝物です。僕を優しく受け入れてくれたみんなへ一言「ありがとう」と言いたいです。これから、この秋田で根をはって生きていく僕にとって、一回りも二回り成長したみんなと一緒に活動できたら、イイなぁと思っています。型にはまらず、自分らしく生きれ!!僕はみんなの心の底からの応援者です。
2001年3月8日 三戸 学

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(^^) 生徒からの返事の手紙。

 三戸先生、お手紙ありがとうございました。三戸先生は、私の休んでいる日に、"どう授業を進めたら、よいのか分かりません"と3Bのみんなに問いかけたといっていました。(と、聞きました)先生、大丈夫です。1人でも、先生の授業に耳を傾けてくれる人がいればいいのです。その人のために、がんばって下さい。そうすれば、先生の熱心さにみんなが興味を持って、授業を取り組んでやるでしょう。生意気なコトいって、ゴメンなさい。先生は、もっと自分に自信を持って下さい。(私もだけど)先生、卓球もがんばって下さい。"やってみよう"という気持ちを忘れずに、私も何事にも挑戦したいと思っています。先生、本当に手紙ありがとうございました。先生の手紙は、何回読んでも目がしらが熱くなってきます。何かつらいことがあれば、この手紙を読み返します。あんまり、数学はスキじゃないケド、少しずつスキになりたいと思います。これからも、お体に気をつけて、次の夢に向かってがんばって下さい。私のスキな言葉「一期一会」はまさに三戸先生と会えたことだったりして…。では、またあう日まで。
P.S 字が雑になってしまってスイマセン。
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 10日、3年生の保護者主催の「卒業を祝う会」がありました。「卒業を祝う会」は任意参加でした。これから教師として、中学校の教育現場で生きていく新米先生は、多くのことを学ぶことができる良い機会だと思って、参加することに決めました。3年生の保護者と一緒にお酒を飲み、語り合えることをとても楽しみにしていました。僕は"飲み会"が大好きです。アルコールが好きなことはもちろんのこと、その雰囲気は最高です。場所は、秋田市内の中心部にあるホテル。母に車で送って、行きました。3年生49人のほとんどの保護者が参加していました。とても和やかな空気が漂っていました。
 式次第に沿って、会は進んでいき、「校長先生のお話」「教職員の紹介」「3年部の先生方からのお話」のあと、"乾杯"でした。ホテルのウエイターが瓶ビールを運んできました。僕はお食事セットから、Myストローを取り出し、コップにビールが注がれることを楽しみに見ていました。"祝宴"が始まりました。一緒のテーブルに座った保護者は、僕に料理を取ってくれました。祝宴が進むにつれて、僕にドンドンとビールを注いでくれました。僕は1人の保護者にこんなことを聞きました。
僕   「もし、僕がお子さんを受け持ったら、どのように感じますか」
保護者 「いいえ、私はそんなこと、全く気にならないよ」
保護者の言葉を聞いて、すぐに僕はとてもつまらないことを聞いたなぁと反省しました。でも、保護者から自分がどのように受け止められているのか、とても気になっていました。その保護者は続けて、こんなことを言ってくれました。
「三戸先生は、1年生の保護者にとても評判が良いですよ。数学の授業がとても分かりやすいって、言っていますよ。たぶん、子どもたちが家で言っているのじゃないかなぁ。だから、先生、もっと自信を持って下さい」
 他の保護者は、卒業式の前に配った手紙"3年生のみんなへ"の感想を言ってくれました。生徒は自分の両親に見せたのだなぁとビックリしました。「いろいろな年代でしか、伝えられないものがあるのだなぁ。いろいろな人たちのメッセージを吸収して、子どもは生きているのだなぁ」
 僕の思いを伝えた手紙を、保護者は好意的に感じてくれて、本当に自分に自信が持てました。僕は生徒に何かを与えたいと思っていません。生徒1人ひとりに何かを伝えたいのです。僕が見たこと、感じたこと、思ったことを自分の言葉で、生徒に伝えていきたい。生徒は僕から何を感じ取ってもイイのです。何も感じなくてもイイのです。僕が伝えたいことに対して、何も生徒に求めていません。
 1999年10月〜2000年3月の半年間、秋田市立豊岩中学校で非常勤講師をしていました。職名は【ラーニングサポート】と言って、授業中、正教員のサポートをする役割でした。この半年間で、多くのことを学びました。今振り返ると、この半年間の経験が"夢の実現"へつながっていると思います。昨年も"3年生のみんなへ"という手紙を書きました。今年も書きました。これから、ずっと続けていきたいと思っています。卒業式の参加は、今年で2回目。学校も違えば、生徒も違います。それぞれの味わいがありました。卒業式のために、礼服を購入しました。母は僕に礼服を着せながら、とても嬉しそうでした。生徒は、僕の礼服姿を見て、「先生、今日はカッコイイよ」と一言。僕は思わず嬉しくなり、脳性マヒ特有の不随意運動が激しくなりました。
生徒 「先生、誰の結婚式に行くのですか」
僕 「ボクの…」
 21日(水)は、修了式。19日(月)は、僕の最後の授業。来週中に、正式採用される赴任先が内示されます。僕の心は、春先の天気模様と同じです。卒業式で、卒業生と在校生で大合唱した『はばたこう明日へ』の歌声がしっかりと脳裏に焼き付いています。
読者の広場
 初めてのメールです。メールを読んでいて本当に前向きで人生をチャレンジしている生き方だと感じます。結果にこだわらず過程を大切に今の自分を精いっぱい生きている・・一呼吸をも大事に生きられているように思われます。どんな結果になってもきっと悔いは残らないように思います。そんなチャレンジの仕方ができる人間に我子もなれたら・・と子供の将来を夢見ている母親です。
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 ガクちゃん、はじめまして、私は北海道(道南)在住の小6の男の子と小3の女の子を持つ35歳の主婦です。最近PCを始め、メルマガ探しをして楽しんでいた所、このメルマガを見つけ購読した次第です。私自身、中学生の親の視点に初めてたつ訳ですし、今まで親として、遭遇した先生という立場の人に,失望感を味わう事の多かったため教員の道をめざしがんばるガクちゃんの姿勢に感銘しました。たまたま、息子の担任運が悪かったのか、一生懸命というには、程遠い何故子供の気持ちが考えられない?という先生が多かったので、読者の方の投稿も読み、教師の方の現場での難しさ、それでもがんばっている先生方がいらっしゃるのを知り、やっぱり、中にはいい先生もいるのだなあと思いました。"教師"とは、もうただの職業でしかないのかなんて、思う事もしばしばでした。息子は気が弱くたたかれても、たたき返すのが出来ない子でしたから、いじめには程遠いんですが、乱暴な子が、仕掛けてくる回数がダントツで、それを、担任は、"やり返さない方が悪い"2年がまんして、やっとクラス変えと,思ったら、また同じクラスにされたりなど、その他諸々、私の教師観は、悪くなる一方でした。だから、ガクちゃんの生徒と共に支えあって〜のくだりなど、うらやましく、ず−っと、このままで、という思いで、読ませて頂きました.一人で何十人の生徒達と接する訳ですから、目の届かない部分が出るのは 仕方のない事とおもいます。でも、子供の訴えに耳を貸し、子供の心と接する事を忘れずにいて欲しいと、思います。思いやりを育てるのは、思いやりの心だと思います。私も、日々我が子に接し、それができてるかは、疑問もありますが、心がけていきたいとは思ってます。中学生になっても、まだ子供ですし、心の触れ合い大切に私も子供の心見失わないよう、がんばらねば・・いつまでも、今の気持ちなくさず、がんばって下さい。なんだか、愚痴のようなメ−ルになってしまいましたが,(申し訳ありません)ガクちゃんのような、心の触れ合いをしてくれる先生が増える事を、願って、応援しています。
2001.3.14

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 21日は、修了式でした。修了式は、1年生が2年生に、2年生が3年生に進級することを校長先生に認定してもらう大切な式です。しかし、生徒にとって、進級することは暗黙の了解。寒い冬に終わりをつげ、春の訪れを感じて、開放的な気分になり、これから始まる春休みを楽しみにしていると思います。○○式には、必ず生徒の発表があります。今回は、1年生と2年生の男子生徒がそれぞれ「この1年で学んだこと」,「1年後の自分」というタイトルで発表しました。僕が半年間、数学を教えた生徒の発表を聞いていて、心の底で涙が流れてきました。彼の原文通りに掲載します。
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 ・・・とくに三戸先生からは数学の勉強の他に、大切なことを教えてもらいました。ぼくは三戸先生と会うまでは、ボランティアや人に手をかすなどということはあまりやっていませんでした。それはやはり、めんどうくさいという気持ちも少なくなかったからです。三戸先生のことを初めて知ったのは友達と話していて、たまたま話題になったときでした。三戸先生は体が不自由だと知ったときはびっくりしました。三戸先生の授業は、時々手をかしてあげるボランティアが必要でした。ぼくはそのボランティアも、初めのうちは進んでやるという気持ちはあまりおこりませんでした。しかし、一生懸命授業をしている三戸先生や、進んで手をかしている友達の様子を見ていると、どちらもうれしそうでした。それを見て、ぼくは「ボランティアをしてあげる」のではなく「ボランティアをさせてもらう」のではないかなぁと感じました。すると少しずつですが、自分もさせてもらおうという気持ちになっていきました。そして、僕も時々させてもらえるようになりました。
 このような、「人に何かをさせてもらう」ということをぼくや他の人たちがもっと積極的になれば、クラスや学校がより良くなっていくのではないかなと思います。特に生活面では、みんなが積極的に物事に取り組むことはなかなかできませんでした。ぼくも二年生ではこの「人に何かをさせてもらう」という気持ちをもっともっと発揮できるように、積極的に努力したいです。また、部活動と勉強を両立させ、どんな失敗にもくじけずに先輩として胸を張り、新入生を迎えたいと思います。
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 彼の発表は、たくさんの人の共感を呼びました。こんなにも、自分の気持ちを素直に表現している彼をまぶしく見えました。彼をおもいっきり、誉めました。僕自身、彼の発表を聞いて、とても嬉しかったです。
先生たちにとって、21日は移動の内示の日でもあります。僕は新採用だから、23日だそうだ。赴任校が決まったら、その学区内に引っ越そうと思っています。学区内に引っ越すことによって、生徒をはじめ、その保護者、地域の人たちが僕の生きる様を見ます。「先生、何か手伝うことありませんか」と言って、気軽に生徒が僕の家に遊びに来たら、最高…毎朝、生徒に背広を着せてもらい、一緒に学校に行くことができたら、最高だなぁと思います。僕の目指している教育は、生徒・保護者・地域の人たち・教師が僕を通じて交じ合う"総合教育"です。ただ、秋田では障害者がボランティアなどの多くの力をかりて、1人暮らしをしているケースはほとんどありません。きっと、ものスゴイ壁が待っているのだろうなぁと思っています。だけど、僕が多くの人たちのパワーに支えられながら生きていくことは、多くの障害者が次の一歩を踏み出すきっかけを与えることができるような気がしています。
読者の広場
 ガクちゃん、創刊号から読んでいます。僕も障害を持っており、脳性小児麻痺です。程度は2級です。そんな僕も学生時分には一時教師を目指していました(只今34歳)。専攻はスペイン語でしたが、英語の教師になりたいと思っていたのです。3年からは教職課程を選び、4年時には地元の中学に教生として教壇にも立ちました。2週間という短い間でしたが、良い経験をしたと思います。教生ということで、生徒達にしてみれば良いお客さんというか、オトモダチというか、そんな感じで円満に実習を終えたのかな、なんて気もします。最近、偶然その時に子供達からもらった手紙を読んだのですが、やっぱり良い事しか書いて無いです。でも子供達は本心を書いてくれたのだ、と思っています。ガクちゃんのメルマガを読んでいると、あの頃の僕にもっとチャレンジスピリットがあれば、とつくづく後悔します。教生の時の指導教官が"望月さんのような人が教員になればいいのになあ"と言われたのが今でも心の支えとなっています。・・・のような人とは、まさにガクちゃんのことです。その言い回しが良いか悪いかは別問題として。まだまだ日本人は障害者に対してマイナスイメージを持っています。そのような大人を少しでも減らせるべく、未来の大人を育てていってください。これからもメルマガ、楽しみにしています。そして真の教育者として子供達と格闘していってください。
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 「ガクちゃんの教育日記」、楽しみに読んでいます。≪3年生のみんなへ≫のメッセージはとてもとても胸にしみました。ガクちゃんが言うように、これからは「開放的な人」が主流になってくるだろうと思うと、ワクワクしますね。皆が本心から語り、行動し、それをお互いに認めあっていけたら、楽しいのにね。ひとりひとり自分とは違うのだ、だから面白い。そして、「今」が大事!今、楽しく過ごしているか、今、心が喜んでいるか、これが明日の自分を創るのだなあ。私にも中学校に通う子供がいます。ガクちゃんのように「活きている」姿を見せてくれる先生に出会える事は、何よりの宝になることだろうと思います。4年後のアテネでガクちゃんの名前が出るのを楽しみにしていますよ!新学期からの新しい出会いに胸はずませて・・・・。では、共にがんばろう!!!
2001.3.22

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 3月23日(金)、赴任校が分かりました。正式な先生として、スタートをきる学校は、「秋田市立土崎中学校」になりました。秋田市内の中学校で新規採用は僕1人なので、少し寂しい気持ちがするなぁ…
 土崎中学校は1学年5クラスの大規模校。今まで小規模校で勤務してきたので、学校の雰囲気に慣れるまで時間がかかるかも…今の自宅から通勤できるけど、時間がかかります。だから、学区内に引っ越そうと考えています。アパート探しをしていますが、あまりイイ物件はないようです。1人暮らしをするのは、学生のときもしてきたので、全く抵抗はありません。ただ、学生のときの1人暮らしと社会人の1人暮らしは違うような気がしています。僕はホームヘルパーやボランティアの人たち、生徒に支えられて、1人暮らしをしていきたいと思っています。明日、市役所や社会福祉協議会に相談しようと思っています。僕は段差がなく、1階であることが最低条件。通勤に電動車椅子を使用しようと思っているので、電動車椅子が雨風をしのげるスペースがあれば、最高だなぁと思っています。
 いろいろと大変なことがあると思うけど、いつか僕の経験が共有できる日が来ると信じて、笑顔を忘れずに楽しく生きていきたい…
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 半年前、下北手中学校に赴任したとき、半年後は別れるのだなぁと思っていました。実際に半年間、関わってみて、別れることがとても寂しい気持ちがしています。僕の中では、もう半年、あるのじゃないかという気がしています。その気持ちを手紙に書いて、修了式に渡しました。さすが、半年間、教えた生徒。生徒から「先生、手紙、書いてよ」「手紙、書いてくれないの」と言われる始末。数学係に渡してもらいました。30日(金)、離任式です。お別れのあいさつで、「今度、一緒に遊ぼう」と話そうかなぁと思っています。1年生に宛てた手紙と1年生から頂いた色紙です。
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提出日 2001年3月21日(水)
みんなといっしょに
三戸 学

 半年間、みんなと一緒に生活できて、本当に楽しかったです。人に伝えたい気持ちや考えがあったら、手紙で伝えることが僕のスタイルです。半年間で、みんなから大きな自信をもらいました。半年前の僕に、「心配しなくてもいいよ」と言ってあげたいくらい、自信がつきました。本当に、みんなに言葉でどのように表現したら良いか分からないほど、感謝しています。『あ り が と う』
 半年間、みんなと一緒に生活して、"本当に、先生になってよかったなぁ"と思います。なぜなら、みんなを目の前にすると、とても謙虚になる自分を発見したからです。みんなから、いろいろなことを与えてもらったけど、僕はみんなに何を与えたのだろう…みんなから、いろいろとサポートをしてもらったけど、僕はみんなにどんなサポートをしたのかなぁと考えると、心が寂しくなります。授業中やその他の活動で、いろんなことを伝えてきたと思うけど、何となく自信がなく、こうして手紙を書いています。僕の最後のあがきですね。トホホホ……みんなは、僕がメインで授業をした初めての生徒です。みんなと一緒に授業していくなかで、僕の授業に対する考え方が少しずつ変わっていきました。初めは、黒板に字を書くことは生徒にサポートしてもらおう、このスタイルが僕の授業と考えていました。だけど、この考えは間違っていました。僕にできることがもう1つ、ありました。それは"椅子に座ってなら、黒板に字を書くことができる"ということです。授業中、初めて僕が円すいの図を書いたときのこと。「コレ、円すいに見える?」という僕の問いかけに、「見える」と明るく答えてくれたみんなの声が忘れられません。あれから、完全に吹っ切れました。僕の決して上手いとは言えない字を書こう、もし読めなかったら、「読めない」と言ってくれたら、言葉で説明するし、後ろの人が見えなかったら、立って見ればイイし…どうしても自分ではできない部分をみんなにサポートしてもらえばイイと考えが変わりました。
 作図の学習のとき、気心を知れた仲間と一緒のグループを作り、授業をしました。これは僕の考えついたアイデアです。半年間、振り返ってみて、僕の授業はまだまだ直すところがあると思います。半年間、僕の授業を受けた初めての生徒として、いろいろとアドバイスを下さいね。字を書くようになってから、授業が終わる頃には、汗だくになりました。体が思うように動かなく、1つの機能を動かすと、体全身が動いてしまう"脳性マヒ(僕の障害名)"特有のなせる技です。決して、誉められるわけではないけど、僕にとっては、心地よい汗でした。あと、テレビで自分が語っている言葉を聞くと、自分はいつもあんな感じで話しているのかと思いました。自分ではしっかりと、話をしているつもりなのですよ。自分の声を自分で聞くことができないからね…あの言葉で、ずいぶんと偉そうなことを言ってきました。これからも、僕の言葉でますます、偉そうなことを言っていくゾ−。そうそう。みんなのこと、僕の最初の教え子と呼んでいいですか。理由は、僕が初めてメインで授業を進め、テストを作り、成績をつけたからです。みんなは、本当にイイヤツですよ。そして、個性豊かな集団です。《ともしび》の『私の野望』『自分の目指す道』を読ませてもらいました。みんなの個性が散りばめられていて、メチャメチャ面白かったです。みんなは無限の可能性を持っています。(少なくとも、僕よりはネ)自分の可能性を信じて、自分の道を突き進んで下さい。きっと、生きることが楽しくなりますよ。
 授業、学活、給食、その他いろいろな場面で、みんなのステキな感性に出会いました。感性とは物事を感じ取る能力のこと。豊かな感性の持ち主は、物事を敏感に感じ取れるので、人の心の痛みに寄り添うことができます。貧しい感性の持ち主は、人の心の痛みに寄り添うことができません。誰が何と言おうと、僕はみんなの感性に100点満点を付けます。ただし、感性は勉強と同じで、磨かなければ、さびれてしまいます。21世紀の社会は、豊かな感性を持った人間を求めています。僕は【誰もが住みやすい社会】を願っています。平凡だけど、ワイワイ・ガヤガヤ、楽しいことはみんなで分かち合い、苦しいことはみんなで苦しむ、ステキな笑顔で溢れる社会を目指しています。みんなのこと、未来を担う人間と見たとき、明るい希望と期待を持てます。1人ひとりの豊かな感性を大切に、型にはまらず、生きれ!!
『今を楽しく生きていこう』
 みんなに、この言葉を送りたいです。今日が楽しいからこそ、きっと明日も楽しい日が待っていると思えるのです。今、この社会には楽しく生きられない人がたくさんいます。自称『楽しく生きている』僕が楽しく生きられない人に、生きる楽しみを伝えていきたいと思っています。毎日楽しく生きられなくなったとき、僕に連絡下さい。飛んで行きます。(でも、秋田は僕にとって、バリアが多いところなので、みんなから来てもらった方が早いかもしれませんね…笑)楽しく生きるコツは笑顔を大切にすることです。笑顔は人を元気に、楽しくさせます。半年間、みんなと生活して、僕の "先生としてのスタイル"が決まりました。それは"何でも、生徒と一緒にやっていくこと"です。みんなのおかげで、僕のスタイルが決まりました。これから、先生として様々な困難にぶつかると思うけど、生徒と一緒に乗り越えていきたいと思っています。みんなは迷惑かもしれないけど、僕はいつまでもみんなとつながっていきたい気持ちでいます。
 楽しい時間はあっという間に過ぎます。3月の別れの季節を惜しみながら、4月の出会いの季節に期待をふくらませています。『半年間、本当に楽しい時間をありがとうございました』

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1年生の生徒の寄せ書き 
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・半年間、ありがとうございました。これからもめげずにガンバっ!
・半年の間ありがとうございました。これからもわかりやすい授業を続けていってくださいネ
・これからも夢をもちつづけて、みんなに好かれるいい先生になって下さい
・これからも卓球をがんばってください
・これからも、いっしょうけんめい数学を教えてがんばってください
・今まで一生けんめい数学を教えてくれてありがとうございました。先生になってツライこともあるかもしれないけど、先生のあのエガオでがんばって下さい
・今までお世話になりました。これからもいろいろなことにちょうせんして下さい
・ほかの学校に行っても、がんばってください
・半年、お世話になりました。これからもがんばって下さい
・これからもいっしょうけんめいにがんばって下さい
・三戸先生の数学の授業はとてもわかりやすかったです。あと、卓球をがんばってください
・アテネのパラリンピックをめざして、卓球をがんばってください
・こんど会った時アテネのメダルを見せてください(パラリンピックをがんばってください)
・数学の授業すごくわかりやすかったです。アテネめざしてがんばってください
・三戸先生はとても前向きに生きていてすごいと思いました。これからも夢に向かってがんばって下さい
・三戸センセの授業はおもしろ楽しい授業でした。数学教科係として大変お世話になりました。
・数学の時間いつも笑っていた先生が僕は大好きです。これからもいっしょうけんめいがんばってください
・少しのあいだでしたが、本当にありがとうございました
・数学以外の事も楽しく教えてくれた三戸先生が僕は大好きでした。そして、アテネの星に!!!
・三戸先生、あなたの数学の授業はいつも一生懸命で僕は感動しました。これからもがんばってください
・夢に向かってがんばっている先生をすごいなぁって思っていました。これからもいろんなことにチャレンジしてがんばってください
・数学授業とてもわかりやすかったです。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です。自信を持ってくださいネ。そのまま変わらずがんばって下さい。私もいちおう数学好きになりました。ありがとうございました。
・三戸先生の授業はとても楽しくてわかりやすかったです。すごくお世話になりました。これからもがんばって下さい
・今まで数学を教えて下さってありがとうございました。これからもがんばってください。
・三戸先生には、委員会などでもお世話になりました。ほかの学校に行っても、パワフル全開でがんばってください。
2001.3.25


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