んだんだ劇場2004年1月号 vol.61
No6  帰国と妊娠

帰国と妊娠
 2年4ヶ月住んだ北京を後にして、12月8日、日本に帰国した。大量の荷物とともに実家に到着。ただでさえごちゃごちゃしている実家が、もう悲惨な状況である。
 ここ数年、いつも夏に帰国していたので、冬の日本は久しぶりだ。困ったのは、部屋の中がとても寒いことだ。外の気温は北京よりもずっと暖かいのに、部屋の中でセーターを着てストーブの傍にくっついていなければならない。北京の密封されたマンションの中で半そでで暮らしていた間に、体がなまってしまったようだ。夫は、
「故郷の山奥も冬(タイの乾季)はこんな感じだったなー。毛布にくるまってさー。」
となぜか喜んでいる。
 娘は猫を追い掛け回して大喜びである。夫は日本酒を飲んで満足。

12月11日
 帰国後の健康診断と派遣終了後の報告会のために東京へ行く。今回初めてJapan Rail PassというJRの乗り放題チケットを使う。これは日本に短期滞在ビザ(観光目的)で入国する外国人と日本国外に居住する外国人と結婚している日本人、海外に永住権を持つ本人のみが買うことのできるもので、かなりお得なチケットなのだ。放浪生活もたまにはいいことあるなと思った。
12月12日
 母の実家である名古屋に行く。娘を連れて行くのは始めてだ。小さい頃、休みのたびに泊まりに行っていたので、私にとってはとても懐かしい特別な場所である。祖父と祖母の仏壇の前で久々にお経を唱えてみる。小さい頃私は、祖父母の家に来ていた山寺の和尚さんにあこがれていたことがあり、お経もそのとき練習した。娘は木魚をたたいてご満悦。線香の匂い、ああ、落ち着くなあ。私は宗教を持たないのだが、でもやっぱり心の奥底には仏教の血が流れているのかもしれないと思う。
12月13日
 お世話になった先生に会うために神戸へ。娘はどこにいってもおおはしゃぎで親を振り回している。頼もしいが疲れる。電車での移動が多いが、優先席が全く優先席として機能していないのには驚く。お年寄りが立っていても、席に座っている人は無関心を装っているか、寝ているかのどちらかである。1歳くらいの子供を抱いて、3歳くらいのお姉ちゃんを連れたお母さんが立っていても知らんふり。これでいいのか??確かに席を譲るのにはちょっと勇気がいるが、それにしてもこれは変だ。子供を抱いている人が乗ったとたん、席を譲られる中国の満員バスをふと思い出してしまった。日本はやっぱりどこかおかしくなっているのではないか。日本を離れて6年になり、私の日本的感覚もだいぶ薄れてしまっているのかもしれないが、でもやっぱり、変だよねえ。
12月17日
 産婦人科に行く。どうやら妊娠したようなのだ。とはいっても、もちろん計画的犯行である。診察の結果、妊娠6週目であった。今のところひどいつわりはないが、胃がお米を受け付けなくなってしまった。なんだかものすごくもたれるのである。だから朝昼晩とパンを食べている。麺類もとりあえず大丈夫。
 私たち家族の行く末を心配して気が狂いそうになっている母親には、妊娠のことはとても言えない。レモン味のキャンデーもこっそり隠している。
 中国で一緒に働いていたスタッフで、占いにものすごく強い人がいた。彼女が、
「あなたの年齢で11月に妊娠したら、ぜったいに男の子だ。」
と自信たっぷりに断言していたので、本当に男の子かもしれないと思っている。本当は女の子希望なんだけど。
 こんな不安定な時期に移動ばかりのハードスケジュールで、お腹の子供には大変申し訳ない。
 「ちび2号、お母さんにしっかりつかまっているのよ。」
と言い聞かせ、なんとか無事にロンドンに落ち着けることを祈っている。

日本のお母さん
 家の近くのスーパーに行った帰り、自転車に子供2人をのせたお母さんを見た。一人の子供はハンドルのところのシートに座って熟睡している。もう一人は後部座席に座っている。どうみても2人合わせて25キロ以上はありそうだ。す、すごい。
 帰国した折、日本のお母さんを見るたび、本当に尊敬してしまう。
 小さな子供を2人連れてスーパーに買い物に来ているお母さんたち。我が家なんて一人でもてこずっているのに、一体どうやって2人も連れて買い物ができるのか?小さい子供を2人、車に乗せているのでさえも、私には驚きである。
 私はお恥ずかしいことだが、娘と二人だけで買い物に行ったことは数回しかないし、もちろん夫なしで娘を車に乗せてでかけたこともない。自転車の二人乗りなど論外である。
 なんて甘えた母親かとお叱りを受けそうなのだが、もっと言わせてもらえば、私は娘と二人だけで24時間過ごしたことがない。今のところ、二人だけで過ごす自信もない。
 こんな母親でいいのか?しかも料理は全部夫まかせ。日本のお母さんは子供の面倒も見ながら三食作っているのだ。
 私は本当に日本のお母さんたちを尊敬する。しかも夫たちは朝早く家を出て、夜も遅く帰ってくるのだ。私の妹一家もこんな感じで、彼女は、
「うちはもう母子家庭なのよ!」
と嘆いていた。
 本当に日本のお母さんたちは頑張っているなあと思う。
 私にはとてもできないなあ、と思うたび情けなくなってしまう。
 
まぼろしのチキンスープ
 私の夫は料理上手だ。でも本人は自覚していない、というか自分ではどうしても信じられないらしい。なぜか?何しろ私と付き合うまでは、料理はしたことがなかったらしいのだ。
 私が初めて食べた夫の料理は、チキンスープであった。
 もともと、夫と私は同じNGOのスタッフとして仕事をしていた。
 ある日、私が事務所に戻ってくると、スタッフ用のキッチンで夫が料理をしているのを見つけた。
 「なに作ってるの?」
 根が食いしん坊なので、早速様子を見に行った。鍋のなかではぶつ切りにした鶏と青菜がぐらぐらといい匂いをさせている。出来上がると、夫は(そのころは単なる仕事仲間であった)二つの大きなお椀にスープを入れ、片方にライムを絞って入れた。
 「いただきまーす」
 おいしい!ライムが入っている方も入ってない方もすごくおいしい!私はあまりのおいしさに本当にびっくりし、感動して何杯もおかわりしてしまった。
 今思えば、あのスープが私と夫を結び付けたのではないかと思われる。人に私と夫のなれ初めを聞かれると私はこのチキンスープの話をする。なんだか結局食べ物につられたみたいで、ちょっと恥ずかしいのであるが。まあきっかけって、きっとこんなものなのかもしれない。
 後で夫に聞いてみると、あのときスープを作ったのは、全くの偶然で、それまであまり料理をしたことはなかったとか。
 あの味が忘れられず、その後何回かリクエストして作ってもらったが、どれもなぜかあの日の味には及ばないのだ。
 あれはやはり偶然の賜物だったのか?それとも思い出はどんどん美化されてしまうせいなのだろうか。
 そこで私は勝手にあのスープを「まぼろしのチキンスープ」と呼んでいる。いつかもう一度あのスープに出会いたいなあと思っている。


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