んだんだ劇場2004年5月号 vol.65
No10  チェンマイでエイズ・リサーチ

リサーチの下準備
 3月下旬のチェンマイは予測どおり猛暑真っ只中であった。日中の気温はほぼ40度。朝と晩にはやや涼しくなるのが救いである。
 到着と同時に携帯電話を買いに行く。家に電話がない上、今回はいろいろな人に会うのが目的なので携帯電話は必須である。
 早速会う予約をしていた人たちに電話をした。タイは4月8日から約9日間、タイ正月のため全国的に休みに入る。その前になんとかやることを終わらせなければならない。時間は2週間である。うーん、大丈夫なのだろうか?
 しかし運のよいことに、今回最も重要人物であったタイ教育省の特別プロジェクト部門の担当者がちょうどチェンマイの会議に参加しており、会って話をすることができた。しかも一番のネックであったリサーチの許可については、私が調査を行う小学校に対して、彼女から文書を出してくれるという。上の部門からの文書の力は強力なので、これで一安心である。これで肩の荷が半分降りた。よかった、よかった。
 その他、ユニセフやNGO、チェンマイ大学などの人に会い、いろいろな話をすることができた。誰もが、見ず知らずの大学院生に本当に親切にしてくれて、なんとも頭の下がる思いであった。
 問題だったのは学校の先生である。私のテーマはエイズ孤児の学校における差別問題なので、実際に何人かの学校の先生にあって話を聞きたかったのだが、学校は既に長期休暇に入っていたりなど、いろいろな問題があってなかなかコンタクトがとれなかったのだ。しかし最後の最後に一人の先生をつかまえることができたのは、幸いであった。
 2000単語のエッセイは朝4時に起き、7時始発の飛行機の轟音で娘が目を覚ましてくるまでの間になんとかがんばるという手段をとり、強引に終わらせた。いつも耳にタコができるほど、'エッセイは過去の文献に書かれている事実の羅列ではない。自分の意見を述べて議論する場だ!'といわれているのだが、案の定、単純な事実の羅列になってしまった。これはまた新学期が始まってから手直しすることにする。今回は、大学受験以来の早起き勉強だったのだが、これが結構効率のいいのに気づいた。扇風機しかないサウナ状態の我が家では、日中は何もできないというのもあるのだが、どちらにしても朝は頭もすっきりしていて何だか進みも早いようだ。ロンドンに戻っても一日だらだらと学校にいるより、この方が時間を有効に使えそうである。
 さて暑さの方であるが、日中は暑くて本当に家の中にいることができない。そこで朝ごはんが終わるとすぐに車に乗って出発する。人に会う予定があるときはそこに行くし、ない時はエアコンの効いているインターネットカフェかショッピングセンターに行って涼む。我が家のおんぼろ車の中は走行している間は涼しいのだが、停車するとエアコンが効かなくなってしまい、ものすごく暑い。だから車の乗り降りを減らすため、なるべくひとつの場所に長くいるようにしている。この時期、タイが休暇に入るのは本当に賢いことである。これじゃあ、何もやる気にならない。うちもケチっていないで、エアコンつけるべきかなあ。

エイズの影響を受けた子供たち
 今回、エイズの影響を受けた子供たち(親がエイズウィルスに感染していたり、エイズで亡くなったりした子供)を含む8歳から12歳くらいまでの子供たちとその保護者に会った。
 保護者たちにエイズの影響を受けた子供たちに対する差別について尋ねてみると、皆、
「差別の問題はない。」
とか、
「昔はあったが、今はない。」
という。
 確かにタイ、特にチェンマイを含む北タイでの差別は以前と比べるとかなり改善してきているときく。でも、本当にそうなのだろうか?
 子供たちには3種類の絵を描いてもらった。一つは、学校生活の中で楽しいこと、好きなこと、もう一つは学校生活の中でいやなこと、そして最後はコミュニケーションマッピングと呼ばれ、自分にとって大切な人と、その人とどんな話をするのか、何をするのか、ということを絵にする。
 エイズの影響を受けている子供とそうでない子供を比べてみると、エイズの影響を受けている子供たちの多くが、学校でいやなことのひとつに、友達にからかわれることをあげていた。子供たちとは初対面であったこと、短い時間の中でお互いに信頼関係がまだ築けていなかったこともあり、どのようにからかわれるのか、何についてからかわれるのかという質問はしなかったが、気になる結果であった。
 また父親をエイズで亡くし、母親も感染者である9歳の男の子の絵もなんだか気になるものであった。その男の子に関しては、学校の先生も母親も学校では何の問題もないと話していた。しかしその子の絵によると、学校での友人は一人だけで、しかもその友人よりも1歳のいとこと遊ぶ方が楽しいという。友達と遊ぶのが楽しくてたまらないはずの年齢の子供として、やっぱり何か不自然な気がした。
 まわりの大人が気づいていないだけで、やはり学校での差別は存在するのではないかと思った。または保護者たちも初対面の私にはいいたくなかったのかもしれない。
 今回子供たちに絵を描いてもらったのは、学校生活に関する'インタビュー'としてであった。絵を描いてもらった後で、何を描いたのか説明してもらい、必要であればそれについて質問をしたのだが、これがいわゆる普通のインタビューの形をとっていたら、果たして子供たちからどれだけの話を聞くことができたか、実に疑問であった。信頼関係が築けない限り、とてもじゃないが子供たちにいろいろ話してもらうのは無理だということを実感した。もちろん大人でもそうだが、子供はそれ以上に繊細である。子供へのインタビューは私にとって初めての経験であったのだが、とても貴重な体験であった。
 学校での差別問題とは別に気になったことがあった。それはエイズの影響を受けた子供たちのエイズ感染についてである。両親がエイズ患者であったとしても、その子供も感染者である確率は低い。しかし、今回会った子供たちの誰一人として感染の有無を調べる血液検査を受けていなかった。その理由を保護者に聞いてみると、
「もし陽性だったら、その事実を受け入れる自信がない。」
「今のところ元気で何も問題がないから。」
という答えが返ってきた。母子感染の子供の多くが小学校に上がる前に亡くなってしまうこともあり、小学校入学まで元気なら感染していない、という暗黙の了解が一般的にできているようで、それも理由のひとつかもしれない。
 しかし万が一感染していた場合には、適切な経過観察と治療を受けることによって、子供たちはもっと長い人生を送ることができるのである。なんだかとても複雑な気持ちであった。
 今回はリサーチテーマであるエイズの差別問題のほんの一部に触れたに過ぎなかったが、とてもセンシティブな問題であることや子供というかなり特殊な対象を相手にしていることを改めて認識した。そして細かく気を配りつつ、しかも気合を入れて進めていかなければならないことをつくづく実感した。

女の子!
 おなかは順調に大きくなっている。ちび2号もますます活発になり、おなかの中から私をくすぐったりしている。
 タイに戻る直前に妊婦検診で超音波検査があり、性別をみてもらった。結果は女の子!やったあ。
 2人目もどうしても女の子が欲しかったのだ。うちのように移動の多い家族では、子供にとって兄弟姉妹の存在は貴重である。そして姉弟と比べ、やはり姉妹同士の同性の結びつきは強いと思う。新しい環境に慣れるまで大事な仲間として一緒に遊んだり、愚痴を言い合ったりできる姉妹がいるということは、とても大切だ。
 それから女の子ならうちのような複雑な言語環境でもあまり苦労せずにやってくれるだろう、というのも理由である。一般的に女はしゃべるのが仕事の生き物だからね。
 夫はやはりちょっとがっかりしたようだ。これで彼の立場はますます弱くなり、女3人の尻に敷かれてしまうであろう。かわいそうだが、こればかりはねえ。
 娘はまだ男の子と女の子の違いがあまりわかっていないので、何の反応もなし。これもまあ、しょうがないであろう。
 というわけで、私一人が大喜びした超音波検査の結果であった。


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