んだんだ劇場2004年10月号 vol.71
No16  予約が命の医療システム

そろそろ移動の季節
 寒い。しかもほとんど毎日雨が降っている。気温が15度を切らない頃から、もう我が家ではヒーターをつけている。日もどんどん短くなってきて、もう冬は目の前という感じである。
 12月にタイに帰国する予定なので、早めに飛行機の便の予約をと思い、10月に入ってすぐ旅行会社へ行った。なんと既に一杯で、やっと12月14日に席を取ることができた。なにしろ冬はタイ旅行のハイシーズンなので、もう混みこみなのである。今後はこういう時期に移動するのを避けなければ。
 例によって荷造りが趣味の夫は、
「そろそろ荷物、詰め始めなくちゃ」
とそわそわしている。また再来年にはロンドンに来ることになるので、食器や調理器具、衣類などはほとんど置いていく予定である。でも本や文献、娘の服や本などは持って帰らなくてはならない。なぜかこちらの郵便システムにはロンドンからタイへの船便が存在せず、全て航空便になるということなので、ものすごく割高である。タイにはあんなにきれいな海がいっぱいあるのに、なぜ船便がないのか、なんとも不思議だ。
 年末に日本にも帰国する予定であったが、12月1月とリサーチの下準備で忙しくなりそうなので、来年の春に延期することになった。というわけで頭の痛いビザ申請も延期である。いやなことが先延ばしになったので、ちょっとうれしい。
 論文の方は11月一杯が勝負である。イギリスの大学院は博士課程の学生も最初は修士課程に登録され、ある程度論文ができたところで口頭試問を受け、それに通ると博士課程に登録される。その口頭試問を来年の3月ごろに予定しているので、その時に提出する論文を11月中に完成させて帰国前に指導教官に見てもらわなければならないのだ。
 この口頭試問に通らないと、タイでのデータ収集を始めることができない。データ収集は小学校の新学期の始まる5月に開始することになっているので、どうしても3月の口頭試問に通らなければならない。そのためには博士課程のレベルに達した論文が必要なのである。博士課程レベルの論文って一体なに?という素朴な疑問はあるのだが、とにかくやれるだけやるしかない。あー、大丈夫かなあ。

心雑音と予約
 今年の8月末、次女が一ヶ月になって予防接種を受けた時に、心雑音を指摘された。そのときに診察した医師は、
「小児の循環器専門の医師に診てもらうよう、予約を入れますね。」
といった。そして予約の詳細は郵便で送られるとのことであった。
 ところが一ヶ月たっても何の音沙汰もない。心配になって病院に電話してみると、循環器専門医は2,3ヶ月に一回しか来ないので、もう少し待つようにとのこと。そしてしばらく待ったが、やはり何の音沙汰もない。過去の経験からこの国の事務手続きに大変不安を感じているので、10月になってまた電話してみた。すると今度は、受付の担当者が次女の患者番号などを聞いたあと、
「調べてから、こちらから電話します。」
という。念のため、その担当者の名前を聞いておいた。ところが何日待っても電話は来ない。そこでまた電話してその担当者を探すと、彼女は休暇中とのこと。仕方がないので、電話をとった受付の人にまた始めから説明し、次女の予約を確認してもらうように頼む。すると今度は、
「専門医は10月28日に来ることになっています。予約を確認して、郵便で送りますね。」
といわれた。そこでまた待ったが、またしても何の音沙汰もない。そこでまた電話すると、例によって確認して電話をかけてくれるという。ところがもちろん電話はこない。
 ここでは「電話をかけます」というのは、「もう一度かけなおしてください」という意味に違いないと確信し、このままではらちがあかないので、とうとう病院に行って直接確認することにした。何しろあと10日で専門医の診察日なのである。行ってみると、結局また確認して一週間以内に電話します、とのこと。そして言うまでもないがもちろん電話はこない。
 そこでまた電話して、病院に行った時に直接話をした受付の担当者につないでもらう。となんと彼女は、
「あら、他の人に電話してもらうように頼んでおいたのに、誰も電話しなかったの?」
といい、またしても、確認して彼女からかけ直すという。そしてもちろん電話はこない。
また例によってこちらからかけなおすと、
「実は、専門医に予約を入れるようにという医者の指示が見つからないのよ。」
とおそろしいことをいう。まず次女を診察した医師に確認してもらうように頼む。
 そして次の日、初めて受付から電話がかかってきた。慌てて電話をとると、なんとなんと、彼女は、
「医者の書いた指示は見つかったんだけど、本当に申し訳ないんだけど28日に予約を入れることができないの。本当にごめんなさい。」
というのだ。
 こういう事態になることを恐れていたので、一ヶ月以上も前から何度も何度も電話をして確認していたのに!!私はあまりにも呆然として言葉を失ってしまった。
 私はとにかくものすごく次女の心臓のことが心配なのだ。でもとりあえずおっぱいも良く飲んでいるし、体重も増えているから今のところは大丈夫、専門医に診てもらって診断をつけてもらうまでは待つしかない、と自分を納得させていたこの2ヶ月だったのだ。せめて親としてできるのは、専門医の予約が取れたことを確認すること、とやれるだけのことをやってきたのに。大げさかもしれないけれど、私は必死だったのだ。今回の診察を逃したら、次はまた数ヶ月待たなければならない。
 とにかくこの国の医療システム、ナショナルヘルスサービスの元では、予約が命である。そしてその予約には長―い順番待ちがあって、待っているうちに病気が悪化しちゃうんじゃないの、という事態もかなりあるような気がする。順番を待ちたくなければプライベートに行くしかないが、それにはものすごくお金がかかる。
 自分のための予約だったら、数ヶ月待つのもあきらめるが、でも乳児のしかも心臓関係の予約は待ちたくない。なにしろもう2ヶ月も待ったのだ。待っている間に万が一のことがあったらどうなるのだ。こうなったらプライベートの病院に連れて行くしかないかな、と思っているが、今回は本当に本当に頭に来た。

ハローで話そう
 長女が午前、午後と保育園に行き始めて約2ヶ月が経った。だいぶ英語にも慣れたようで、いろんな英語の歌をそれらしく歌っている。私とは日本語のみで話しているので、一体彼女の英語レベルがどのくらいなのかは全く不明である。
 ある日一緒に遊んでいる時、長女が、
「ねえねえ、ハローで話そうよ。」
と言った。つまり英語で話そうという意味である。彼女がどのくらい英語を話せるのかちょっと興味もあったので試してみることにした。と、なんと結構話せるではないか。お得意は、「and then(それから)」である。and then…. and thenと言いながら単語をつなげて話している。
 しばらく英語で話した後、今度は私が、
「ねえ、そろそろおしまいにしようよ。」
と言っても、
「だめー。ママ、ハロー(英語)で言って!」
と言ってなかなかやめたがらない。
 急に私は不安になってしまった。これが続くと、英語優位になってしまい、日本語とカレン語が忘れられてしまうのではないか。
 夫に話すと、
「きっと保育園で、彼女の英語はまだ流暢じゃないから、他の子供たちの聞き役に回ることが多いんじゃない?自分で話してみたいんだよ、多分。」
という。確かにそうかもしれない。
 英語の練習台になってやりたい気もするが、それをすることによって、我が家のゴールデンルールである、「父親とはカレン語、母親とは日本語」が崩れてしまうのが心配だ。他の言語はともかく、日本語とカレン語だけはしっかり話せて書けるようになってもらいたい。英語は不自由しない程度にできればいいのだ。
 とはいっても、現在長女が量的に最も多く触れている言語は英語である。カレン語と日本語は分が悪い。こうなったら質で勝負かな、とは思いつつも言葉の習得って結構、量が大切なんだよね。ひたすらしゃべりまくるしかないかな?
 日本語(娘と私)、カレン語(娘と夫)、英語(夫と私)が混在する我が家の言語環境。似たような環境の人に経験談を聞いてみたいなあと思う今日この頃である。


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