んだんだ劇場2004年2月号 vol.62
No19
(1)第二の故郷
 昨年12月31日付の山形県内版を見て、思わず目を見張った。
 「サヨナラ2003」という見出しの記事。大晦日に際し、昨年一年間の出来事を振り返ったものだ。段落ごとの一行目はこう書かれていた。
 「県内でも暗いニュースが相次いだ」
 「サクランボの大量盗難と、頻発したおれおれ詐欺」
 「羅針盤を失った現代人の不安定さが、暴発したような出来事も多かった」
 「四月の県議選、十一月の総選挙と、大型選挙が相次いだ」
 「なかなか心が晴れない」
 「晩景が深まっていく」
 それぞれの最初の文字。「県」「サ」「羅」「四」「な」「晩」の6文字をひらがなに直して、並べ替えると「さよならけんばん」。そう、この日で、山形県版が廃止されたのだ。ちょっとした遊び心といってしまえばそれまでだが、この記事には、この日で自分たちの面がなくなることへの、記者たちの万感の思いが込められていた。
 今年の一月から、わたしどもの新聞は大きく変わり、今までの各県内版が廃止され(宮城県内版を除く)、各県のニュースは「東北総合面」「東北交流ワイド」などの紙面に一括して掲載することになった。
 各県内版は、東北各県の県庁所在地にある総局が中心になって作っていた。山形版なら山形総局、福島版なら福島総局という具合。岩手は2ページ、その他の総局は1ページを毎日作った。いつごろから県内版が始まったのかは定かでないが、私が入社するずっと以前からあったことは確か。
 山形県内版がなくなることに、万感の思いだったのは、現在の山形総局員ばかりではない。以前、勤めたことのある私自身にとっても、何とも複雑な心境だった。記事を読みながら、さまざまな思いが去来した。
 山形は私にとって第二の故郷である。1981年、入社3年目の年に転勤し、4年間を過ごした。20代半ばから後半にいたる、最も元気が良かった時代だ。生まれてからずっと宮城県内に住んでいたので、県外で暮らすのは初めてだった。宮城とは隣同士の県なのに、言葉や習慣が何かと違っていた。最初に戸惑ったのが、電話でのやり取り。名前を名乗るときに「○○でした」というのだ。こんな風に。「もしもし、斎藤でした」「はい、今野でした」
 山形市内では河北新報の名は比較的、知られていたが、田舎の町へ取材に行ったら、こんなこともあった。
 「こんにちは。河北新報です」
 「河北さんって、何部ぐらい発行してんのっしゃ?」
 「おおよそ50万部です」
 「えーっ、町の新聞でそんなに出てんのすか。すごいねえ」
 よくよく聞いたら、山形県河北町の新聞と間違われていた。
 思い出の一つに「松波リーグ」がある。松波とは山形県庁があった場所で、各新聞社が野球のリーグ戦を行った。常勝チームは、地元の山形新聞と読売新聞。わが河北チームは、人数をそろえるのがやっと、という状態で「出ると負け」だった。一年目は全敗。二年目も黒星続きで、「今年もこのまま終わるのか」と誰もが思った。
 そして、宿敵(?)読売との試合を迎えた。前の晩に壮行会と称し、開き直って、たらふく飲んだのが良かったのだろう。なんと「5対2」で勝ってしまったのだ。勝利投手は、何を隠そう、この私。最後の打者を打ち取り、キャッチャーと抱き合って喜んだ時の写真は、宝物の一つだ。
 今でも、その時のメンバーで「山形会」を作り、年に一、二度集まって酒を酌み交わしている。その席で必ず出る話題が、この唯一の勝利の話。みんな山形から帰って20年にもなる中年男どもなのに、その時ばかりは20代のころの青年に戻る。
 山形時代にお世話になった総局のT子さんが、来年3月で定年を迎える。近いうちにプロジェクトチームを発足させ、退職お祝いのパーティーを盛大に開く計画だ。
 山形県内版はなくなったが、山形総局は健在だ。何年か先、転勤でぜひ第二の故郷に里帰りしたいものだと、密かに祈っている。

(2)火太郎
 「火太郎」というタイトルの歌集が先日、自宅に送られてきた。送り主は梅内美華子さん。八戸市出身の歌人だ。
 「ほたろう」と読む。蛍の古い呼び名である。「ほたる」の「ほ」は火の意味。語源は「火垂(ほたり)」「火照(ほてり)」が転じたものとされる。蛍は昔から、燃える気持ちを歌に詠む時に用いられた。梅内さんは「物思う魂であり、私の胸に宿る灯火であり、私の胸に火を点ずる者」(後書きから)という思いから歌集名にしたという。
 その蛍の一首。
 「火太郎のほたるやひとつ夏の田の水に添いつつわれを曳(ひ)きゆく」
 梅内美華子さんと初めてお会いしてから8年になる。当時は26歳。「ポスト俵万智の第一人者」と言われていたころだ。同志社大3年の時に角川短歌賞を受賞して、颯爽とデビュー。若手歌人のトップランナーとして注目を浴びていた。
 受賞作などを集めた第一歌集「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」には、健康的ではつらつとした歌が並んだ。
 「空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラ・ゾーン)に立ち止まる夏」
 「階段を二段飛びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅」
 「生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ」
 20歳前後の若い女性の気持ちを自然に、リズミカルに歌い上げた。口ずさむと元気が出てくる。初めて取材したときの印象を「歌同様に、さわやかで、はつらつとしたお嬢さん」と記事に書いた。
 その時の印象は、今でも変わっていない(もちろん、今は結婚されているので、お嬢さんと言っては失礼に当たるが)。小学生のころから文学少女だった。「形にならない詩とか散文をノートに書いていた。特に、定型詩のリズム感に引かれた。短い中に心や風景を切り取る作業に、興味を覚えるようになりました」と梅内さんは以前、語っていた。
 第一歌集「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」のころは「若いお嬢さんの生き生きした感じ」と梅内さんは解説した。第二歌集「若月祭(みかづきさい)」を出した時には「生活や恋愛の過程での変化を注意深く見つめ、10代や20代前半のころとは違う、自分の年齢に対する意識や生活感を出そうと思った」と話していた。
 30代になって出版した今回の第三歌集「火太郎」では、大人の女性の心理を細やかに、そして大胆に歌っている。例えば、こんな作品。
 「異なるは性のみならず松葉降る風の石段に君を待ちおり」
 「白飯にナムルとヤンニョムコチュジャンを混ぜあわせ女は泣きながら食む」
 「さくらさくらモンローの言葉も空に咲く『一つ一つはみな孤独なの』」
 「ことごとく葡萄一房食べおえぬ一方的な愛のごとくに」
 「白象が体(たい)に入りくる夢みしと伝承は女体を超えていたりき」
 第一、第二歌集では相聞歌や身辺を歌った作品が多かったが、第三歌集になると梅内さんの関心は、より広がりを見せてくる。故郷の両親への思いや、社会への鋭い批判も31文字に込めた。
 「父が車に搬ぶ娘はもう三十歳 かなしくなりて袖に窓拭く」
 「ちちははも根雪のような悲しみを抱く永遠に北に置くべし」
 「赤き赤き大きな梅干ひとつ載せ食済ませたり母の一椀」
 「人はどこまで小さくなるか大きくなるか核廃棄物輸送船ゆく」
 「もやしの芽ゆっくり土を持ち上げぬ<参戦することになっていたのだ>」
 10代から20代前半にかけてのお嬢さんから、20代後半の女性、そして30代の大人の女性へと進むに従い、作品もより豊かに、より広がりと深みが加わった。今後、どんな歌が生まれるのか。楽しみな歌人の一人だ。
 東京支社時代、少しだけ短歌をかじったことがある。3年前、転勤で仙台に戻る時、梅内さんに送別会をしていただいた。その時、自分が詠んだ30首ばかりの歌を見てもらった。外交辞令なのだろうが「なかなかお上手ですね。本格的にやってみませんか」と言ってくれた。その時は、ちょっぴりその気になったが、仙台に帰ってから一首も作っていない。詠む才能がないことは、自分がよく知っているからだ。読んで楽しんでいるのがいい。

(3)東北の作家たち
 先日、仙台在住の作家、佐伯一麦さんと飲んだ。お会いするのは数年ぶり。少し頬がふっくらし、口髭にだいぶ白いものが混じっていた。
 佐伯さんが10年ほど前、東京から仙台に拠点を移して活動を始めた時は、驚きの目で見られたものだ。当時はまだ、東京や大阪などに住んでこそ、全国に通用する小説を書けるという風潮があった。作家仲間と付き合いやすいし、出版社の編集者との打ち合わせや原稿の受け渡しも都合がいい。加えて、情報収集もしやすいからだ。当時のころを振り返ると、「果たして、東北の地方都市でうまくやっていけるのだろうか」と誰もが思ったものだ。
 ところが、その後の活躍ぶりを見れば分かるように、意欲が衰えるどころか、むしろより精力的に作品を発表し続けている。最近では、日本経済新聞の夕刊で「鉄塔家族」を連載したほか、野間文芸新人賞の選考委員も務めている。彼に対する評価は、年々高まっていると言ってよい。ファクスやインターネットといった情報の発達で、地方にいても何ら支障がないことを示したといえる。
 佐伯さんに倣って、というわけではないだろうが、最近は東北に根を下ろして活動する作家が増えている。その活躍ぶりは目覚ましい。直木賞作家の佐藤賢一さん(鶴岡市)、芥川賞の玄侑宗久さん(福島県三春町)、日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞に輝いた小山歩さん(気仙沼市)、江戸川乱歩賞の三浦明博さん(仙台市)。昨年、直木賞候補になった伊坂幸太郎さん(仙台市)と、枚挙にいとまがない。
 東北在住の作家はもちろん、昔からいた。だが、その多くは東北の歴史や風土をテーマにした作品が占めた。ところが、現代の作家たちは東北にこだわらない。三浦さんや伊坂さんは仙台を舞台にしたミステリーを書いているが、別の都市に置き換えても一向に差し支えない内容だ。純文学だけでなく、歴史小説、ミステリー、SF、ファンタジーなど、ジャンルも多彩である。
 佐藤賢一さんの場合は、東北とは全く関係のないヨーロッパの中世が舞台だ。小山さんが執筆したファンタジーは、古代の中国を思わせる架空の歴史小説である。佐藤さんはこんなことを言っている。「余計な情報が入らないので、仕事に打ち込める。必要な情報は、いま住んでいる鶴岡にいても取り寄せられる。鶴岡を離れることはないだろう」。佐伯さんも「東北を強く意識して執筆することはない」と言い切る。
 文学界はいま、急激に世代交代が進み、今年の芥川賞は19歳の綿矢りささんと、20歳の金原ひとみさんが受賞した。若い二人にばかり注目がいきがちだが、東北の作家たちも侮れない。そんな元気な作家たちを紹介するインタビューシリーズを文化面で始めた。「文を紡ぐ−東北の作家たち」のタイトルで毎週土曜日、11回連載の予定だ。もっと多くの作家たちを取り上げたかったが、あまり多くても間延びしてしまうので、「今が旬」の若手を中心に取材した。担当するN君、Sさんは作家たちの作品を片っ端から読み、山形へ福島へと飛び回っている。こんな取材ができるというのも、一昔前なら考えられなかったことだ。
 佐伯さんと飲んだ夜、今後も2、3カ月に一度ぐらいのペースで飲み会を開こうと約束した。三浦明博さんや熊谷達也さんなど在仙の作家も交え、交流を深めていきたい。当方もいろいろと刺激を受けたいと思う。

(4)誓いはどこへ
 先月のこの欄で、今年のモットーとして以下のような誓いを紹介した。
(1)あまり怒らない
(2)酒はほどほどに
(3)「カラマーゾフの兄弟」を詠む
(4)英語の勉強をする(TOEIC600点を目指す)
 今まで、毎年のモットーが守れたためしがなかったので、公にすれば達成できるのではないか、と考えたからだ。だが、やはり甘かった。今のところ、一つもクリアできていない。
 まず1番目。新年早々から、怒ってばかりいる。新聞に連日載る自衛隊のイラク派遣のニュースに始まり、東北大医学部の金銭授受問題、民主党の古賀潤一郎衆院議員の学歴詐称、昨年の衆院選宮城1、2区で発覚した労働組合の選挙違反事件、全国で相次いで起きている幼児虐待のニュース…。一体、日本はどうなってしまうんだろう。新聞やテレビを見るたびに怒り、嘆く毎日だ。
 私事においても、家人とは口喧嘩が絶えないし、会社でも「原稿が遅い」と思わず声を荒げてしまったこともある。先が思いやられる。
 2番目についても、正月から飲みすぎの傾向。1月4日に「佐藤の会」の新年会が松島であり、午前11時から延々午後8時まで飲み続けた。その後も学芸部の同僚たちとの飲み会や、作家の佐伯一麦さんとの飲み会で午前様が続いている。反省、反省。
 3番目の「カラマーゾフ」はまだ1ページも開いていない。4番目の英語の方も一向に進んでいない。あーあ、こんなはずでは。
 今年はまだ始まったばかり。あと11カ月もあるさ。なんて思っていると、ずるずるといってしまいそう。3、4番目はともかく、せめて「怒らない」「酒飲まない」の二つの目標は達成できるよう、心したいものだ。
 と、そう思いながら原稿を打っていたら、テレビからニュースが流れてきた。自衛隊の派遣承認案について、与党が単独で衆院本会議での採決に踏み切った。大阪府岸和田市では、中学3年生の息子が父親とその内縁の妻から虐待を受け、意識不明で入院したニュースの続報が。そして、沖縄では、男子高校生が通りすがりの女子高生の頭や胸を殴って逃げ、逮捕された。
 また、怒りがこみ上げてきた。


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