んだんだ劇場2004年4月号 vol.64
No21
さようなら、こんにちは

 「学も芸もない学芸部記者です」
 数年前に定年退職した学芸部の先輩が、口癖のようにこう話していたのを思い出す。
 「学芸」とは文字通り、学問と芸術の二つをミックスした言葉である。広く文学、芸術、科学などを指す。この意味からすれば、格調高い分野を取材するのが、学芸部の仕事のように思える。しかし、実際には「学問・芸術」ばかりを取材しているわけではない。新聞社が主催する催し物や芸能、観光、ファッションなども担当する。先輩が半ば自嘲気味に「学も芸もない学芸部記者」と言ったのもうなずける。
 全国の新聞社を見ると、「学芸部」がある所は意外に少ない。全国紙では朝日新聞、毎日新聞が学芸部を持つ。地方紙では岩手日報や新潟日報、茨城新聞、高知新聞、沖縄タイムスなどに学芸部があるが、数えるほどしか見当たらない。
 多くは「文化部」という名称が付いている。産経、読売、日経をはじめ、全国の主な地方新聞は文化部だ。共同や時事といった通信社も文化部である。
 このほか、神戸新聞や上毛新聞の「文化生活部」、山陽新聞や福島民報の「文化家庭部」、京都新聞の「文化科学部」、福井新聞の「生活文化情報部」なんていう部もある。
 名称は違っていても、仕事の中身にそう大きな違いはない。いわゆる「フィーチャー面」と呼ばれる紙面を作っているのが、学芸部や文化部である。新聞の紙面は大きく政治面や経済面、社会面などの「ニュース面」と、文化面、くらし面、芸能面などの「フィーチャー面」の二つに分けられる。
 「フィーチャー」を辞書で調べると「(1)新聞や雑誌などで、ニュース以外の特別記事(2)映画で、短編でなく一本立てで興行できる長さを持った作品。長編映画(3)軽音楽で、ある楽器の独奏をその曲の特色とすること(4)特徴付けること。呼び物とすること」とある(「日本国語大辞典」より)。また、英和辞典を開いたら「(1)顔のつくり、顔だち(2)特徴、特色(3)特別記事、呼び物、大作」(「ライトハウス英和辞典」)といった訳語が並んでいた。
 身贔屓になるかもしれないが、フーチャー面とは、単にニュース以外の記事を扱うという意味だけでなく、辞書にあるような「新聞の顔、新聞を特徴づける呼び物の記事を載せる面だ」と、自負している。
 学芸部の受け持つ範囲は広い。私が所属する新聞社の学芸部では、狭義の学芸(いわゆる学問・芸術分野)のほか、「くらし面」という欄も大きなウエートを占めている。よその新聞では「家庭面」「生活面」とも呼んでいる。科学面や医療のページ、さらに新聞で一番読まれているテレビ・ラジオ番組欄も学芸部の受け持ちだ。昨年4月の機構改革で、それまで連絡部という部が担当していた「読者のひろば」という投書欄も学芸部が作ることになった。
 現在の学芸部の持ち面をざっと見てみると、「文化面」「くらし面」を中心に、「読書」「健康・医療」「科学」「短歌・俳句」「芸能・娯楽」「レジャー」「読者のひろば(投書欄)」「中学生のページ(各中学校に学校新聞を作ってもらう欄)」「テレビ・ラジオ番組」といった具合だ。週に少なくとも70〜80ページはある。
 私が最初に学芸部に配属された19年前(1985年)当時は、学芸部の外勤記者は7人。デスクとテレビ・ラジオ番組担当者を入れても、せいぜい、12、3人というこぢんまりとした所帯だった。現在は外勤記者だけで12人いる。デスクやテレビ・ラジオ、投書欄担当を含めると、総勢25人。ほぼ2倍に膨れ上がった。
 学芸部という部門ができたのは、いつ頃だろう。実は、学芸部に所属して通算12年にもなるのに、調べたことがない。そこで、今までろくすっぽ見たこともない社史(「河北新報の百年」)をひもといてみた。といっても、887ページもある。ぱらぱらとめくって見た限りでは、残念ながら学芸部の創立年は分からなかった。
 ただし、創刊時には既に、文芸欄があった。河北新報の創刊は明治30(1897)年1月17日。創刊メンバーの中に「家庭文芸担当・佐藤紅緑」の名前が見える。紅緑は弘前出身の作家・俳人で、サトウ・ハチローや佐藤愛子の父親。正式に学芸部が発足した年次は定かでないが、その基礎は佐藤紅緑が作ったことは間違いない。
 「学芸部」という文字を社史の中から拾うと、一番古いのは大正14(1925)年。後に社長になる一力五郎が、4月1日の人事で「編集局総務兼学芸部担当となる」と書いてある。さらに、昭和4(1929)年5月から「学芸欄」「スポーツ欄」が登場したことが、社史の年表に記載されていた。これで見る限り、少なくとも大正時代の末期、80年ほど前には、学芸部という部署が存在していたことになる。
 ここまで、長々と学芸部の歴史を述べてきたのには訳がある。実は、今年3月いっぱいで、この歴史ある学芸部が消滅したからだ。
 こう書くと大げさだが、機構改革で4月から学芸部が「生活文化部」へと名称変更されたのである。担当そのものは、今までの学芸部と変わりはない。先に述べたように、現在の学芸部の守備範囲はかなり広くなっている。くらし面もあれば、娯楽やレジャー、投書の欄もある。いくら広い意味で考えても「学芸」の範疇には収まらなくなった。そこで、名称を「生活文化」にしたのである。
 もちろん、長年親しんできた「学芸」が消えることに、抵抗がないわけではない。現在、地方総局のデスクをしている前学芸部のS君は今年の年賀状に、こう書き添えてきた。「学芸部という名前に誇りを持っていたので、とても残念です。これからどうなるのでしょう」。私自身は、別に誇りは感じていないものの、やはり長年なじんできた名称だけに、寂しくないと言えば嘘になる。
 私事を言えば、新聞社に入ってから今年で25年。現在48歳であるから、人生の半分以上を新聞社で過ごしてきた。学芸部に在職したのは、そのうち半分近くの12年を数える。1985年から4年間と、93年から5年間は、外勤記者として美術や科学、文芸、医療などを担当した。さらに2001年から3年間、主に文化と読書などのデスクの仕事をした。
 その学芸部がなくなるとともに、私も3月いっぱいで、この思い出深い部署を離れた。4月1日付の人事異動で配属されたのは、新設された「スポーツ部」。今までスポーツの取材はあまり経験がないだけに、ちょっぴり不安、でも楽しみでもある。今年はオリンピックがあるし、J2に落ちたサッカーのベガルタ仙台の動向も気になる。妻に「今度はスポーツだよ」と告げたら、こう言われた。
 「さようなら学芸会、こんにちは運動会」


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次