んだんだ劇場2004年7月号 vol.67
No16
娘の1歳の誕生日

ある木曜日
 朝6時半:夫の目覚ましが鳴る。夫は起きる時と起きない時があるようだが、今日は起きたようだ。7時半まで草むしりをしている。私は娘が寝ぼけて泣くのでおっぱいを飲ませてまた寝る。まだ涼しい。
 7時半:夫が8時までに仕事に行かないといけないので、さすがに私も起きて朝ご飯の準備をする。コーヒーのお湯がわいたところで娘が起きる。私の足にしがみついているので食器棚の扉をあけてやると喜んでいたずらを始める。そのすきに仕事。コーヒーと牛乳、パンとョーグルトとバナナ、パパイヤをひととおりテーブルに並べたら大急ぎで洗濯機をセット。夫は一人で勝手に食べてもらう。
 8時:夫が出社。今日は娘が一人でパンを食べているので、そのすきに私は久しぶりに熱いコーヒーを飲む。娘が絵本で遊んでいる聞に食器を況う。洗っていると娘がやってきてシンクの下で鍋をいたずら。ボールと泡だて器を貸している間に大急ぎで洗う。ふう。額に汗がじわーっとにじむ。遠くで鳥の声が涼しそうに聞こえるけどじりじり太陽が熱くなっている。
 9時:娘をひざに乗せて抱っこしながら歯磨き。娘にも磨かせる。幼児番組が始まるのでテレビを見せる。一緒に歌ったり踊ったりしながら部屋を掃き掃除する。
 10時:外で洗濯物を干す。娘に「お花きれいだね一。」と言うと鼻を触りながら花をなでている。本当に花がわかっているのか? 娘からはちょっとすっぱい匂いがし、私は体がしっとりするくらい汗をかいたので娘と二人でシヤワーを浴びる。
 10時半:眠くなってグズグズする娘をおんぶして寝せる。BGMはがんがんのロック。娘は眠る時はなぜか静かな曲だと寝てくれない。寝てくれたのはいいが、せっかくシャワーを浴びたのにもう汗をかいている。水をタンクに上げるポンプのスイッチを入れる。すごい音がするが娘は起きない。大物だ。
 11時:お昼ご飯を作る。今日はフェジョン(豆と干し肉の煮物)、焼きナス、トマトのチーズ焼き。石や虫食いの豆を除いて水につけておいた豆を圧カ釜で15分くらい煮る。その間にシヤルキという千し肉を切って茄でこぼす。塩ぬきと消毒だ。トマト、玉ねぎを少し妙めてから豆とシヤルキ、水を入れてやっばり圧力釜で煮る。
 12時:夫が帰ってくるギリギリまで煮こむ。これだとご飯がたくさん食べられる。汗はかかないが暑くてのどが乾いたので椰子の実ジュースを飲む。控えめな甘さでのどの乾きがすぐ癒える。
 12時半:夫が帰ってくる。少し前から起きて遊んでいた娘が一体いつから会っていないんだというくらいの感動的な調子で「パパ、パーパ」と夫の方に歩いていく。5分後、私のほうに帰ってきて「マンマ。」娘に食べさせたり自分で食べたり、どこに何を食べたかわからない。が、とりあえずお腹はいっぱいになった。今日は1時にお手伝いさんが来る。食器を洗ってもらう。彼女が来ない日は夫がいるうちに食器を洗う。やる気がまだある時はガス台も洗う。
 1時半:夫が再び出社。これからが私の休憩時間だ。ハンモックで娘におっぱいを飲ませながら本を読んだりウトウトしたりする。運がいい日はこの時に娘が寝てくれるが今日は寝ない。私のシヤツをめくっておへそに指を突っ込んで遊んでいる。やめてくれ一。
 2時半:もっとダラダラしていたい・・・と思いながら起きて日本語学校の授業の準備。めんどうくさい・・・と思っていたが一度やり出すとのってきていろいろアイディアが出てくる。アイディア倒れのこともたくさんあるが。育児日記をつけたり、この原稿を書いたり1週間のうちでこういうことがゆっくりできるのは今日、この時間だけなのだ。
 6時半:5時にお手伝いさんが帰った後、娘とほとんど荒れ野になっている畑を見る。ちっとも手入れができないがとうもろこしはすくすく大きくなっている。タ方は虫が多いので外に出たくないが娘は敷石の上を歩いたり外から絹戸越しに部屋をのぞいたり楽しそうだ。裏の牧場で馬を見ていたら夫が帰ってきた。おやつを食べる。誕生日の残りのフラン。その後、夫と娘が一緒にシャワーに入る。
 7時半:あんなにおやつを食べたのに晩御飯。昼のものを温めなおす。今度は娘は一人で遊んでいるのでそのすきに食べる。が、すぐに「ダッダー。(抱っこして)」と寄ってくるのでやっぱりどこに何を食べたのかわからない。お腹だけがいっぱいになる。夜の後片付けは夫がしてくれるので娘と遊ぶ。テレビを見る。雨が降っているので涼しいが小さなむしがたくさん入ってくるのでドアを閉める。
 10時:娘はまだ寝ない。一緒にベッドに寝ておっぱいをあげながら本を読む。窓が開いていて少し肌寒いので半分だけ閉めて娘にはタオルをかける。どうせ転がっていってタオルはどこかに行ってしまうけれど。一緒に横になっていると私も寝てしまう。
 10時半:ゲームをしていた夫が歯ブラシを持ってきてくれる。戸締りをして歯磨きをする。12時ごろまで本を読み、寝る。

パーテイー料理
 娘の誕生パーティーの献立。お刺身、握りずし、巻きずし、ピザ、ラザニア、ビーフストロガノフ、シュハスコ、煮物、赤飯、潰物、パルミット(椰子の木の芯。ホワイトアスパラのような食感)のサラダ。デザートはパイナップルムース、フランボワーズムース、アセロラの寒天、パッションフルーツのムース、ジユレイア・ジベルチーダ(練乳のゼリーの中に色々な色のゼリ一を刻んだものが入っている)。ピンク色のクリームと花のグミで飾られたケーキの周りにはブリガデイロ、シュークリーム、クッキー、ケイジョジーニヤ、エンパジーニヤを置く。こう書くと簡単だがここまで来るには涙なくして語れない。お菓子を作るのは好きだが夫にいつも「味はいいけど形がね。と言われるようなものしか作れない私が人に出せるようなものを作れるのか。
 パーティーの1週間前から少しづつケーキの周りのお菓子を作る。最初に始めたブリガデイロでまず、つまづく。誰かの誕生日パーティーで見た野菜や果物の形をしたのがかわいかったのでそれを真似て作ろうと思った。
 食用色素を買ってきて張り切って始めたのだが、思うように色がつかない。柔らかくて形が思うように作れない。さらに固まる前に形を作ろうとあせっているのでまだ熱いのを丸めようとして手のひらにやけどをする。泣きたくなったが仕事から帰ってきた夫に作り方をはなすと「それでいいと思うよ。」と言う返事。母は呆れ顔で「そんなんでこの他のもの、大丈夫なの?」と言う。横で私の手つきに文句ばっかりつけているので手伝ってくれるのかと思うと「私は作れないもん。」と開き直る。いつもおしゃベりな私が思わず無口になってしまう。お義母さんに聞けばいいのだが何となく聞けなくて自分なりに改良する。後日、お料理上手のSさんに聞くとただゆっくり炊けばいいのだ言う、たぶん鍋が小さくて温度が上がりすぎたのだろう。何とかココア味のオーソドックスなものと赤と緑はきれいに色がついたのでビスケットでつるをつけてリンゴの形にした。
 ぶどうのまわりにブリガデイロをつけたウビーニヤもよれよれで作る。夫のお姉さんが作ってくれた練乳に砂糖と粉ミルクを入れて炊き、砂糖と刻んだココナツをまわりにつけたのもおいしかった。シュークリームとクッキー、置く予定だったクリームサンドケーキのケーキは普段から作っているので失敗もない。スフォンケーキなのだがうまくふくらんだ。サンドするクリームをチーズクリームにしたらすごくおいしかったのだが水気が多くてサンドにできず、泣く泣く自分たちのおやつにした。お義母さんが作ってくれたクッキーはモンテ・ロベスと言って5cmくらいの細長いクッキーの半分に濃い目にといたココアを付け砂糖をまぶしたもの)だ。同じくお義母さん作のケイジョジーニヤは小さなチーズタルト、エンパジーニヤはタルトの中にえびと香草をいためたものをつめたもの。
 普通の献立の方も給食並みにたくさん作らなければならない。まず大きい鍋でミントソースを作る。ミキサーでトマトジュースを作る。なぜかブラジルのトマトは煮ることが多いが煮崩れない。玉ねぎとにんにくを妙め、そこにひき肉を入れる。肉の色が変わったらトマトジュースと濃縮トマトピューレ、ピンガ(さとうきびの焼酎)、ローリエの葉、岩塩、こしょう、クミンを入れて煮る。3分の2くらいの量になったらできあがり。これはラザニアのソース。ストロガノフはトマトと玉ねぎとにんにくまで同じで煮た後に生クリームを入れる。
 肉は当日シュハスコ用のを少し分けてもらうのでルーだけ前日に作った。ピザも台だけ焼いて具は当日あまりものをのせて焼いた。これだけ色々作ったのに何だかトマトと玉ねぎとにんにくをたくさん刻んだ覚えしかない。この料理のあい間に飾り付けや飲み物やテーブルの手配と次々やることが出てくる。飾りはちようどカーニバルの時期だったのでキラキラした細長いテープを何本も糸に通し天井にかけた。娘は引っ張りたがったので2,3本あげた。これには大喜びだった。
 今回の誕生日で娘は私に構ってもらえないストレスで腕に赤いブツブツができてしまった。その代わりと言っては何だが私はブリガデイロの作り方とおいしいミートソースの作り方を覚えた。でも、もし二人目ができてもう一度1歳の誕生日パーティーをするかと聞かれたら・・・。知り合いのHさんには娘さんが4人いるが一番上しか誕生日パーティーをしなかったという訳がわかった気がする。

アマゾン式女らしく
 高校生の時、仲がよかった友達はとっても女の子らしかった。長い髪にレースのリボンがよく似合っていた。そんなところを羨ましいような、恥ずかしいような気分で見ていた気がする。
 夫が長野に留学している時、インドからの留学生が夫に言ったそうだ。「日本の女の子はスカートもはかないし、化粧もしないのか。男の子みたいだ。」夫も同感だったそうだ。セクハラと言うなかれ。たぶん農学部の女の子達はナチュラル派が多いのだろう。すっぴん、ジーンズのボーイヅシュな女子大生が目に浮かぶ。インドはどうだかわからないが、このへんに限って言えば「女は女らしく」が普通なのだ。小さい頃からとってもそういう意識が強いと思う。7歳の子供でさえ、私が髪を切った時「女の人は髪が長い方がきれいだよ」とアドバイスしてくれる。もっと辛口な子もいた。「せんせい、ブスになった。」「でも暑いじやない、ショートもいいのよ」と周りを見れば確かに若い子は金髪も黒髪もみんなロングヘアだ。服だって確かにジーパンははいているが上は体にピッタリしたフェミニンなデザインだ。10歳前後の女の子だって、指輪やら腕輪やらピアスやら、アクセサリーというアクセサリーで武装してくる。もちろん私へのファッションチェックも厳しい。
 「そのピアスどこで買つたの?」「その服、先週も着てなかった?」まったく気が抜けない。そのせいか、日本にいる頃はオシャレな叔母達に会うたびに「服買ってあげようか?と言われるような格好をしていた私でも、ブラジルでは友達に「やればできるじゃん。」と言われるような格好をするようになった。ブラジルの女性はスタイルがいい人が多い。メスチサ(混血)が多いからだろうか。白い人よりもちよっと黒い人の方がきゆっと上がったオシリで、女の私だって触ってみたくなるほど素敵な体だ。こういう様子をボルトガル語で”goosaL〈おいしそう)”と言うのだがびったりな表現だなあと思う。そのおいしそうなブラジルの女性は日本から来た男性が「ブラジル人の女の子の格好って、目のやり場に困っちゃうけど一嬉しい。」と言うような格好をする。素敵なものは見せるのだ。人がどう思っても自分がいいと思っていればそれでいいのだ。太っていようが何だろうが、見せる。ボンレスハムみたいなおばさんでもフイオデンタウ(デンタルフロス)というお尻丸見えの水着を着ているだから私も日本では母に「その格好で出て行くなら上に一枚何か着て行きなさい。」と言われた露出度の高いワンビースをここではそのまま着ている。姿勢が悪いとせっかくの服が台無しだ。猫背だったのに姿勢が良くなった。体に緊張感を与えるのだ。女性がこうやってきれいに見えるように努力したら、男性はとにかく誉める。
 私は誉められるのに慣れていないと言うか、照れくさくてブラジル人のおじさんに今日はキレイだよ、と言われると「今日は、って今日だけ?」とか「何か欲しいものあるの?」とか言っていた。友人のCは敬虔なクリスチヤンなので肌の露出は避けているようだ。私の格好を見て「2世の私よりブラジル人だね一。」と言って笑っている。それはそれでよし。要は自信なのだ。日本では恥ずかしいことだと思っていた「女は女らしく」も悪くないじゃん、と考えを改めた。下品になるかならないかはその人のセンスだし、そういうのがイヤな人は別の面でアピールしたらいいのだ。各人がやりたいように女らしいのが「アマゾン式女らしく」なのだ。

2月×日
母がブラジルに来て2週間目。日本では真冬だから、海に行こうと言うことになった。ガイドブックを引っ張り出し、ベレンから車で4時間のところにあるアタライアという海岸へ行くことにした。私は前に行ったことがあるのだが、その時は大きなリゾートホテルを横目に海辺の小屋みたいなところに泊まった。
今回は母というスポンサーもいることだし、リゾートホテルのほうに泊まってみようということになった。あまり高かったら少し出そうと思っていたが、一泊一部屋が日本円で6OO0円くらいだったのでおまかせした。このホテルはプールもあるし、美容院もスポーツジムもある高級ホテルなのだが、入り口でボロボロの服を着た肌の浅黒い男の子が新聞を売っていた。なんだか両極端な世界を一緒に見ているようで複雑な気分になる。ついたのが少し遅かったので海にはいらず海辺を散歩した。娘は初めての海にもかかわらず、波も怖がらず砂の上をべ夕べ夕歩いてご機嫌。寒くなってきたので、大人たちはホナルのレストランでカクテルを飲み、トメアスでは食べられそうにないシーフードを食ベる。娘はドライブと海ではしゃぎ疲れでぐっすり寝てくれた。

2月x日
せっかく海に来ているのに、雨季なので雨がじゃんじゃん降っっている。バスタオルにくるまってカ二を食べる。ここらへんのカニは泥ガニで身はハサミくらいしか食べるところがないが、ミソが多くおいしい。その後、ホテルのサウナで温まるつもりでプールに入ったら娘はなぜか大泣き。「母にもういいかげんにしなさい!」と怒られて帰り支度をした。海に入って遊べなかったのは残念だったが、楽しかった。

2月X日
ブラジルでは子供の1歳の誕生日を盛大に祝う。娘の誕生日にむけていろいろ準備をしている。日本語学枚も始まったので、忙しくて大変だ。母が娘の相手をしてくれるがやっぱり私じゃないとダメな時がある。でもそんな娘をほったらかし、お菓子を作る。母は娘に「ママ、遊んでくれないね、可哀想にね一。誰の子どもなんだか。」なんて言っている。あ一、大変だ。
ちょっと疲れたのでマッサージを頼む。ブラジル人の女の入が家に来てやってくれる。マッサージとエステの中間のような感じ。このマッサージはお客さんが男性だとただのマッサージなのだが女性だとローションを使ってマッサージしてくれる。笑っちゃうのがローションは持参してくるのではなく我が家こあるものを使うことだ。でも気持ちがいい。母もしてもらってふやけていた。

2月x日
常夏のトメアスーでも、こう雨が降っては娘のおむつも乾かない。いつもどんより曇っている上に湿気が多いので厚手のものは2、3日乾しっぱなし。あまり雨が強いとおまけに時々停電する。部屋のあちこちにろうそくを置く。ろうそくのまぁるい光でロマンチックな部屋に見えるが、ちょろちょろ歩く娘がいるとそんな悠長なことは言っていられない。いくら「アチチだよ」と教えても自分で「アチチー。」とか言いながらろうそくに触って確かめようとする。火をつかまえようとしているのだ。仕方がないので、火の近くに娘の手を持っていって「ホントに熱いでしょ。」というとその間は神妙な顔をしてわかったような顔をするのだがまた5分もするとアチチを確かめに行く。停電だとテレビも見られないし、本も読めないので何もすることがないので娘のアチチに大人3人でいつまでも付きあっていた。娘の気をそらせるために一緒に外を見ていると蛍が飛んでいる。外に出て見てみると隣の空き地にふわふわ緑色の光がたくさん飛んでいた。

2月x日
本当の誕生日は来週だが、今日は娘の1歳の誕生パーティーだ。私も今日まで娘を泣かしながら、料理を作ったのだが大したことはなくて、お義母さんがいなかったら惨槍たるものだっただろう。心配した雨にも祟られず、我が家らしいささやかな誕生パーティーになった。かんじんの娘まで人見知りをして私にべったりで誰にも抱っこしない。箱にいっぱいのプレゼントをもらったのだが、それを私たちが開ける頃には疲れてぐっすりだった。私と夫は自分がもらったもののように娘の服やおもちゃに大喜びした。
 1年前はただ泣いておっばいを飲んでいるだけだったのに、今では自由に歩けるし、ママだのパパだのトットだのとおしやべりする。人間ておもしろいなあ。

2月x日
宴の後に出るのはため息とゴミばかり・・・で片付けが終わったと思ったら母が日本へ帰る日がやってきた。今回はさすがに涙涙にはならなかったが、やっぱり見送ったら寂しくなってしまった。私がもう慣れてしまっていたことも母にしてみれぱ驚きだったことがたくさんあって、それを聞いていたらいろいろ考えることが出てきた。例えば学校のシステムのこととか、強烈な匂いとか、ブラジル人たちが日本人を見る目とか、貧富の差というものだ。今が私のブラジル生活の倦怠期なのかもしれない。

2月x日
お腹が痛い。熱も少しある。食べ物が食べられない。病院嫌いの私もさすがに病院に行く気になった。座っていられなかったので、休憩室で休ませてもらっていたら、そのまま入院になってしまった。食あたりのようだ。ひどい。点滴をしてもらっていたのだが、そこへ注射も加わる。これがまた痛い。しかもゆっくりなので持続的に痛い。手がしびれる。ブラジルの点滴は腕でなく手の甲に針を入れる。2回目の注射で手の甲にしこりができてしまったので、点滴の針を腕にしてもらう。少しはましになったがやっぱり痛い。今度は腕が青く腫れた。看護婦さんが「腫れているから飲み薬にしようね。」と言って甘いシロップを持ってきた。それなら最初から飲むほうにしてくれ一。夫の幼馴染の看護婦さんが来て「お母さんは?」と聞くのでもう帰ったと言うと「だからガッカリして病気に負けたんだよ一。」と笑っていた。
結局週末3日間は入院生活。娘も時々病院に来た。1日目の夜は夫が連れて帰っためだが、その夜は泣いて寝なかったそうだ。2日目の朝に二人とも腫れぼったい目をして病院に来た。まだ点滴をしている私に娘を置いて夫は仕事に行ってしまった。オイオイ、と思ったが娘はすぐ私にくっついて寝てしまった。起きてからも一人でおもちゃで遊んでいた。2目目の夜は夫も娘も病室にいたので一家で病院に引っ越してきたとお医者さんに笑われた。

3月x日
入院以来、私にべったりになってしまった娘。そんな娘でも外に行くと私から離れてあっちこっち歩いて遊んでいる。私が洗濯物を干すあいだ、砂遊びの道具でごりごりと地面を掘って遊んでいるのだが、今日はアリの巣を掘ったらしくアリにかまれて泣いていた。そんなわけで今日はますます私にびた一っとくっついている。1歳を過ぎて急に甘えっ子になってきた気がする。
かと思うと夕方、私の教え子たちが遊びに来ると最初は私に隠れて恥ずかしそうにしでいるが、そのうち「アイ」と言ってせんたくばさみをあげたりしている。ものをあげるのは彼女なりの好意の示し方らしい。動物みたいだが慣れていない人からは食べ物を食べなかったのに教え子の一人が「おやつあげてもいい?」と言ってお菓子をあげたら食べていた。人見知りももう終わりかな。

3月x日
割としょっちゅう夫に腰や肩をもんでもらっていたので、夫が「整体予約してきたよ。と言った。月に1度の割合でカスタニヤール(ベレンから車で1時聞半くらいこちら側の町)から整体の先生が来ているそうだ。1世の男性で日本で勉強して開業していたそうだ。日本語学校の校長先生とは昔将棋をした仲だそうでよろしくと言われてしまった。違う町に住んでいてもここらへんの日系人はみんなつながっている。部屋に入るなり「右側が下がってるよ。」と言われる。いつも娘を抱く方の足が反対側よりも4cmも短くなっていたそうだ。もんでもらって体操をするとゴキゴキっという感じだった体がしんなりとしてきた。びっくりした。
夕方、買い物に行ったのだがすごい雨が降って車の中で少し雨宿り。夫と娘の将来について語る。このままでいいのか。何かを変えるなら今が最後のチヤンスではないか。色々なしがらみと可能性と自分たちの経済状態、考えることが多くて二人でぐるぐるになってしまう。雨が上がった時の結論は「まだ時間はある。もう少し考えよう。」

3月x日
3日前からあった娘の熱がやっと下がった。熱は38度前後で元気もあるし、ごはんも食べるので明日下がらなかったら病院に行こうと思いつつ3日たってしまった。下がったと同時に体中にポツポツが出で、どうやら突発性発疹だったらしい。熱が下がったら今まで食べていた離乳食を食べなくなって、ほとんどおっぱいだけで過ごすようになってしまった。私の入院、この病気と続いてせっかく1日2回くらいに減っていたおっぱいがまた元に戻ってしまった。あ一、卒乳への道が遠くなってしまった・・・。

3月x日
夫の職場、文化協会の総会が近づいている。夫はその準備に忙しく帰りも毎日遅い。(といっても日本の会社みたいに10時、11時ということはないけれども)時々は家に資料を持ってきて「これ、日本語に訳すのに手伝って。」と言ったりする。今日は土曜日だと言うのに前の事務局長Tさんのところに行ってまだ帰ってこない。夜8時だ。停電した。どうやらここだけで他は明るい。電気がないと本が読めない。テレビも見られない。扇風機も使えない。しかも娘は眠くてグズグズしている。仕方がないので娘をおんぶして外へ行く。「パパ、帰って来ないねえ一。」と言いながらあっちへ行ったりこっちへ行ったり。でも真っ暗なのでちよっと怖い。やっぱり娘は寝ないので家に入る。ろうそくをつけてイスに座ると娘がテーブルの上のマョネーズのびんで遊んでいる。「あっ、ダメダメ」と言うのと同時にガシャーン。もう怒る気にもなれない。びんのかけらを拾いながらなんて最悪の土曜目なんだ一と思っていると破片で指を切ってしまった。帰ってきた夫にやつあたり。

3月x日
最悪の土曜日の翌日、夫はまたもTさんのところへ。Tさんのお家には娘よりも半年先に生まれたNちゃんというお孫さんがいる。「仕事の邪魔しないから連れていって」と言って一緒にTさんのお家へ行く。玄関に娘の大好きなトット、オウムがいる。Tさんの息子さんの名前を呼びつづけるオウムにみんなで大笑い。Tさんが「俺がいつも呼ぶから覚えてしまったんだなあ。」と言う。しばらくしてお昼寝していたNちゃんが起きてきた。娘は興味津々で彼女に近寄っていく。Nちゃんはちょっとおびえている感じ。同じくらいの年の子と遊ぶ機会があまりないのでどうなるかと思ったが、娘はいつもおもちゃにする「バーン(叩いたり投げたり)」もしなかったしNちゃんもおもちゃを娘に貸してくれた。(午前中別の友達が彼女のおもちゃで遊んだら怒って泣いたそうだ)娘はいつもは2枚くらいしか食べないビスケットを、この日は何枚も食べてNちゃんのママに「まなみちゃんはたくさん食べていいねー。」と言われた。半年も遅く生まれたくせに娘はNちゃんよりもおデブで背も同じ位なのだった。


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