んだんだ劇場2004年8月号 vol.68
No17
遅くなったけど4月と5月の日記

4月x日
この間病気したばかりなのに今度は胃が痛い。常に空腹で食べるとチクチク胃が痛み出す。一日中ムカムカしているのでまたもや重い腰を上げ病院へ。症状を訴えるとお医者さんは「胃潰瘍だと思うよ。」と言う。さらに「明日胃カメラをしましょう。」人の話や本から得た知識だと胃カメラと言うのはとても苦しいもので日本語学校のT先生なんか20数年前は手を縛り付けられてしたと言う話だった。ちょっと上目遣いになってお医者さんを見たら「大丈夫、麻酔をするから。」その麻酔も初体験なのだった。

4月x日
初胃カメラ&麻酔の日。朝7時半に病院に行き、のどにスプレーをしてもらって注射をして…注射が終わるのを待たずにぐっすり眠ってしまった。あまりにもぐっすり寝てしまって昼過ぎまで病室で寝ていたら看護婦さんに「まだ寝てるの?!」とびっくりされてしまった。こんな時でなければぐっすり寝られない。丈夫な私はその後日本語学校で授業をした。夕方夫のところに行くと「さっき病院から電話があって、僕と一緒に病院に来てくれって。」何で夫と一緒なんだ?もしかしてすごく悪い病気なのかもしれない。まだ娘も小さいのに、と色々な事が頭をぐるぐる回る。夫も少しおびえている。
二人でしょんぼりしながら病院に行くとお医者さんが(ポルトガル語で)「胃潰瘍にはなってないけどすごくひどい胃炎ですね。普通は一部が赤くなっているものだけど、あなたのは全部が炎症を起こしています。薬を一ヶ月飲んでそれからまた胃カメラしてみましょう。」え?それだけ?夫も拍子抜けした顔で「…あの先生、僕が行かないとポルトガル語わからないと思ったんじゃない?」と言う。そう言えば、このお医者さんは私が妊娠している時も超音波で娘を見た時ポルトガル語で「あ、女の子だ。」と言った。性別は生まれるまで聞かないつもりだったのだがあれも私が全然ポルトガル語わからないと思っていたんだろうなあ。

4月x日
お手伝いさんが「日本のことでちょっと聞きたい事があるんだけど。」なんだ、なんだと思っていると「日本の犬もブラジルと同じ?」と言う。意味がわからなくて?という顔をしていると「日本の犬もブラジルの犬と同じような顔をしている?日本の犬は目がつりあがってたりしない?」わっはっはっは!犬は犬だよ!と大笑いしたが、私の日本の友達だってブラジルの川はどこでもアマゾン川でピラニアがいてインディオがいると思っているんだからあまり笑えないなーと思った。

4月x日
サンタイザベルで日本語の勉強会があった。何と初めて娘と一日離れ離れ!朝6時半のバスで出発、午後3時に向こうを出てトメアスーには7時過ぎくらいに帰ってきた。サンタイザベルのエスコーラ日系という学校で勉強会をした。日本語教師というのは割合孤独な仕事で、自分の授業のやり方がいいのか悪いのか客観的に見るのが難しい。他の先生がどんなやり方をしているのか見る機会もなかなかない。当たり前だが教室には「日本語教師」は一人しかいないからだ。だからこういう勉強会をすると授業のマンネリも防げるし、忘れていた基本事項なんかも思い出したりする。時々はこういう外の先生との交流も必要なのだ。
娘が泣いているだろうなあと思ってはやる気持ちで家に帰ると、ニコニコしながら「だっだー(抱っこ)」と私の方に来た。夫の話だと別にぐずりもせず大人しくしていたらしい。いいけど、何だか寂しい…。一日飲ませなかったのでパンパンになって、しかも左右の大きさが違ってしまったおっぱいを飲ませながら娘に「あまり早く赤ちゃんやめなくてもいいんだよ…。」と言ってしまった。

4月x日
珍しく娘がご飯のお代わりを要求した。いつも食べるだけ食べて満腹になるとぺっ!と出すのだが今日は「まんま!まんま!」と言って私たちの分まで取ろうとする。娘が私たちの分まで食べたいそれとは…オクラなのだ。嫌いなものに混ぜても食べると言う魔法の食べ物、オクラ。
最近、娘に絵本を1日10回くらい読まされている。そのつど本気で読まないと娘が怒るのでつかれる。娘が生まれた時に友達にもらった「はらぺこあおむし」と犬が出てくるしかけ絵本「いたずらパセリ」それとディックブルーナのあいうえお絵本がお気に入りだ。D.ブルーナの本は「とけい」のページでは部屋の時計を指差し、「けーき」のところではろうそくを消そうとする。この本で覚えたイルカが大好きでテレビにイルカが出てきた時は、終わると「もっと見せろ!」とテレビを叩いて怒っていた。

4月x日
ブルータスよ、お前もか!という感じなのだが夫の姉夫婦が日本に出稼ぎに行く事になったので壮行会というかしばしのお別れ会をする。ベレンのお姉さん夫婦の家へ行く。明日飛行機に乗る予定と言っていたがまだ日本のどこに行くかも決まっていないし、もっと驚くことに飛行機の時間もわからない、と言う。出稼ぎは旅行会社に航空券から就職先までを斡旋してもらう。日本行きの飛行機なんて一日に一便しかないのだが、サンパウロから先が問題なのだ。ブラジル人はアメリカ経由だと例え乗換えだけでもビザが必要でそのビザを取るためにブラジリアのアメリカ領事館まで行かなければならない。その手間と費用を考えると多少割高でもヨーロッパ周りで行った方がいい。(余談だがブラジルに来るアメリカ人も空港で写真を取られたり、他国から来る人よりも面倒くさい手続きがいるらしい。)地球の裏側に一家で引っ越すと言うのにスーツケースに荷物を詰めて旅行会社がこの日、と言った日に移動なんて何だかブラジルらしいなーと思った。
お別れ会はみんなで飲んだり食べたりしたのだが、親戚やら友達やらで子供も大人もうじゃうじゃと言う感じでいた。30人くらいにも感じたし50人以上いたような気もする。色々な人が出たり入ったり子供があっちこっちで走りまわっていたせいかもしれない。誰も子供の面倒を見ていなくて、でも勝手に子供たちがぎゃーぎゃー遊んだり泣いたりしていた。娘もそこに入るかなーと思ってみていたが、時々8歳くらいの男の子にナデナデされるくらいで、やっぱり怖いのか私にくっついて猫と遊んでいた。…ちょっと過保護かなあ。

4月x日
ベレンから帰ってくる車の中で娘に赤い発疹が出ていたので「あーまた疲れて腕に発疹が出てる。薬を塗ってあげよう。」と思っていたのだが熱が出ている。本を見てみるとどうやら風疹のようだ。幸い元気はあるのだがこういううつる病気は診断をつけてもらわないといけない。なので病院に行った。せきやくしゃみでうつると本に書いてあったのでできるだけ人から離れて待つ。妊婦さんがいたら大変だ。お医者さんに見てもらうとやっぱり「これは風疹だね。」と言われる。念のため血液検査をする。お医者さんが娘の腕をつかもうとすると娘は「触んないでよう!」とお医者さんの手をぐいっと押しのけていた。お医者さんも面白がって何度も娘の腕をつかもうとしてた。
血液検査はとても大変だった。暴れる娘を2人がかりで押さえ血を採取。しかも娘のぷくぷくさが災いして針を刺してから血管を探される有様で「あー、そんなに刺してこの子の腕がしぼんだらどうするんだー!」と本気で思ってしまった。検査される方もする方もぐったり、汗びっしょりだった。なのに血を取った後、検査技師が「これで検査できるかなあ…。少なすぎないかな…。」と言った時にはこんなに大変だったんだから意地でもしてもらうよ!と思った。精神的にも肉体的にも大仕事だったのでついでに血液型も調べてもらった。検査結果はO型で(私と同じ!)病気はやっぱり風疹だった。結果が出てよかった。

5月x日
この町の中だけ限定で車を運転している。免許は持っているのだが日本ののみ、しかもペーパードライバーだった。ここは広いし、信号もないし私のようなへたくそドライバーにとって練習するのに最適だ。ゆっくり走ればいいのだから。最初のうちはいくら信号がないといっても大通りは通れず、舗装のされていない裏道だけを通っていた。今では夕方の混んでいる時間でも大通りを運転できるようになったし、駐車場に車を入れ、その後道路に出て行けるようになった。・・・とこの程度の事を進歩としてここに書くくらいだから私の運転技術のほどが知れると思う。
そんな私が今日はブレウ(私たちが住んでいる十字路から車で15分程度のところ)のIさんのお家に車で行ってみようという気になった。町の中限定ということは舗装されている大通りまで、ということで初めて舗装の外に出るのだ。娘をベビーシートにしっかり座らせいざ出発!娘も私の緊張を察してか、おとなしく座っている。スピードをあまり出さないように、道路のでこぼこをよけながら走る。対向車はなかったのだが、後ろに車が続いたので路肩に寄って先に行ってもらう。慣れてくると爽快にドライブができた。思ったより楽しめたが、この15分の長かったこと!Iさんの家に着くと「どうやって赤ちゃん連れて来たの?」と言われる。ベビーシートにちょこんと座っている娘を見せると納得してくれた。都会ではないとつかまるが、ここらへんではベビーシートはまだ珍しいのだ。持ってきた物を渡し、お花を見せてもらい、娘と遊んでもらって30分くらいで帰ってくる。帰りは行きよりも2倍くらい楽だった。

5月x日
第二日曜日は母の日だ。この日は婦人会が中心になって親子会というイベントがある。ここで日本語学校の子供たちはお遊戯をすることになっていた。なので朝から私は大忙しだった。急いでシャワーを浴びて着替えて文協へ行かなければ。とシャワーを浴びて出てくるとベッドの上には娘とカフェダマニャーン(朝ご飯)のカゴが!このカゴにはコーヒーやジュースなど飲み物が3種類、色々なパン、クッキー、ケーキ、果物…。前から行き付けのパンやで見かけて夫に「あれおいしのかなー。高いのかなー。」と言っていたのだが、彼はそれを覚えていて買ってくれたのだった。うーむ、私も母になったんだなー。
さて、今年の親子会では劇をしようかなと思っていたのだが、今年は小さい子が多く無理で歌を歌う事にした。これもいつもはうるさいくらいなのにいざ舞台に上がるとみんな借りてきた猫状態。(一人二人変わらないのがいるけど…)声は小さいけどお遊戯だけしているので、まあ何とか見られる舞台だった。もう一組はもう少し大きい子でマスゲームをした。何しろマスゲームをやったことがなければ見た事もない子達にさせるのは大仕事だった。デジカメのビデオで自分たちがやっているのを録画して見せて「みんなちゃんとそろえてしないとカッコ悪いでしょ?」と言うとやっとわかってくれた。子供たちの舞台が終わればあとはお楽しみ。ゲームに参加してせっけんをもらってきた。娘はせっけんに大喜び。返せと言っても返してくれなかった。

5月x日
この暑いのに娘は外で遊ぶのが大好きだ。今までは一人で遊んでいたのに、最近は誰かと一緒に行きたいらしく「アイ!」と言いながら結構すごい力でぐいぐい自分の行きたい方に行く。今月は家の前になぜか牛や馬が放牧されていたので(家の門を開けておくと馬が芝生を食べに入って来たりして夫は「門閉めたらあの馬は家のものだ!」とアホな事を言って笑っていた。)「もー!もー!」と大喜び。
最近かわいらしい技を覚えてチュッとしてくれたり、鼻歌を歌いながら本を読んだりするようになった。血は争えないなーと思ったのが自分のオムツを汚れ物用のバケツに入れられるようになったことだ。私もこの位の時やったそうだ。

5月x日
それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、ブラジルでは結構養子の話をよく聞く。この間聞いた話では、あるお店閉店時間ギリギリに子供を抱いた女性が店に入ってきてその子をもらってくれるまで帰らないと言ったそうだ。店の主人はしばらくほおっておいたらしいが、時間が遅くなってきたのとその女性が本当に帰ろうとしないので仕方ない、もらっていくかと思った。そう思った瞬間、女性が出ていったそうだ。そんな犬や猫みたいに簡単に子供をもらったりあげたりしていいものなんだろうか。
夫の同僚Mの家でも赤ちゃんを養子にした。こちらは別にこのお店での話とは関係ないのだが、奥さんが子供ができず、どうしてもということで友達から養子をもらったらしい。見に行くと小さな黒い赤ちゃんがハンモックに寝ていた。お人形さんみたい。娘もこんなに小さい時があったなーと懐かしい思い。どこで育っても誰に育てられても、その子が幸せならそれでいいじゃない、と思った。


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