んだんだ劇場2004年10月号 vol.70
No4
稲刈りが始まった

旧盆は稲刈りの最盛期
 近所の人が「新米だよ」と、5合ほどの米を持って来てくれた。品種は「ふさおとめ」だという。「ふさ」はたぶん、房総の「房」なのだろう。今年が三回目の、母親の盆迎えの準備をしなけりゃいけないな、と思っていたころだ。我が家の周囲はまだだったが、近くでは稲刈りが始まっていたのだ。
 外房(千葉県の太平洋岸)では、8月になると稲刈りが始まる。私が住んでいる大原町から車で40分ほどの鴨川市辺りは特に早く、「日本一の早場米」と称して、毎年、テレビのニュースになる。故郷の福島でも、新聞記者になって8年住んだ秋田でも、稲刈りは9月になってからだったから、大原町に移り住んだ年に、旧盆前にほとんどの田で稲刈りが終わってしまったのには、本当にびっくりした。

お盆前に始まった稲刈り
 もう一つ、驚いたことがあった。1枚の田んぼがやたらと広いことである。我が家の周囲は、1ヘクタールもあるような田んぼばかりだ。近所の人に聞くと、農水省の土地改良事業が進行中なのだという。土地改良では、区分けの小さい田をまとめて大きくする。すると、大型の農業機械を入れられるようになる。結果として、効率的な農業(米づくり)が可能になる。米が余って、減反しなければならないご時勢に、水田の改良に税金をつぎ込むのは、矛盾したような話だが、そうではない。全体としては水田面積を減らさなければいけないが、「残した田んぼ」は、農家の経営がなりたつようにしてやらなければならないのだ。私も、それは正しいと思っている。
 米1俵2万円として、1ヘクタールでは200万円くらいの米がとれる。日本の農家の平均耕作面積から見れば、1ヘクタールはかなりの広さだ、しかし経費をゼロとしても、それだけでは農家は暮らしていけない。実際には、いろいろな経費がかかるから実収はずっと少ない。米づくりで生活するには、耕作面積を増やすと同時に、効率のよい農作業をしなければならない。
 日本人が米食をやめて、パンばかりになれば話が別だが、ジャポニカ種(外国はたいてい、粘り気の少ないインディカ種)という、日本人がおいしいと思う米を将来も食べたければ、農家が農業を続けられる環境づくりは、応援しなければならない。

農水省が造る国道
 と、まあ、偉そうなこと言っておいて……「近所の人の話」を聞いていて、さらに驚かされた。
 「加藤さんの家の前の道路が、そのうち国道になるんですよ」という話だ。
 「家の前」と言っても、すぐ前ではなく、南に200メートルほど先の、東西に走っている道路だ。さらに1・5キロほど行くと、第三セクターの「いすみ鉄道」の線路があって、並行して国道がある。そっちが県道になって、目と鼻の先の道路が国道に昇格するのだと言う。
 「いくつかの田んぼを合わせて、1枚にすると、それまで田んぼを区切っていたあぜ道が要らなくなるでしょ?」
 「はい、はい」
 「土地改良が終わってみると、水田面積は以前と同じでも、あぜ道の分だけ、土地が余るわけです。それで道路を広くするんですよ」
 「そんなことができるんですか」
 「できますよ。狭いあぜ道でも、この地域全体から寄せ集めれば、かなりの面積ですからね」
 近所の人は自慢げに語り、私は「うーん」とうなった。
 つまり、農水省の金で、国土交通省所管の国道を造るという、手品のような話なのである。実際、ほとんど改良事業が終わった現在、「将来の国道」のわきには、いつでも道路を広げられる空き地が続いている。
 しかし、その道路を東へ行って、「トンボの沼」を過ぎると国道につながるのだが、逆に西へ行くと、T字路に突き当たる。その先には、何軒かの農家が点在している。T字路を突っ切って道路を延ばさなければ、国道としては役立たないと思うのだが、それには移転してもらわなければならない家もあるようだ。
 それに、空き地でなければならないはずが、田んぼのままの場所もある。それは、今回の事業に同意しなかった人の田んぼなのだそうだ。
 よくよく考えてみると、農水省の方では「国道にできますよ」という事業をやったけれど、国土交通省の方では「考えておきます」という程度のことらしい。縦割り行政の典型のようで、私は相当にあきれている。
 もっとも、父親などは「いつまでも、国道になんかならない方がいいんだ」と言っている。
 「目の前が国道になったら、車が増えて、やかましい」
 私も、そう思う。
 こんな田舎でも、暴走族がいる。夏の夜などは、はるかかなたの「いすみ鉄道」の向こう側の国道を、車かオートバイかわからないけれど、エンジンをブイブイ言わせて走っている。ばかな連中だとは思うが、こんな、だれも注目してくれない田舎道で「ご苦労さま」と言ってやりたくなる。
 だが、目の前が国道になって、連中が来るのは、勘弁してほしい。

最高においしい米
 昭和52年に、読売新聞秋田支局へ赴任して、「秋田では、田植え機より、コンバインの方が、普及率が高い」ことを知った。全国平均からみると、モミ乾燥機の普及率も高かった。
 今ではそうではないと思うが、そのころは、米の収穫作業が終わると、ほとんどの人が、東京などへ出稼ぎに出ていたからだ。早く出稼ぎに行きたいので、収穫作業に使う機械が普及していたのである。では、なぜ、出稼ぎを急ぐかと言うと、東京の工事現場などで一定期間働かないと、失業保険がもらえないからだ。その期間が何か月かは、調べないと書けないが、要するに、社会保険の取り扱い上は、彼らは建設作業員が本職で、失業中に米を作っている、ということになる。それは、米だけでは暮らしていけないことの裏返しで、一種の「悪知恵」だとは思うが、悲しい話だった。
 コンバインは、困った問題も起こしていた。
 1株ずつ鎌で刈るのと違って、コンバインは、一気に脱穀までやって、稲藁は細かく裁断して吐き出す。それが、田んぼに残る。秋田では、それに火をつけ、燃やしてしまっていた。それを「出稼ぎに合わせて」一斉にやるものだから、とんでもない煙になる。風向きにもよるが、車の運転ができないほど視界をさえぎってしまうことが珍しくなかった。それを「稲藁スモッグ」と称していた。
 福島では、まだそのころ、刈り取った稲は天日乾燥させるのが普通だった。それを稲架(はさ)掛けという。稲を掛ける棒を稲架と言うのである。福島では、1本の棒を立てて、横に積み上げて行くような形が多かったが、棒を井桁に組んで、横棒に稲を掛ける方法もある。私が習った中学校の社会科の教科書では、新潟県ではあらかじめ、支柱にするための木をあぜ道に植えている、と書いてあった。
 いずれにせよ、乾燥機で急速に乾かすより、天日でゆっくり乾かした方が、おいしい米に仕上がる。秋田で農家にそのことを尋ねると、「わかってはいるが、待ってられない」と言われた覚えがある。それに、コンバインで藁を裁断したのでは、稲架に掛けたくても掛けられない。
 だから、いつだったか忘れたが、東京の本社に戻ってから、新潟県に出張した時、妙高高原辺りで、昔ながらの稲架掛けを見た時はうれしかった。
 うれしいから、その時の取材を案内してくれた地元の人に、「こうするから、新潟の米はおいしいんですね」と、大いに誉めそやした。ところが……
 「なに言ってんだ、加藤さん。ああやって干してるのは、自分で食う米だ。農協出しの米は、とっくに終わってるよ」
 こともなげに言われて、ガックリ来た。
 そう言えば、今住んでいる大原町でも、稲架掛けは見たことがない。と、思っていたら先日、勝浦市に行った時、道路際で稲架掛けをしているのを見かけた。たぶん、それも、自分で食べる米なのだろう。
 「魚沼産のコシヒカリ」がどうのこうのと言うけれど、最高においしい米の味は、今は、栽培農家しか知らないのである。


夏去りぬ

農家を応援したいモロヘイヤ
 「日本の伝統的な、本物の味を伝え残したい」と願う料理研究家、辰巳芳子さんを中心にジャーナリスト、料理家、食材を提供する企業、農業団体などが集まって結成した「良い食材を伝える会」という団体がある。私も設立発起人の一人だった。辰巳さんが著名なためか、参加する企業がどんどん増えて……それはいいのだが、そのうちに、この会をビジネスチャンスにしようという企業側の「体臭」が感じられるようになって、私はいつのまにか疎遠になった。
 さて、まだ私が関係していたころ、その事務局が調査した「日本の地域食材98」という冊子を見て、驚いたことがある。新潟県の十全ナスや高知県大豊町の碁石茶(日本唯一の発酵茶)などに混じり、秋田県大曲市がモロヘイヤの産地として紹介されていたことだ。
 モロヘイヤはアラビア語で「王様の野菜」という意味だ。日本には、エジプトに留学していた大学教授が持ち込んだ。彼を中心に「全国モロヘイヤ普及協会」が設立されたのは1984年。それが14年後には、既に"伝統的食材"だというのだから、驚くじゃないか。
 さらにその産地が、私も4年間住んだことがある大曲市とは、また意外だった。大曲は秋田県でも雪が深く、私も屋根の雪下ろしには苦労した。ところが、モロヘイヤの原産地は熱帯アジアだ。そんな植物を雪国でも産地化できるということは、「いかに日本の夏が強烈か」ということにほかならない。
 千葉県大原町の我が家でもモロヘイヤはたくましく、次々に新しい茎を伸ばす。てっぺんの若い葉を摘み、さっとゆでて、細かく刻むと粘りが出る。しょうゆをたらしただけで、うまい。父親は、納豆に混ぜるのが好きだ。ビタミン類やカルシウムが豊富で、緑の葉としては珍しくタンパク質も6%近くある。残暑が続いているうちは収穫できるから、面積の狭い家庭菜園には、うれしい野菜だ。今年は夏が暑かったせいか、例年にも増してよく育った。近所の奥さんが通りがかりに、「少し分けてくださいね」と立ち寄った時には、背丈を超えていた。

背丈を超えたモロヘイヤ
 ところで最近、青果市場で「モロヘイヤには困った」という話を聞いた。「突然どっと入荷して来ても、さばけない」というのだ。モロヘイヤは、農家から特定の消費者グループ、レストランなどへの直売で普及して来た。ところが近年、"作り過ぎ"が生じているらしい。余った分が突然、市場に現れるのだ。私がよく行くスーパーでも、たまにモロヘイヤが店頭に並ぶことがある。茎の先端を15pぐらいに切りそろえて束ねてある。我が家ではぜいたくに、新芽の部分だけしか食べないから、「そうか、茎を食べてもいいのか」と思ったくらいだ。もっとも、新芽の部分だけでは商品パッケージが作りにくのだろう。
 もっとたくさんの人にモロヘイヤを食べてもらいたいと、私は思っている。そのためには、計画的に市場へ出荷する生産者が増えてほしい。「家庭菜園バンザイ!」と言う私だけれど、モロヘイヤは、専門農家も応援したい野菜なのである。

背丈のナス
 父親は毎年、「背丈のナス」を育てるのを目標にしている。
 植付けの前に、深く耕し、堆肥をたっぷり入れて、幅広い畝を立て、黒いマルチフィルムで覆う。この「黒マルチ」は、なかなか便利な農業資材だ。苗がまだ育たない春先は、太陽の光を吸収して地温を高め、しみ込んだ雨水を蒸発させないので、土が乾かない。それより何より、雑草が生えないのが助かる。真夏の日差しが照りつけるころは、植物の葉が茂って光をさえぎるので、地温が過度に上がる心配はない。
 マルチフィルムを考案したのは、長野県の高原野菜栽培農家だそうだ。東京、名古屋の巨大市場へ供給する「野菜王国」長野県の農民らしい創意工夫である。家庭菜園を始めたばかりの人でも、「黒マルチ」の存在ぐらいは知っているだろう。が、今は、土に混じっている雑草の種を死滅させてしまうくらいに温度を上げる透明マルチとか、逆に太陽光をほとんど反射する銀色マルチとか、用途によってさまざまなマルチフィルムが登場している。
 よく「農業はすべてを自然に任せるべきだ」という極論を言う人がいるが、私は賛成しかねる。「自然農法」は、一つの方法であり、それが向いている地域があるのも確かだ。しかしもともと面積の狭い家庭菜園では、できるだけいろいろな野菜を作ってみたいのが人情じゃないか。自然農法では、作物の管理がしにくいし、食べたい時期に実って、食べたい量が採れるかも保証がない。黒マルチ1枚で、雑草は出て来ないし、苗も丈夫に育つ。結果として病害虫の被害を抑え、農薬を全く使わないか、使っても微量で済むことにつながるのである。
 ついでに言うと、私は「無農薬論者」ではない。使わないにこしたことはないが、必要があれば、最低限は使うべきだと思っている。やってみればわかるが、自然というやつは、人間さまの都合のいいようには動いてくれないのだ。薬を使わなければどうしようもない病気も、害虫も発生するのである。
 日本農薬工業会では、毒性の強さによって農薬を6段階に分類している。最も毒性の強い薬は2種類しかなくて、どちらも、害虫などの発生が心配される輸入農産物を港の倉庫で燻蒸消毒する薬である。われわれが近くの園芸店で気軽に買える農薬などは、毒性は最低ランクで、しかも1週間から10日で、ほとんど無毒状態にまで分解してしまう構造になっている。だから我が家で、父親がそうした農薬を使うことに、私はまったく不安を持っていない。それに父親は勤勉で、目覚めればすぐに畑を見回って、病気は出ていないか、害虫は発生していないかを観察しているから、病害虫のごく初期段階で、ごく弱い農薬を使うだけなのだ。さらに、唐辛子と木酢液とか、「自然農薬」をいろいろ試している。
 問題なのは、農薬の使用基準を守らない農家があることだ。しかも、これがあまりにも多い。少し前のことだが、トマトをハウスで栽培している農家を取材したことがある。品質のよいトマトを作るには乾燥ぎみの土の方が適しているので、日本のように多雨な気候では、余分な雨を避けるためにハウス栽培にすることが多い。それはいいのだが、そのハウスの中に線路が敷いてあった。尋ねると「農薬ロボットを走らせるためだ」と言う。要するに、人間が中にいると危険なほど大量の農薬なので、ロボットに代行散布させていたのである。朝と夕方に、毎日農薬散布しているキュウリ農家もあった。これもハウス栽培で、キュウリは毎日出荷している。農薬が分解して無毒になる暇などないのである。
 共通しているのは、本来の収穫時期とずれた時期に出荷していることだ。露地栽培で実る時期、つまり、その土地で本来生育する時期の前か後かに、収穫をずらしているのである。その方が高く売れる。しかし、本来の時期ではないから、野菜はどうしてもひ弱になって、農薬を使わざるを得ないことになるのだ。
 だから、真冬にトマトとかキュウリを使いましょうなどというレシピを出してくる料理番組を見ると、ばからしくなる。料理研究家は、そういうことに無頓着な人が多いように感じている。「ほら、いろどりがきれいでしょ」などという言葉を聞くと、「まずくて、高くて、農薬いっぱいの野菜を、あなたは推奨してるんだよ」と、言ってやりたくなる。
 もちろん、まじめに無農薬栽培に取り組んでいる農家グループは、全国にたくさんある。この「日記」の最初の方で紹介した千葉県三芳村のグループもそうだし、群馬県のグループなどは、害虫の発生しない時期に種をまいて苗を育て、危険な時期になると、安全な地域にそっくり苗を移しかえるという、涙ぐましい努力までしている。そういう野菜が高価になるのはしかたないことだ。そういう野菜をありがたがって買う都会の消費者がいるから、成り立つビジネスでもある。
 天日干しの米は自家用、という話を前回書いたが、野菜農家の大半が、自分で食べる野菜は、家の周囲の「家庭菜園」で育てている、ということに、消費者も気づいてほしい。「出荷用の野菜は危険」などと言うつもりはない。まじめに、安全な野菜を作っている農家も多いのである。が、「本来の旬」でもない時期に野菜が食べたいという消費者のわがままを満足させるために、農家も無理をしているのだ、ということを少しは理解してやってほしいのである。もちろん、「消費者のわがままにこたえてやれば、野菜が高く売れる」という、農家側の理由もある。どっちもどっちで「いわゆる発展」をしてきたのが、日本の農業なのだ。
 さて、父親のナスは、見事に「背丈の高さ」に育った。

背丈に育ったナス
 昔は「嫁に食わすな」と言われた秋ナスの時期になっても、まだどんどん実をつけている。毎日、食べきれないほど採れる。こういうナスを育てるには、支柱の立て方など、父親独自の工夫がいろいろあるのだが、それは来年のその時期に、また紹介することにしよう。

夏のなごり
 実は、この日記は、もっとずっと前に、おおよそできていた。ところが1週間も「安静にしていなさい」と医者に言われて、ベッドからあまり動けず、送信できなかったのだ。と言っても、大病になったわけではなく、左足の膝から下が真っ赤に腫れて、最初は高熱も出て、歩けなかったのである。
 どうしてそうなったのかと言うと、この夏の暑さのせいだった。
 暑いので、半ズボンで畑を歩き回っているうちに、何かでかぶれたらしい。それに汗がしみこんでかゆいものだから、ボリボリ掻いていた。そのうちに、汗もみたいなものができて、かまわずにボリボリやっていたら、雑菌が入って炎症を起こしたのである(と、皮膚科の医者に言われた)。塗り薬では間に合わず、食後に抗生物質の錠剤を飲んで、横になる生活を余儀なくされたというわけだ。
 あまり自慢できる話じゃないが、9月初めにも、「かぶれ」で苦労した。こちらはあごの下の首全面が赤く腫れた。やはり「背丈」に育ったオクラを収穫していて、かぶれたのである。オクラの葉の先には、チクチク刺さる細かいトゲがあるらしい。通常は何でもないが、これが汗でべっとりと首にまとわりつき、かぶれたのである。熱は出なかったが、痛かった。幸い塗り薬で完治したものの、まだうっすらと跡がある。
 かみさんは、「テレビを見ていたら、オクラ農家は、長袖を着て、首にはタオルを巻いて、肌が露出しないよう完全装備で収穫していたわよ」と言う。私が首を腫らしてから、その作業スタイルの意味に、かみさんも気づいたらしい。
 農作業には、それなりの服装が大事なのだと反省させられた。
 左足は、歩くと、まだ痛い。私を反省させる「夏のなごり」である。


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