んだんだ劇場2004年11月号 vol.71
No5
地すべりだぁ〜!

台風22号がやって来た
 10月9日の土曜日、いつもは朝寝坊の私(夜中に仕事をするから)が、珍しく早起きして午前8時ごろリビングへ行くと、父親とかみさんが心配そうに外を見ていた。
 「どんどん、水かさが増えてるのよ」と、かみさんが言う。
 見ると、リビングのすぐ先に水面があった。
 我が家の東側には、落合川という川が流れている。日照り続きだった今年の夏、畑に水を流すために、6mほどのがけを下りて、私がポンプを据え付けた(しかもポンプが壊れていて、2度も往復した)あの川である。ふだんの川幅は10mほどしかない。それがすでに、40m以上に広がっていた。
 この日、非常に強い台風22号が本州に近づいていた。予報では、夕方、関東地方に上陸するという。秋雨前線が刺激されて、前夜からかなりの雨が降っていた。それが心配で早起きしたのだが、増水は予想を越えていた。あと50p水面が上がれば、床上浸水しそうだった。我が家は、ベタ打ちのコンクリート土台の上に、わずかな空間を造って家が乗っている構造なので、床下浸水という状況はなくて、限界を超えれば一気に水が屋内に流れ込んでしまうのである。
 ほどなくして、近所のWさんが「避難勧告が出ましたから、新田野の集会所へ避難してください」と告げに来た。「新田野の集会所」というのは、2q南の、「いすみ鉄道」を越えた地区の集会所だ。
 「どうする?」と父親にきくと、「ここまで水が上がるには時間がかかるだろうから、まだ様子を見よう」と言う。
 私も、「まあ、せっぱ詰まれば、2階に避難しよう。4、5日分の食糧もあるし」と思った。のんきなものだが、流されて困るものは家の中に入れ、濡れて困るものは棚やテーブルの上に移し、万が一には備えた。
 雨が小降りになったので、西の道路向かいに建設中の加藤さん(西の加藤さん)の家の3階に上って写真を撮った。我が家の裏庭に続いているような次郎馬(じろうま)橋は、橋げたに水がぶつかり、逆巻いていた。消防の赤い車も来ていた。橋は通れるが、その先の道路が水没して、奥の集落は孤立状態になっていた。
 私はその時、水害に警戒して消防が出動していると思ったのだが、あとでわかったのは、上流の御宿町で、新聞配達をしていた74歳の男性が行方不明になり、その捜索をしていたのだ。この男性は翌日、遺体で発見された。誤って川に落ちたらしい。
 私はこの日、どうしても出さなければならない郵便が2通あり、空模様を見計らって、隣の夷隅町の郵便局まで出かけた。以前に天の川を眺めた田んぼの真ん中の砂利道は、水の心配は全くなかったが、念のために、取材用のジープ型四駆に乗った。
 ついでに走り回ってみると、予想どおりあちこちで道路が冠水していた。夷隅町から大原町へ抜ける県道では、トラックが立ち往生していた。マフラーから水が入ったらしく、エンジンがかからない。

我が家のわきの橋。橋げたまで水が届いた

動けなくなった「福山通運」のトラック
 そこにいた人に聞いてみると、「よそから来た車が、どこか通れる道路はないかと走り回っているうちに、予想外の深みにはまったんだね」と言う。
 確かに、地元の人なら突っ込まない水溜りである。
 我が家も所属している町内会の「下原集会所」は、水の中だった。次郎馬橋の一つ上流の橋は、冠水していた。行ってはみなかったが、JR大原駅へ通じる国道も、途中で通れなくなっているという。ということは、落合川の右岸一帯は孤立したということだ。
 幸い、昼前に家へ戻ってみると、水が引き始めていた。
 父親は、「あと、30pだったな。危なかった」という。
 落合川は、夷隅川に合流して海へ流れている。近辺では最大の河川である夷隅川は、海への水はけが悪くて、時々、予想外に増水することがあるが、こんなのは初めてだった。後でわかったのは、ちょうどこのころ引き潮になって、ぐんぐん水が引いたのである。海が近いだけに、潮の干満がもろに影響するのだ。
 だから、午後3時の満潮も影響なく、夕方に東京湾を通過した台風22号は、雨も風もそれほどではなかった。
 唯一の被害は、シイタケ栽培の原木が全部流されてしまったことだ。まあ、それくらいで済んでよかった、と言うべきだろう。
 ところが、「我が家にとっての大災害」は、その後にやって来た。

町長さんの災害視察
 川の増水については、前々から心配していたことがあった。
 2年ほど前から、川に面した土地の一部が地盤沈下を起こしていたのである。地面全体が、ちょうど家の土台を境目にするように、少しずつ下がって行った。それで昨年、川に向かって6m張り出したデッキを解体した。デッキを家の本体に接合していたので、地盤沈下に引っ張られてデッキが動き、そのためにリビングからデッキに出るドアが開閉しにくくなったからだ。畑の中にも、いく筋か地割れが生じていた。
 川に面したがけの一番下から、少しずつ土砂が流されて、それで地盤沈下を起こしているのだろうと想像できた。特に昨年は雨が多く、地盤沈下が加速された。だから今後、急激な増水があると、がけ崩れを起こすのではないかと心配していたのである。
 我が家のすぐ上流にあたる、「東の加藤さん」の土地までは河川改修が終わって、コンクリート壁ができている。しかし、我が家のわきは自然の川のままだ。それでよけいに、水流の当たりが強いのだろうと思っていた。
 落合川の河川改修は、千葉県の懸案事項でもあって、2年前には堂本知事が来て、次郎馬橋の上から川の状況を視察して行った。しかし、本格的な河川改修は金がかかる。以来、そのまま放置されている。
 が、地盤沈下と地割れは恐ろしい。それで昨年、デッキをはずしたころ、この地域を担当する千葉県の土木事務所に連絡して、状況を見てもらった。担当者が言うには、「災害復旧で申請すれば、なんとか予算が取れるかもしれない」とのことだった。だが、それっきりだった。こうなったら、県に陳情書を出すしかないか、と思っていたところへ、今度の台風襲来だった。
 そして10月14日の木曜日……。
 私は自分の部屋で原稿を書いていた。父親はゲートボールの大会で留守だし、かみさんは車で30分の茂原市にあるDIYまで、探したい物があると言って午前中に出かけたきり、いつ戻るのかわからない。
 そのうち、昼の少し前、「番犬モモ」が猛烈に吠え始めた。モモのおかげで、人の話し声がするのに気づいた。出てみると、次郎馬橋の上にたくさんの人がいた。中に、町長さんの姿があった。台風の災害視察に違いない。
 「うちのわきが、大変なことになってるんです」
 そう言うと、町長さんは「ちょうどいい、県の土木部長に来てもらってるから、部長さんにも見てもらおう」と言う。
 一緒にいた県の土木事務所や、町の建設課の人たちも一緒に、デッキを支えていたコンクリート土台まで来てもらって、地盤沈下の状況を説明した。「これは大変だ、いつ地すべりが起きてもおかしくない」というのが、一致した意見だった。
 「これで、わざわざ陳情書を作らなくても済むな」と、私は思った。それで安心して、昼食をとり、また、2階の書斎に戻った。
 それが午後1時である。
 午後2時に、お茶を飲もうとリビングに下りて来た時には、デッキのコンクリート土台が見えなくなっていた。
 「地すべりだぁ〜!」
 最も川に近かった巨木は、そのまま10mほど先にずり落ち、手前の巨木は我が家の方へ傾いている。ポンプを据え付けた辺りの岸は、はるかかなたに押し出され、川幅を1mくらいに狭めていた。その音は、全く聞こえなかった。モモも吠えなかった。
 町役場に電話したら、町長さんが直接出てくれた。
 「さっき、町長さんが立っていたコンクリートがありましたね」
 「はい、はい」
 「あれは、今、川の中ですよ」
 「えっ!」
 町長さんは、絶句した。
 あの時に地すべりが起きたら、県の土木部長も町長さんも、土砂と一緒に流されて、救急車を呼ばなければならなかっただろう。「危機一髪」だったのである。
 すぐに土木事務所の人たちが来て、夕方には土木事務所から指示を受けた建設会社の人が来て、緊急対策が始まった。と言っても、崩れた所を広範囲にビニールシートで覆うだけのことである。これからの雨をそのまま川に流し、崩壊した所に新たな雨水がしみこんで地盤がゆるまないように、という対策である。災害復旧工事は、その後のことだ。
 見て回ると、今回の地すべりで、畑の方も一気に50p以上落ち込んでいた。

崩れ落ちたコンクリート土台

地盤沈下の記録
 今年になって、地盤沈下の様子を、かみさんが記録していた。板の切れ端の側面に、家の土台と地面がどれくらい離れたかをマークしていたのである。
 油性ペンで書いた下の線は、今年5月の記録。この時は、板が土台にぴたりとついていた。
 上の線は、台風の翌日の10月10日だ。すでに、板を置いたコンクリートの縁石が、家の土台から離れていて、4日後の地すべりでさらに大きく下がったことがよくわかる。
 ビニールシートで覆った「危険か所」も、ずいぶん広いものになった。
 私は、「こうなることは、わかっていたのに」と思う。
 昨年すぐに対策を施しておけば、復旧工事にかかる費用も少なくて済んだはずだ。しかし、役所のやることは、こんなもんだとも思う。その結果、多額の税金を使うことになるのだ。我が家としては「ちゃんと崩れた」おかげで、対策工事も早急にやってくれるだろう、ということはありがたい。だが、ほとんどの場合「こうなるまで」放っておく役所のやり方は、非常に腹立たしい。

崩落部分を覆ったビニールシート

ある疑い
 ところで、全く別の筋から聞いたのだが、「東の加藤さん」の所まで完成している河川改修を延長するために、土木設計の担当者が、落合川をボートで下り、我が家のわきも見て行ったことがあるのだそうだ。その際、岸の地形がよくわかるようにと、水面ぎりぎりの所まで生えていた竹や小木を刈り払ったという。 
 「それで、それまで竹の根が抱えていた土が流出し始めたのかもしれない」という話である。
 それじゃあ、この地すべりは「人災」ではないか!
 で、思い当たるのは、2年前の知事の視察である。
 河川改修を促進するために、あらかじめ「設計」を知事に説明できるようにと、担当者が岸辺を見て回ったのではないだろうか。
 確証はない。
 しかし今年、田植えが終わったころ、我が家から少し下流で、幅50mぐらいにわたって川岸が大規模な地すべりを起こした。何本もの杉の木がストンと川面まで落ち、苗を植えたばかりの田んぼが1枚崩れ落ちた。そこは、直線的に川が流れていて、特に水流が強く当たるとは思えない場所だった。我が家と「同じ理由」、という疑念が生じる。
 そう言えば、「番犬モモ」に「あら、かわいい犬ね」と知事が声をかけていったころは、地盤沈下など、だれも気づかなかった。
 確証はないが、一連の「役所の仕事」に、私は大きな不信感をいだいている。


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