シイタケ発見!
復旧工事をすると言うが……
前回の「日記」で、我が家のわきの地すべりを報告したら、たくさんの方からお見舞いのメールをいただいた。ありがたいことだ。
後日、町長さんも見舞いに来てくれた。地すべりが起きた日、町長さんと千葉県の土木部長らが立っていた、デッキのコンクリート土台は、今は雨水よけ緊急対策の青いシートの下にある。町長さんは崩落現場を見ながら、「私が視察している時に、足元が崩れたらよかったのになぁ。県の土木部長も一緒だったから、もっとあわてて復旧工事が始まるのに」と、笑いながら言った。
そんなことになったら、救急車を呼ぶ騒ぎだっただろうが、かみさんなどは、「男の人が十人も乗ったら、体重は500kg以上でしょ。きっと、その重みで崩れたのよ」などと言っている。かみさんにしては珍しい冗談だが、私は内心、「その半分くらいは当たっているかな」と思っている。なにしろ、あの人たちが去って1時間半後に崩れたのだから、弱っていた地盤に、彼らが「最後の引導」を渡したのかもしれない。
幸い、続いて来襲した台風23号は、ほとんど被害がなかった。
それから2、3日して、やっと晴れた日に、対岸へ行ってみた。我が家から見ると、落合川の向こう岸は一面の竹林である。その向こうは畑だ。畑から急な斜面を下りて、竹林に入ってみると、水で土がえぐられ、ちょうど我が家の真正面の辺りに自然の水路ができていた。蛇行した川の水は、我が家の方にぶつかる流れなのだが、対岸も無傷ではなかったのだ。
そちらからは、我が家のリビングから青いシートが流れ落ちているように見えた。押し出された岸辺の先端が、すぐ目の前だ。これだけ川幅が狭くなっては、対岸の竹林も少しずつ削られて行くに違いない。
対岸から見た、我が家のわきの地すべり現場 |
今度はさすがに、県の土木事務所の動きも早かった。台風23号が去った後、突然たくさんの人が現れて、朝早くから土手の竹や雑木を刈り払い始めた。復旧工事の設計をするために、じゃまになる草木を取り払って測量するのだと言う。それが2、3日続いて、我が家の上流も下流も、岸辺はバリカンで刈ったようになった。
それでわかったのだが、この落合川の河川改修というのは、ところどころやって、その間は放置したままの「まだら模様」だったのである。だから放置された部分は、よけいに土がもぎ取られるようだ。見て回ったら、せっかく造ったコンクリート護岸が破壊されている場所もあった。
行政に言わせれば「予算がないし、緊急性の高い所から順番にやった」ということなのだろうが、簡単に言えば「その場しのぎの工事」が続いていたのである。そればかりではない。「昔は、今ほど水が上がらなかった」という話を聞いた。
先日の日曜日、近くの熊野神社の氏子の集まりがあった。我が家も氏子になっているとは知らなかった。「新住民」として早く地域になじむようにと、父親は氏子に加わったのだろう。ところがその日は、「今日は町の囲碁大会に行くから、お前が出ろ」と父親が言うので、私が代わりに出席した。ちなみに、父親は囲碁4段、私は初段である(さらに、娘は3段で、彼女は高校3年の時に全国高校囲碁選手権の千葉県代表になった。この10年、私は娘に勝てたことがない)。
その氏子の集まりで、「あの、潮止めを壊したいぐらいだ」という話が出た。
落合川が注ぐ夷隅川の河口近くに、潮止めの堰があるのだそうだ。満潮には海水が上って来る地点で、海水の逆流を止め、周辺の水田に川の真水を入れるために造った堰だという。ところが、大雨で川の水が増えても水門を開けないので、夷隅川の水がスムーズに海へ流れないのだそうだ。よく話を聞くと、水門は手動で開けられるのだが、そこまでの道が山の急斜面なのに階段もなく、雨が降ったら滑って危ないから、だれも「命がけで」水門を開けには行かないというのである。氏子たちは、「確かに、潮止めができてから、水害が増えたな」とうなずいていた。
それなら、今度の洪水も、半分は人災じゃないか!
しかし、それが本当かどうか、確かめていないので今はなんとも言えない。なるべく早く、だれかに案内してもらって、その潮止めを見て来ようと思っている。
ホダ木があった!
測量のために岸辺を刈り払ってもらったおかげで、大発見があった。流されたと思っていた、シイタケのホダ木をあちこちで見つけたのである。しかも、すでにシイタケが出ていた。去年は11月の末ごろに出て来たのに、今年は早い。
見つかったホダ木に出ていたシイタケ |
ただし、見つかったのは、9本あったうちの5本だけだった。
このホダ木は、もとは畑の端に立っていた木である。4年前に、畑に葉のしずくが落ちて困るというので、根元の方は両手で回らないくらいの大木をを切り倒した。樹種はよくわからない。たぶん、クヌギかミズナラだと思う。松の木の根元にに生えるからマツタケ、椎の木に生えるからシイタケ、楢の木ならナラタケなのだが、シイタケは椎の木でなくても生える。だから、シイタケ栽培が盛んになったのだ。ただし普通は、直系10pくらいの木をホダ木に使う。
木を切ったのは、近所に住む、この辺ではただ一人の樵(きこり)である荒木翁で、父親は翁から「太い木に菌を植えると、大きいシイタケができる」という話を聞いた。それで、その大木を1mほどの長さにチェーンソーで切って、ホダ木にした。
秋に、ホームセンターから買って来たシイタケ菌を植え付けて、翌春、少しだけシイタケが出て来た。その秋からは、どんどんシイタケが生えて、食べきれない分は干しシイタケにした。しかも、うっかりしていると、手のひらより大きいシイタケになってしまう。太い木には大きいシイタケが出る、というのは本当のようだ。
だから、こいつが、やたらと重い。洪水を生き延びたホダ木をどうやって家のそばに運ぼうかと思っていたら、父親は「おれも歳をとって力がなくなったから、お前に任せる」などと言う。父親は若いころ、力瘤が自慢だったのだが、この10月で72歳になった。そう言うのも当然だろう。それで、私ひとりで、川辺から斜面を転がして上げ、4本は裏庭まで持って来た。だが、1本は重すぎて、最後の急斜面が持ち上がらない。しかたなく、ここまでは水も上がらないだろうと思われる場所に、そのまま置いている。
それにしても、重くて、マイッタ!
生姜の収穫
雪の降らないこの辺りでも、最低気温が10度前後になったので、生姜を全部掘り起こした。熱帯性の植物である生姜の保存適温は、14度前後だ。低温が続くと腐ってしまう。そうなる前に掘り起こして、室内に保存したかったのだ。
ついでに言うと、買って来た生姜を、冷蔵庫に入れるのは厳禁である。もうひとつ、ついでに言うと、野菜をどうやって保存したらいいか、その方面の研究者である大久保増太郎さんの名著、『日本の野菜』(中公新書)がある。家庭菜園主には、ぜひお勧めしたい1冊である。
生姜は、半日影で、水分がたっぷりある場所を好む。父親は今年も、農業用のスチールパイプでアーチを作り、ネットを張って胡瓜やニガウリを育て、その下に生姜を植えた。生姜を植えたのは4月下旬で、地上に芽が出るまで1か月ぐらいかかるから、そのころには胡瓜やニガウリの葉が、ちょうどよい日陰を作ってくれるのである。
我が家では、生姜の出番は多い。豚肉の生姜焼きはもちろんだが、中華風の煮込み料理に生姜は欠かせない。イカの刺身は生姜じょうゆもおいしい。
中国からの輸入生姜は安いが、特産地の高知県などの生姜は、ある程度の量を使おうと思うと、ちょっと値が張る。そういう理由もあるが、自分で栽培するのには、もうひとつ理由がある。
私が野菜を作り始めたころの参考書に、「ショウガズイムシという害虫を防ぐために、産地ではかなりの農薬を使うので、無農薬の生姜は貴重な野菜だ」と書いてあった。それで栽培する気になったのである。
今年も、生姜は豊作だった。掘り起こしている最中にも、芳香がただよう。タンクにためておいた雨水でざっと土を落とし、なるべく本体に近いところから茎を切り落として、あらためて洗い、半日ほど日にあてて表面を乾かす。あとはネットに入れて、室内につるしておくだけだ。これだけの量があれば、来年3月まで、生姜は買わなくて済む。
見事に育った生姜 |
去年は、もっとたくさん収穫できた。春になってもたくさん余ったので、それを「タネ」にした。生姜は土の中で、何か所かから芽を出し、それが育つと、また新しい芽を出す。「タネ生姜」もそのままの形で残っている。種芋が姿を消してしまうトロロイモなどとは、そこが違う。そして、「タネ生姜」も食べられるのだ。
甘酢漬けを作るには今年の生姜がいいが、おろして生姜汁にしたり、煮魚の臭み消しに使ったりするには、これで十分。一般に「ヒネ生姜」と言われているのは、多くが、役目を終えた「タネ生姜」だ。
生姜を栽培してみると、まったく無駄がなくて、得した気分になる野菜である。
稲が実る11月
再びこうべを垂れる稲穂
房総半島の太平洋岸、千葉県大原町に移り住んで、何が驚いたと言って、11月に米が実ることぐらい驚いたことはなかった。8月のお盆の前に刈り取った稲の株から、また芽が出て、育って、そして実り、立派にこうべを垂れるのである。
黄金色が広がる11月の田 |
切り株から芽が出るのを「ひこばえ」と言う。漢字では「蘖」と書く。樹木の切り株から新芽が出るのをさす言葉なので、歳時記では春の季語になっている。稲の株からも「ひこばえ」が出るのだが、普通はすぐ枯れてしまうから、季語にはならないのだ。
ところが外房地方は、高知県と並んで、稲の二期作が可能な地域なのだ。もっとも、背丈はせいぜい30pほどで、米粒の数もたいしたことはないない。近所の人に聞いたら、終戦後の食糧難の時代には、この米も収穫したが、今は、そんな手間をかけても売れないから、放っておくのだそうだ。
二期作で思い出したが、サトウキビは三期作、四期作もやる。ずいぶん前に、鹿児島県の奄美諸島のひとつ、徳之島に取材に行った時に聞いた話だ。
徳之島では闘牛が盛んで、街中の広い通りで牛を引いている人がいて驚かされた。運動のために、牛を散歩させているのだという。闘牛はスポーツではなく、賭け事である。だから牛を持っている人は牛を大切にし、闘牛には島民がこぞって金を賭ける。
私が訪ねたころ、奄美諸島は衆議院選挙が過熱していた時期で、どちらの候補が勝つかで「選挙賭博」が行われた。それで毎日のように逮捕者が出た。この事件は記憶に残っている人もいるだろうが……
「あんまり、毎日、だれかが逮捕されるんでね」
「うん、それで?」
「あしたは、だれが捕まるか、ってことで、新しい賭けが始まったんですよ」
役場職員の話に、私も大笑いしたが、なぜ、それほど賭け事が好きかということには、笑えなかった。要するに「あんまり暇だから」なのだそうだ。
徳之島の主産業はサトウキビである。稲科の植物で、巨大なススキを連想してもらえばいい。稲と同じように苗を植えて育て、秋に刈りとって砂糖工場へ運ぶ。稲と違うのは、翌年に苗を植える必要がないことだ。「ひこばえ」が、また巨大に育つのである。「3年は何もしなくていい」と、案内してくれた役場職員は言った。追肥をすれば、4年目も収穫できるという。しかも、サトウキビには、「離島対策」で補助金が出る。だから、苗を植える時にしっかり働けば、あとは秋の刈り入れまでほとんどすることがない。翌年は、もっと暇になる。
「あんまり暇だから、賭け事が好きになる」という論理には、全面的に賛成するわけにはいかないが、あくせく働いて金を稼ぐという気持ちが薄いことは想像できた。
逆に考えれば、あくせくしていないから、泉重千代さんのような世界一の長寿者が徳之島に現れたのかもしれない。もちろん、重千代さんの家にも案内してもらった。残念ながら、すでに鬼籍の人になっていて、見たのは、家の前に建てられた銅像だけだったが、重千代さんの長寿には、サトウキビから採った黒糖を原料にした焼酎と、もう一つの理由があったという話が面白かった。
天気がいいと、座敷の戸を開け放ち、重千代さんは外をながめながら、黒糖焼酎をちびりちびりと飲むのが常だった。そこへ、毎日のように、長寿にあやかろうとする観光客が訪れた。時に重千代さんは、そんな人に「上がりなさい」と言い、焼酎をふるまった。
「でもね、それは決まって、若くて、かわいい、女の子ばかりでしたよ」
「はあ、やっぱり、男ですからね」
「それでね、そばに坐らせて、君、どこから来たの、なんて言いながら、なにげなく女の子の太もも辺りに手を置くんだから、見ていて笑っちゃいましたよ」
なるほどね。でも、いつまでもそういう若い気持ちがあるから、あれだけ長生きできたんだろうなあ。
これ、何の花?
まずは、写真を見ていただきたい。
変な形の、コンニャクの花 |
一目で何の写真か、わかったら、偉い!
実は、これ、コンニャクの花である。
コンニャクのタネイモを植えたのは、私が千葉県佐倉市に住んでいたころだから、いまから7年ほど前になる。大原町に引っ越した時、3株ほど移植した。以来、同じ場所に植えっぱなしだ。今年は例年より少し時期が遅いと思うが、花は毎年のように見ている。
コンニャクはサトイモ科の植物だ。ミズバショウとか、ザゼンソウとか、ウラシマソウ、マムシグサなど、同じ形の花を咲かせる植物は多い。真ん中に、雄シベと雌シベが一緒になった柱のような花が咲き、花びらのように見えるのは「包」(ほう)と呼ばれる部分だ。コンニャクは、濃い紫色の、なんとなく毒々しい花だが、これを白い色にして、ぐっと丈を縮めてやれば、ミズバショウを思い浮かべられないだろうか(と言っても、印象がずいぶん違うから、無理かなあ?)。
この根元に、カボチャをひしゃげさせたようなイモができていて、それから、食品のコンニャクを作る。それが植えてから3年目だったか、4年目だったか……しかし、「花が咲くようになったイモでは遅い」ことだけは、はっきりしている。
コンニャクの作り方も知っているのだが、まだ、やったことがない。なんとなく面倒だなあ、と思っているうちに、花が咲いてしまったのである。だれか手伝ってくれる人がいたら、やってもいいなと思っているので、ぜひ、来てほしい。ただし、2日がかりになるので、「お泊りセット」を忘れずに!
もうひとつ、何の花?
さて、この花はなんだかわかるかなあ?
ヤーコンの花 |
キク科の植物だとは、見当がつくと思う。が、キク科の植物は数多いので、正解は難しいだろうねぇ。
これは「ヤーコンの花」である。と言ったら、ますますわからない人が多いだろう。この根元には、サツマイモに似た形のイモが育っている。形はイモだが、デンプンをまったく含まないイモなのである。その代わりに、人間は消化できないフラクトオリゴ糖がふんだんに詰まっている。消化できないから、血糖値を上げず、ビフィズス菌など腸内の有用細菌の食べ物になってくれる。
生でも食べられる。シャキシャキしておいしく、かんでいると甘みが出て来る。きんぴらにすれば、どんどんオリゴ糖が溶け出してきて、これだけ十分に甘く、砂糖は不要という、すぐれものの野菜なのだ。
我が家では、このほか、キクイモ、アピオス、ヤムビーンという、新顔のイモ類を昨年から積極的に栽培している。その食べ方を、今発売中の「やさい畑 冬号」(家の光協会)という雑誌に紹介しているので、ぜひごらんいただきたい。料理を私が作り、写真も自分で撮った。これから、どんどん広まる野菜ではないかと思っているので、この「日記」でも、次回に紹介しようと思っている。
雑誌の写真は、実は、昨年の今ごろ撮ったものだ。そうして準備しておかないと、発行に間に合わないし、「キクイモの味噌漬け」を作るのに半年もかかったからである。今年のイモは、もう食べ始めているけれど、デジカメ撮影はこれから。待ちきれない方は、「やさい畑」で予備知識を仕入れておいてください。
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