んだんだ劇場2005年3月号 vol.75
遠田耕平

No45  裸の王様と長い一日

 僕はこの日を待ち続けていた。カンボジアに来た日から待ち続けて、すでに一年半が経ってしまった。実は大したことではない。それはある小児病院を僕が見たいというそれだけの事である。それだけの事が全く実現しなかったのである。その理由はビートリシュナーというスイス人の院長のせいだった。

裸の王様
 この人を称して「もう一人のカンボジアの王様だ。裸の王様だ。」といった人がいる。そのワンマン経営振りは自分の病院をまさに独立王国のようにして、絶大な権力を行使する。いわゆるカミナリ親父のような人かなと思うと、どうもそう簡単ではないらしい。この裸の王様は現地政府も国際機関も無視する。そのくせ国王と首相に個人的な親交を持ち、議会の承認も経ずに数億円のサポートを国庫から引き出す。一方、県立病院は職員の給与にも困窮し、百万円のサポートすらも得られない。
 裸の王様は政府から多大の支援を受けていながら、カンボジア政府の人間、国際機関の人間の立ち入りを一切禁じ、病院職員の外部との接触、情報の公開も厳しく禁じている。無料で患者を診るうたい文句の陰で、病院の中で何が起こっているのかは誰もわからない。
 さらに厄介な事は、毎月、新聞広告を出して、「WHOとユニセフが実施している予防医学では少しも子供は救われない、予防は無意味、治療が全てだ。カンボジアでまともな医療をしているのは自分だけだ。」とふれまわる。さらに「保健省も国の病院も腐敗で腐りきっている。」とあからさまに非難するのである。
 まあ、WHOの仕事が一番正しいとは思わないし、治療が大事である事もわかるのであるが、それにしてもカンボジア政府の世話になりながら、何とも大人気ない態度である。そんな訳で、保健省で働く人間はもちろん、カンボジアで働く国連機関の人間で彼と会ってまともに話をした事のある人間はほとんどいない。

 裸の王様なんかほっとけばいいだろう、と言われそうだが、そういかないので困るのである。実はこの病院に集まる小児患者の総数はカンボジアの中で群を抜いている。一日の外来患者は1000人近く、入院は400人以上、毎日数十例の小児外科を手術をして、一月に800以上のお産があり、病室の床にまで患者があふれている。
 少し乱暴な推定だが、カンボジアの中で発症する重症の小児感染症の半分近くはここに集まってくると考えても過言でないかもしれない。それでは他の県や国立病院はどうなんだと思われるかもしれないが、実はほとんどガラガラで患者がいない。その理由はまともな医者がほとんどいないからである。そしてその理由の一端は、通常の3,4倍もの給与を出すこの裸の王様病院に数少ないカンボジアの医者が大量に集まっているからでもある。裸の王様は保健大臣に向ってガラガラの県立病院をあざ笑う。
 予防接種の効果が上がっているかどうかは、患者の発生をみることで理解できる。どんな病気の子供が病院に入院しているかはとても大事な情報である。つまり、この裸の王様病院に目をつぶって、僕の仕事は成り立たないのである。ポリオ疑いの子供たちの情報は幸いにも今も病院の一部の職員を通して保健省に入ってくるが、残念ながら麻疹も、新生児破傷風も、ジフテリアも、百日咳も報告は一切ない。

長い一日
 裸の王様との接触を嫌がる保健省のスタッフを口説き倒して、ついにその日が実現した。朝5時に起きて飛行場に向う。アンコールワットで有名なシエムリエップ県にその病院がある。
 飛行機に乗る前から緊張のせいか、しきりと喉が渇く。用意した資料をどう説明しようかと思案していると、横から保健省の仲間が多分読んでもらえないだろうからあまり心配しないでいいと口を挟んだ。門前払いなのだろうか、もうしそうならいい笑い草だな。と思いながらシエムリエップの飛行場に降り立つ。
 やや緊張の面持ちの県の衛生局の担当者と落ち合って、直接裸の王様病院に向った。着くと、なんと関係者が僕らを玄関口で待っている。どうも話がうまい。10年間裸の王様のアシスタントをしているという30歳前半の若いスイス人が聞き取りにくいフランス訛りの英語で平屋の広いスペースの待合室から診療所を案内してくれる。内部は清掃が行き届いていて、実にきちんと管理されているように見える。

広い待合室の風景
 ICU(集中治療病棟)で医者達に話をしている裸の王様と初めて対面した。裸の王様は、初老で肥満だった。眼鏡の奥の垂れた目がきょろきょろと動いて定まらない。保健省の担当者たちの顔を見て、「君の顔は知っている。」と指差しながら、歪んだ笑顔を作った。僕に向って「日本脳炎の患者が一杯いるからワクチンが要る。」と、独り言のように呟いて、アシスタントに案内するように目配せをしてまた回診に戻っていった。自己紹介する間もない。
 それから、9つの病棟とさらに新たに建設中の4つの病棟。検査室、分娩室、手術室などを見て回った。ここも実に清潔に管理されている。僕が一番やりたかったことは、患者の入退院簿に目を通し、医者達とじっくり話すことである。残念ながら、もちろんそんな余裕は全く与えてはくれなかった。

 一通り見終わると、待合室で職員に立ち話しをしている裸の王様を再び捕まえた。矢継ぎ早に、ポリオ、麻疹、新生児破傷風、ジフテリア、百日咳のカンボジアの現状を話す。すると裸の王様、「ポリオを最近診た。」という。(ポリオは1997年がカンボジアの最後の報告例である。)保健省の担当官が目を丸くする。僕はハイと答えて、便検体を取ってもらえたよね、と隣の県の職員に耳打ちする。「ジフテリアも最近診た。」という。報告は全くなかったね、とこれも県の職員に耳打ちする。裸の王様はいろんな病気を診ているらしい。
 もし僕が卒業したばかりの若い医者だったら、この病院を見てどう思うだろうかと、ふと思った。これだけ症例が多くあって、職員が十分にいて、好きなだけ治療を出来るなら、やはりこの病院で研修を受けたいと間違いなく思うだろうなと、僕の遠い昔の臨床医の経験から素直に思ったのである。

豊富な病棟のスタッフたち
 年間15億円の予算の半分を治療費に使い、30%は500人以上の職員の給与に消えるという。回収可能な利益はゼロという放漫経営だが、こんな贅沢な病院がカンボジアにあってはいけないという訳ではない。いや、実はろくに研修できる病院がないカンボジアでは貴重な小児疾患の病院のはずである。
 残念な事は、この裸の王様には全くその気がないということである。自分がカンボジア全土を診ていると錯覚しているらしいことである。ここでトレーニングを受けた医師たちが県立病院に戻って技術を生かしてくれるなら、どれほどカンボジアの医療の向上に役立つだろうかと思うと、これも残念である。
 裸の王様に別れの挨拶をして、最後に予防接種外来を見せてもらいますといって、握手をして別れた。接種所で記録の取り方、ワクチンの管理の仕方を聞きながら、これを機会に関係が良くなっていけばいいなと、思う。「話がうまいなんて、失礼な事を思ったな。」と、心の中で胸をなでおろしたその瞬間だった。
 裸の王様が血相を変えて接種所に飛び込んできた。驚く僕らの前で、突然「君達はこれ以上私の病院の何が知りたいんだ。」と僕に噛み付いた。僕達がすぐに帰らなかったのが気に食わなかったらしい。「WHOの言う予防なんて何の意味もない。BCGも結核が悪くするだけだ。治療が全てだ。政府は腐敗だらけだ。」と口角から唾を飛ばし、目が血走った。正体を現したなと思った。少し前に見せた紳士的な別れの挨拶は嘘で、これが本性なんだとわかると却って心は落ち着いていた。
 「わかりました。お世話になりました。また来ますよ。」と言って病院の門を出た。出てから、県の職員も保健省の職員もそして僕も全員が深い溜息をついた。疲れたのである。
 昼飯を食べながら、「裸の王様が死んだらあの病院は総崩れだろうな。」と一人の男が呟いた。僕は思う。医者の本分は病める患者を隔てることなく受け入れて、何の見返りも求めることなく病を治そうとすることだろう。
 確かにある意味で裸の王様は医者の本分を果たしているように見える。だから一般の人には余計に見えにくいので困るが、無料で患者を診るから秘密主義で、権力主義で何をしてもいいということにはならない。こんな不思議な状態がいつまで続くのだろうか。
 お昼を食べ終わってから県の衛生局、アンコール小児病院、保健所を訪ねて、飛行場に着いた頃はもうとっぷりと日が暮れていた。小さな飛行場の待合室で缶ビールを買って、「長い一日ご苦労さん。」と乾杯をした。
 保健省のサラット先生は僕より3つほど年上だがいつもニコニコして、笑顔を絶やした事がない。目尻が垂れているその顔は、欽ちゃんによく似ている。ポルポト時代に医学部の学生で、大学をいったん追われ、生き残った人である。こういう人達が今のカンボジアの保健を支えている。そしてとても丈夫な人たちである。決して疲れた顔をしない。僕はサラット先生に敬意を表して、真っ暗な滑走路に向ってもう一度小さく乾杯した。
 サラット先生は今、月に一度、裸の王様病院を訪れて。さりげなく病院の入退院簿を見て、さりげなく医者達と話をしている。僕の役目は忙しい彼の肩を軽く叩いて、励まして、裸の王様病院に行ってもらうことである。これも一WHO医務官の仕事らしい。

産科外来に整然と並ぶお母さん達

 カンボジアの気温は日に日に上昇している。4月には一年で最高の気温に達する。また、あの火炎樹が赤い花をつける時期がやってくる。


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