んだんだ劇場2005年4月号 vol.76
遠田耕平

No46  ラタナキリ、はしか騒動顛末記

 カンボジアの暑さは4月にピークになる。夜は何度か首を濡らす寝汗で目を覚ます。目を覚ます度にクーラーのスイッチを入れ、寒くなってスイッチを切り、また寝汗で目を覚ます、この繰り返しである。
 暑さの中、ここ二週間ほど、分厚い質問状を抱えて、保健所、郡、県の予防接種事業を調べて回っていた。各レベルの予防接種の担当者が、どの程度きちんとワクチンを配送、管理し、どの程度きちんと報告しているかを記録から掘り起こし、実際の数と比較して調べていく実に骨の折れる仕事である。その結果、ある地域では、僕が予想していたよりもはるかに悪い問題が浮かび上がってしまった。ワクチンの管理のずさんさもさることながら、ワクチンを受けた子供の数が大幅に水増して報告され、しかも余ったワクチンを町医者に横流ししていたのである。がっくりである。
 少しはそういうこともあるだろうと理解してはいたものの、ここまで露骨になっているとは知らなかったのである。この話は、これまた骨が折れるのでまたの機会にしよう。

ラタナキリ、はしか騒動顛末記
 その調査が終わり、ホッと一息ついた所に「ラタナキリ県の少数民族の部落に麻疹(はしか)が流行っているらしい。」という報告が入ってきた。
 ラタナキリ県はカンボジアの北東の丘陵地帯にあって、ベトナム、ラオスと国境を接する人口10万人余りの最も辺境の県である。7例の血液の検体がプノンペンに送られてきて、そのうちの3例から麻疹を証明したと公衆衛生院が報告してきた。
 ラタナキリ県はもう4年間も麻疹を報告していない県である。予防接種が悪く、しかも僻地では、長く感染流行の起こっていないと、一旦病原菌が持ち込まれると子供から大人までの大流行を起こす危険がある。昔アメリカのエスキモーに麻疹が持ち込まれて大流行し、たくさん死んだという話を聞いた事がある。とにかく日曜を返上してラタナキリに保健省のスタッフとともに飛行機で飛んだ。
 ラタナキリはクメール語で「宝石の山」という意味である。宝石が以前はたくさん取れたという。いいところだという人もいるので多少期待して行ったが、地肌の砂煙の飛行場に着いてみて驚いた。舗装された道は一つもなく、赤土が絶えず舞い上がるまさに埃の街なのである。
 ここも今が一年で一番暑く、汗ばむ肌に赤い土埃が容赦なくまとわりつく。窓を締め切った宿の部屋も、車の中でさえも赤い土ぼこりが積もる。鼻の穴の中まで土ぼこりで真っ赤になるのである。

 患者がすでに報告されている村、まだ報告されていない村を含め、街から2時間くらいで辿り着く7つの村を選んで、3日間、朝から晩まで、村の一軒一軒を訪ねて患者を診て回った。
 村に辿り着くまでの道がまたすごい。まるでモトクロスのコースのようである。地面には砂埃がパウダーのように積もっていて、バイクや車が走ると舞い上がる砂埃で数メートル先が見えなくなる。
 驚かされるのは森がいたるところで燃えている事だ。まだ火がくすぶっている森からまさにめらめらと今燃えている森まで、深い緑の森とは縁遠い姿である。目に入る緑は本来の森ではなく、カシューナッツの木々の緑である。カシューナッツの果樹園が広い丘陵の斜面に広がる。
 この辺の土地は全て個人の所有だと言う。役人が勝手に売り渡してしまったらしい。地元の農民を使って少しずつ森を焼き払い、現金収入のいい作物にしようとしている。一時はコーヒーを植えたが、国際価格が下がったので、カシュ−に植え替えたという。
 それはいいとしても、農民はほとんどただ同然で使われて、自分達の耕作地も減らされ、地域は少しも豊かにならず、儲けは全て持ち主のポケットに入る。税金逃れも賄賂で何とかなるカンボジア的構造に首を傾げないではいられない。
 フランス統治時代から残るゴム園も個人の所有だという。樹皮を削って働いている若者に聞いて見ると、ゴムの樹液を一リットル壺に集めて500リアル(15円)、これを一日10リットルくらい集めて生計を立てるという。大変だ。

ゴム園。白いゴムの樹液を溜めている。

カシューナッツ。僕らは実の先にある種を食べる。
 話を元に戻そう。
 7つの村を回って、64人の患者を診た。いずれも少数民族の人たちで、言葉が通じない。保健婦に少数民族出身の人達がいて通訳をしてくれる。患者の年齢は生まれて間もない赤ん坊から20代後半の若者まで、どの一人をとって見ても実は臨床的には典型的な水疱瘡(みずぼうそう)なのである。

17歳の水疱瘡

0歳児の水疱瘡
 水疱瘡は皮膚に水泡が出来て、破れ、その後は色素が落ちて少し白くなるが、二次感染がなければ跡は残らない。発熱も軽く、症状は軽い感染症である。以前は水疱瘡と似た水疱を作る病気として、皮膚に深い瘢痕を残して死亡率も高かった天然痘がよく比較されたが、その天然痘は1980年に撲滅された。
 一方、麻疹は水泡を作らない。発疹の跡は水疱瘡のような脱色ではなく、軽い色素沈着が目立つ。麻疹の症状はずっと重く、必ず長引く咳や、肺炎を併発している子供が中にいるものである。水疱瘡が麻疹と同時に村で流行してもいいのである。同時に同じ人の体内に起こる事も可能である。ところが、僕らが見る限りやはり一人も典型的な麻疹はいないのである。
 麻疹の検査が陽性になったという3人の成人を村で診たが、この人たちもどう見ても水疱瘡なのである。再検査のためにもう一度血液を取らせてくれないかと頼んだが、嫌だといって逃げてしまった。翌日、保健所の所長が村長を説得してくれて、やっとOKが取れた。
 「血を取られると力が抜けて体が弱くなってしまうよ。」とぶつぶつ言い続けているおじさんに、保健省から来た女医のヤナレス先生が手提げ袋からやおらキャンディーを一掴み取り出した。そして、「このキャンディーにはいろんなビタミンが入っていて食べると力がつくのよ。」と口上を始めたのである。そしてぶつぶつ言うおじさんの口にキャンディーをねじ込むや、グイッと腕を引き寄せ、採血をしてしまった。
 これを脇で見ていた村長が「そのキャンディーをわしにもくれんかね。」という。渡すと、「そんなにビタミンが一杯入っているキャンディーを二つも食べてもだいじょうぶかね。」ときく。これをきいて、なんとか笑いをこらえていた僕のドライバーがとうとう噴き出してしまった。その夜はマジックキャンディーの話で持ちきりとなる。
 水疱瘡にしか出会えない僕らは、困り果てて、とうとう公衆衛生院に再検査をしてくれるよう電話で頼んだ。引き受けてはくれたものの、待てど暮らせど結果が来ない。僕らが現地を離れる時になっても、まだ来ない。責任者を電話で問い詰めて分かったのことは、結局、部下のスタッフたちに次々と押し付けて、結局は誰もやっていなかったのである。
 これまたカンボジア的結末である。再検査の結果はプノンペンに戻ってからやっとわかった。なんと全て陰性、前回の結果が間違えであったのである。検査に間違いは付き物である。実は公衆衛生院の間違いの根はもっとずっと深いのであるが、またこの話はどこかで。

パイプを加える山岳部族の母親と子供の背中の水疱瘡の跡

村で診察するヤナレス先生と僕
 ともかく、ラタナキリの流行は麻疹ではなく、純粋な水疱瘡の大流行だった。この大流行は10年以上も流行のなかった僻地で起こり、免疫を待たない人口に感染が広がっていくという点でおもしろい。
 流行は過去に自然感染による免疫を全くもてなかった20歳代までの多くの人口に広がり、散在している居住区域の場所から場所へ飛び火しながら数千人の感染規模でまだ数ヶ月続くだろうと予想される。もしこれが麻疹だったら実際はどうなっただろうと想像することがおもしろい。
 僕らは村を一軒一軒回って患者を診ると同時に、実は彼らの予防接種歴も聞いて回っていた。その結果は、麻疹ワクチンの接種率は30%に達しない。県では77%だと報告しているが、実際ははるかに低そうだ。とすると、もし麻疹がこの地域に持ち込まれると、その流行の程度は水疱瘡ほどではないにせよ、かなり深刻になる事が予想されるのである。
 まあ、今回の調査、無駄足だった言われれば仕方がないが、自分としては随分と教えられ、考えさせられることの多い旅だったのである。現場はいつもおもしろい。赤い土埃にまみれ、村を訪ね歩くのも悪くなかった言う事にしておこう。


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