んだんだ劇場2005年9月号 vol.81
遠田耕平

No51  水上生活の中へ

休暇明け
 短い夏の休暇を秋田で過ごしてプノンペンに戻ると、日本より暑いはずなのに、たるんだ気持ちは何故かシャッキリとして、美味しい日本の食事を取り過ぎて、心持ち弛んだお腹も締まってくる感じがする。やはり僕の生活の本流はこちらにあるらしい。
 僕がだらけていた間、保健省のカンボジアの先生達は一生懸命に仕事をされていたらしい。ミーティングや上半期の予防接種の総決算をする会議の準備で20人余りのスタッフが連日遅くまで仕事をしている。僕がいなくても、とにかく仕事は仕事としてここの人たちの手で進んでいくんだなと思ったら新鮮な思いが心の底のほうで動いた。基本的にはあまり仕事をし過ぎないのがいいらしいと、生来怠け者の僕の本性は感じ取ったらしい。
 憂鬱なのは僕のデスクの上である。目を通さないといけないらしい書類が山積みにされ、もっと憂鬱なのはコンピュータを起動すると何百ものE-メールが溜まっていて、「どうしてくれるの」とばかりモニターから溢れ出て来る。友達からの連絡は一番大事だが、仕事の話しはほとんどが、膨大なファイルが添付されたどうでもいいコピーばかりである。その屑箱のような中からどうしても緊急性のあるものだけを選び出すのは、また骨が折れる。友達や知人からの連絡だけが楽しい。
 楽しいといえば、春に秋田大学医学部の2年生に例によって無責任で悪乗り気味の講義をするのであるが、今年はさらに悪乗りをした学生たちが次々にプノンペンに遊びに来た。連日連夜、酒を飲ませ、飯を食わせ、僕の不思議な友達たちと会わせて大騒ぎをして、帰っていった。
 いったいなんだったんだろうかと思うのであるが、何故かとても楽しかったらしい。そうか、よかったなーと思う。きっと自分達で何かを嗅ぎ取って、何かを感じ取ったのだろうなと勝手に想像する。こんな態度は、教える立場としてはなんとも不真面目だとも感じるのであるが、どうも「教えようとすればするほど教えたい事から遠ざかっていく」ように以前から感じているのである。この感覚はいったいなんだろうか今もよく分からない。真面目に「教えない」ようにする事は意外にも随分と骨が折れる事だなと、最近少し分かってきた。どうもこの辺は深いらしい。

水上生活の中へ
 話しは仕事に戻るが、カンボジアには予防接種の計画上、僕らが危険地帯(ハイリスク)と考える集団がいくつかある。その定義は第一に少数派の人たちで、集団で生活をしている。第二に政府にきちんと住民登録されず(税金も払っていない)、十分なサービス、つまり予防接種もきちんと受けていない。第三に職を求めて、ボートや車で川や道沿いに広範囲に移動をする人たちである。
 このような定義に入る人たちがカンボジアでは第一にメコン川、トンレサップ川、トンレサップ湖周囲に水上生活するベトナム人の集団である。第二にカンボジア系イスラム教徒たち、第三にプノンペンのスラムに住む貧困層のカンボジア人、そしてタイ国境地域で国境を越えて仕事をしている貧困層のカンボジア人たちである。
 この人たちはいつも予防接種の計画上とても重要な集団になる。というのは、どんなに国全体の予防接種が高いと報告されても、この予防接種を受けていない、人口密度の高い、移動を頻繁にする集団があると、必ず病気が持ち込まれる可能性が高くなるからである。
 カンボジアの保健省ではハイリスクのこれら集団にターゲットを絞って予防接種のキャンペーンをしたいのであるが、いつもそのための余分なワクチン、人件費が見つからなかった。ところが幸運にも今年はワクチンに余裕があり、人件費もユニセフが出してくれる事で折り合いがつき、急に忙しくなった。
 対象となる人たちはカンボジアの人口の10%で、さらにそこの5歳未満の子供たちである。ポリオ、はしか、3種混合(ジフテリア、百日咳、破傷風)のワクチン、さらにビタミンA、メベンダゾール(虫下し)を同時にやろうというから少し欲張りである。900箇所あまりある保健所の中から100箇所ほどのハイリスク地域を保健所ごとに選別して地図を作る。

トンレサップ湖畔に建つ保健所
 早速いくつかの県に出かけて行って実際に水上の村を訪ねてみた。
 プルサット県のトンレサップ湖の岸に立つ保健所は5メートル以上もある支柱の上に建てられている。長い階段を登って、保健婦に「何でこんなに高く作っているの」と聞くと、雨期に水がここまで出上がるという。湖岸までそれほど遠くはないが、雨期には現在一面のブッシュになっている広大な土地が全て水没するというから想像が大変だ。トンレサップ湖はメコン川の貯水池のようになっているので、乾期と雨期では水位が8メートルも変わるという話を聞いたことがある。
 湖岸に続く水上の家が密集する村にボートで出てみて驚いた。小船を操る三角笠の物売りから網を打つ子供たちまで、僕が10年前に仕事をしていた馴染みのあるベトナムの水路の風景そのものなのである。そして出会う顔はみんな懐かしいベトナムの人たちだ。25年前のベトナムのカンボジア侵攻ともに住み着いた人たちもいるが、もっとずっと前からカンボジアとベトナムを行き来している人たちも多い。主に魚の養殖を生業としていて、どの家の床下にもイケスがある。

水上生活のベトナム人の家族と接種漏れの子供

水上の家とイケス
 子供の一杯乗っているボートの家を見つけては船を横付けし、お母さんに子供たちの接種歴を調べるが、クメール語があまり通じない。僕のさびたベトナム語もあまり役に立たない。保健婦たちに一体どうやって普段は予防接種をしているのか聞くと、「以前は村のベトナム人が少しのお金でも通訳を助けてくれたが、今はお金がないのでベトナム人は手伝ってくれない。だから、少しクメール語の分かるベトナム人にだけ接種しているという。」
 言葉が通じないで仕事が出来るわけがない。ベトナムでは少数民族でも、保健所のスタッフとして雇用し、教育もしっかりと受けさせていたし、少数派の人もしっかりと登録されているので見つけ易かった。ベトナムは偉いなーと思う。
 が、考えて見ると、ベトナムは徹底した社会主義教育を国策としていたし、徹底した徴税を国の柱としていたので少数民族は大事だったのである。ところがカンボジアではイデオロギーによる教育理念はない。しかも徴税も住民登録もどうなっているのかわからないほどいい加減なままである。
 カンボジアの保健婦に払う給与もままならないのだからベトナムのスタッフなどは考えにも及ばない。カンボジアに住み着いたベトナム人はこれをうまく利用している所がある。カンボジアの社会に参加しない代わりに税金も払わないでいい、最低限の制度だけ受け入れて後は気ままにやれるのである。カンボジアの学校にもベトナム語を話せる先生がいないので自分達でベトナム語の学校を作ってベトナム語だけの教育をしている。そう見てくるとどうもカンボジアだけを非難するわけには行かないようである。
 コンポンチャナン県の別な水上のベトナム村はおもしろかった。数百戸の水上の家が陸上の村のように整然としている大きな集落である。驚いたのは、村長と保健所長とが昔からの馴染みでコミュニケーションが実にいいのである。定期の予防接種も村長が協力してくれるのでクメール語を理解しない母親でも比較的よく参加しているという。
 川向こうの集落に行くと、水上の教会がある。ここはベトナム語の学校でもある。ここの神父も保健所長のよき協力者だった。別な川岸に行くとそこはイスラム教徒(チャム)の集落だった。ここの村長も保健所長の古い馴染みでよき協力者だ。イスラム教徒たちはほとんどがクメール語を話せるし、外部の人への警戒もインドのように強くないので、カンボジアのイスラム教徒はコミュニケーションの点では比較的楽に見える。

水上の教会

水上村のベトナム人村長(左)と仲のいい保健所長(右)
 この保健所長は確かにすごい。お腹がボールのように出ていて、ドラエモンのように愛嬌のある顔をしている。そのくせジャイアンのようにやんちゃくさくて、見ていても楽しい。でも、コミュニケーションは保健所長の人柄だけで決まってしまうのかなと思うとどうも腕を組んでしまう。
 これではハイリスクの為のキャンペーンの作戦には使えない。何とかコミュニケーションを改善させる手立てが必要だ。そこで今、クメール語とベトナム語の2ヶ国語で広報用のビラ作りをしている。メッセージはこうである。
  1. あなたの子供の健康をワクチンで守って上げましょう。
  2. ワクチンは結核、ポリオ、はしか、破傷風、ジフテリア、百日咳、B型肝炎から子供たちを守ってくれます。
  3. ワクチンは保健所で無料で受けられます。
  4. ワクチンを受けたあとの軽度の発熱は心配しないでも大丈夫です。正常のワクチンの反応で危険はありません。恐がらなくていいです。
  5. 近くの保健所で引き続き全てのワクチンをしっかりと子供に受けさせてください。
 ベトナムでいっしょに働いた保健省の先生に今ベトナム語の適切な訳をお願いしているところだ。どうなるか楽しみである。

 僕の事務所のデスクに戻ると相変わらず読みきれないメールが百以上も残ったままだ。読んでもいないのにまた次から次へと送られてくる。勝手にしてくれという感じだ。コンサルタントが事務局から来てくれるのは有難いが、仕事は減るどころか増えていくのでどうも困る。はしかの根絶の国のプラン作り、B型肝炎の抗体保有率の国内調査、はしかの血清診断実験室の監視、等々、結局はやる事が金魚の糞のようにくっついて出てきて途切れない。
 が、僕はやはり自分の好きな事にしっかりと時間を取っている。ハイリスクの村を見に行って、保健婦やお母さんたちと話をして、どうしたらいいのか考えて、いろんなイメージがカンボジアの空の雲のように広がっていく。僕の頭は今そのハイリスクの人たちを対象としたワクチンキャンペーンの準備の事で一杯なのである。つまり幸せなのである。


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