んだんだ劇場2005年11月号 vol.83
遠田耕平

No53  とどけ、ワクチン

ワクチンキャンペーン本番
 カンボジアは一週間近く雨が降らない。日中の雨雲も薄くなり、いつもの熱帯の青い空が戻ってきたようにみえる。温度は30度を切って、日陰にいると涼しく感じる。目の前のメコン川の水位も下がり始め、水に沈んでいた中州が姿をあらわし始めた。雨期がそろそろ明けるらしい。
 準備に奔走していたキャンペーンが、いよいよ始まる。今回は普段の定期接種では手の届く事の少ないベトナム人の水上生活者や「チャム」と呼ばれるイスラム教徒などの少数派の人たち、そして都会のスラムに住む貧困層のカンボジア人たちの5歳未満の児童を対象者とした。その数は推定で約16万人、全国の5歳未満の児童の10%近くに登る。
 人件費やボート代などの交通費などの諸経費で一千万円近い費用をかけて、200の接種チームが400人の保健師と200人の村のボランティアと共に接種をすることになっている。ワクチンは大部分の子供達が以前に受け損ねているか、不完全にしか投与されていない事を考慮して、はしか、三種混合(DPT)を同時に注射して、ポリオワクチンとビタミンAと駆虫薬のメベンダゾールを口から投与するという少し欲張りな計画である。
 先月、先々月号にここでお話したビラがやっと完成した。社会的に下層に置かれる人たちや少数派の人たちを対象とする際の最大の難しさはコミュニケーションである。予防接種がどういうものなのか、どんな病気から子供を守ってくれるのか、予防接種の後になぜ熱が出ることがあるのか、保健所はどこにあるの、どんなサービスが無料で受けられるのか、知らないのである。
 この責任は政府にある。何とか改善をしたい。そこでクメール語とベトナム語で説明した写真つきのビラを作った。すると政府の上の役人が、「ベトナム語は小さくしろ、もっと他の10ヶ国ぐらいの言葉をちりばめろ、各国大使館の承認をもらえ。」と、難題を押し付けた。結局、頑張り抜いて、最終的にはクメール語とベトナム語で半分ずつ表を使い、アラビア語と中国語で裏を使い、均等な配置の写真入の上質なビラをついに完成したのである。

クメール語とベトナム語のビラの表

ビラを読むベトナム系の子供

ベトナムからの訪問者
 今回はベトナムから予防接種担当の保健省の人たち4人をキャンペーンに招待した。実はそのうちの二人の女医さん、フオン先生とハー先生は僕が10年以上前にベトナムで働いた時の仲間である。現在ベトナムのWHO医務官で、以前カンボジアで働いた事のある村上仁先生と話し合い、二つの国をよく知っている二人が古い友人達のために一肌脱ごうと、「交換フィールド見学」という計画を作り、隣の国の一番見えにくい場所をたっぷりと見てもらうことにした。
 村上先生を含めたベトナムから来た5人は、プノンペンに着くなり、保健省のチームとともに車を5時間走らせ、トンレサップ湖の水上生活の村に向った。
 フオン先生もハー先生も僕より二つ三つ年下だが、僕がベトナムにいた頃は元気がはちきれんばかりで、毎週のようにメコンの村をボートで走り回っては僕と一緒にポリオの患者を探し回ったものである。が、今は皺も白髪も増え、身体も一回り肉厚になったように見える。「やっぱりオバサンになったなー。」と感じるが、僕も皺も白髪も増え、オヤジになっている。まあ、オバンになってもオヤジになっても気持ちと言うのはあまり変わらないのかもしれない。僕自身が気持ちはベトナムの頃と少しも変わっていないように、彼女達もやっぱり元気である。

ベトナムの村のリーダー(左)とハー先生(中央)とフオン先生

お母さん達にベトナム語で説明するハー先生

トンレサップ湖の水上の村
 水上のボートの接種所はベトナム人のお母さんと子供たちで溢れている。クメール人の保健師たちはお母さん達と話もせず混乱の中で黙々とワクチンをしている。気がつくとベトナムから来た僕のお友達は、ハンドマイクを手にベトナム語でお母さん達にワクチンの説明をしながら混乱を整理している。そうかと思うと保健師の横で注射器にワクチンを入れて、保健師に手渡している。大したのものである。それにしてもどうだろう、県と郡から来た衛生局の監督者はそっぽを向いてタバコをふかしているのである。僕は悲しくなる。
 嬉しい事は接種所に来る母親達の多くが手にビラを持ってきていることである。リーダー達が上手に配ってくれたらしい。そのリーダーも様子を見に来てくれている。嬉しい。
 それでもベトナム語をちゃんと読める母親は多くない。それは貧しいクメールの村でも同じだ。保健師がもっと、ちゃんとビラを説明してくれたらいいなと思うが、そういう保健師は少ない。保健師がビラを読んでいないことが多いからもっとガッカリくる。どうして保健師はビラを使って母親達と話をしようという気持ちにならないのだろうか。これまた少し悲しくなる。

 ベトナムの仲間は元気である。夕暮れ近くになって水上の家から水上の家に、もうワクチンを受けたかどうか、声をかけて回った。この辺はほとんど漏れなく受けている。あるお母さんが「ワクチンを受けたあと子供が熱が出た。」と心配そうな顔をしている。ボートを寄せて、彼女達が実に丁寧に母親が納得するまで話をしてくれている。
 カンボジアでも心のある医療スタッフはいる。ただこの地域ではベトナム語が話せないとやはりどうにもならない感じがする。ベトナムのリーダーたちが彼女達に安心して話してくれた中身には地元の保健所に対する苦言がかなりあったらしい。保健所のスタッフの中にはベトナム人への診療を拒否する人もいるらしい。この辺の根は深い。
 カンボジアにも真面目な保健師はいる。別な水上の接種所では保健師が本当に頑張っていた。男性だが、笑顔を絶やさず母親達と話しをしながら手際よく接種をしている。この人は以前僕が訪ねたときも、リーダーと真面目に話をしてくれた人だ。時折揺れるリーダーの舟の上で、その保健師と村のリーダー、ベトナムから来た彼女達と保健省の仲間たちが集まって、この後、どうしたら子供たちに続けてワクチンをあげられるか話し合った。
 初老のリーダーが見事にベトナム語とクメール語で同時通訳のように話す。彼は祖父の時代からカンボジアにいるらしい。リーダーが、「来月もここに来てくれるなら必ずお母さん達を集めてやるぞ。」という。保健師が「ありがとう。来たいのだけど、保健所のボートは壊れているし、ボートを借りるお金もないんだ。」と言う。一同、腕を組む。
 後2、3ヶ月すると乾期でみんな広い湖に散らばってしまう。来月の接種は大事だ。僕は、試しに聞いてみた。「まず来月だけ、リーダーの方から保健所にボートを迎えによこして貰う事はできないだろうか?」と。
 リーダーはしばし考えて、「日にちと時間を決めてくれるならボートを出そう。」といってくれた。保健師が「ありがとう。それなら必ずできる。」と、大いに喜ぶ。二人で連絡の仕方を話し合っている。小さな一歩である。郡の衛生部の役人が横で黙って聞いている。「ちゃんとサポートしてあげてね。」と僕が言うと、苦笑いする。

お母さん達一人一人の顔を見て話し掛けるカンボジアの保健師さん

車座で話し合う初老のリーダー(右端)と真面目な保健師(左端)

プノンペンのスラム街
 プノンペンには川沿いにベトナム人を中心とするスラムがいくつかあり、街中にはクメール人を中心とするスラムがいくつかある。いずれも地方とは違い、売春や麻薬、賭け事、犯罪の巣となっているところが多い。市の衛生部は県よりもやる気がなく、対策には関心を示さない。ただ、今回は何とか関心を持ってもらおうとリーダーを集めたミーティングを開いて、僕も何度か顔をだした。
 ビラも配り、何とか住民に情報が伝わるように準備した。始まってみると驚いた。何のキャンペーンかまったく理解していない接種チームが一杯いる。遅刻したり、勝手に休んでいる保健師もいる。ビラを保健師は見てもいないと言うから驚く。今回のキャンペーンを普段の定期予防接種と誤解している保健師までいるからお母さんは大迷惑である。
 スラムでは汚い水浸しの路地に沿っていくつもの家族がひしめいて住んでいるので、ある意味では子供を集めやすいのだが、それをしない。お母さん達に説明もしない。目の前を何人もの母親と子供が通り過ぎても声もかけようとしない。リーダーたちの責任感も弱くビラもちゃんと配られていない。
 ここでも彼女達が活躍した。一つの接種所でベトナム人のリーダーが手伝ってくれていた。彼女達が話すと、ベトナム協会の人だという。僕らにはこの名前は初耳で、聞くと全国組織で、プノンペンのこの地域の代表がいると言って、その人を呼んで来てくれた。このベトナム協会を通じて情報を流すと確実に成功が伝わると言う。
 運のいいことに、保健省の予防接種部門の責任者のスーン先生も見に来てくれていたので、皆で話し合う事ができ、後日改めて話し合いを持つこととなった。これは思いもかけない収穫である。カンボジアにいると推定される50万人以上のベトナム人とのチャンネルができることは今後大いに役に立つだろう。

 プノンペンのスラムはたくさんの接種所を用意したようだが、保健師のやる気のなさ、計画と準備の悪さで、僕が保健省の人たちと聞き取りでいくつか調べた限りでは目標の半分近くの子供は予定のワクチンを受けていないかもしれない。
 今回のキャンペーンはまだ最終の集計が取れていないが、接種率の結果だけを見れば、決して成功したとはいえないかもしれない。あまりに問題が山積である。ただ、一番誰もが見たがらなかったところに光を当てて、その問題を浮き彫りにした事、特にこちらの行政側、衛生部、保健師の問題が如実に分かった点では有意義だったと思っている。
 ベトナムの仲間は自分の国と比べながら多分いろんなことを考えただろう。タフな彼女たちは視察の合間にアンコールワットを駆け足で見て、プノンペンの王宮も博物館も見て、買い物もして、無事帰っていった。やっぱり元気である。
 僕はというと、例の水上の村の初老のリーダーが親切にもご自宅の舟の上でご馳走してくれた昼ごはんが悪かったらしい。プノンペンに戻って2晩、ピーゴロで眠れぬ夜が続いた。聞くと僕だけがピーゴロだったらしい。彼女達が一言、「トーダはベトナムでもよく田舎でお腹を壊したわね。他の人は何ともなかったけどね。」とゲラゲラと笑う。来月、今度はカンボジアの保健省の仲間を連れて僕がベトナムを訪ねる。今度はベトナムに住むクメール人の姿がよく見えることだろう。せいぜい僕はピーゴロで笑われないようにしよう。


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